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特別編:男と女の乙女ゲーム 〜選択肢はすべて「尊死」に通ず〜

 人生は、選択の連続である。

 右に行くか、左に行くか。

 今日の夕飯をカレーにするか、焼きそばにするか。

 だが、今の私が直面している選択肢は、そんな生易しいものではない。

 【選択肢A】彼を受け入れ、その腕の中で溺れる(Happy End)

 【選択肢B】彼を拒絶し、強引に唇を奪われる(Happy End)

 【選択肢C】その場から逃げ出し、追いかけられて捕まる(Happy End)

「……詰んでいる。どうあがいても逃げ道がない」

 2月某日。都内撮影スタジオ。

 私はモニターの裏で、台本を握りしめながら頭を抱えていた。

 本日の案件。

 『神宮寺レン監修・没入型恋愛シミュレーションアプリ「恋するサプリメント」』のPV撮影。

 要するに、カメラのレンズを「恋人プレイヤー」に見立てて、レン様が甘い言葉を囁きまくるという、全人類の女性ホルモンを活性化させるための核兵器開発プロジェクトだ。

 そして、あろうことか。

 この地獄のような台本の「シナリオ構成」を担当しているのは、私、姫島麗華である。

「レイカちゃん。……これ、本当に俺が言うの?」

 スタジオの中央。

 完璧なスーツ姿(役柄:ドSな若手IT社長)に身を包んだ神宮寺レン様が、困ったような、それでいて楽しげな顔で私を見ている。

「は、はい! マーケティング部のデータに基づき、最も課金率の高いセリフを抽出しました!」

「へえ。『お前は俺の稟議書だ。俺が承認しない限り、どこにも行かせない』……か」

 彼は台本を読み上げ、プッと吹き出した。

「すごいね。レイカちゃんの脳内って、いつもこんなこと考えてるの?」

「ち、違います! これは仕事です! 商業的な要請に基づくフィクションです!」

 嘘だ。

 半分は私の深夜の妄想ノート(黒歴史)からの引用だ。

 自分の妄想を推しに言わせるという、究極の自給自足(永久機関)。

 だが、実際に本人の口から発せられると、羞恥心で身体が発火しそうだ。

 その時。

 スタジオの扉が開き、この場のカオスを加速させる「魔王」が降臨した。

「あら、楽しそうじゃない。混ぜなさいよ」

 西園寺エリカ様である。

 彼女は今回のCMに「ライバルの悪役令嬢」役としてゲスト出演することになっていた。

「レイカ。貴女の脚本、読ませてもらったわ。……ぬるいわね」

「ぬ、ぬるいですか!?」

「ええ。レンのポテンシャルを活かしきれてないわ。もっとこう……『視聴者の理性を物理的に破壊する』くらいのインパクトがないと」

 彼女は私の手から台本をひったくり、赤いペンで修正を加え始めた。

「ここ、変更よ。カメラに向かって喋るんじゃなくて、実際に『相手役』を立てて、リアクションを引き出しなさい」

「相手役……? エキストラの方ですか?」

「いいえ」

 エリカ様は、獲物を狙う肉食獣の目で私を指差した。

「貴女がやりなさい、原作者ネズミさん」

「……はい?」

 こうして。

 私は「スタッフ」という安全圏から引きずり出され、「仮のヒロイン役」として、推しの目の前に立たされることになったのである。

 ***

 セットは「社長室」。

 重厚なデスクと、夜景の見える窓(合成用グリーンバック)。

 

 私はカメラの横に立ち、レン様の視線を受け止める「的」になっていた。

 距離、1メートル。

 パーソナルスペース崩壊警報が鳴り響く。

「よーい、スタート!」

 カチンコが鳴る。

 瞬間、レン様の空気が変わった。

 優しい「蓮さん」ではない。冷徹で、傲慢で、しかし底知れぬ色気を纏った「神宮寺社長」がそこにいた。

 彼はデスクから立ち上がり、ゆっくりとカメラに近づいてくる。

 一歩、また一歩。

 革靴の音が、私の心臓の鼓動とシンクロする。

「……逃げるのか?」

 低音ボイス。

 鼓膜ではなく、骨を震わせる周波数。

 彼は私の目の前で立ち止まり、長い指を伸ばして、私の横の壁に手をついた。

 壁ドン。

 それも、逃げ場を完全に塞ぐ「両手ドン」だ。

「……っ!」

 私は息を呑んだ。

 近い。近すぎる。

 毛穴ゼロの陶器肌。長い睫毛。そして、獲物を狩るような鋭い瞳。

 これは演技だ。わかっている。

 だが、私の脳内では緊急アラートと共に選択肢が表示されていた。

 【選択肢】

 1.謝る

 2.睨み返す

 3.気絶する

 3を選びたい。今すぐ意識を手放して楽になりたい。

 だが、仕事だ。私はスタッフだ。

 私は必死に声を絞り出した(これは台本にはない、私のリアクションだ)。

「……しゃ、社長。近いです」

「近い? ……俺とあいつの距離よりは、遠いと思うが」

 アドリブだ!

 台本にはないセリフをぶっ込んできた!

 「あいつ」って誰だ。ライバル企業の御曹司か? 設定の作り込みが深すぎる!

