第9話 七つ星の集結 そして、不協和音の行軍
軍隊という組織において、最も維持が困難なのは「士気」ではない。「規律」である。
千代は、バルガスを出発してからの二日間で、その歴史的真理を嫌というほど噛み締めていた。
城塞都市から南へ続く荒野の街道。そこを進む一行の姿は、とてもではないが魔王軍を迎え撃つ精鋭部隊には見えなかった。控えめに表現しても、護送中の凶悪犯の集団か、見世物小屋の逃亡者たちである。
彼らの歩調は一切合っていない。足並みを揃えるという概念自体が、この七人(と一匹のウサギ)には存在していなかった。
「……だから、あの時の防衛線で右翼が崩れたのは、あんたが勝手に地盤を緩めたからでしょうが!」
「人聞きの悪いことを言うな、鉄の女。わしは敵の重装騎兵の足を止めるために適正な摩擦係数の調整を行ったまでだ。お前が重すぎる盾を構えて一歩出遅れたのが原因だろうに」
「あんな泥沼で機動力が保てるわけないでしょ! この老いぼれ!」
隊列の中央では、重装歩兵のオリエールと老軍師のアーレイが、かつて共に戦った過去の戦場における責任のなすりつけ合いを延々と続けていた。オリエールは怒りのあまり巨大なタワーシールドを地面に突き立てながら歩き、アーレイは涼しい顔でパイプの紫煙を吐き出している。
その少し後方では、新入りの少年カミイが、虚無の剣聖レオハルトの周囲を衛星のように纏わりついていた。
「レオハルトさん! さっきの歩法、足音を完全に消していましたよね? あれはどういう体重移動なんですか! 僕の『幸運の風』と組み合わせれば、完璧な隠密行動が……!」
「…………」
「あっ、もしかして呼吸法ですか? 丹田に空気を溜めて、肺の容積をコントロールするような……」
「…………」
レオハルトは一切の返答をしなかった。無視しているというよりは、生命維持に必要な最小限のカロリーしか消費しないように、聴覚という外部インターフェースを物理的にシャットアウトしているようだった。カミイの言葉は、文字通り虚空に吸い込まれていく。
そして、最も厄介なのが先頭を歩く魔人のゲンガイだった。
彼は資金ゼロという一行の兵站問題を解決するため、千代から「狩猟」の許可を与えられていた。その結果、彼は数時間おきに街道を外れて森へ消え、そしてしばらくすると、元の生態系がどうなっていたのか推測もつかないような、血まみれの巨大な肉塊を引きずって戻ってくるのだ。
六本足の猪のような生物や、羽の生えた爬虫類のようなもの。彼はそれらを処刑鎌で無造作に解体し、焚き火で表面だけを焦がしては、獣のように貪り食っている。
その食事風景の惨たらしさに、ウサギ族のルイは何度か胃の内容物を道端に提供していた。
「おい指揮官! 念のために言っておくがな!」
ゲンガイが、得体の知れない六本足の獣の大腿骨をかじりながら、千代をギロリと睨んだ。口の周りは血と脂でべっとりと汚れている。
「こいつは『牛』じゃねえぞ。俺様は騙されねえからな。牛一頭丸焼きの約束は、まだ生きてるんだろーなァ?」
「当たり前よ。それはあくまで『前菜』。移動中の軽食だと思ってちょうだい」
千代は、財布の中に銅貨一枚すら残っていないという冷酷な事実を完璧なポーカーフェイスで隠し通し、涼しい顔で答えた。
「五百の軍勢を潰した後で、村の連中に一番上等な牛を丸焼きにさせるわ。……だから今は、その『野生の角なし牛(ただの魔獣)』で我慢しなさい」
「ケッ、前菜かよ。まあ、血の気が多くて歯ごたえだけは悪くねえがな」
ゲンガイはあっさりと引き下がり、再び肉塊に喰らいついた。単純な男で助かる。
だが、千代の胃粘膜は限界に近いストレスで悲鳴を上げていた。村に「上等な牛」などいるはずがないことは、村人のあの貧相な身なりを見れば火を見るよりも明らかだからだ。
