第3話:Past
1:生徒会室での再会
莉子(凛太郎)の転入から一週間が経った。
放課後、莉子はいつものように璃々花のいる生徒会室へ訪れる。
「失礼します」
莉子が入室すると、璃々花は普段どおりに窓際の椅子に座っていた。
「お疲れ様。学園生活には慣れた?」
「はい、おかげさまで」
莉子は丁寧に答えたが、内心ではまだ少し警戒していた。
(この人、また何か探ってる……)
璃々花は微笑んだ。
「それは良かった。ところで、少し手伝ってもらえるかしら」
「え……?」
「文化祭の準備資料を整理したいの。人手が足りなくて」
璃々花は、机の上に積まれた書類を指差した。
「あ、はい。大丈夫です」
莉子は席に着き、璃々花と並んで作業を始めた。
静かな時間が流れる。
璃々花は、時折莉子の横顔を盗み見ていた。
(本当に、綺麗ね……。でも、あなたはきっと、“自分の美しさ”をどう使うか、ずっと考えてきたんでしょうね)
璃々花は、そっと口を開いた。
「凛太郎…いえ、莉子さん、前の学校では……どんな子だったの?」
莉子の手が、わずかに止まった。
「え……普通、ですよ。特に目立つこともなく……」
「……嘘」
璃々花の声が、冷たく響いた。
「……え?」
「あなたみたいに綺麗な子が、“普通”なわけないでしょう?」
莉子は言葉に詰まった。
璃々花は、書類から顔を上げずに続けた。
「あなたは、自分の容姿を”武器”にしてきたんじゃない?」
莉子の心臓が、バクバクと鳴った。
「……どうして、そう思うんですか?」
「分かるのよ。同じ匂いがするから」
璃々花は、ゆっくりと莉子の方を向いた。
「美しさに振り回される人間の匂い」
莉子は、思わず本音を漏らした。
「……そうですよ。俺……私は、自分の顔が武器だって分かってる」
璃々花の目が、わずかに見開かれた。
だが、璃々花は何も言わず、莉子の言葉を待った。
「だって……そうでもしないと、誰も”本当の私”を見てくれないから」
莉子は、俯いた。
【回想:凛太朗——小学校高学年の頃】
「ねぇ凛太朗、これ着てみてよ〜!」
姉の美玲が、ニヤニヤしながらワンピースを差し出してきた。
「は?なんで俺が……」
「いいからいいから!絶対似合うって!」
凛太郎が不機嫌そうにしていると美玲が囁く。
「着替えたら今日のおやつ、私の分を凛太郎にあげようと思ったのにな〜」
凛太郎の耳がピクンと動き、少し頬を赤らめながら呟く。
「しょうがねーな…。姉ちゃんがそこまで言うなら…」
半ば強引に着せられた形の凛太朗は、鏡を見て——固まった。
「……え」
鏡の中には、まるで少女のような姿があった。華奢な体型、整った顔立ち。
「きゃあああ!!めっちゃかわいいじゃん!凛太朗、女の子に生まれたかったんじゃない?」
「……うるさい」
だが、凛太朗の視線は鏡から離れなかった。
(俺……こんなにかわいいんだ)
それからというもの、美玲は面白がって凛太朗に女物の服を着せるようになった。
そして凛太朗は——自分の「美しさ」に、確かに気づいてしまった。
中学に入ると、凛太朗はその美貌を「武器」として使い始めた。
人気者になるため。注目を集めるため。
でも——
(誰も、俺自身を見てくれない)
その孤独は、年を重ねるごとに深くなっていった。
生徒会室で莉子が俯いたまま呟く。
「みんな、私の顔しか見ない。かわいいって言われても、それは”私”じゃなくて、“見た目”を褒められてるだけ」
莉子の声には、どこか諦めのような響きがあった。
璃々花は、静かに息を吐いた。
「……私も、同じよ」
「え……?」
「私も、美しいせいで——誰も”本当の私”を見てくれなかった」
【回想:璃々花——小学校6年生の冬】
雪の降る日。
璃々花は、勇気を振り絞って——同じクラスの女の子、彩乃にチョコレートを渡そうとした。
「あの、彩乃……これ。受け取ってくれる?」
手作りのチョコレート。一日かけて作った、特別なもの。
彩乃は璃々花の手に握られた、リボンで装飾されたハート型のチョコレートを見て、顔を歪めた。
「ごめんなさい……私、璃々花とは、そういう関係にはなれない」
「え……?」
「だって、璃々花っていつも完璧で、私より綺麗で……怖いもん」
彩乃は、泣きながら走り去った。
璃々花は、雪の中で一人、チョコレートを握りしめた。
(私……怖い?)
