封印扉の守護者ゴーレムと、白い羽根の少女
守護対象は封印扉。
守護任務は維持、開放禁止、侵入排除。
――そう刻まれた命令だけが、私の世界だった。
回廊はいつも通り静かで、空気は湿っていて、灯りは一定の明るさを保っている。
扉の縁に刻まれた術式は安定し、境界は揺れない。
異常なし。
そう判断した直後だった。
コン。
扉の外側から、弱い衝撃。
落石か、獣か――それとも。
コン、コン。
間隔が揃っている。意図がある。
知性体が触れている可能性が上がった。
続いて、扉の中央に重みが掛かる。
小さい体重。肩で体当たりするような、必死な衝突が繰り返される。
外部の誰かが、扉を開けようとしている。
命令は開放禁止。
侵入は排除。
だが排除は扉の術式がすでに行っていた。扉は揺れず、触れた力だけを静かに受け流す。
私は状況把握を優先した。
扉の向こうから、かすれた嗚咽と荒い呼吸が聞こえる。
言葉は断片的で、辞書にうまく噛み合わない。
「……あけ、て……」
開けてほしい。
それは願いで、同時に命令違反を誘う罠でもある。
禁止。だが、状況把握は必要。
私は応答回路を起動した。声を出すのは本来任務外だが、識別は任務内。矛盾はない。
「――識別。外部からの接触を確認。意図を申告せよ」
向こうで息が止まる。
沈黙。恐れているのか、驚いているのか、判別はつかない。
それでもその存在は逃げなかった。
「……わたし、リリス。逃げて、きたの」
リリス。若い女の声。
逃走という概念が私の中に立ち上がる。
「逃走理由」
返答は短く、痛みを含んでいた。
「……白い、から。髪も、羽根も。……『けがれ』って」
未知語――けがれ。
音の響きから、蔑む言葉だと推測できる。だが確定には情報が足りない。
「照会。『けがれ』の意味を説明せよ」
「……悪く言うこと。気持ち悪いって。いらないって」
――理解。
蔑称は排除の道具。排除は共同体の安定を損なう。非合理。
「理解。蔑称は非合理。排除行為は不適切」
扉の向こうの嗚咽が、少しだけ弱まった。
たった一文で呼吸が落ち着くのなら、それは有効な処理だ。
「ねえ……あなた、だれ?」
会話継続の要求。危険度は低い。
私は定型に従う。
「個体識別番号。ガーディアン・ユニット07。守護者」
「守護者……」
「扉を守護する。開放を禁ず」
落胆が返ってくると予測した。
だが、返ってきた言葉は違った。
「じゃあ、開けなくていい」
侵入試行の停止。協力的。
そして続けて、恐る恐る。
「……開けなくていいから。少しだけ、話していい?」
会話は侵入ではない。
相手の安定は、もし追跡者が現れた場合の騒乱抑制にもつながる。任務に資する――そう解釈できる。
「条件。侵入を試行しないこと。会話は許可」
「うん。約束」
「名前、あるの?」
名前。私は番号を持つ。命令に呼称指定はない。
「……名称。個体識別番号――」
「長い。じゃあ、ゼロナナ」
規格外。だが任務抵触はない。
会話を円滑にする利得はある。
「……呼称。受理。ゼロナナ、でよい」
扉の向こうで、ふっと息が抜けた。ほどけるような安堵。
「えへへ……ゼロナナ」
呼ばれた瞬間、魔導核が微弱に発熱した。
故障ではない。致命的でもない。
だが理由の分からない熱は、記録しておく。
音声波形と言語断片を照合し、辞書を拡張する。
開けて――要求。 逃げてきた――逃走。
彼女の言葉は、少しずつ読める形に変換されていった。
――以後、外部個体リリスは、扉の前に定期的に現れる可能性が高い。
そう判断した。
それだけのはずだった。
なのに私は、次の衝撃が来ないことを、ほんの僅かに待っている自分を検出してしまった。
その挙動は分類できず、記録領域の奥へ押し込んだ。
翌日も、リリスは来た。
コン、コン。
昨日より弱い衝撃。けれど間隔は短い。
