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第7話:第三種接近遭遇と、荒野に降りた女神(ライバル)の重力干渉

 日曜日の朝七時。

 私は、高級SUVの助手席という名の「処刑台」に拘束されていた。

 運転席には、神宮寺レン。

 黒のキャップにサングラス、ラフなパーカー姿だが、そのハンドルを握る手首の骨格標本だけで、ルーブル美術館の別館が建つレベルの美しさだ。

 車内は、彼の愛用する「ノワール・ド・リュヌ」の香りで満たされている。

 ここは密室。酸素濃度は地上の三分の一。

 私は助手席で、借りてきた猫のように――いや、真空パックされた冷凍マグロのように硬直していた。

「……レイカちゃん、息してる?」

「……か、辛うじて、エラ呼吸で対応しております」

 私が答えると、彼は楽しそうに肩を震わせた。

「よかった。これから行く場所は、ちょっと空気が薄いかもしれないからね」

 車は都心を抜け、北関東の高速道路を疾走している。

 目的地は、栃木県某所にある巨大な採石場跡地。

 次回作の映画『キリング・フィールド(仮)』の、クライマックスシーンのロケハン(下見)だという。

「いい? 私はあくまで『背景』よ。『石ころA』よ。決して、彼の視界のノイズになってはいけない」

 私は自分に言い聞かせた。

 今日の服装は、周囲の岩肌に溶け込むための「アースカラー・迷彩コーデ」。

 しまむらで厳選した、完璧な保護色だ。

 だが、私の心臓は早鐘を打ち続けている。

 推しの運転する車に乗るということは、私が万が一くしゃみをしてハンドル操作を誤らせれば、日本の芸能界という銀河系を消滅させる大罪人になるということだ。

「……到着したよ」

 車が止まる。

 目の前に広がっていたのは、荒涼とした岩肌がそびえ立つ、まるで火星のような風景だった。

 ***

 採石場の空気は、冷たく乾燥していた。

 スタッフはまだおらず、今日は監督と数名の主要スタッフ、そして主演のレン様だけの極秘ロケハンらしい。

 私は「マネージャー代理の補佐の知人(という設定)」で、遠くから見学することを許された。

「……すごい」

 岩山の陰に隠れ(擬態し)ながら、私は息を呑んだ。

 さっきまで運転席で優しく微笑んでいた青年は、もうどこにもいない。

 荒野の真ん中に立つ神宮寺レン。

 彼はただ、そこに立っているだけだった。

 だが、その背中から立ち昇るオーラが、周囲の空間を歪めている。

 孤独。虚無。そして、触れれば切れるような鋭利な殺気。

 役に入り込んでいるのだ。

 「冷徹な殺し屋」という、彼が悩み抜いていた役に。

(これが……プロの現場)

 私は双眼鏡(バードウォッチング用)を握りしめた。

 尊い、という言葉では軽すぎる。

 怖い。

 美しいものが、その美しさゆえに世界を拒絶しているような、絶対零度の孤独。

 その時、監督らしき髭の男性が、レンに何か指示を出した。

 レンが頷き、少し動きを変える。

 だが、監督は首を傾げ、何度も「違う」というジェスチャーをする。

 レンの表情が、微かに曇った。

 遠目にもわかる。彼の中で「迷い」が生じている。

 先日、彼が言っていた言葉が蘇る。

 『俺の演技には、中身がないんじゃないか』

(違う……! 違うのよレン様!)

 私は岩陰で歯噛みした。

 あなたのその「空虚さ」こそが、この殺し屋の魅力なのよ。

 何も持っていない、何も感じない、だからこそ美しい「人型のブラックホール」。

 それを誰か、言語化して彼に伝えてあげて!

 だが、現場の空気は重く沈んでいく。

 レンが、ふと顔を上げ、周囲を見渡した。

 何かを探すように。

 誰かの視線を求めるように。

 ――バチッ。

 視線が、合った。

 五十メートル離れた岩陰。保護色で擬態していた私を、彼のレーダーは正確に捕捉した。

 サングラス越しの瞳が、私を射抜く。

 『見てるか?』

 そう問われている気がした。

 心臓が破裂しそうだ。

 逃げたい。目を逸らしたい。

 だが、私は契約したのだ。「観測者」になると。

 量子力学において、観測者が観測することで、波動関数は収束し、現実は確定する。

 私が彼を「最強の殺し屋」だと信じて観測し続けなければ、彼は迷いの中に消えてしまうかもしれない。

(……見ます。ガン見します。眼球が乾燥して干しブドウになろうとも!)

 私は双眼鏡を下ろし、裸眼で彼を見つめ返した。

 そして、胸の前で小さく、しかし力強く、親指を立てた(サムズアップ)。

 ゴンザレスが、私の配信にしてくれたように。

 『あなたは完璧だ』という信号を送る。

 レンの口元が、数ミリだけ動いた。

 笑ったのではない。

 「スイッチ」が入ったのだ。

 次の瞬間、彼が振り向いた動作に、現場の空気が凍りついた。

 凄まじい殺気。

 監督が思わず後ずさりするほどの、圧倒的な「死」の具現化。

 