その日から、璃々花は決めた。
感情を見せたら、嫌われる。
本当の自分を見せたら、裏切られる。
だから——氷の仮面をかぶろう。
莉子は、璃々花を見つめた。
璃々花の瞳には、いつもの氷のような冷たさではなく、どこか寂しさが滲んでいた。
「あなたは”美しさを使う”。私は”美しさに囚われる”」
璃々花は、小さく微笑んだ。
「でも……どっちも、孤独よね」
莉子は、言葉を失った。
璃々花が——こんな表情をするなんて。
(この人も……同じなんだ)
二人の間に、静かな共感が生まれた。
2:文化祭の記憶
次の日、莉子は再び璃々花のいる生徒会室を訪れた。
「今日は、昨日の続き。もう少し手伝ってちょうだい」
「はい」
作業をしながら、璃々花が何気なく尋ねた。
「莉子さん、前の学校の文化祭って、何やったの?」
莉子は、一瞬だけ表情を曇らせた。
「……メイド喫茶、です」
「へぇ。楽しそうね」
「いや……まぁ、色々あって」
璃々花は、莉子の表情から何かを察した。
「“色々”って?」
莉子は、少し迷ってから——話し始めた。
「実は……俺、女装させられたんです」
璃々花の手が、止まった。
「女装……?」
「はい。くじ引きで当たっちゃって。で、メイド服着たら……めちゃくちゃ人気が出ちゃって」
【回想:凛太朗——中学1年、文化祭当日】
「うわあああ!超かわいい!」
「写真撮らせて!」
「メイドさん、こっち向いて〜!」
メイド服を着た凛太朗の周りには、常に人だかりができていた。
来場者数は過去最高を記録。クラスの出し物は大成功だった。
でも——
「おい凛太朗、お前ズルいだろ!」
「女装して人気者とか、男子の裏切り者じゃん」
男子生徒たちからは、妬みの声が聞こえてきた。
女子生徒たちは、凛太朗を「かわいい女の子」としてしか見なかった。
(みんな、自分のことしか考えてない。誰も……俺自身を見てくれない)
家に帰ってメイド服を握りしめた時、凛太朗は鏡の前で、一人泣いた。
「俺は……一体、何なんだよ」
美しさは、武器だった。
でも同時に——呪いでもあった。
莉子は、苦笑した。
「来場者数、過去最高だったらしいです。でも……」
「でも?」
「みんな、“かわいい女の子”としてしか見てくれなかった。本当の私を見てくれた人は、一人もいなかった」
璃々花は、じっと莉子を見つめた。
「……あなた、傷ついたのね」
「え……?」
「かわいいって言われても、嬉しくなかったんでしょう?」
莉子は、静かに頷いた。
「はい……。俺……私自身を見てほしかったのに、みんな表面的な姿しか見ようとしないんです」
璃々花は、深く息を吐いた。
「それ……私と同じじゃない」
莉子は、璃々花を見つめた。
璃々花は、窓の外を見ながら話し始めた。
「私、昔……女の子に告白されたことがあるの」
「え……」
「でも、断ったわ。そうしたら、相手の子が泣きながら”やっぱり氷川さんって冷たい”って、噂を流した……」
【回想:璃々花——高校1年】
「氷川さん、あの……好きです!」
同じクラスの女子生徒——桜井さんが、真っ赤な顔で告白してきた。
璃々花は、静かに首を横に振った。
「ごめんなさい。私、桜井さんのこと、人としては好きだけど……そういう対象として見ていなくて」
「そ、そうですか……」
桜井さんは、泣きながら走り去った。
そして翌日——
「ねぇ、聞いた?氷川さん、桜井さんのこと振ったんだって」
