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ついのべ集@しおなか

王国 #twnovel 201-300

作者: しおなか

【201】

 外は雨が降っている。すこし寒くて湿った部屋で、君とぼくはふたりきりだ。ベッドの端にちょんと腰かけている君に、ぼくは尋ねてみる。今日は寒いね、ねえ君、人肌が温まるにはどれだけ時間がかかると思う? 君はすこし考えて、部屋を出て電子レンジを抱えて戻ってくる。試そうか。


  *


【202】

 中に誰もおらず、外も誰もいないが、ノックの音だけが聞こえる。


  *


【203】

 自己嫌悪にくびり殺されそうな夜は、賞味期限の切れた茶を飲むなどして、少女は自らを痛めつけている。


  *


【204】

 鈍く光る鋼鉄の肌を持つ男は、世間から鬼と呼ばれて然る容貌をしていたが、その内心は無垢な子どもであり、一日の大半を、誰に迷惑をかけるでもなく、己が後ろ頭をどうにかして眺めんと身をよじることで過ごしている。


  *


【205】

 お前は心も体も狭すぎて、俺にとっての困りものだが、中に分け入ったときに道を見失わずにすむ。


  *


【206】

 古き城の偉大な王には不滅の三勇者が仕えていた。無敵の大盾を掲げる騎士。輝く未来を杖にて紡ぐ魔導士。相手を切り裂く知謀の僧侶。三勇者の誰も剣を必要としなかったのは、侵略者が存在しなかったからで、侵略者が存在しなかったのは、とうの昔に民も冨も死に絶えていたからだ。


  *


【207】

 誰かが早朝の雪の上に蜂蜜をまいて、蟻を集めて、愛してる、と蠢く文字を置き残していったが、顔を出した太陽の光で、働きを終えて去る蟻たちで、誰かの愛は、誰の目にも触れぬうちから、既にぐずぐずの崩壊をはじめている。


  *


【208】

 あんたのせいで娘はこんなんになっちまった、と、アリクイの娘を抱えた父親が、蟻塚の前に這いつくばって、特定の蟻を責めている。


  *


【209】

 あなたを手に入れるために、わたしは何でもしたわ、手も足もあなたをつかまえるために磨きをかけたのよ、ほら見て、いまのわたしを見て、と尖った爪を蟻塚の狭い暗がりに差し込みながら、舌の先でアリクイが囁く。


  *


【210】

 耳隠しをしたまま崩壊する迷宮の中を逃げ惑っている。出口はたった一つで近道は存在しない。右手を壁について進み、階段を駆けくだり、やぶれかぶれの突進を繰り返す。どうせまた後戻りさと嗤う声が、崩れ落ちかかる迷宮の轟音が、しかと隠したはずの耳を、確実に、探り当ててくる。


  *


【211】

 生きていなければ死ぬことはできない、という世のことわりを破り、彼は生粋の死者として虚空から生まれ落ちた。人々は彼の胸に在る脈打たぬ心臓を幾度も死者の証として取り上げたが、彼が顕現する以前に誰も死んでいない実状、死者の定義に彼を押し込めることは適わない。


  *


【212】

 この国では誰かとすれ違うたびに目玉の数が一つ増えるのさ。人の少ない土地だから、出逢った珍しい誰かを見失わぬようにと、土着の魔神が与えてくれるのだと伝承は云うがな。さて。折角の出逢いだがおれは二つ目が好きなんだ。一度開いた瞼が再び閉じるのはいつか、もう解ったかい?


  *


【213】

 子どもたちは大はしゃぎで正体不明の球の両端から伸びる紐を引っぱり、表面を走る曰くありげな細い溝から球を真っ二つに開こうと奮闘していますが、まさか半球の内側に腕が一本ずつ生えており、それらが泰然と腕組みをしているが故に球体が開かぬなどとは、つゆとも思わぬのでした。


  *


【214】

 「ちん子どうした」「……」「浮かない顔だが気分でも悪いのか」「……」「ちん子、」「もうやめて!」「えっ」「あなたはずっと物語の世界にいるから気付いていないかもだけど、現実ではちん子って言っても子どもの子ですなんて注釈は付かないの。ただのチン」「すまない、千恵子」


