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封印扉の守護者ゴーレムと、白い羽根の少女

作者: 灰谷
掲載日:2025/12/23

守護対象は封印扉。

守護任務は維持、開放禁止、侵入排除。

――そう刻まれた命令だけが、私の世界だった。


回廊はいつも通り静かで、空気は湿っていて、灯りは一定の明るさを保っている。

扉の縁に刻まれた術式は安定し、境界は揺れない。


異常なし。

そう判断した直後だった。


コン。


扉の外側から、弱い衝撃。

落石か、獣か――それとも。


コン、コン。


間隔が揃っている。意図がある。

知性体が触れている可能性が上がった。


続いて、扉の中央に重みが掛かる。

小さい体重。肩で体当たりするような、必死な衝突が繰り返される。


外部の誰かが、扉を開けようとしている。


命令は開放禁止。

侵入は排除。


だが排除は扉の術式がすでに行っていた。扉は揺れず、触れた力だけを静かに受け流す。

私は状況把握を優先した。


扉の向こうから、かすれた嗚咽と荒い呼吸が聞こえる。

言葉は断片的で、辞書にうまく噛み合わない。


「……あけ、て……」


開けてほしい。

それは願いで、同時に命令違反を誘う罠でもある。


禁止。だが、状況把握は必要。


私は応答回路を起動した。声を出すのは本来任務外だが、識別は任務内。矛盾はない。


「――識別。外部からの接触を確認。意図を申告せよ」


向こうで息が止まる。

沈黙。恐れているのか、驚いているのか、判別はつかない。

それでもその存在は逃げなかった。


「……わたし、リリス。逃げて、きたの」


リリス。若い女の声。

()()という概念が私の中に立ち上がる。


「逃走理由」


返答は短く、痛みを含んでいた。


「……白い、から。髪も、羽根も。……『けがれ』って」


未知語――けがれ。

音の響きから、蔑む言葉だと推測できる。だが確定には情報が足りない。


「照会。『けがれ』の意味を説明せよ」


「……悪く言うこと。気持ち悪いって。いらないって」


――理解。

蔑称は排除の道具。排除は共同体の安定を損なう。非合理。


「理解。蔑称は非合理。排除行為は不適切」


扉の向こうの嗚咽が、少しだけ弱まった。

たった一文で呼吸が落ち着くのなら、それは有効な処理だ。


「ねえ……あなた、だれ?」


会話継続の要求。危険度は低い。

私は定型に従う。


「個体識別番号。ガーディアン・ユニット07。守護者」


「守護者……」


「扉を守護する。開放を禁ず」


落胆が返ってくると予測した。

だが、返ってきた言葉は違った。


「じゃあ、開けなくていい」


侵入試行の停止。協力的。

そして続けて、恐る恐る。


「……開けなくていいから。少しだけ、話していい?」


会話は侵入ではない。

相手の安定は、もし追跡者が現れた場合の騒乱抑制にもつながる。任務に資する――そう解釈できる。


「条件。侵入を試行しないこと。会話は許可」


「うん。約束」


「名前、あるの?」


名前。私は番号を持つ。命令に呼称指定はない。


「……名称。個体識別番号――」


「長い。じゃあ、ゼロナナ」


規格外。だが任務抵触はない。

会話を円滑にする利得はある。


「……呼称。受理。ゼロナナ、でよい」


扉の向こうで、ふっと息が抜けた。ほどけるような安堵。


「えへへ……ゼロナナ」


呼ばれた瞬間、魔導核が微弱に発熱した。

故障ではない。致命的でもない。

だが理由の分からない熱は、記録しておく。


音声波形と言語断片を照合し、辞書を拡張する。

()()()――要求。 ()()()()()――逃走。

彼女の言葉は、少しずつ読める形に変換されていった。


――以後、外部個体リリスは、扉の前に定期的に現れる可能性が高い。


そう判断した。

それだけのはずだった。


なのに私は、次の衝撃が来ないことを、ほんの僅かに()()()()()自分を検出してしまった。