「やっぱり氷川さんって、冷たいよね」
「完璧すぎて、近寄りがたいもん」
噂は、あっという間に広がった。
璃々花は、何も言わなかった。
(どうせ……何を言っても、無駄だから)
それ以来、璃々花は完全に——心を閉ざした。
璃々花の声は、どこか遠かった。
「私は、ただ……その子のことを、“そういう対象”として見ていなかっただけ。でも、みんなは私を”冷酷な美人”だと決めつけた」
莉子は、璃々花の横顔を見つめた。
璃々花は、小さく笑った。
「だから……私もあなたと同じよ。美しさのせいで、本当の自分を見てもらえない」
莉子は、思わず璃々花の手に自分の手を伸ばしかけた——が、すぐに引っ込めた。
璃々花は、それに気づいたが、何も言わなかった。
(……この子、優しいのね)
3:孤独の夜
ある日の放課後、莉子は生徒会室へ書類を届けに来た。
ドアをノックしたが、返事がない。
(……いないのかな?)
莉子は、そっとドアを開けた。
部屋は暗かった。夕日が窓から差し込み、机の上を照らしている。
(……え?)
莉子の目に、璃々花の姿が映った。
璃々花は、机に突っ伏していた。その肩が、小刻みに震えている。
(泣いて……る?)
莉子は、息を呑んだ。
璃々花の口から、小さな声が漏れた。
「……一人でいるのが、怖い。でも……裏切られるのも、怖い」
その声は、まるで子どもがぐずるようだった。
【回想:璃々花——高校1年の誕生日】
夜の生徒会室。
璃々花は、一人でコンビニで買った小さなケーキを前にしていた。
誰にも誕生日を言っていなかった。
だから、誰も祝ってくれなかった。
「……私、いつまでこんな仮面つけてるんだろう」
璃々花は、ケーキのロウソクを一本立てて火をつけた。
炎が、暗い部屋を照らす。
「誰か……私の本当の顔、見てくれないかな」
璃々花は、涙を流しながら——火を吹き消した。
煙が、静かに立ち上る。
「……もう、疲れた」
その夜、璃々花は心の中で決めた。
『次に私の仮面を剥がしてくれる人が現れたら……もう全部、預けてもいい』
莉子は、何も言えなかった。
璃々花——あの完璧な氷雪女王が、こんなにも脆く、孤独だったなんて。
(……この人も、一人だったんだ)
莉子は、静かに書類と共に、ハンカチを机の上に置いた。
そして、音を立てないように——部屋を出た。
翌日。
莉子が教室にいると、璃々花が現れた。
「莉子さん、少しいいかしら」
璃々花は、いつもの無表情だったが——その手には、昨日のハンカチが握られていた。
「……ありがとう」
璃々花は小さく微笑み、ハンカチを莉子に手渡した。
莉子は、胸が熱くなるのを感じた。
「いえ……」
璃々花は、莉子の目をじっと見つめた。
「あなたは……優しいのね」
「そんなこと……」
「いいえ。優しいわ」
璃々花は自分の胸に手を当て呟いた。
「……私、初めてかもしれない。こんなふうに、誰かに優しくされたの」
莉子は、何も言えなかった。
璃々花は、そのまま去っていった。
だが——その背中は、どこか軽やかだった。
4:誕生日のお祝い
それから数日後。
莉子が生徒会の書類整理を手伝っている時、ある資料に目が留まった。
『氷川璃々花 生年月日:○月○日』
(……あれ、これって……もうすぐじゃん)
莉子は、カレンダーを確認した。
璃々花の誕生日は、三日後だった。
(でも……誰も知らないのかな?)
