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第8話:赤色超巨星の来襲と、チャット欄で勃発する神々のラグナロク

 物理学には「パウリの排他原理」という法則がある。

 同一の量子状態には、二つのフェルミ粒子は存在できない。

 つまり、簡単に言えば「主役級の恒星が二つ並べば、その重力干渉で宇宙(わたしの胃)は崩壊する」ということだ。

 あの日曜日、栃木の荒野で神宮寺レンが放った「彼女は俺の専属メンタルトレーナーだ」という大嘘。

 それは、私の平穏なモブ人生を粉砕するビッグバンだった。

 翌日の夜。

 私は自宅のリビング――通称【第1サティアン】で、膝を抱えて震えていた。

 スマホの画面には、レンからのLINE通話の着信履歴。

 そして、直前に送られてきたメッセージ。

『ごめん、エリカさんがどうしても君のカウンセリングを受けたいって聞かなくて。今からビデオ通話、繋いでいい?』

「……拒否権は? ねえ、基本的人権における拒否権はどこに消滅したの?」

 私は天井のシミに向かって問いかけたが、返事はなかった。

 相手は国民的大女優、西園寺エリカ。

 彼女の辞書に「NO」という文字はない。あるのは「YES」か「ハイ喜んで」の二択だ。

 逃げればレン様の顔に泥を塗ることになる。

 私は覚悟を決めた。

 仮面(物理)はつけられないが、心の仮面(ATフィールド)を展開し、別人格「先生ティーチャー」を降臨させるしかない。

 私は震える指で「通話」ボタンを押した。

 ***

 画面が表示された瞬間、部屋の照度が上がった気がした。

『あら、こんばんは。意外と早かったわね、ネズミ先生?』

 画面の向こうには、バスローブ姿でワイングラスを傾ける西園寺エリカ様。

 背景はどこかの高級ホテルのスイートだろうか。彼女の背後から漂うオーラだけで、私の安いスマホの液晶がひび割れそうだ。

『エリカさん、先生に対してネズミは失礼だよ』

 画面の端から、苦笑するレン様がフレームインしてくる。

 どうやら同じ現場の空き時間に、一緒にいるらしい。

 (美の暴力! 画面の画素数が足りてない!)

「こ、こんばんは……。本日はどのようなご用件でしょうか……」

 私は精一杯の低い声(イケボ風)を作って答えた。

 エリカは妖艶に微笑み、画面越しに私を見据える。

『単刀直入に言うわ。レンがあそこまで入れ込む貴女の「理論」とやら、私にも試してごらんなさい』

「……は?」

『私もね、最近スランプなのよ。何をやっても「西園寺エリカ」になっちゃうの。監督には「もっと人間臭さが欲しい」なんて言われるし。……さあ、私を分析して。もし満足いく答えが出せなければ、レンへの接近禁止命令を申請するわよ?』

 理不尽だ。

 ジャイアンのリサイタルより理不尽な要求だ。

 だが、画面の隅でレン様が「大丈夫、君ならできる」と口パクで応援している。その無責任な笑顔が憎い。そして尊い。

 私は腹を括った。

 やるしかない。コミュ症オタクの特技、「早口分析オタク・トーク」をぶちかますしかない。

 私は画面の中のエリカを凝視した。

 美しく、強く、完璧な女優。

 だが、その完璧さゆえに、彼女は常に「燃え続けて」いる。

「……あなたは、赤色超巨星です」

『は? 巨星? 太ってるって言いたいの?』

「違います! 天体物理学の話です!」

 私はスイッチが入った。一度入れば、もう止まらない。

「いいですか、エリカさん。あなたは今、自身の重力で押し潰されそうになりながら、核融合反応を極限まで早めている状態です。常に120%で光り輝くことを義務付けられ、燃料を消費しすぎている。それが『人間臭さの欠如』に繋がっています。完璧すぎる恒星には、生命(人間味)は宿らないんです!」

 エリカがポカンと口を開けた。

 レンが「出た、物理学」と嬉しそうに呟く。

「監督が求めているのは、核融合の停止……つまり、あなたが『ただの石塊』になる瞬間です! 高級フレンチのフルコースは毎日食べられません。たまにはカップ焼きそばUFOの、湯切りに失敗してベチャッとなった麺のような、情けない姿を見せるべきなんです!」

 一気にまくし立てた後、私は「はっ」と我に返った。

 やらかした。

 大女優に向かって「カップ焼きそばになれ」と言ってしまった。

 終わった。東京湾に沈められる。

 沈黙が流れる。

 エリカはワイングラスを揺らしながら、じっと私を見ていた。

 やがて、彼女の肩が震え出し――。

『……あはははは! なにそれ! 私がUFO? ベチャッとなった麺?』

 彼女は腹を抱えて爆笑した。

 