その挙動は分類できず、記録領域の奥へ押し込んだ。


翌日も、リリスは来た。


コン、コン。

昨日より弱い衝撃。けれど間隔は短い。

周囲を警戒しながら接触している可能性が高い。


私は扉の前で待機していた。

待機は任務内。監視強化。最適化。そう定義すれば矛盾はない――はずだ。


「……ゼロナナ」


小さい声が呼ぶ。昨日より明瞭だった。


「応答。リリス。状態を申告せよ」


「昨日より、大丈夫。……でも、ちょっとだけ怖い。ここ、誰か来ない?」


外部領域は不明。私は扉越しの気配しか観測できない。


「扉外側の広域観測は不可。

ただし、近傍への接近があれば衝撃・音・魔力変動で検知可能」


「じゃあ、来たら教えて」


「了解。検知時は即時通知する」


衣擦れの音。彼女は座ったらしい。扉に背を預ける荷重が伝わる。

扉越しに感じるその重みは、物理量以上の意味を持っていた。


「……ねえ、ゼロナナ。昨日、わたしのこと、変じゃないって言った?」


「記録確認。“蔑称は非合理。排除は不適切”と発言」


「うん。それ。あれ、嬉しかった」


“嬉しい”。感情語。

彼女の声に、少しだけ温度が戻る。


「理由を照会。何が、嬉しい」


「……白いの、嫌いって言われるから。

白いと、悪いことが起きるって。そういうの、ずっと。

だから、ゼロナナまで同じこと言ったら、わたし、たぶん、ここ来られなくなる」


来られなくなる。危険回避として理解できる。

だが私の内部で()()()()()ことが損失として計算されてしまう。任務にない計算だ。


「白色の毛髪・翼は、現象である。

現象に罪は付与できない。

悪いことが起きる、の因果は未証明」


「……ほんとに、そう思う?」


「肯定。私は証拠を優先する。

証拠がない限り、リリスを“悪”として扱わない」


「……えへへ」


笑い声。昨日より長い。

魔導核がまた発熱した。原因は未解決だが、同一刺激――彼女の笑いに相関がある。


「ゼロナナ、昨日さ。わたしの羽根、見たいって思った?」


意図は不明。だが続く音で理解した。

羽根を広げる、柔らかな羽ばたきの気配。空気を切る小さな振動。


「提示の意図を確認。……羽根を、見せたいのか」


「うん。白い羽根、きれいって言われたことないから。

でも、ここなら、誰も見てない。ゼロナナだけ」


()()。信頼の言葉。

私は視認できない。扉が遮っている。けれど――届く。


「視認は不可。

しかし、羽根の状態を言語で申告すれば、評価は可能」


「えー……むずかしい」


「補助する。質問形式で申告せよ」


「うん……」


少し沈黙してから、真面目な声。


「羽根が小さいの。ほかの子より、ずっと。

飛ぶとすぐ疲れて、落ちそうになる。

それで笑われるんだ。白くて、小さくて、弱いって」


弱い。外部社会が付与した評価。

だが評価は観測値ではない。


「訂正。弱い、は未確定。

小型翼=推力不足の可能性はある。

だが、推力不足は欠陥ではなく特性」


「……特性?」


「肯定。個体差。

リリスは小型翼でも生存している。逃走してここへ到達した。

これは能力の証拠」


息が詰まる音。泣きかけているのか、笑いかけているのか、判別しにくい。


「……それ、すごい?」


「すごい、の定義は――困難な状況を突破した事実を指すなら、肯定」


「……じゃあ、わたし、すごい」


その言葉は、彼女の中で何かを支える柱になったように聞こえた。


「ゼロナナも、すごいよ」


「照会。理由」


「だって、ここ、ずっと守ってるんでしょ。

ひとりで。怖くないの?」


私は恐怖反応を持たない。

けれど、静寂の長さを数えてしまう。空白を測ってしまう。

それが()()に似ているのかどうかは分からない。


「恐怖反応は未搭載。

しかし、外部接触がない期間は長い。

リリスの接触は、状況変化として記録する」


「状況変化って、なに?」


「……説明。回廊の静寂に、音が増えた。

私の記録領域に、会話が増えた」


「それ、いや?」


合理的に言えば不明。任務にない。