  *


【215】

 ロゼッタストーンの一文字一文字が競売にかけられて、貴重な人類の遺産を細切れにしないためには、誰もが入札の手を控えれば良いだけだったが、月をも買い取った人民は、木槌を打てばこれこの通り、文字の間を白墨が縦横に走り抜け、あとは印めがけてふるわれるノミを待つばかり。


  *


【216】

 パスタじゃなくてパスタソースが好き。納豆じゃなくて納豆のタレが好き。サラダじゃなくてサラダのドレッシングが好き。あなたという器じゃなくて、あなたにやどるあなたを彩るあなたの心が大好き。


  *


【217】

 パスタじゃなくてパスタソースが好き、納豆じゃなくて納豆のタレが好き、サラダじゃなくてサラダのドレッシングが好き、あなたという器じゃなくて、あなたにやどるあなたを彩るあなたの心が大好き、と言うなり女は両手に持った肉切り包丁を振り上げて、男を手早く片付けた。


  *


【218】

 上空をTV局のヘリが旋回する。生徒たちは校庭に出て皆が手をつないで一つの輪を作る。ヘリの合図を待って輪の中心に校長が進み出る。宣誓。皆の力を合わせれば、大きなカに!――ぼくはすり替えた文字を握ってほくそ笑む。巨大な蟹が天空から舞い降りて、この日、世界は終末した。


  *


【219】

 古くから城に棲みついている魔女を時の王が重宝する理由は簡単で、魔女は嘘を見抜くことができるのだ。おれはやってない、やってない、と叫ぶ男を一瞥して、今日も魔女は罪深き者を処刑台に送る。明日も明後日も魔女の裁きは続く。やってない! やってない! 獄中の声は止まない。


  *


【220】

 ガラスの城のガラスの回廊を慎重な足取りで歩こうとするのだが、気を詰めれば詰めるほど鋭い爪が飛び出して、途方に暮れてニャアと鳴く。


  *


【221】

 元は人間だったという偽の記憶を植え付けられた魔法使いは、悪魔を締め上げ聞き出した外法を用いて、ついに人間の体を手に入れたが、なま白い手足を見下ろした脳が覚醒する。この眺めに見憶えはない。戦慄する元魔法使いの背後では、魔法の鎖を断ち切った悪魔がむくりと起きあがる。


  *


【222】

 天気予報が一日晴れると言うので、彼女は自転車を出して、商店街に続く登り坂へとペダルをこぎだしましたが、少しも行かぬうちに日が陰り、ふいに頬に赤黄色の落ち葉がぺちりと触れて、天を仰ぐと、知らぬ間に空を覆うほどに生い茂っていた大樹が、いままさに枯れゆくところでした。


  *


【223】

 マモノは王国の時を盗み、己を千の移し身に割き、万の爪で民を切り裂いた。時を失くした民は自らの死にも気づかない。異変を知った異国の賢者がマモノの片割れを滅ぼしたが、動き出した千分割の時は、民の傷から血を飛沫かせたという。マモノを崇める今は唯一の国、常世国の由来だ。


  *


【224】

 少年は、ありったけの物理と数学を詰め込んで、ひとつループを回すごとに一ナノグラムだけ重たくなるプログラムを開発した。地上に据えた太陽電池から電源を取り、何重にも保護したケーブルを地下シェルターに埋めた計算機に繋ぐ。キーを叩いて実行。この星が自重で潰れるのを待つ。


  *


【225】

 少女の夢はお姫さまだ。既に両親のある身でお姫さまなる立場を得るのは難儀であり、むしろお后さまになるほうがまだ単純な野望だが、それはさて置き、念には念を入れる質の少女は、国王夫妻の成婚十周年パレードの最前列に、着飾らせた母親だけでなく出不精な父親をも誘うのだった。


  *


【226】

 この町の配達人は優秀なので、感情や、愛や、実は死すらも配達できるのだが、集荷袋を緩める男からどうぞなんなりと、と言われても、依頼をする側は所詮只人なので、見えず触れずのものを梱包する方法も知らず、結局いつもの、故郷を出奔した友人に宛てた長封筒を出すなどしている。


  *


【227】

 やり方を聞いたのでやる。鏡を叩いて問いかける。おまえは何者だ。鏡の中のおまえはおれを見て笑う。おれが笑ってやるので。また尋ねる。おまえは何者だ。おまえはおれだ、とおまえは言う。おれがそう言ったからだ。たったこれっぽっちでおれとおまえを入れ替えられる。本当だった。