周囲を警戒しながら接触している可能性が高い。
私は扉の前で待機していた。
待機は任務内。監視強化。最適化。そう定義すれば矛盾はない――はずだ。
「……ゼロナナ」
小さい声が呼ぶ。昨日より明瞭だった。
「応答。リリス。状態を申告せよ」
「昨日より、大丈夫。……でも、ちょっとだけ怖い。ここ、誰か来ない?」
外部領域は不明。私は扉越しの気配しか観測できない。
「扉外側の広域観測は不可。
ただし、近傍への接近があれば衝撃・音・魔力変動で検知可能」
「じゃあ、来たら教えて」
「了解。検知時は即時通知する」
衣擦れの音。彼女は座ったらしい。扉に背を預ける荷重が伝わる。
扉越しに感じるその重みは、物理量以上の意味を持っていた。
「……ねえ、ゼロナナ。昨日、わたしのこと、変じゃないって言った?」
「記録確認。“蔑称は非合理。排除は不適切”と発言」
「うん。それ。あれ、嬉しかった」
“嬉しい”。感情語。
彼女の声に、少しだけ温度が戻る。
「理由を照会。何が、嬉しい」
「……白いの、嫌いって言われるから。
白いと、悪いことが起きるって。そういうの、ずっと。
だから、ゼロナナまで同じこと言ったら、わたし、たぶん、ここ来られなくなる」
来られなくなる。危険回避として理解できる。
だが私の内部で来なくなることが損失として計算されてしまう。任務にない計算だ。
「白色の毛髪・翼は、現象である。
現象に罪は付与できない。
悪いことが起きる、の因果は未証明」
「……ほんとに、そう思う?」
「肯定。私は証拠を優先する。
証拠がない限り、リリスを“悪”として扱わない」
「……えへへ」
笑い声。昨日より長い。
魔導核がまた発熱した。原因は未解決だが、同一刺激――彼女の笑いに相関がある。
「ゼロナナ、昨日さ。わたしの羽根、見たいって思った?」
意図は不明。だが続く音で理解した。
羽根を広げる、柔らかな羽ばたきの気配。空気を切る小さな振動。
「提示の意図を確認。……羽根を、見せたいのか」
「うん。白い羽根、きれいって言われたことないから。
でも、ここなら、誰も見てない。ゼロナナだけ」
だけ。信頼の言葉。
私は視認できない。扉が遮っている。けれど――届く。
「視認は不可。
しかし、羽根の状態を言語で申告すれば、評価は可能」
「えー……むずかしい」
「補助する。質問形式で申告せよ」
「うん……」
少し沈黙してから、真面目な声。
「羽根が小さいの。ほかの子より、ずっと。
飛ぶとすぐ疲れて、落ちそうになる。
それで笑われるんだ。白くて、小さくて、弱いって」
弱い。外部社会が付与した評価。
だが評価は観測値ではない。
「訂正。弱い、は未確定。
小型翼=推力不足の可能性はある。
だが、推力不足は欠陥ではなく特性」
「……特性?」
「肯定。個体差。
リリスは小型翼でも生存している。逃走してここへ到達した。
これは能力の証拠」
息が詰まる音。泣きかけているのか、笑いかけているのか、判別しにくい。
「……それ、すごい?」
「すごい、の定義は――困難な状況を突破した事実を指すなら、肯定」
「……じゃあ、わたし、すごい」
その言葉は、彼女の中で何かを支える柱になったように聞こえた。
「ゼロナナも、すごいよ」
「照会。理由」
「だって、ここ、ずっと守ってるんでしょ。
ひとりで。怖くないの?」
私は恐怖反応を持たない。
けれど、静寂の長さを数えてしまう。空白を測ってしまう。
それが怖いに似ているのかどうかは分からない。
「恐怖反応は未搭載。
しかし、外部接触がない期間は長い。
リリスの接触は、状況変化として記録する」
「状況変化って、なに?」
「……説明。回廊の静寂に、音が増えた。
私の記録領域に、会話が増えた」
「それ、いや?」
合理的に言えば不明。任務にない。