莉子は、周囲の生徒たちにそれとなく聞いてみたが、誰も璃々花の誕生日を知らなかった。
(……この人、誕生日すら誰にも言ってないんだ)
莉子は、決心した。
(……俺、何かしてあげたい)
誕生日当日。
莉子は、洋菓子店で小さなケーキを買って、放課後の生徒会室を訪れた。
璃々花は、いつものように書類を整理していた。
「璃々花さん」
「あら、莉子さん。どうしたの?」
莉子は、ケーキを差し出した。
「……誕生日、おめでとうございます」
璃々花の目が、見開かれた。
「え……」
「偶然、資料で見ちゃって。誰も知らないみたいだったから……」
璃々花は、しばらく動けなかった。
そして……涙が、こぼれた。
「どうして……あなたは……」
璃々花の声が、震えている。
「私のことを、そんなふうに……」
莉子は、優しく微笑んだ。
「だって、璃々花さんは……誰よりも頑張ってるのに、誰も気づかないから」
璃々花は、莉子に抱きつきそうになった——が、ギリギリで理性が戻った。
(……ダメ。まだ、早い)
璃々花は、涙を拭いて、笑顔を作った。
「……ありがとう、莉子さん」
「いえ」
「あなたは……本当に、優しいのね」
璃々花は、ケーキのロウソクに火を灯した。
「一緒に、食べましょう?」
「……はい!」
二人は、小さなケーキを分け合った。
璃々花は、生まれて初めて——心から、誕生日を祝ってもらえた気がした。
(この人なら……)
璃々花の心が、定まった。
(もう、逃がさない……)
5:鏡の中の孤独
数日後、莉子と璃々花は、再び生徒会室で二人きりになった。
璃々花が、何気なく尋ねた。
「莉子さん、あなた……自分のこと、好き?」
「え……?」
「容姿のこと」
莉子は、少し考えてから——答えた。
「……好き、ですよ。鏡の中の自分が、一番好きかもしれない」
【回想:凛太朗——高校1年、配信者時代】
顔出しなしで女装配信を始めて、一週間。
登録者数は、あっという間に1000人を突破した。
「天使降臨!」
「お人形みたい」
「結婚したい!」
コメントは絶賛の嵐だった。
凛太朗は、画面越しに笑顔を作りながら——心の中で思っていた。
(みんな、俺のことなんて何も知らない)
そして、ある日——
「声、ちょっと低くない?」
「これ……男じゃね?」
特定が始まった。
凛太朗は、慌ててアカウントを削除した。
部屋で一人、鏡を見つめながら——呟いた。
「結局……俺が信じられるのは、鏡の中の自分だけなんだよな」
璃々花の表情が、わずかに変わった。
「どうして?」
「だって……鏡の中の自分は、絶対に裏切らないから」
璃々花は、息を呑んだ。
「……私も、同じよ」
「え……?」
「誰かに本音を見せたら……嫌われるから」
璃々花は、窓の外を見つめた。
「だから、私もずっと……鏡の中の自分だけを信じてきた」
莉子は、璃々花を見つめた。
璃々花は、小さく笑った。
「私たち……似てるわね」
「……はい」
「美しさという呪いで、同じ傷を持ってる」
璃々花は、莉子の手を——そっと握った。
「でも……もう、一人じゃないわよ」
莉子の心臓が、激しく鳴った。
「璃々花、さん……」
「私たち、友達になれると思わない?」
璃々花の瞳には——氷のような冷たさではなく、温かい光が宿っていた。
莉子は、頷いた。
「……はい」
璃々花は、微笑んだ。
(ふふ……“友達“ね……。でも、これはまだ始まりに過ぎないわ)
璃々花の心の中で、何かが——静かに、燃え始めていた。(つづく)