 レン様は、私の顎をすくい上げ、強制的に視線を合わせた。

「目を見ろ。……俺以外の男を見るな」

 ズキュン。

 私の胸の中心を、50口径のライフル弾が貫通した。

 「好感度メーター」とかいうチャチなものではない。ゲージが破壊され、測定不能エラーを起こしている。

「……カット! OK!」

 監督の声が響く。

 レン様はパッと手を離し、いつもの笑顔に戻った。

「どう? レイカちゃん。今の良かった?」

「……は、はい。心臓が三回止まりかけましたが、奇跡的に蘇生しました」

「あはは。レイカちゃんが目の前にいると、調子出るなぁ」

 彼は無邪気に笑う。

 恐ろしい男だ。この「オン」と「オフ」のギャップで、何人の女性を沼に沈めてきたのだろう。

 だが、試練はこれで終わりではなかった。

 エリカ様が、不満げに腕を組んで近づいてきた。

「悪くないけど……物足りないわね」

「エリカさん? 十分刺激的でしたよ?」

「いいえ。もっと『泥沼』が必要よ。……私も入るわ」

 彼女はスタッフに合図し、セットの中に乱入してきた。

 役柄は「主人公の元カノであり、レン様の会社の筆頭株主」という、ラスボス設定。

「再開するわよ。……アクション!」

 エリカ様が、レン様の腕に絡みつく。

「ねえ、レン。こんな地味な女のどこがいいの? 私のところに戻ってらっしゃいよ」

 圧倒的な美の暴力。

 私が「地味な女」役としてこれほど適任な人材はいないだろう。リアルすぎて涙が出る。

 レン様は、エリカ様の手を冷ややかに振りほどいた。

「……断る。俺が選ぶのは、彼女だけだ」

「あら、強情ね。でも、彼女にその価値があるのかしら?」

 エリカ様が私に向かって歩いてくる。

 彼女は私の首元ネックレスに指をかけ、妖艶に囁いた。

「ねえ、貴女。彼を愛してるなら、証明してごらんなさいよ」

 え?

 証明? 台本にないですよ?

 エリカ様の目が「やりなさい」と笑っている。

 これは、私への無茶振り(インプロビゼーション・テスト)だ。

 【選択肢】

 1.エリカ様にひれ伏す

 2.泣いて逃げる

 3.推しへの愛を叫ぶ

 私は震える拳を握りしめた。

 ここで逃げたら、プリティ・レイの名折れだ。

 私は、震える声で叫んだ。

「あ、愛しています! 彼のDNA配列から、足の小指の魚の目まで、全てを愛しています!!」

 シーン。

 スタジオが静まり返った。

 魚の目。

 言ってしまった。国民的スターの秘密を、乙女ゲームの収録で。

 エリカ様がプルプルと震え出し、そして爆笑した。

「あっははは! 魚の目! 最高! 採用よ!」

「……レイカちゃん、そこは隠してほしかったな……」

 レン様が顔を赤くして項垂れる。

 しかし、監督は「今のリアリティ、素晴らしい! 使おう!」と親指を立てた。

 

 こうして、伝説のPV撮影は終了した。

 私のHPはゼロになったが、作品としては神懸かったものが撮れた(はずだ)。

 ***

 その日の夜。

 私たちは「エデン(アパート)」のコタツで、完成したPVのラフ映像をチェックしていた。

 画面の中のレン様は、やはり完璧だった。

 「俺以外の男を見るな」というセリフ。

 画面越しに見ても、破壊力が凄まじい。

「……かっこいい。やはり貴方は二次元と三次元の境界を破壊する特異点です」

「そうかな? 俺はレイカちゃんの『魚の目発言』のほうがインパクトあると思うけど」

「うっ、それは……不可抗力です」

 私が縮こまっていると、レン様がコタツの中で私の足に触れてきた。

 足の指で、つんつんと突いてくる。

「ねえ、レイカ」

「はい」

「今日の撮影、楽しかったね」

 彼はリモコンを操作し、テレビを消した。

 部屋が静寂に包まれる。

「でもさ。……なんか、ムラムラした」

「……はい?」

「だって、レイカがあんなに近くにいて、俺を見上げてて……なのに、仕事だから手を出せなくて」

 彼がにじり寄ってくる。

 コタツ布団の上から、私を押し倒す体勢。

 彼の瞳は、昼間の「演技」の時よりも、ずっと深く、濃い色をしていた。

「今はもう、仕事じゃないよね?」

「は、はい。オフです。プライベートです」

「じゃあ……続き、しようか」

 彼は私の耳元に顔を寄せ、撮影の時と同じセリフを、今度は本気の熱量で囁いた。

「『お前は俺の稟議書だ。俺が承認しない限り、どこにも行かせない』……だっけ?」

「っ……! そ、そのセリフは私の黒歴史ノートから……!」

「俺は好きだよ。レイカの独占欲を感じて」

 チュッ。

 首筋に口づけが落ちる。

 演技ではない、生々しい愛撫。

「……ねえ、選択肢あげるよ」

 彼が私の唇の直前で止まり、悪魔のように微笑んだ。

 【選択肢】

 1.自分からキスをする

 2.されるのを待つ

 3.朝まで寝かせないコース

「……さあ、どれにする? プレイヤーさん」

 詰んだ。

 どれを選んでも「尊死(陥落)」確定だ。

 私は観念して、目を閉じた。

「……全部、でお願いします」

「ふふ。欲張りだね、俺の彼女は」

 重なる唇。

 ゲームオーバーのファンファーレは聞こえない。

 代わりに聞こえるのは、二人の衣擦れの音と、甘い吐息だけ。

 乙女ゲームは、画面の中で楽しむものだ。

 けれど、現実リアルの推しとの恋愛は、どんな選択肢よりも予測不能で、どんなシナリオよりも心臓に悪い。

 バッドエンドなんて存在しない。

 ここにあるのは、終わりのないハッピーエンド(泥沼)だけなのだから。


(おしまい)

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