「千代様……」
ルイが涙目で千代の袖を引いた。
「あの人たち、本当に魔王軍と戦ってくれるんですか? というか、魔王軍よりもあの人たちの方が怖いんですが……さっきゲンガイさん、僕の耳を見て舌打ちしましたよ。絶対に非常食としてカウントしてますよね?」
「気のせいよ。彼はウサギの肉じゃ満腹中枢が刺激されないから」
千代は極めて論理的な事実でルイを慰めたが、少年の顔色は土気色のままだった。
視界の『戦術眼』に表示される部隊の【協調性】パラメーターは、出発時から一貫してレッドゾーン(危険域)に張り付いている。このまま実戦に突入すれば、敵の攻撃を受ける前に、味方の同士討ちや連携ミスで自滅するのは火を見るよりも明らかだった。
だが、千代は表情を崩さなかった。
指揮官が不安を見せれば、この危うい均衡は一瞬で崩壊する。彼女は努めて冷徹な「観測者」としての顔を維持しなければならなかった。
その威厳を保つために一役買っているのが、彼女が今乗っている「乗り物」だった。
「お嬢ちゃん、乗り心地はどうだい? 板バネの張力は強すぎないか?」
ドワーフの工兵、ドーゴンが、工具箱を片手に誇らしげに尋ねてきた。
千代が座っているのは、ドーゴンが廃材を組み合わせて錬成した、特製のリヤカーである。
ただの荷車ではない。車軸の周囲には、ガラクタ市で拾い集めた複数の鉄板を重ね合わせたリーフスプリング(板バネ)のサスペンション機構が組み込まれており、荒野の凹凸による衝撃を見事に吸収している。さらに、ルイとドーゴンが交代で引くための牽引棒は、力のベクトルが最も効率よく伝わる角度に計算されていた。
魔力の一切を排除した、純粋な機械工学の結晶。
この不格好な「玉座」の上で、千代は足を組み、腕を組んで、前方を睨みつけている。その姿は、周囲の異常な面々の中に混じると、奇妙な説得力を持っていた。
「悪くないわ、ドーゴン。この路面状況で腰椎への負担をここまで軽減できるなんて。……このサスペンションの構造、後で防衛陣地の『反動吸収壁』に応用できそうね」
「おお! なるほど、敵の突進の衝撃をバネで逃がす壁か! さすがお嬢ちゃん、兵器転用の発想が常軌を逸してるぜ!」
ドーゴンは嬉しそうに歯車を磨き始めた。
まともな会話が成立するのは、このドワーフだけだ。
千代は深く息を吐き、視界のワイヤーフレームを前方の山脈へと向けた。
峠の頂上が近づいている。
あの向こう側に、守るべき泥の村がある。
――烏合の衆。
それが、現在の彼女たちの正確な評価だ。
金で結ばれたわけでも、忠誠心で結ばれたわけでもない。それぞれが己の「欠落」を埋めるために、あるいはただの暇つぶしのために、この自殺的なツアーに参加している。
こんな連中で、五百の軍勢を止められるのか。
千代の胸に、冷たい不安が広がる。
だが、同時に、彼女の脳内の演算機は、この規格外の『個』の能力をどのように組み合わせれば、敵を最も効率よく屠れるかというシミュレーションを、休むことなく続けていた。
「もうすぐ峠です」
牽引棒を握るルイが、緊張を含んだ声で言った。
口論を続けていたオリエールとアーレイが口を閉ざす。カミイも歩みを止め、ゲンガイが血の滴る骨を放り捨てた。レオハルトの閉じていた目が、わずかに開かれる。
空気の温度が変わった。
ただの荒野の風ではない。微かな絶望と、腐敗の匂いが混じった風。
魔王軍の脅威に晒され、緩やかに死を待っている土地特有の気配だった。
「行くわよ」
千代の短く冷徹な指示に、六人の怪物たちは無言で応じた。
リヤカーの車輪が、峠の頂を踏み越える。
眼下に、目的の地が広がった。




