第14話:野獣の矜持
「こ、この泥の土地には、作物が育つだけの栄養がありません。水にも、土にも、命を繋ぐ力が残っていないんです」
ルイの告白は、絞り出すような掠れ声だった。
「だから僕たち兎人族は、大地の底から微量な魔力を吸い上げる『聖樹』の実に依存して生きてきました。僕たちの体は、外部から魔力を定期的に摂取しないと、生命維持機能が保てないんです。病気に対する抵抗力も、体温を保つ力も、すべてこの実の魔力で補っています」
千代の脳内で、バラバラだった情報が最悪の形で結合した。
長老が差し出してきた、寿命の結晶である『生命の魔石』。
魔力欠乏に陥っている村人たちのステータス。
そして、目の前に山盛りにされた光り輝く果実。
「……つまり」
オリエールが、低い声で確認するように言った。
「あんたたちは、自分たちが生きるための『血液』を抜いて、私たちに差し出しているってこと?」
ルイは答える代わりに、深く泥の中に額を擦り付けた。
肯定だった。
彼らは、自分たちに与えられたなけなしの寿命を削り、明日の命をすり減らして、この食事を用意したのだ。
千代の宣言した「業務提携の対価」を支払うために。文字通り、自分たちの命を切り売りして、暴力装置である傭兵たちの胃袋を満たそうとしているのである。
圧倒的な自己犠牲。
あるいは、究極の卑屈さ。
自分たちで戦うことを放棄し、他者に命を預ける代わりに、その対価として己の肉体を削る。それは美しい悲劇などではない。生存のための、あまりにも歪でグロテスクな進化の袋小路だった。
「……ふざけんな」
地を這うような低い咆哮が、広場を震わせた。
ゲンガイだった。
彼は口の中に含んでいた光る実を、乱暴に地面に吐き捨てた。青白い果肉が泥にまみれる。
彼の全身の筋肉が異様に膨張し、皮膚の下で血管が波打っていた。『憤怒の血肉』のスキルが、彼の感情の爆発に呼応して暴走を始めている。
「俺様に、寿命を食わせてたのかよ……!」
ゲンガイの怒りは、騙されたことに対してではない。
彼が自称する「高貴な騎士」としての矜持を、根本から泥で汚されたことに対する、純粋な激昂だった。
弱者を守るのが騎士だ。
だが、その弱者の命を削って腹を満たす騎士が、どこの世界にいるというのか。
それは守護ではない。ただの寄生虫だ。
「こんなもん……こんな、貧乏くせえ後味の悪いメシ、食えるかァァァ!」
ゲンガイはテーブルを力任せに蹴り飛ばした。
木製の長机が真っ二つにへし折れ、残っていた聖樹の実が泥水の中に散乱する。
小屋に隠れていた村人たちから、悲鳴が上がった。貴重な命の糧が泥にまみれたことへの絶望と、狂戦士が暴れ出したことへの恐怖。
だが、ゲンガイの矛先は村人たちには向かわなかった。
彼は自分の背丈ほどもある巨大な荷袋を乱暴に引き寄せると、その中に手を突っ込み、道中で狩り、無造作に放り込んでいた「魔獣の肉」の塊を引きずり出した。
表面は焚き火で黒焦げになり、内側はまだ生々しい血が滴っている、お世辞にも人間の食べ物とは言えない代物だ。
ゲンガイは、その肉塊を、小屋の隙間からこちらを覗き込んでいた子供たち――ルイの妹のマイナや、先ほどレオハルトに近づいてきた幼児のピピたちが隠れている方向へ、力任せに放り投げた。
重い肉塊が、泥を跳ね上げて地面に転がる。
「拾え! そこのガキども!」
ゲンガイは血走った目で村人たちを睨みつけ、腹の底から怒鳴った。
「その光る気味の悪い実は、テメェらで食え! 俺様は肉派だ! そんな泥水みてえなスープと果物じゃ、力がでねえんだよ! ……さっさとその肉を焼いて、テメェらの腹も満たしやがれ!」
それは、彼なりの不器用極まりない「施し」だった。
素直に「お前たちの分を食べて悪かった」とは絶対に言えない。だから、自分には合わないという建前で、貴重なタンパク源を投げ与えたのだ。
村人たちは恐怖で硬直していた。
だが、極限の空腹状態にあった子供の行動原理は、恐怖よりも食欲が勝る。
幼児のピピが、ふらふらとした足取りで親の制止を振り切り、泥の上に落ちた肉塊へと近づいていった。そして、小さな両手でその血まみれの肉を抱え上げようとする。
しかし、肉は幼児の体格には重すぎた。ピピはバランスを崩し、肉ごと泥の中に転びそうになる。
「……チッ、どんくせえガキだな」
ゲンガイが舌打ちをして大股で歩み寄り、片手で肉塊を拾い上げ、もう片方の手でピピの首根っこを子猫のようにつまみ上げた。
村の女が「ああっ」と悲鳴を上げる。食べられる、と思ったのだろう。
だが、ゲンガイはピピを目の高さまで持ち上げると、わざと凶悪な犬歯を剥き出しにして、凄んでみせた。
「いいか。次に俺様の前に出る時は、もう少し肉を食って太ってからにしろ。骨ばっかりで食う気がしねえ」
そう言って、彼はピピを高く放り投げた。
村人たちが息を呑む。
だが、ゲンガイは落下してくる幼児を、巨大な手のひらでふわりと優しく受け止めた。高い高い(・・・・)の要領だ。
一瞬の無重力と、乱暴だが確かな安心感。
ピピの口から、恐怖の悲鳴ではなく、「きゃはっ」という無邪気な笑い声が漏れた。
ゲンガイは気まずそうに顔を背け、ピピを地面に下ろすと、肉塊をその足元に置いて、足早に広場の端へと歩き去っていった。
その光景を見ていた村人たちの間の、極限まで張り詰めていた恐怖の糸が、わずかに緩むのが分かった。
魔獣のような大男。だが、子供を殺す怪物ではない。その事実が、彼らの警戒心をほんの数ミリだけ解きほぐしたのだ。
千代は、泥にまみれた聖樹の実を見下ろした。
アーレイも、オリエールも、ドーゴンも、カミイも、もはや誰も食事を口にしようとはしなかった。
レオハルトだけは、無表情のまま、泥に落ちた実を拾い上げ、土を払って自分の衣服のポケットに静かにしまい込んでいた。無駄にする気はないらしい。
千代は深く息を吸い込んだ。
ビジネスとして割り切ろうとした。冷徹な契約関係で済ませようとした。
だが、この世界は、人間の業は、そんな綺麗なエクセルの計算式には収まらない。
彼らは命を差し出してきた。
ならば、こちらはそれ以上の結果で返すしかない。
千代は、村人たちが隠れている家々に向かって、はっきりと通る声で宣言した。
「……ごちそうさまでした。とても、重い食事でした」
千代の瞳には、もう迷いはなかった。
「皆さんの命、確かにいただきました。……必ず、この食事に見合う働きを約束します。五百の軍勢だろうが、魔王だろうが、この村の泥に沈めてみせます」
冷徹な指揮官の顔を捨てた、一人の人間としての宣誓。
開戦まで、残り百十五時間。
腹の中の重い魔力が、千代の全身を熱く焦がしていた。




