第3話 狂える騎士 ゲンガイ
都市の路地裏というのは、どこの世界でも似たような構造をしている。
表通りの光が届かず、排水溝は詰まり、壁には意味不明なグラフィティと嘔吐の跡。そして、そこを歩く人間たちは皆、眼球の焦点が定まっていないか、逆に獲物を探す肉食獣のように鋭すぎるかのどちらかだ。
千代とルイが足を踏み入れたのは、バルガスの中でも特に治安が悪いとされる「赤錆通り」だった。
湿った空気には、安い蒸留酒と鉄錆、そして微かな血の匂いが混じっている。
ルイは長い耳を頭にぺたりと貼り付け、千代の背後に隠れるようにして歩いていた。彼の本能が、ここを「捕食者の巣」だと警鐘を鳴らしているのだ。
「ち、千代様……本当にあそこに? 赤い光って、危険信号なんですよね?」
「ええ。真っ赤よ。歩く災害警報ね」
千代は平然と答えた。
彼女の視界には、依然として『戦術眼』のウィンドウが展開されている。
路地の奥から放たれる光は、もはや警告色を通り越して、網膜を焼くような毒々しい真紅だった。
近づくにつれて、怒号と何かが破壊される音が明瞭になってくる。
「おいコラ! 俺様の角が折れてるだと? 誰が片角の雑種だ!」
雷鳴のような咆哮。
続いて、人間が物理法則を無視した軌道で吹き飛んでくるのが見えた。
革鎧を着た冒険者の一人が、千代たちの目の前を横切り、壁に激突してずり落ちる。首が奇妙な角度に曲がっていたが、ステータス表記は【生存(気絶)】。手加減されているのか、単に頑丈なのか。
「……面接会場はここのようね」
千代はスカートの裾を払い、角を曲がった。
そこは、一方的な蹂躙の現場だった。
***
その男――いや、巨人は、規格外だった。
身長は二メートルを優に超えている。盛り上がった筋肉は、皮膚の下に鋼鉄のワイヤーを詰め込んだかのように硬質で、血管が太い蛇のように浮き出ている。
頭部からは二本の角が生えているはずだったが、片方は根元からへし折れ、断面が白く露出していた。
身につけているのは、サイズが全く合っていない煌びやかな騎士の鎧だ。おそらくどこかの戦場跡で拾ったものだろう。胸当てはあばら骨のように浮き上がり、肩当ては今にも弾け飛びそうだ。
その巨人が、冒険者らしき男の顔面を片手で鷲掴みにし、宙吊りにしていた。
「あが……あ、が……」
「言えよ。もう一回言ってみろ。俺様は誰だ?」
「ひ、ひぃ……」
「『誇り高き騎士ゲンガイ様』だろ? あぁ?」
巨人の指が少し力を込めると、男の頭蓋骨がミシミシと悲鳴を上げた。
千代の視界に、巨人のステータスウィンドウがポップアップする。
【個体名:ゲンガイ】
【種族:魔人(ハーフ)】
【職業:自称騎士/狂戦士】
【HP(体力):A+】
【STR(筋力):S】
【MEN(精神安定):E(錯乱)】
【状態:空腹(極限)、激昂】
攻撃力S。
千代は息を呑んだ。
Sランク。それは、単独で城壁を破壊できる戦略兵器級の数値だ。この路地裏でくすぶっているような人材ではない。
だが、同時に表示されている【精神安定:E】が、彼がここで野良犬扱いされている理由を物語っていた。
制御不能の暴力装置。
アクセルしかないダンプカー。
「や、やめ……」
宙吊りにされた男が失禁する。尿が地面に滴り落ちた。
ゲンガイと呼ばれた魔人は、それを見て鼻を鳴らし、ゴミを捨てるように男を投げ捨てた。男はゴミ箱に頭から突っ込み、ピクリとも動かなくなった。
その場には、すでに三人の冒険者がのびている。
ゲンガイは荒い息を吐きながら、血走った目で周囲を睨みつけた。
「どいつもこいつも……俺様を馬鹿にしやがって……」
彼は孤独だった。
その背中からは、圧倒的な暴力のオーラと共に、寂しさと飢えが滲み出ている。
千代は冷静に観察を続けた。
ただの暴れん坊なら、採用は見送りだ。指揮官の言うことを聞かない兵士は、敵よりも始末が悪い。
だが、千代の『戦術眼』は、ある奇妙なデータの揺らぎを捉えていた。
ゲンガイの視線ベクトル(赤い矢印)が、時折、戦場の隅へと向いているのだ。
そこには、怯えて震える浮浪児の姿があった。泥だらけの少年が、瓦礫の陰でうずくまっている。
本来なら、暴走した魔人の視界など入っていないはずの「背景」だ。
だが、ゲンガイが冒険者を投げ飛ばす時、あるいは壁を殴りつける時、彼の視線ベクトルは一瞬だけ「青色(保護)」に変化し、その子供に破片が飛ばないような角度を無意識に計算していた。
――見つけた。
千代の口元が緩んだ。
こいつは、ただの狂犬じゃない。
「弱い者いじめ」をしているのではない。彼の中には、自分でも制御できていない「守護者」としての本能が埋まっている。
騎士の鎧を着ているのは、ただのコスプレや見栄ではない。
あれは、彼の「なりたい自分」への憧れそのものだ。
「……千代様、逃げましょう。目が合ったら殺されます」