  *


【228】

 あなた何なんです? わたしです。


  *


【229】

 ある日地軸が六十六度六分傾いて、しっちゃかめっちゃかの地球の四季は、砂漠に雪を降らせたり、山頂の孤高の花に友達を作ってあげたり、遠い昔に離れてしまった鮫と鮎の姉妹を再会させたり、火口に竜巻を生ませたりしたけれど、それを見て恐ろしがる美しがる人はもういない。


  *


【230】

 君に指輪をあげたくて、隣町まで買いに出て、指輪売りは土砂崩れで足止めだと聞いて、ぬかるむ山道に向かってみたら、荷車が山賊に襲われているところで、助太刀して追い払ったけれど宝飾品は奪われて、行商から荷を取り返せば指輪をやるからとせがまれて、君から離れた土地で死ぬ。


  *


【231】

 ぼろを纏った老人が教会の奥の長椅子で苦悩に満ちた懺悔の言葉を十字架に投げかけているが、懺悔の正体があまねく町人たちの不明を肩代わりしたためであるという事実を誰も知らない。


  *


【232】

 見知らぬ女から、あたしのことなんにもわかってないくせに、となじられる。


  *


【233】

 きみにはもうついていけません。おれも。ぼくも……わたしも……。過酷な労働から解放され、眩暈と頭痛ごと寝台に沈み込んだ夜、どこからかささやき声が聞こえてきた。疑問の声をあげるよりも早く、引波のように目と手と足と内臓と首と胴体が逃げ出して、追いかける手段はもうない。


  *


【234】

 彼女が部屋にこもりきりになって、既に長らくの時が流れていた。壁一枚を挟んだ向こうの世界がめくるめく変化にさらされる一方、毎日、部屋の戸の隙間から三食を差し入れる手だけは変わらない。優しく悲しい手。母親の手。そう思っている。齢八十を越えた今でも、そう思っている。


  *


【235】

 人の国に暮らす優しい古城は、お城の人が増えたら脱皮をして建館を拡げてくれる。魔の国に暮らす優しい古城は、お城の魔物が増えたら、そ知らぬ顔で真新しい大広間と酒瓶を用意して、魔物がどんちゃん騒ぎをはじめた頃に、かいなを折り畳むようにして、丸呑みの間引きをしてくれる。


  *


【236】

 姉さんの顔は毎日曇り顔。時々、塩辛い雨も降る。昔は違った。しょっぱくなかった。それもこれも環境破壊のせいだ。地球の寄生虫、俺たちのせいだ、強酸性の雨だ! 姉さんの変化に気づかなかった俺を責めるかい。でも俺だって姉さんの顔ばかりなめてるわけにはいかなかったんだよ。


  *


【237】

 諸国を放浪した弓の達人は、草原の国に至った折にある男と知己を得たが、どうも彼がまだら斑の浮いた自らの茶の髪を気にするようだったので、君の髪はみっともないものではない、王者の証だと励ますつもりで立派な鷹を一羽落として見せに行ったのだが、以後その友人を一度も見ない。


  *


【238】

 背の高いあなたのくちびる、よりも高い三階建ての屋根、よりも高い木の梢、よりも飛ぶ鳥の背、よりももくもく積乱雲、よりも成層圏を切る戦闘機、よりも高高度の国際宇宙ステーション、軌道上の月、太陽、冥王星、彼方に去ったボイジャー。ね、高いは遠いって気持ち、わかってよ。


  *


【239】

 滅びた文明の種を回収する方舟は、現在軸で西方星雲の辺りを彷徨している。十二の重力圏をさらに七の水陸寒暖域に区画整理した巨大な船の、乗船資格を得た滅びの種族たちは皆がクローンだ。どこかに秘された本体と、失われた最後の日の記憶を求める彼らの徘徊は、今なお続いている。


  *


【240】

 森の奥のキャンプ場で瀕死の異星人を見つけた。異星人はべたべた体液まみれの銀の箱にさわると、真昼の空を指して、息もきれぎれ、あれが私の太陽、と言った。翻訳機が起動したんだ、と思ったら、ポンと音がして真っ暗になった。星がよく見えた。僕の太陽はどこにいったんだろう。


