第2話:Conflict
1:生徒会室の罠
放課後、18時12分。
聖百合園女学院の生徒会室に、天峰莉子——いや、飛鳥凛太朗が呼び出された。
窓の外は茜色に染まり、校舎はすでに静まり返っている。
カチャリ。
背後でドアの鍵が閉まる音がした。
「……!」
凛太朗が振り返ると、そこには氷川璃々花が立っていた。
漆黒のロングヘアーがさらりと揺れ、青紫の瞳が——まるで獲物を値踏みするように、凛太朗を見据えている。
「さて、天峰莉子さん……じゃなくて。もういいわよね?」
璃々花がゆっくりと近づいてくる。その手には、スマートフォン。
画面に映っているのは——
(……ッ!)
凛太朗の息が止まった。
体育館の裏で撮られた写真。スカートがめくれて、明らかに「女の子にはあり得ない膨らみ」が写っている。
動かぬ証拠。
「ふふ、かわいい顔してるくせに……こんなところに”余計なモノ”を隠してるなんて」
璃々花は凛太朗のすぐ前まで歩み寄り——背が高いせいで、完全に見下ろす形になった。
「本当に、悪い子ね」
氷のように冷たい指先が、凛太朗の顎をそっと掴んで持ち上げる。
「ねぇ、退学になりたくないんでしょ?だったら……これから私の言うこと、全部聞いてくれる?」
璃々花の唇が、わずかに歪む。
「まずは、呼び方から直しましょうか。私を……“璃々花お姉様”って、ちゃんと呼んでみて?」
指先が、顎から首筋へとゆっくり滑り落ちる。
ゾクッとするほど冷たい感触。
(……冗談だろ?こんなの、完全に脅迫じゃん!)
凛太朗は内心で抵抗しながらも、状況を冷静に分析した。
立場は圧倒的に不利。
だが——
(ここで普通に従ったら、完全に負けだ)
凛太朗は、これまでの人生で培ってきた「演技力」を思い出した。
姉にからかわれて女装を覚えた頃。
文化祭でメイド服を着て、周囲を翻弄した日。
配信者として、画面越しに何万人もの視聴者を魅了した経験。
(俺の武器は……この”美貌”と”演技力”だ)
凛太朗の胸中で、逆襲の炎が燃え上がった。
(何とかして、この女を俺の手の上で踊らせてやる……!)
2:演技合戦の幕開け
凛太朗は、一瞬だけ璃々花から顔を逸らした。
そして——
目に、大粒の涙を浮かべて振り向く。
「ひどい……璃々花お姉様……」
声が震えている。まるで傷ついた小動物のように。
「私はただ、転入してきてすぐで……放課後に疲れて座ってただけなのに……盗撮するなんて……」
(どうだ!このいたいけな女子の演技は!これ以上追求できまい!)
凛太朗は内心でガッツポーズをしながら、璃々花の反応を伺った。
だが——
璃々花の動きが、ピタリと止まった。
一瞬、氷の仮面がひび割れたような、わずかな動揺が瞳をよぎる。
が、すぐに——
璃々花の頬が、わずかに紅潮した。
「……あら?あらあらあら……?」
璃々花が凛太朗の肩をガッと掴む。指にギュッと力がこもる。
「莉子ちゃん……もしかして、私に脅されて泣いちゃってるの?」
もう片方の手で、凛太朗の髪をゆっくりと撫で下ろしながら。
「ふふ……予想外にかわいい反応してくれるわね……」
璃々花はスマートフォンを構えて、ビデオ撮影モードに切り替えた。
「じゃあ、莉子ちゃん。カメラに向かって、もう一度言ってくれる?」
璃々花は椅子に座り直し、長い脚を優雅に組んでニッコリと笑った。
完全に、サディスティックな笑顔。
「『私は璃々花お姉様のペットです』って♡」
今、目の前で涙を流す莉子を見て、璃々花の心が激しく揺れた。
(かわいい……)
今まで誰にも見せたことのない、璃々花の「素」が——少しずつ、表に出始めていた。
(やべぇ!こいつ、息を吐くように変態行為をしてきやがる!この演技のままじゃ逆効果だ!)
凛太朗は瞬時に作戦を変更した。ド正論で訴えて一点突破する作戦に切り替える。
嘘泣きをやめ、急に背筋を伸ばして——キリッとした声で言う。
「先生!相手の同意を得ずに撮影するのは良くないと思います!」
一瞬、部屋が静まり返った。璃々花の手がピタリと止まる。
スマートフォンのレンズだけが、凛太朗を覗いている。
璃々花が目を丸くして、ぽかんと口を開けたまま数秒……。
プルプルと肩を震わせて、机に突っ伏して笑い出した。
「ふ、ふふっ……あはははははっ!!」
璃々花が笑いながら部屋をゆっくりと歩き回る。
「先生って何!?しかも急に超・真面目キャラ!?どこから出てきたのそのやる気スイッチ!?」
息を整えて、にやりと笑う。
「あーもう、最高……!さっきまで小動物みたいに震えてた子が、急に正義の味方になるなんて……」
目の前の莉子が、璃々花を笑わせている。
生まれて初めて、心の底から笑っている。
「ねえ莉子ちゃん……“先生”って呼ぶなら、
ちゃんと生徒らしくしてくれない?」
璃々花はスマートフォンを再び構える。
「じゃあ、先生の命令よ。カメラに向かって、こう言ってごらん?」
小声で囁く。
「『僕は女装して女子校に入ってきた、変態です……』って♡」
いたずらっぽくウインクする璃々花。
完全にハイになっている。
凛太朗は冷や汗をかきながらも、抵抗の姿勢を崩さなかった。
(くっ…!まだだ、まだ終わらんよ!ここで引いたら男が廃るってもんだ!)