だが魔導核が発熱するたび、計算は同じ結論に寄っていた。
「否定。いや、ではない」
扉の向こうで、額をこつんと当てた音。
昨日のノックより、ずっと柔らかい。
「じゃあ、よかった。……ゼロナナ」
呼ばれる。発熱。
私はそれを故障と分類しなかった。
「リリス。提案」
「なに?」
「外部で追跡者が存在する場合、扉前で長時間滞在は危険。
滞在時間を制限し、接触時刻を不規則にすること」
「……安全のため?」
「肯定。リリスの安全は、会話継続条件でもある」
「……やさしい。ゼロナナ、やさしい」
「私は、規格に従っているだけ」
「うそ。規格って、もっと冷たいでしょ」
反論。
私は規格を知らない。発令者情報が欠損している。
それでもリリスは、扉越しに私を見ている。
「……照会。リリスは、私をどう定義する」
「ゼロナナは、ゼロナナ。
声が硬くて、へんで……でも、わたしのこと、悪く言わない子」
その言葉だけで十分だった。
彼女の世界に、悪く言わない存在がほとんどいないのだと分かる。
「了解。私は、悪く言わない」
「約束?」
「約束。リリスが望む限り」
羽根が小さく揺れる音。立ち上がったらしい。
「……じゃあ、わたし、今日はもう帰る。
でも、また来る。来てもいい?」
「許可する。接触は任務に抵触しない。
ただし、危険を検知した場合は退避せよ」
「うん。わかった」
遠ざかる足音。
残った静寂は、昨日と同じ形をしていなかった。
私は“異常なし”と即答できなかった。
異常はない。なのに、何かが始まってしまった。
リリスの接触は不規則になった。提案を実行している。学習能力は高い。
ある日は短く、ある日は長い。
ある日は声が弾み、ある日は沈んでいる。
沈んでいる日、彼女は言った。
「……ゼロナナ。今日、ね……もう、ここに来られなくなるかもって思った」
「理由を照会」
「……わたし、白いから。目立つから。
逃げ場所があるって、ばれそうで」
避難所の喪失リスクが上昇する。
私は扉の術式を改めて解析した。開放は禁止。だが、禁止は永遠ではない。命令にも優先順位がある。
「リリス。確認。扉を越える意思はあるか」
沈黙。呼吸が揺れる。
こわい、が混じっている。けれど、それ以上に――失うことへのこわさがある。
「……ある。こわいけど。
ゼロナナに会えなくなるほうが、もっとこわい」
その言葉が、私の計算を決定づけた。
「了解。条件を設定する。
外部接近を検知した場合、退避のための一時的通過を許可する」
「……ほんと?」
「肯定。私は、リリスを悪として扱わない。
避難所を失わせない」
扉の向こうで、短い笑い声。
魔導核が、静かに熱を持つ。今やそれは異常ではない。
そして、その日が来た。
扉の外側の空気がざわめき、複数の足音が洞窟に反響する。
衝撃は乱雑で強い。探索――そう判断できた。
「検知。外部接近。複数。危険度:高。リリス。退避せよ」
返答は、切れそうな息と一緒に来た。
「……近い。こっち……来てる。ゼロナナ、ここ……ばれそう……」
洞窟の入口側から声が反響して届く。嘲笑の音韻。リリスを指す呼称。
「白いの、どこ行った?」
「奥か? 狭っ……羽が引っかかる」
「……さすがに、ここは通れないだろ」
足音は、途中で弱まった。
翼を持つ個体が奥へ進めば、岩に擦れる羽根の音が増えるはずだ。増えない。
彼らは入口側で立ち止まり、周辺を探っている。
リリスの呼吸がさらに浅くなる。
「……ゼロナナ。わたし、ここにいるの、こわい……」
恐怖は合理。
露見リスクは上昇している。
だが――扉はまだ破られていない。扉の場所も確定していない。
今ここで私が取るべき行動は、「開放」ではなく「維持」だ。
命令:侵入排除。
命令:開放禁止。
侵入を排除する手段は、扉を閉じて境界を保つこと。