  *


【241】

 いまにも折れそうなもろい背骨なのだ。あと少しの角度で折れるやわらかい背骨なのだ。緊張を保ち、背骨を守るための、彼女のたった一つの姿勢は、一寸の無駄なく美しい。


  *


【242】

 同じ間取りの同じ家が並んだこの通りでは、同じ顔したたくさんの家族が暮らしてる。誰の家に帰っても、誰の家で寝てもいい。足りないものは何でも隣の家から借りてくる。そんな暮らしを続けているから、いつまでたっても皆の顔が混じったような誰ともつかない子どもしか生まれない。


  *


【243】

 深い眠りに落ちても自制の欠けた手が何事もいたさぬように、後ろ手に縛って目をつむっている。


  *


【244】

 コンコン。あなたですか? 違います。コンコン。あなたですか? 違います。コンコン。あなたですか? そうです。違います。コンコン。おれだよ。違います。コンコン。おれだよ。違います。コンコン。おれだよ。違います。コンコン。おれだよ。違います。


  *


【245】

 祈るためではなく、心をよろうため、明日への希望のためでなく、今の忍従のため、歯を食いしばるように、ただ胸の前で指をくむ。


  *


【246】

 人差し指とFの蜜月は終わった。Gだけならまだしも、ときにRのもとに居座りはじめた。一度矯正すると、しばらくは品行方正にふるまうが、しょせんは上辺だけのご機嫌取りにすぎない。すぐまた元の木阿弥になる。


  *


【247】

 夜ひとりで寝ていると、爪を切る音がどこからか聞こえてくる。


  *


【248】

 村を離れて森の奥まで逃げ込んだ。朔夜の帳と立ち並ぶ木立の姿隠し。それでも怖くて巨木の梢までよじ登る。太い枝に掛かるおばけサイズの巣の中で、背中を丸めてお祈りをする。竜でも怪鳥でもいいの。ぼくを遠くへつれてって。手先の器用な人喰鬼の子どもたちが作った秘密基地の中。


  *


【249】

 いつもにこにこしてるきみがしょんぼりしてる。なまいきな娘からもらったカップが割れている、薔薇の絵がまっぷたつ。丹精した庭の花が荒らされている、かわいい飼い犬は泥んこで平和な寝息。願わくはきみがいつでも優しい世界にありますように。ぼくの胸の苦しみが消えますように。


  *


【250】

 宵の国をつれてきましたという旅人の胃袋からは、匂い立つようなお日さまの気配がする。


  *


【251】

 肉体を捨て目だけがあった。ビルが天に伸びてゆく。透明空路が行き交い走る。都市は掃き清められ人は既に出歩かぬ。やがて電子の先に人は去り、人工物は迫る森に埋められてゆく。人の遺跡を異形の優良種が我が物顔でのし歩いたのははや昔。離れゆく月と膨らむ太陽をただ眺めている。


  *


【252】

 お城のタペストリーに織り込まれたお姫さまは、毛がくすぐったいのと言って身をよじったりしながら少しずつ歳を取ってゆく。


  *


【253】

 あの頃は一時間に三本の電車に乗って、いつも見かけるあの人たちにおいしいあだ名を付けていた。時刻表が要らないくらいにめまぐるしく電車が走るこの街では、たとえ同乗者がたくさんいても、増えたり減ったりの人が多すぎて、あだ名を付ける暇もない。カレーの具がそろわない。


  *


【254】

 発車間際の電車に飛び乗る。車内は空いていたが、女は慌てて席に座った。この電車には乗車口しかないと気づいたのだ。あと何駅で迂闊な乗客のすし詰めができあがるのか。すし詰めから何駅で人々は弱者に席を譲れと言い始めるのか。何駅すぎれば暴力で席を奪い取り始めるのだろうか?


