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七星の戦記 Eランクの女子高生指揮官、最強の落ちこぼれたちを率いての異世界防衛戦 〜私の「戦術眼」には勝利へのルートが見えています〜  作者: 真野真名
第1章:泥泥の宝石

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第1話 ウサギと泥と女子高生




 世界が反転する感覚があった。


 三半規管の中にある耳石が、本来あるべき位置から乱暴に引き剥がされ、ミキサーにかけられたような不快な浮遊感。

 直前までの記憶は鮮明だ。修学旅行のバス。車内の湿った空気と、ポテトチップスのコンソメ味の匂い。そして、長いトンネルに入った瞬間に襲ってきた、天地をひっくり返すような衝撃。

 事故だ、と思った。

 だが、次に訪れた感覚は、アスファルトの硬さでも、ガラス片の鋭さでもなかった。

 冷たく、濡れた、ねっとりとした感触。

 そして、鼻腔を突き刺す腐葉土と排泄物の臭気。


 立花千代は目を開けた。


 視界の一面が茶色だった。空は曇天の灰色。地面は泥の茶色。その境界線が曖昧になるほど、世界は湿り気に満ちていた。

 千代は自分が、田植え前の水田のような泥濘の中に四つん這いになっていることを知った。制服のブレザーが水分を吸って重い。スカートのプリーツなど、とうの昔に死滅したようにへばりついている。


「……あ、う」


 声を出そうとして、喉が焼けるように渇いていることに気づく。

 周囲を見渡した。バスの残骸はない。クラスメイトの悲鳴もない。あるのは、立ち枯れた木々と、どこまでも続く痩せた荒野だけだ。

 いや、それだけではない。


 千代を取り囲むようにして、何かがいた。

 一見すると、巨大な齧歯類に見えた。泥で固まった毛並みは灰色で、長い耳が力なく垂れ下がっている。身長は一メートル少しか。それが十数匹、直立して千代を見下ろしているのかと思いきや、違った。


 彼らは土下座をしていたのだ。

 額を泥に擦り付け、長い耳を地面に這わせ、小刻みに震えている。

 それはファンタジー映画に出てくる愛らしい獣人などでは断じてなかった。野生動物特有の獣臭さと、風呂に入っていない人間特有の酸っぱい臭いが混じり合っている。毛並みにはハエがたかり、皮膚病で毛が抜け落ちた背中が見える者もいる。

 薄汚く、みすぼらしく、そして決定的に「弱者」の空気をまとった生物たちだった。


「おぉ……成功じゃ……」


 集団の先頭にいた、一際老いた個体が顔を上げた。白内障を患っているのか、瞳が白濁している。顔中の皺には泥が入り込み、まるで古いジャガイモのようだ。


「ついに、ついに召喚に応えてくださった。我らが救世主様……!」


 老人は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、千代の手を取ろうとした。その手は節くれ立ち、泥と垢で黒ずんでいる。

 千代は反射的に手を引っ込めた。生理的な嫌悪感が理性を上回る。

 老人は拒絶されたことに傷つく様子もなく、そのまま再び泥水に顔を埋めた。


「ありがたや、ありがたや……これで村は助かる。どうか、どうか我らをお救いくだされ」


 周囲のウサギたちも一斉に唱和する。その声は祈りというよりは、呪詛に近いほど切実で、粘り気があった。


 千代はふらつく足で立ち上がった。泥が靴の中でグチュリと音を立てる。

 状況は全く理解できない。だが、一つだけ確信できることがあった。

 ここは日本ではない。そして、夢にしては臭すぎる。


「あの」


 千代は声をかけた。自分の声が驚くほど冷静なことに少し安堵する。


「ここは何処ですか。あなたたちは誰ですか。私は家に帰れますか」


 質問は三つ。簡潔にして明瞭。


 ジャガイモのような顔をした老人が、再び顔を上げて言った。


「ここは『泥の国』の最果て。我らは兎人族。そして……帰る方法など、我らは存じ上げませぬ」


 千代の視界がぐらりと揺れた。

 貧血か、絶望か。おそらく両方だろう。



 ***



 長老の名はブロップといった。

 煮崩れた芋のような名前だが、彼の語る内容はさらに崩壊していた。


 彼らは村外れにある、屋根の腐りかけた集会所のような小屋へ千代を案内した。出されたのは白湯だと言われたが、どう見ても泥の上澄みを濾過しただけの茶色い液体だった。千代は口をつけずに話を聞いた。