『最高ね。誰も私にそんな口を利いたことなかったわ。マネージャーも、演出家も、みんな私を腫れ物扱いするのに』

 彼女は涙を拭い、挑発的な瞳で私を見た。

『気に入ったわ、ネズミ先生。……いえ、レイカ。貴女の言う通り、少し「湯切り」を失敗してみるのも悪くないかもね』

 合格、したらしい。

 私は全身から力が抜け、その場に液状化した。

『レン、貴方がこの子を飼いたがる理由、わかった気がするわ。……悔しいけど、面白い』

『でしょ? 俺の自慢の先生だから』

 レンが誇らしげに私の(画面上の)頭を撫でるふりをする。

 やめてください、画面越しでも致死量です。

 こうして、地獄のカウンセリングは幕を閉じた。

 はずだった。

 だが、本当の地獄カオスはここからだった。

 ***

 その夜。

 私はHP残量1の状態で、いつもの配信を行っていた。

 テーマは「推しと銀河の衝突事故について」。

「……というわけでね、星々は近づきすぎると重力波でお互いを破壊し合うの。適切な距離感、これこそが宇宙平和の礎なのよ……」

 私の声には覇気がなかった。

 実体験に基づく疲労困憊だ。

 コメント欄も『レイ様、今日はお疲れ?』『声が死んでるw』と心配ムード。

 そこに、いつもの「彼」が現れた。

『名無しのゴンザレス(¥50,000):お疲れ様。今日の君の講義、隣で聞いてた星も「目が覚めた」って言ってたよ。ありがとう』

 レン様だ。

 「隣で聞いてた星」って、エリカ様のことだ。

 業務連絡をスパチャでするな。公私混同が甚だしい。

 私は「はいはい、どういたしまして」と流そうとした。

 その時。

 画面が、見たことのない「深紅」のエフェクトに包まれた。

 赤スパではない。

 もっと禍々しく、そして高貴な、女王の凱旋ファンファーレのような輝き。

 

 新規アカウントからの、最大額スパチャ。

『Queen_E(¥50,000):湯切りの失敗について考察中よ。貴女の声、独特の周波数で癖になるわね。これからは私の管理下で鳴きなさい』

「ぶふぉっ!!!!!!!」

 私は茶を吹いた。

 モニターが水没する勢いで吹いた。

 Queen_E。

 その文体。その上から目線。そして「湯切り」というワード。

 

 西園寺エリカ本人だ。

 まさかのアカウント作成&即・特定&即・降臨。

 行動力が音速を超えている。

 コメント欄がパニックになる。

 『誰この富豪!?』

 『女王様?』

 『ゴンザレスのライバル出現!?』

 すると、ゴンザレス(レン)が即座に反応した。

『名無しのゴンザレス(¥10,000):おい、新入り。彼女は俺の管理下だ。割り込みはマナー違反だぞ』

 喧嘩を売るな。

 神と女神が、私のコメント欄を戦場にするな。

 ここは私のチャンネルだぞ。

『Queen_E(¥10,000):あら、早い者勝ちでしょ? 貴方のものは私のもの。いいこと、ネズミちゃん。今度、私のためだけの特別配信をしなさい。テーマは「女王の休息」よ』

『名無しのゴンザレス(¥50,000):却下だ。レイカちゃん、今度の日曜空いてる? 美味しい焼肉屋見つけたんだ。二人で行こう』

『Queen_E(¥50,000):抜け駆けはずるいわよ、ゴンザレス。私も行くわ。三人で女子会(?)よ』

 チャリン、チャリン、ドカン、ドカン。

 札束で殴り合う音が聞こえる。

 私の収益額が、見たことのない桁数に跳ね上がっていく。

 スパチャ合戦オークション

 対象商品は、私。

「ちょ、ちょっと待って! ストップ! ストップ・ザ・マネー!」

 私は涙目で絶叫した。

 

「ここは神聖な推し活の場なの! 痴話喧嘩ならLINEでやって! あと私のスケジュールを勝手に埋めないで! 私は壁になりたいの! 焼肉屋の網になりたいのよぉぉっ!」

 私の悲痛な叫びは、二人の暴走する神々には届かない。

 コメント欄のリスナーたちは、この謎の「富豪対決」をエンタメとして消費し、草を生やしまくっている。

『wwwww』

『モテモテじゃんレイ様』

『ゴンザレスvsクイーン、ファイッ!』

『ラグナロク(最終戦争)はじまた』

 私は悟った。

 事象の地平面を超えた先には、ホワイトホールがあったのではない。

 そこは、重力の異なる星々が押し合いへし合いする、カオスな社交場だったのだ。

 その夜。

 私のチャンネル登録者数は爆増し、Twitterでは「#プリティレイを巡る聖戦」がトレンド入りした。

 

 そして翌日。

 事務所から呼び出しがかかることになる。

 今度は、偽のメンタルトレーナーとしてではない。

 「謎の配信者」に対する、公式からの接触アプローチとして。

 私の二重生活は、いよいよ崩壊のカウントダウンを始めていた。


(つづく)

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