「……OK! 今のすごいぞ、レン!」

 監督の興奮した声が、風に乗って聞こえてきた。

 レンはふっと力を抜き、いつもの好青年の顔に戻る。

 そして、私の方へ向かって、見えない角度で小さくウインクを飛ばした。

「……はぁ、はぁ、はぁ」

 私はその場にへたり込んだ。

 寿命が十年縮んだ。いや、今ので輪廻転生を一回分使い果たした。

 推しと私の間に流れる「量子もつれ」が、物理的な距離を超えて作用した瞬間。

 私は確かに、彼の一部になったのだ。

 ***

 ロケハンが終わり、撤収作業が始まった頃。

 レンがスタッフと談笑しながら、こちらへ歩いてきた。

 私は慌てて岩陰から這い出し、直立不動の姿勢をとる。

「お疲れ様。……今の、見ててくれた?」

「は、はい! 網膜に焼き付けました。DVDが出たら保存用と観賞用と布教用で三枚買います」

「あはは。君のサムズアップ、効いたよ。あれで迷いが吹っ切れた」

 彼は自然な動作で、私の頭にポンと手を置いた。

 

「ひえっ……!」

「よく頑張りました。ご褒美に、帰りに美味しい餃子でも食べて帰ろうか」

 頭頂部に感じる重みと熱。

 これは「頭ポンポン」ではない。神による洗礼バプテスマだ。

 私が泡を吹いて倒れそうになった、その時だった。

 一台の真っ赤なスポーツカーが、砂煙を上げて現場に滑り込んできた。

 派手なエンジン音。

 ガルウィングのドアが開き、降りてきたのは、この荒野にはあまりにも不釣り合いな「美の暴力」だった。

 プラチナブロンドのロングヘア。

 サングラスを外したその瞳は、宝石のようなエメラルドグリーン。

 そして、重力を無視したプロポーション。

 日本で知らない人はいない。

 ハリウッド進出も果たした、国民的大女優・西園寺さいおんじエリカ。

「――あら、レンじゃない。こんなところで奇遇ね」

 鈴を転がすような、しかし絶対的な女王の声。

 彼女はレンに向かって優雅に歩み寄ると、当然のように彼の腕に手を回した。

「次の映画、ここなんでしょう? 私もなの。運命かしら?」

「……エリカさん。お疲れ様です」

 レンが少し困ったように、しかし慣れた様子で対応する。

 絵になる。

 悔しいけれど、一枚の絵画のように美しいツーショットだ。

 

 これが「王」と「女王」。

 選ばれし者たちの世界。

 「石ころ」である私とは、住む次元が違う。

 私は無意識に、一歩後ろへ下がった。

 視界からフェードアウトしようとしたのだ。

 しかし。

「……あら?」

 エリカの鋭い視線が、私を捉えた。

 彼女はレンの腕を離さないまま、値踏みするように私を上から下まで見下ろした。

「その地味な子、だぁれ? 新しいマネージャー? ……にしては、随分と野暮ったいけれど」

 地味。野暮ったい。

 事実だ。反論の余地もない。

 私はただの背景Aです、と頭を下げようとした。

 だが、レンが動いた。

 彼はエリカの手をそっと外し、私の方へ一歩踏み出したのだ。

 そして、私の肩を抱き寄せた。

「――――!」

 え?

 時が止まる。

 エリカが目を丸くする。

「彼女は、俺の大切な……」

 言うな。

 言ってはいけない。

 「観測者」なんて言っても変人扱いされるし、「友達」と言えばスキャンダルだ。

 レン様、何を言う気なの!?

 レンは、エリカの瞳を真っ直ぐに見据えて、涼しい顔で言い放った。

「俺の、専属メンタルトレーナーです」

「……は?」

「……は?」

 私とエリカの声が重なった。

 メンタルトレーナー。

 嘘ではない。ある意味、真実だ。魚の目を「大地の苦悩」と言いくるめるトレーナーなど、世界に私しかいないだろう。

「彼女の指導がないと、俺、最高のパフォーマンスが出せないんですよ。ね、先生?」

 レンが私を見下ろし、悪戯っぽく微笑む。

 先生。

 私が、先生。

 エリカは狐につままれたような顔で私を見た後、ふふん、と鼻で笑った。

「へぇ……。レンがそこまで言うなんて、よほどの腕前なんでしょうね。その、冴えないネズミみたいな先生は」

 彼女は私の目の前まで来ると、香水のきつい香りを漂わせながら、耳元で囁いた。

「でも、気をつけて。レンはみんなの『王子様』よ。独り占めしようとすると……火傷じゃ済まないわよ?」

 宣戦布告。

 いや、これは警告射撃だ。

 彼女は知っている。レンと私の間に流れる、ただならぬ空気を。

 そして、それを許さないという「芸能界の掟」を突きつけてきたのだ。

 エリカは華やかに手を振って去っていった。

 残されたのは、肩を抱かれたまま硬直する私と、苦笑するレン。

「……ごめんね、巻き込んで」

「……い、いえ。あの、寿命が……あと三秒で尽きます」

 私は白目を剥きかけた。

 ライバルの登場。しかもラスボス級。

 SF的メタファーで言うなら、未知の巨大戦艦がワープアウトしてきて、いきなり主砲の照準を合わせられた状態だ。

 だが、レンは私の肩を抱く手に、ぎゅっと力を込めた。

「大丈夫。どんな重力がかかっても、俺が君を繋ぎ止めるから」

 その言葉は、甘い愛の囁きというよりは、逃がさないという「重力の鎖」の宣言に聞こえた。

 餃子を食べて帰る車中。

 私はまだ知らなかった。

 西園寺エリカという特異点が、この後、私の配信活動プリティ・レイにまで干渉し、とんでもないコラボレーションを引き起こすことになるなんて。


(つづく)

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