 要約するとこうだ。

 この村は、魔王軍の末端組織『黒牙旅団』の支配下にある。

 彼らは定期的に村を訪れ、作物を奪っていく。だが、今年の不作で納める麦がない。

 旅団の要求は変わった。「麦がないなら、若い娘を差し出せ。それもなければ、村に伝わる秘宝を出せ」。


 期限は十日後。

 追い詰められた彼らは、村の古文書に残る禁術『異界の英雄召喚』にすがった。村中の魔力をかき集め、秘宝を触媒にし、一発逆転の奇跡を願ったのだ。


「本来ならば、屈強な騎士様や、強大な魔導士様が喚ばれるはずじゃった……」


 ブロップは申し訳なさそうに、あるいは値踏みするように千代を見た。


 ブレザーにスカート。華奢な手足。どう見ても戦闘要員ではない。

 千代は高校で剣道部に所属していたが、それは「運動部に入らないと内申書に響くから」という理由であり、万年補欠で竹刀振りよりモップ掛けの方が上手かった。


「魔力が……足りなかったのじゃろうな。喚ばれたのは、お嬢様ひとり。しかも……」


 ブロップが悲痛なため息をつく。


 その時、千代の視界に奇妙なノイズが走った。

 片頭痛の前兆で現れる閃輝暗点に似ている。チカチカとした光の粒子が集まり、空中に半透明のウィンドウを形成した。スマートフォン越しのAR映像のようだ。


【個体名:タチバナ・チヨ】

【種族:人間(異界人)】

【職業:指揮官コマンダー

【LV:1】

【HP(体力):15/15】

【MP(魔力):120/120】

【STR(筋力):1】

【INT(知力):12】

【スキル:戦術眼タクティカル・ビュー


 なんだこれは。

 ゲームのステータス画面。ラノベやアニメで見たことがある、お約束の展開。

 だが、数値が絶望的だった。


 筋力1。


 おそらく、クラスで一番ひ弱な文化系女子でも、もう少しマシな数値が出るだろう。1という数字は、「存在している」ことへの最低限の義理立て、あるいはただのドット抜けのようにしか見えなかった。


 ――終わった。


 千代は天を仰ぎたかったが、天井のはりにぶら下がっている正体不明の干し肉と目が合いそうになり、やめた。


 職業、指揮官コマンダー


 兵隊のいない指揮官に何の意味がある? これでは、部下のいない中間管理職、あるいは誰も聞いていない朝礼でスピーチをする校長先生だ。


 その時だ。

 千代の視界に浮かぶウィンドウが、ノイズ混じりに明滅した。

 『戦術眼タクティカル・ビュー』。

 スキル名の横にあるアイコンが点灯する。すると、世界の色味が変わった。

 まるでサーモグラフィーか、ARグラス越しの映像のように、視界にある物体に「タグ」が付与されていく。

 目の前で涙を流している長老ブロップの頭上に、青い逆三角形のマーカーが浮かんだ。


【ユニット:兎人族(老体)】

【状態:衰弱/恐怖】

【戦闘力:0.2】


 0.2。


 千代は眩暈を覚えた。自分の「1」ですらゴミだと思っていたのに、ここにいるのはその五分の一の戦闘力しかない「生きた肉塊」だ。


 周囲を見渡す。他の老人たちも、全員が【戦闘力:0.1〜0.3】。

 壁に立てかけられた錆びた槍は【攻撃力:1(破損あり)】。

 