ルイが震える声で囁く。
千代は首を横に振った。
「いいえ。掘り出し物よ」
千代は、瓦礫の山を乗り越え、魔人の前へと歩み出た。
泥だらけのローファーが、コツンと音を立てる。
ゲンガイがぎろりと振り返った。
「あぁ? なんだテメェ。ガキか? ……肉じゃねえな、骨ばっかりだ」
値踏みするような視線。
殺気というよりは、巨大な肉食獣が小動物を鼻先で嗅ぐような圧迫感がある。
千代は動じなかった。
というより、視界のUIが彼の攻撃予測範囲を赤く表示してくれているおかげで、「ここまでは安全」という境界線が見えていたのだ。
千代は、キルゾーンのギリギリ一歩手前で足を止めた。
「こんにちは。随分と派手に暴れたのね」
千代は、ゴミ箱に突っ込んだ冒険者を顎でしゃくった。
「弱い者いじめ?」
「あぁ!? ……テメェ、殺すぞ」
ゲンガイの筋肉が膨張した。血管が波打ち、周囲の空気がビリビリと震える。
だが、千代は畳み掛けた。
「違うなら、その鎧は何? 立派な騎士様が、チンピラ相手にムキになってるなんて、随分とお安いプライドね」
「貴様……!!」
ゲンガイが右腕を振り上げた。
丸太のような腕だ。直撃すれば、千代の首などマッチ棒のように折れるだろう。
ルイが悲鳴を上げる。
「ち、千代様。あやまって帰りましょう! 死んじゃいます」
だが、千代は一歩も引かなかった。
彼女の目は、ゲンガイの目ではなく、その頭上に浮かぶ数字と、その背後の「死角」を見ていたからだ。
「3、2、1」
千代がカウントダウンを口にした。
ゲンガイが眉をひそめる。
その瞬間。
ゲンガイの背後で死んだふりをしていた冒険者の一人が、短剣を抜いて飛びかかった。
「死ねぇ化け物ォォォ!」
「後ろ。右斜め45度」
千代の指示は短く、冷徹だった。
ゲンガイは思考するよりも先に、反射的に体が動いていた。
千代の視線が向いている方向へ、裏拳を放つ。
重い打撃音が響き、不意打ちを仕掛けた冒険者は、再び壁のシミになった。
ゲンガイは、自分の拳と、千代を交互に見た。
「……テメェ、なんでわかった?」
「見えてるからよ」
千代は自分の目を指差した。
「私には、あなたの背中も、これから降りかかる火の粉も、すべて見えている。……あなたのその、不便な身体の使い方もね」
千代は指摘した。
「右肩の古傷、痛むんでしょ? 庇ってるせいで重心が左にズレてる。だから右側からの奇襲に反応が遅れる。……勿体無いわね。Sランクの出力があるのに、制御ソフト(OS)がポンコツだなんて」
ゲンガイは言葉を失った。
右肩の傷は、誰にも話していない。鎧の下にある古傷だ。
この小娘は、ただ突っ立っているだけで、俺のすべてを見透かしたというのか。
千代は、懐から『生命の魔石』を取り出した……ふりをして、ルイが持っていた水筒を取り出した。
そして、それを放り投げた。
「飲みなさい。喉、渇いてるんでしょ」
ゲンガイは反射的に受け取り、疑わしそうに匂いを嗅いでから、一気に煽った。ただの泥水に近い安酒だったが、乾いた喉には甘露だった。
「……で、何の用だ」
ゲンガイの声から、殺気が消えていた。
千代はニヤリと笑った。交渉成立の合図だ。
「雇ってあげる。あなたのその無駄に有り余る暴力と、隠し持っている騎士道精神を」
「ハッ、俺様は高いぞ? 金貨の山でも積むか?」
「いいえ。報酬は『飯』と『居場所』。そして……」
千代は、路地の隅で震える子供を指差した。
「あなたが守りたがっている『弱き者』を、堂々と守れる戦場を用意してあげる。……どう? 弱い者いじめのチンピラを続けるよりは、よっぽど騎士らしい仕事だと思うけど」
ゲンガイは呆気にとられた顔をした。
そして次の瞬間、腹の底から響くような大声で笑い出した。
「グハハハハ! 飯だと! 騎士だと! テメェ、面白い冗談を言うメスガキだ!」
彼は笑い涙を拭い、巨大な処刑鎌を肩に担いだ。
「いいだろう。最近、雑魚を狩るのも飽きてたところだ。腹いっぱい肉が食えるなら、その『戦場』とやらに付き合ってやる」
ゲンガイはチラリと震えているルイに視線を流してつぶやいた。
「それに、俺様は騎士だからな」
「言質は取ったわよ」
千代は心の中でガッツポーズをした。
まずは一人。
最強の矛を確保。
制御不能な狂犬だが、リードの握り方はわかった。こいつは「おだて」と「的確な指示」があれば動く。
「行くわよ、ゲンガイ。次は『剣』を拾いに行くわ」
「剣? 俺様がいれば十分だろ」
「馬鹿ね。矛だけじゃ戦争はできないのよ。……次は、もっと面倒くさい男を口説き落とさなきゃいけないんだから」
千代は、地図上の次の目的地――「静寂の森」を見据えた。
そこには、かつて「剣聖」と呼ばれた男が、木こりの真似事をしているはずだ。
難易度はSクラス。
だが、今の千代には、不思議と失敗する気がしなかった。