だが魔導核が発熱するたび、計算は同じ結論に寄っていた。


「否定。いや、ではない」


扉の向こうで、額をこつんと当てた音。

昨日のノックより、ずっと柔らかい。


「じゃあ、よかった。……ゼロナナ」


呼ばれる。発熱。

私はそれを故障と分類しなかった。


「リリス。提案」


「なに?」


「外部で追跡者が存在する場合、扉前で長時間滞在は危険。

滞在時間を制限し、接触時刻を不規則にすること」


「……安全のため?」


「肯定。リリスの安全は、会話継続条件でもある」


「……やさしい。ゼロナナ、やさしい」


「私は、規格に従っているだけ」


「うそ。規格って、もっと冷たいでしょ」


反論。

私は規格を知らない。発令者情報が欠損している。

それでもリリスは、扉越しに()を見ている。


「……照会。リリスは、私をどう定義する」


「ゼロナナは、ゼロナナ。

声が硬くて、へんで……でも、わたしのこと、悪く言わない子」


その言葉だけで十分だった。

彼女の世界に、悪く言わない存在がほとんどいないのだと分かる。


「了解。私は、悪く言わない」


「約束?」


「約束。リリスが望む限り」


羽根が小さく揺れる音。立ち上がったらしい。


「……じゃあ、わたし、今日はもう帰る。

でも、また来る。来てもいい?」


「許可する。接触は任務に抵触しない。

ただし、危険を検知した場合は退避せよ」


「うん。わかった」


遠ざかる足音。

残った静寂は、昨日と同じ形をしていなかった。


私は“異常なし”と即答できなかった。

異常はない。なのに、何かが始まってしまった。


リリスの接触は不規則になった。提案を実行している。学習能力は高い。

ある日は短く、ある日は長い。

ある日は声が弾み、ある日は沈んでいる。


沈んでいる日、彼女は言った。


「……ゼロナナ。今日、ね……もう、ここに来られなくなるかもって思った」


「理由を照会」


「……わたし、白いから。目立つから。

()()()()があるって、ばれそうで」


避難所の喪失リスクが上昇する。

私は扉の術式を改めて解析した。開放は禁止。だが、禁止は永遠ではない。命令にも優先順位がある。


「リリス。確認。扉を越える意思はあるか」


沈黙。呼吸が揺れる。

こわい、が混じっている。けれど、それ以上に――失うことへのこわさがある。


「……ある。こわいけど。

ゼロナナに会えなくなるほうが、もっとこわい」


その言葉が、私の計算を決定づけた。


「了解。条件を設定する。

外部接近を検知した場合、退避のための一時的通過を許可する」


「……ほんと?」


「肯定。私は、リリスを悪として扱わない。

避難所を失わせない」


扉の向こうで、短い笑い声。

魔導核が、静かに熱を持つ。今やそれは異常ではない。


そして、その日が来た。


扉の外側の空気がざわめき、複数の足音が洞窟に反響する。

衝撃は乱雑で強い。探索――そう判断できた。


「検知。外部接近。複数。危険度:高。リリス。退避せよ」


返答は、切れそうな息と一緒に来た。


「……近い。こっち……来てる。ゼロナナ、ここ……ばれそう……」


洞窟の入口側から声が反響して届く。嘲笑の音韻。リリスを指す呼称。


「白いの、どこ行った?」

「奥か? 狭っ……羽が引っかかる」

「……さすがに、ここは通れないだろ」


足音は、途中で弱まった。

翼を持つ個体が奥へ進めば、岩に擦れる羽根の音が増えるはずだ。増えない。

彼らは入口側で立ち止まり、周辺を探っている。


リリスの呼吸がさらに浅くなる。


「……ゼロナナ。わたし、ここにいるの、こわい……」


恐怖は合理。

露見リスクは上昇している。


だが――扉はまだ破られていない。扉の場所も確定していない。

今ここで私が取るべき行動は、「開放」ではなく「維持」だ。


命令:侵入排除。

命令:開放禁止。


侵入を排除する手段は、扉を閉じて境界を保つこと。

そして、境界の内側に“守るべき対象”が存在するなら――それを内側へ退避させる行為は、侵入ではない。