 ――なるほど。

 千代の脳裏に、冷徹な計算式が浮かび上がった。


 これは「RPGロールプレイングゲーム」ではない。「SLGシミュレーションゲーム」だ。

 自分が剣を振るうのではない。この「数値」を組み合わせて、勝利条件を満たすパズルなのだ。

 だが、手持ちの駒はすべてゴミジャンク


 敵の戦力は不明だが、魔王軍を名乗るなら「1」や「0.2」で勝てる相手ではないだろう。

 詰んでいる。どう足掻いても、この戦力では「ゲームオーバー」の文字しか見えない。


「……お嬢様も、見えておいでですな? その『石板』が」


 ブロップが上目遣いに言った。


「筋力1……これでは、鍬を振るうこともできまい。魔法の素養も……平凡じゃ」


 勝手に喚んでおいて、勝手に失望する。その身勝手さに腹が立つよりも先に、千代の中の「指揮官プレイヤー」としての人格が、冷ややかに結論を下していた。


 戦力がないなら、調達するしかない。

 だが、何を使って? 金はない。名声もない。あるのは泥と老人だけ。


「おっしゃる通り、私は無力です」


 千代は事務的に切り出した。


「戦えませんし、村を救う力もありません。元の世界に帰る方法がないなら、私はここを出て……」


 千代が席を立とうとすると、ブロップが床に額を打ち付けんばかりの勢いで平伏した。

 ブロップが懐から何かを取り出した。


「報酬なら……報酬なら、ありまする」


 ゴトリ、と重い音がして、古びた木の机の上に何かが置かれた。

 それは握り拳ほどの大きさがある、赤黒い石だった。

 宝石のような透明感はない。あえて言うなら、内臓から摘出された結石だ。表面はざらついており、中心部でドクン、ドクンと脈打つような不快な明滅を繰り返している。


「……なんですか、これ」


「『生命の魔石』でございます」


 ブロップの声が震えていた。周囲の老人たちも、その石を見て息を呑んでいる。


「我ら兎人族は、死ぬ間際に体内の魔力を結晶化させる秘術を持っております。これは、わしの祖父、そのまた祖父……歴代の長老たちが、その寿命を削って練り上げた結晶」


「寿命を、削る?」


「左様でございます。これを他者に譲渡すれば、その者の寿命は尽きる。……これは、わしら先人たちの『命そのもの』なのです」


「これを……あなた様に差し上げます。これを街で売れば、城が買えるほどの金になりましょう」


 ブロップの言葉を聞いた瞬間、千代の視界の『戦術眼』が、その石に対して激しい警告色レッド・アラートを発した。


【アイテム:生命の魔石(極大)】

【希少度:SSS】

【推定価値:測定不能】


 その文字列を見た瞬間、千代の思考回路がスパークした。

 0.2の戦闘力しかない老人たちが、城が買えるほどの爆弾を抱えている。

 なんという矛盾。なんといういびツさ。

 

 ――城が買える?


 千代は、泥だらけの老人と、グロテスクな魔石を交互に見た。

 彼らは自分たちの命を切り売りして、なけなしの「兵力(千代)」を雇おうとしている。

 だが、それはあまりにも効率が悪い。

 「1」の戦力を雇うために、億の金を払おうとしているのだ。馬鹿げている。市場価格を知らないカモだ。

 

 いや、違う。

 千代の中で、感情と論理が激しく渦巻いた。

 怒り、憐れみ、呆れ。それらが混ざり合い、一周回って冷たい「解」へと結実する。


 『指揮官』の仕事とは何か?

 それは、リソース(資源)を正しく配分し、最大効果を発揮させることだ。

 手元には「無限に近い予算(魔石)」がある。

 そして、不足しているのは「暴力(兵隊)」だ。


 ならば、答えはシンプルだ。

 私が戦う必要はない。この予算を使って、私よりも強くて、使い勝手のいい「駒」を外部から調達すればいい。


 外部委託アウトソーシング

 現代社会じゃ常識だ。

 だが、そのためには――。


 千代は、震える手で魔石を差し出す老人を見下ろした。

 彼らの自己犠牲は美しいかもしれない。けれど、それは「弱者のあがき」だ。死んで責任を果たそうとする、一番安直な逃げ道だ。

 その湿っぽい自己憐憫が、千代のかんに障った。


 ふつふつと、胃の底からどす黒い熱がこみ上げてくる。

 それは恐怖でも同情でもなく、理不尽な状況に放り込まれた女子高生の、純粋な「ブチ切れ」だった。


 ふー、と千代は長く息を吐いた。

 肺の中の空気をすべて入れ替えるように。


 そして、今まで浮かべていた愛想笑いという名の仮面を、ベリリと剥がし捨てた。


「……ふざけないで」


 千代の口から、地を這うような低い声が漏れた。



「……お、お嬢様?」


「ふざけないでって言ったのよ」


 千代の言葉に、ブロップが呆気にとられた顔をする。

 千代の中にあるスイッチが切り替わった。


 それは、クラスで文化祭の出し物が決まらず、誰もが責任を押し付け合っている時に、業を煮やして「じゃあ私がやるわよ」と手を挙げる時の感覚に似ていた。ただし、今回は背負うリスクの桁が違うが。