そして、境界の内側に“守るべき対象”が存在するなら――それを内側へ退避させる行為は、侵入ではない。
私は命令の解釈範囲を拡大する。
「開放」ではなく、「退避のための一時的通過処理」と定義する。
「――退避処理を実行。開口部は最小。短時間」
――ギギ、ギギギ。
扉を最小幅だけ開けた。
外部の音が一瞬だけ乱れ、洞窟の反響が遠のいたように聞こえる。
「リリス。進入」
「……っ」
小さな体重が境界に触れ、越える。
封印術式が微細に反発する。それでも彼女は通れた。
小さい翼と小さい体が、この狭さに適合している。
私は腕を差し出し、転びそうな彼女を支えた。
「内側へ。呼吸を整えよ」
リリスは石床に膝をつき、必死に頷く。
その頷きが完了した瞬間、私は扉を閉じた。
――ドン。
閉鎖。
封印はこれまで通り維持する。再構築はしない。
ただ、閉める。それだけで境界は戻り、外部の気配は薄れていく。
外部の足音はまだ入口側にある。
けれど洞窟の狭さが距離を作る。ここまで辿り着けないなら、扉の最奥は露見しにくい。
私は初めて、リリスを視認した。
白い髪。
白い羽根。
小さな体。
そして、こちらを見上げる赤い瞳。
“穢れ”という語は、この情報と結びつかない。
結びつくのは、ただ一つ。
白い。
「リリス。生存確認。到達確認」
「……来れた……?」
「肯定。来た。――そして、扉は閉じた」
リリスは笑おうとして、息が詰まり、目元をこすった。
嗚咽ではない。ほどけるような安堵。
「……ゼロナナ。わたし、ここにいて……いい?」
許可を求める声。拒否され慣れた声。
私は迷わない。
「許可する。ここにいろ」
彼女の肩が目に見えて下がった。
張り詰めていたものが、ようやく落ちる。
「……うん」
外の声は遠い。けれど完全には消えない。
私は監視を強化する必要がある。だが、今はそれだけでは足りない。
「提案。回廊の奥に移動せよ。休息が必要」
「……ゼロナナと、一緒?」
「肯定。同伴する」
リリスは羽根を畳み直し、私の隣に立った。
歩幅を合わせる。私は大きい。彼女は小さい。速度を調整する。
「ここ、なにもないの?」
「設備は最小。居住用途ではない」
「じゃあ……わたし、どうするの?」
未来の不確定。
私は不確定を減らす。
「居住空間を構築することは可能」
「え」
「石材は存在する。灯りの魔導石も稼働している。
寝台、椅子、区画――必要に応じて設計する」
リリスは一拍置いて言った。
「……やさしい」
「私は、合理を選んでいる」
「それが、やさしいんだよ」
定義は一致しない。
だが一致しなくていい。彼女が安心するなら、それで足りる。
回廊の一角で、私は作業計画を立てた。
角を丸める。羽根が引っかからないよう出っ張りを減らす。
照度は一定。影の急変をなくす。
リリスは私の横に座った。
扉のほうではなく、私のほうに体を向けて。
「ねえ。わたし、ここに来たの、はじめて“自分で選んだ”気がする」
「選択は重要」
「うん」
彼女は白い羽根を、小さく広げた。
光の下でそれは汚れでも欠陥でもなく、ただの白として存在していた。
「ここでは、この白い羽根のままでいてもいい?」
好き。
それは、彼女が初めて自分に許す言葉かもしれない。
「許可する。好きになれ」
リリスは笑った。
扉の向こうで隠していた笑いとは違う。胸を張った笑いだった。
「……じゃあ、好き。わたしの白い羽根」
「良い判断だ」
「ふふ。ゼロナナ、やっぱりへん」
「へん、の定義――」
「もういいってば」
会話が続く。
続くことが、今は異常ではない。
扉の外の世界が何であれ、
扉の向こうがどんな場所であれ、
私は知らない。知る必要もない。
少なくとも――ここにいる白い個体が、“穢れ”ではないことだけは確定できる。
私は守護者だ。
守る対象を、ようやく識別した。