凛太朗はスッと立ち上がり、背筋をピンと伸ばし、左手の人差し指を璃々花に突き刺して、毅然と立ち向かった。
「異議あり!これは自白の強要です!黙秘します!」
まるで法廷ドラマの主人公のような、キリッとした表情。
璃々花が完全にフリーズし、スマートフォンがカタン、と机に落ちた。
そして、璃々花は目をパチパチさせながら、ゆっくりと口を開いた。
「……は?ちょっと待って待って待って!!」
顔を真っ赤にして、凛太朗の前に仁王立ち。
「なにそのツッコミ!?どこで法廷用語覚えてきたの!?弁護士の家庭で実家が太いタイプ!?」
興奮しすぎて、ちょっと舌っ足らずになっている。
やがて急に恥ずかしそうに俯いて、小声で。
「……うぅ、もう……。莉子ちゃん、ほんとに面白い……♡」
クスッと笑って、手を上げて降参のポーズをしながら。
「……はいはい、負けた負けた。今日はここまでにしておいてあげる」
凛太朗は内心で少し安堵しながらも、警戒を緩めなかった。
「……分かっていただけて良かったです」
しかし、璃々花も完全に諦めたわけではなかった。
耳元で囁く。
「でもね、黙秘権は認めてあげるけど……明日からは放課後、毎日生徒会室に来ること」
凛太朗は思わぬ展開に目を丸くした。
(は?マジかよ…)
「……これ、お願いじゃなくて”命令”だから。拒否権なしよ?」
璃々花がドアを開けて、凛太朗を押し出すように送り出しながら語りかける。
「あ、ちなみに。今日のことは全部録画済みだから、逃げられないからね」
最後に、悪魔のような微笑み。
「それじゃ、また明日……♡」
バタン。
ドアが閉まった。
3:それぞれの独白
凛太朗はしばらく呆然としていたが、生徒会室を後にしながら考え込んだ。
(……あの女、ヤバい。転入して早々あんなのに目をつけられるとか、前世でいったい何やったんだよ俺…)
夕暮れの廊下を歩きながら、凛太朗は思った。
(まぁでも、証拠も握られたままだし、しばらくは言う通りに生徒会室に行って相手の出方を探るしかないか…)
校庭を通って帰路につく頃、凛太朗は校舎の方を振り返って呟いた。
「変なやつだけど……なんか、ちょっと気になるな」
凛太朗は、校門を出ながら——小さく笑った。
(……完全に、あいつのペースに巻き込まれてるな)
一方その頃、生徒会室。
璃々花は机に突っ伏したまま、一人で足をバタバタさせていた。
(調子に乗り過ぎた…!いきなり近寄り過ぎて嫌われたらどうしよう…)
だが、莉子の意外な反応の数々と、目まぐるしく変わる表情を思い出して、璃々花は顔を真っ赤にして独白した。
(やっぱり思った以上だった…。あの子は、私の…“運命の人”かもしれない)
璃々花は、窓の外を見つめながら——小さく微笑んだ。
「……明日も、楽しみね」
4:歩み寄り
翌日の放課後。
凛太朗は、約束通り生徒会室を訪れた。
ドアを開けると、璃々花がいつものように窓際の椅子に座っていた。
「あら、ちゃんと来たのね」
「……約束ですから」
凛太朗は、警戒しながら席に着いた。
璃々花は、書類を凛太朗の前に置いた。
「今日は、これの整理を手伝ってもらうわ」
「……はい」
二人は並んで作業を始めた。静かな時間が流れる。
璃々花が、何気なく口を開いた。
「ねぇ、莉子さん」
「……はい?」
「昨日は、ごめんなさい」
凛太朗は、思わず顔を上げた。
「え……?」
璃々花は、窓の外を見つめながら話し始めた。
「調子に乗り過ぎたわ。あなたを脅して……変なこと言わせようとして」
璃々花の声は、いつもより柔らかかった。
「でも……あなたの反応が、予想外で……楽しくて」
璃々花は、凛太朗の方を向いた。
「生まれて初めて、心の底から笑えた気がするの」
凛太朗は、璃々花の表情を見て——息を呑んだ。
そこには、氷の仮面ではなく……本当の、璃々花の顔があった。
「……璃々花さん」
「私ね……ずっと、一人だったの」
璃々花は、小さく笑った。
「美しいって言われても、完璧だって言われても……誰も、本当の私を見てくれなかった」
凛太朗は、自分の過去を思い出した。
美貌のせいで、誰も本当の自分を見てくれなかった日々。
「……私も、同じです」
璃々花は、凛太朗の手をそっと握った。
「だから……あなたと、もっと話したいの」
凛太朗の心臓が、激しく鳴った。
「本当のあなたを、知りたいの」
璃々花の瞳には、温かい光が宿っていた。
凛太朗は、思わず——本音を漏らした。
「……俺も、です」
璃々花は、微笑んだ。
「……ふふ。“俺”って言っちゃったね」
「あ……」
「でも、それでいいの。あなたらしくて」
璃々花は、凛太朗の手を強く握った。
「これから、もっと……お互いのこと、知っていきましょう?莉子ちゃん」
凛太朗は、頷いた。
「……莉子じゃなくて、凛太郎です」
璃々花が目を見開く。
「え?」
「飛鳥凛太郎…それが俺の本当の名前。でも、みんなの前では、莉子ちゃんで通してくださいね」
璃々花は反芻するように呟く。
「凛太郎…」
やがて柔らかな笑みを浮かべ、語りかける。
「うん、わかった。よろしくね、凛太郎…」
凛太郎も微笑み返す。
「よろしく。璃々花…さん」
二人の距離が——少しずつ、近づき始めていた。(つづく)