「あんたたち、自分たちが死ねばそれで丸く収まると思ってるんでしょ。そうやって悲劇のヒロインぶって、私に『罪悪感』を植え付けて、逃げられないようにしてる」


 千代の言葉は、機関銃のように速く、冷たかった。


「これを受け取ったら、私はあんたたちの命を換金して戦うことになる。勝っても負けても、私は一生『老人を食い物にした女』として生きなきゃならない。とんだ呪いのアイテムね」


「そ、そのようなつもりでは……我らには、これしか……」


「これしか、ない?」


 千代は机を叩いた。バン、と乾いた音が響き、埃が舞う。


「命を安売りするな。そんな薄汚い石ころ一つで、私が動くと思ってるの?」


 老人たちが萎縮して、小さくなる。

 千代は深く息を吸い込んだ。肺の中に、この世界の泥臭い空気が満ちる。


 もう、後戻りはできない。

 ここで帰れば、夢見の悪い夜を一生過ごすことになる。それよりは、このふざけた状況をひっくり返す方が、精神衛生上よほどマシだ。

 千代は、机の上の『生命の魔石』をひょいと掴み取った。

 温かい。生き物の体温そのものだ。

 ブロップが「あっ」と声を上げる。


「勘違いしないで」


 千代は石を懐のポケット――ブレザーの内ポケットにねじ込んだ。


「これは私が預かる。使わないし、売りもしない。あんたたちが勝手に死ぬのも許さない。これは『担保』よ」


「た、たんぽ……?」


「そう。私がこの村を守る契約の保証金。仕事が終わったら返すから、それまで長生きしなさい。……一秒でも早く死んだら、契約不履行で地獄まで追いかけて引っぱたくわよ」


 千代の啖呵に、老人たちは口をあんぐりと開けて固まっている。

 理解が追いついていないようだ。無理もない。千代自身も、自分が何を口走っているのか半分も理解していない。

 ただ、一つだけ明確なプランがあった。

 筋力1の自分には戦えない。

 そして、この老人たちも戦力外だ。

 ならば、答えは一つしかない。


外注アウトソーシングよ」


 千代は言った。


「戦えないなら、戦える奴を雇えばいい。この世界にはいるんでしょ? 金で動く荒くれ者たちが」


「よ、傭兵のことでございますか? し、しかし、今の我らには報酬が……」


「あるじゃない。私が持ってる『命の保証金』が」


 千代は懐をポンと叩いてみせた。もちろん、これはブラフだ。この石を換金する気など更々ない。だが、交渉のカードとしては使えるかもしれない。


「案内を出して。一番近くにある、大きな街へ行くわよ」


「し、しかし……危険でございます。それに、黒牙旅団の手の者が……」


「ここで座って死ぬのを待つよりはマシ。さあ、案内できる若いやつはいないの? 土下座してる暇があったら動きなさい!」


 千代の一喝が、腐りかけた小屋の空気を震わせた。

 ブロップは慌てて立ち上がり、入り口の方へ声を張り上げた。


「ル、ルイ! ルイはおらぬか!」


 呼ばれておずおずと入ってきたのは、まだあどけなさの残る兎人族の少年だった。

 毛並みは茶色で、他の老人たちよりは幾分健康的だが、その大きな耳は恐怖でぺたんと頭に張り付いている。

 彼は千代を見ると、怯えたように身を竦めた。


「お、俺……道案内なら、でき、ます……けど」


「名前は?」


「ルイ、です……」


「いい名前ね。ルイ、あんたが私の副官アシスタント第一号よ」


 千代はルイの肩を叩いた。ルイは「ひっ」と小さな悲鳴を上げたが、逃げ出さなかった。


 千代は視界の端に浮かぶステータスウィンドウを確認する。

 『職業:指揮官』のスキルの下に、新しい項目が増えている気がした。

 使い方はまだわからない。けれど、この目が「役立たず」ではないことだけは直感していた。


 千代は小屋の出口へ向かう。

 外に出ると、冷たい風が頬を撫でた。相変わらず空は灰色で、地面は泥だらけだ。

 けれど、さっきまでの絶望的な気分は少しだけ晴れていた。

 やるべきことが決まったからだ。

 それは「正義」のためではない。

 このふざけた異世界に、女子高生の意地を見せつけるための闘争だ。


「行くわよ、ルイ」


「は、はいっ!」


 泥濘を踏みしめ、千代は歩き出した。

 目指すは城塞都市バルガス。

 そこで待っているのが、英雄か、詐欺師か、それともただの狂人か。

 まだ誰も知らない。



 こうして、史上最弱の指揮官による、泥沼の防衛戦記が幕を開けた。




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