  *


【255】

 大雨で増水したため池から泳ぎ出た鯉たちは、やがて雨が降り止むころ、下水につながるグレーチングまでたどり着く。


  *


【256】

 鍵盤の地平を力のかぎり跳ね回るが、身体の重みが閾値に届かず、足は沈まず、旋律は奏でられず、黒白の大地に一つの食べ物もない。


  *


【257】

 人間シミュレータと人間シミュレータを接続して最初の挨拶だけを割り込みさせる。やあと受信するとどうもと送信する。どうもと受信するといえと送信する。沈黙を判定して身じろぎする。身じろぎを判定してほほえむ。ほほえみを判定して友情にビットを立てる。おれは簡単だなと思う。


  *


【258】

 上層が界面に四次元鼠返しをほどこして百余年、隔てられた下層を知るすべはいまやじかに身を投じるほかはなく、歪んだ時空は人も情報も二度と上層に返さなかったが、最下層に楽園があるという噂だけは、閉塞の空隙を抜けて、流行病のように、致死へ導く業を人の心に植え付けてゆく。


  *


【259】

 新月を見るために目をつむる。鉄を貫くために刃をなかばで折る。五感を狭めるために大音量のヘッドフォンをかぶる。「私」と書いたプラカードを自分の首にぶら下げて、ふりかかる痛みや重みを全部私に押し付ける。まやかしだ誤魔化しだと責めるうるさい声がおへそから聞こえてくる。


  *


【260】

 遠く暗いところから、そのときの一番早い手段の速さで、生涯到達限界半径があなたをめがけてまっしぐらに迫ってくる。


  *


【261】

 フルートの管内に棲みついた妖精が、ミントガムだけはよしてくれと訴えてくる。


  *


【262】

 試しにアキレスと亀の間に割り込んでみたら、だんだ、ん、じ、 、か、 、 、 、ん、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、ぐ、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、ぁ、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、


  *


【263】

 お聞きください。あなたは魔法の加護をお求めになった。しかしあなたは既に分明と契約を結んでいなさる、あなたは魔法をお求めになる。あなたは先ず身につける全ての文明をお捨てになりなさい。言葉が失せ、裸の漂泊に身体が破れるとき、あなたが手にする全ては魔法になるのです。


  *


【264】

 この魔法は月末に請求されます。この魔法は定額制です。この魔法は口座引き落としにすると若干お安くなります。年末のコンビニエンス・ストアでは魔法強盗にお気をつけて。


  *


【265】

 男が給料二月分をはたいて買った指輪を、女は時価一万円ぽっち、と言って受けとったあと、顔を赤らめて上目遣いで、一生かけた減価償却って意味わかる? と聞いた。


  *


【266】

 鏡よ鏡、この湖の国で一番美しいのはだあれ? 民草にそなたより美しい者を教えよと命じ続ければよろしい。そういうわけで王妃さまは変装し、意気込んで訊き回ったが、最初の相手が門番の兵士だったので、気がつけば、巌のような筋肉に覆われた巨躯の勇士のもとにたどりついていた。


  *


【267】

 考古学にも生物学にも堪能でない娘が、古生物の発掘調査だけには異常な興味を示していた。父親が持つ教授の権威を躊躇わずふるい、何食わぬ顔で隊の一員に紛れ込むほどだ。娘は無知を操られていたのかもしれない。彼女が散らばる骨から組み立てた、この頭が三つ足が九つの生き物に。


  *


【268】

 日がな一日モニタに向かいキーを叩きメールを流し会議室を取りすっかり顔面が硬直した夜更け、もう帰ろうと、湿った作業ズボンを椅子から浮かせた瞬間、眼がボロンと落ちた。あっ。床を転々とする眼をすれ違った先鋭ヒールが串団子にする。細い足の持ち主はカツカツ颯爽と退社する。


  *


【269】

 文字を持たぬ海沿いの村は、永久の船出をした身内を忘れぬため一人去るたび身体に苦痛を刻んだ。夫を見送った妻は指を、弟を流した姉は乳房を削いだ。傷の疼きこそが忘れ得ぬ墓標となりえた。史実より続いたとされる風習も、紙とペンが幅を利かせだすとたちまち失せたという噂だが。


  *


【270】

 ハロウィンだって。そうと聞いて矢も盾もたまらず部屋を見渡してだがめぼしいものは何もない。何もない! おれはうわーっと叫んで油性ペンで半紙に「安売り」と書きなぐって額にはりつけてきょねんのふくぶくろをあたまからかぶっておもてにとびだした。トルィッグォアトリィート!