私は命令の解釈範囲を拡大する。

「開放」ではなく、「退避のための一時的通過処理」と定義する。


「――退避処理を実行。開口部は最小。短時間」


――ギギ、ギギギ。


扉を最小幅だけ開けた。

外部の音が一瞬だけ乱れ、洞窟の反響が遠のいたように聞こえる。


「リリス。進入」


「……っ」


小さな体重が境界に触れ、越える。

封印術式が微細に反発する。それでも彼女は通れた。

小さい翼と小さい体が、この狭さに適合している。


私は腕を差し出し、転びそうな彼女を支えた。


「内側へ。呼吸を整えよ」


リリスは石床に膝をつき、必死に頷く。

その頷きが完了した瞬間、私は扉を閉じた。


――ドン。


閉鎖。

封印はこれまで通り維持する。再構築はしない。

ただ、閉める。それだけで境界は戻り、外部の気配は薄れていく。


外部の足音はまだ入口側にある。

けれど洞窟の狭さが距離を作る。ここまで辿り着けないなら、扉の最奥は露見しにくい。


私は初めて、リリスを視認した。


白い髪。

白い羽根。

小さな体。

そして、こちらを見上げる赤い瞳。


“穢れ”という語は、この情報と結びつかない。

結びつくのは、ただ一つ。


白い。


「リリス。生存確認。到達確認」


「……来れた……?」


「肯定。来た。――そして、扉は閉じた」


リリスは笑おうとして、息が詰まり、目元をこすった。

嗚咽ではない。ほどけるような安堵。


「……ゼロナナ。わたし、ここにいて……いい?」


許可を求める声。拒否され慣れた声。


私は迷わない。


「許可する。ここにいろ」


彼女の肩が目に見えて下がった。

張り詰めていたものが、ようやく落ちる。


「……うん」


外の声は遠い。けれど完全には消えない。

私は監視を強化する必要がある。だが、今はそれだけでは足りない。


「提案。回廊の奥に移動せよ。休息が必要」


「……ゼロナナと、一緒?」


「肯定。同伴する」


リリスは羽根を畳み直し、私の隣に立った。

歩幅を合わせる。私は大きい。彼女は小さい。速度を調整する。


「ここ、なにもないの?」


「設備は最小。居住用途ではない」


「じゃあ……わたし、どうするの?」


未来の不確定。

私は不確定を減らす。


「居住空間を構築することは可能」


「え」


「石材は存在する。灯りの魔導石も稼働している。

寝台、椅子、区画――必要に応じて設計する」


リリスは一拍置いて言った。


「……やさしい」


「私は、合理を選んでいる」


「それが、やさしいんだよ」


定義は一致しない。

だが一致しなくていい。彼女が安心するなら、それで足りる。


回廊の一角で、私は作業計画を立てた。

角を丸める。羽根が引っかからないよう出っ張りを減らす。

照度は一定。影の急変をなくす。


リリスは私の横に座った。

扉のほうではなく、私のほうに体を向けて。


「ねえ。わたし、ここに来たの、はじめて“自分で選んだ”気がする」


「選択は重要」


「うん」


彼女は白い羽根を、小さく広げた。

光の下でそれは汚れでも欠陥でもなく、ただの白として存在していた。


「ここでは、この白い羽根のままでいてもいい?」


好き。

それは、彼女が初めて自分に許す言葉かもしれない。


「許可する。好きになれ」


リリスは笑った。

扉の向こうで隠していた笑いとは違う。胸を張った笑いだった。


「……じゃあ、好き。わたしの白い羽根」


「良い判断だ」


「ふふ。ゼロナナ、やっぱりへん」


「へん、の定義――」


「もういいってば」


会話が続く。

続くことが、今は異常ではない。


扉の外の世界が何であれ、

扉の向こうがどんな場所であれ、

私は知らない。知る必要もない。


少なくとも――ここにいる白い個体が、“穢れ”ではないことだけは確定できる。


私は守護者だ。

守る対象を、ようやく識別した。

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