  *


【271】

 真夜中に小娘は家を抜けだして、路地裏の物陰でうずくまる。自分の影をうんと薄く引きのばす。道行く人の靴の裏にガムみたいにして貼りつける。できるだけたくさんの人に影の一部を持っていってもらう。できるだけ遠くに住んでいて、金持ちで、幸せな人の下に潜り込めたら僥倖だ。


  *


【272】

 悪魔から、おまえには引き算の幸せがお似合いだ、と耳元で囁かれ、憎しみを噛みしめるための奥歯を引き抜かれ、殺意にわななく両腕を引き抜かれ、仇敵を求めてさまよう足を引き抜かれ、苦痛を刻むための心臓を引き抜かれ、わたしはもうなにも感じないので、まるで不幸ではない。


  *


【273】

 抜歯をしてくれ、早く抜歯をしてくれ、とペンチを振り回して叫ぶ男の口の中には、おびただしい数の白い歯があふれている。


  *


【274】

 プランターに手の種をまいた。まずつるんとした親指第一関節のようなものが生え、翌朝には爪めいたものが先端を覆い、翌々朝にはそれが第二関節まで伸び、翌々々朝には指らしきものは根本から二股に分かれ、翌々々々朝にはそれらが十二三本に増えて、さすがに騙されたのではと思う。


  *


【275】

 あるひもじい朝、父親に手を引かれ森の奥にきた幼い兄妹は、とっさの機転で最後のおやつを割いて道中の目印に残してきた。父親から大樹の影に置き去りにされたのち、戻ろうと兄が妹に囁くころ、時を同じく森に捨てられた人間の少年が、転々と森の奥へ続く拳大の肉片の列を見つけた。


  *


【276】

 天井の照明以外何もない立方体の狭い部屋に閉じこめられている。照明からは蛍光処理された紐が垂れ下がっている。引いた。ぱかっ。ひゅーん。どすんぐさっ。よろよろ。どばっ。ぐらっ。どすんぐさっ。よろよろ。どばっ。ぐらっ。どすんぐさっ。すうはあすうはあすうはあ。どばっ。


  *


【277】

 転がりたくて転がっているのではなく頭が丸いがゆえに転がってしまうのである、と真理を説く生首は坂道のしたに去った。


  *


【278】

 八十円切手を舐めたら舌に貼りついてとれなくなった。困っていたら、おもむろに現れたコウモリ羽の大猫にはがいじめにされ、ぴょんと一飛び空を駆けて異国のお城に配達された。今は見知らぬ男達に舌を掴み出されて、見よこれこそが勇者のしるしという口上を他人事の顔で聞いている。


  *


【279】

 お兄ちゃんは頭、お父さんとお母さんは腹、わたしは胸、じいちゃんとばあちゃんとおじいちゃんとおばあちゃんとふたごの赤ちゃんは足、というぐあいで、巨大な甲虫の中に家族でくらしている。


  *


【280】

 いつまでもあなたのそばに、という女手からなる手紙とともに小包に同封されてきたしろい頭蓋骨をながめながら、彼女のためにそこまでした何者かに思いをはせている。


  *


【281】

 道端で相手に抱きついたりバックブリーカーをかけあったりしている男女がいるが、前世がカブトムシだとかクワガタだとかなので心配いらない。


  *


【282】

 赤教の聖地にある大聖堂はね、地下の奥深くに古い祭壇があるの、祭壇に人が立つと、その人が愛するかたへと捧げる献身の心が、聖人の炎に焼かれて篝火のように赤く赤く燃えあがるのよ、だから皆はこぞって愛を証すために聖地巡礼に向かうの、たいていは反証に終るみたいだけれど。


  *


【283】

 よく晴れた昼下がり、アスファルトで固められた道路のかなたにゆらゆらと陽炎がたちのぼる時分、あなたは誰からも傷つけられることはありません。


  *


【284】

 おかしいな、なんだか最近は一日が長いきがするんだ、誰かがぼくの時間を肥らせているのかな、おかしいな、おかしいな、と繰り言をこぼしながら四畳半の自室を徘徊する彼は実際のところ、正しい。床に直置きされたデジタル時計の液晶が60という数字を刻んでいるのである。


  *


【285】

 平和な海辺の教会にくらすかつての英雄は言います。あの感じがあったから私はいつだって無敵の気持ちでいられたんだ。自分を斜め上の後方から眺めているあの感だ、いつでも私は私が一段高い安全な場所にいることを確信していた。なのにどうしてだ。どうして今でも目が覚めないんだ。


  *


【286】

 これは夢よ、あの感じがするもの、だからここで死んだって暖かい布団の中に戻るだけなのよ、あの感じよ、だからちっとも怖くなんてないもの、と切々と月に訴える美しい娘の手足は崖際の細い細い木の幹に括られ、無人の断崖を背にした遠く南のほうからは生臭い風が流れてくる。


  *


【287】

 うそつきからあなたへと書かれた便箋の中の手紙には、殴り書きでただひとこと、あなたはこれを読んでいない、とある。


  *


【288】

 あるかなあ、とふたを開けるがない。いるかなあ、と角を曲がるがいない。


  *


【289】

 ある母子を機械で照準する。機械につながる計器の針が二ミリほど振れる。博士が理路整然と原理を説明する。かの国はついに愛の実在を証明したのだ。やがて汎用化された装置はあらゆる感情を検出し数値化したが、もっぱら証明よりも反証に使われたという話だ。


  *


【290】

 人が去り三百余年。廃墟に転がる骨の五指は自己矛盾を指し続けている。一、白々しいの意味を訊いて回る。二、意見の強制を悪しと断ずる。三、言葉を内心から出さぬ限り他者を侵害するあらゆる思想は許される。四、生者しか死ねぬ。五、語られぬ真実は伝わらぬと知ったあなた。


  *


【291】

 まな板の上で野菜を押さえるときの恐怖、私的な手紙を書くときの羞恥、テレビのチャンネル権争奪戦。右手にのりうつった誰かとの共同生活は苦労ばかりが先に立つ。我慢してる理由はたった一つ、あのときの涙を拭ってくれていなかったら、とっくに切り落としてやってる。


  *


【292】

 腕に絡めたり腰にまわしたり、アクセサリー感覚で生体腕をあちこちにかけてみるが、寂しさが減る気配はない。


  *


【293】

 ものぐさな奥さんが結婚二十八年目にしてはじめて手ずからお茶を入れてくれたが、彼にしか分からない喜びはやがて恐怖にすり替わる。食卓についた瞬間の凍りつくような空気と、振り返った奥さんの晴れやかすぎる笑顔と、きれいに立ったお茶柱。


  *


【294】

 かつて会うたびに綺麗になってゆく不思議な友人がおり、私自身は彼女と数十年来顔をあわせる機会がなかったのだが、知人から聞いた話によると、彼女の最後の姿は瑕疵のないうつくしい象牙色の球体であり、正確に測定したところゼロコンマ一マイクロメートルの凹凸もなかったという。


  *


【295】

 そうですねこれがあなたの国でいうところのパンというやつではないでしょうか、茶色で外側がぱりぱりしており香ばしいのでしたね、あなたの話より少々厚みが足りないかもしれませんが、と平然とした顔で眠る巨人のかさぶたを剥ぎ取ったあと、それを差しだしてどうぞなどと言う。


  *


【296】

 おまえ何型? おれA型。おれO型。おれクワガタ。そしてあいつは縮んでクワガタになって地面にぽとんと落ちた。じゃあおれ世界遺産のモンサンミシェルの干潟。そしてあいつもふわっと広がって荘厳な修道院と海と細い砂州になった。おれは勘違いを恥じてひとり餃子の耳を隠した。


  *


【297】

 よう兄弟、おれの兄弟、いとしの兄弟、ちょっくらおれたち口と耳を交換しようぜ。「どどうういいううここととだだ、ううわわっ、げやらめげてらくげれらえ」おれもおまえの声が四倍聴こえるぜ。


  *


【298】

 ある母親は、思い出のために、いなくなった息子が逢った最後の人を探している。ある女性は、共感のために、いなくなった恋人が最後に訪れた景色を探している。ある荒ぶる小娘は、真実のために、いなくなった兄を殺したに違いない憎き誰かの最後の影を求めて暗がりを渡り歩いている。


  *


【299】

 目を閉じている間だけかすかに聞こえてくる断続的な電子音があり、これはどうもモールス信号ではないだろうかという見当は立てたが、とくに解読する必要も感じないので、今日もほったらかしにしている。


  *


【300】

 魔の七つ川を越えた先、虹の麓の希望を盗りに行く旅路。一つ二つ川を跨ぐたびに体のつくりが変性してゆく。肌に鱗が生え、腕が鋼鉄になり、背中につる草が這って枯れた。最後の川を抜けた。私の体はとうとうからっぽのガラスになった。子供だましの虹の麓のありかを知ってしまった。

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