特別編:新春・推しの袴姿による視覚的暴力と、命がけのテーブルクロス引き
クリスマスという名の聖戦を生き延びた私に、息つく暇などない。
日本の暦は、コミケの撤収作業並みに迅速に切り替わる。
街のイルミネーションは一夜にして門松としめ縄に置換され、BGMはマライア・キャリーから「春の海(琴の音色)」へと強制アップデートされた。
そして1月3日。
私たちは、ジェネシス・エンターテインメント主催の「新春・大新年会」という名の、地獄の宴に参加していた。
これは、神宮寺レンという「神」が、私のために体を張って挑んだ、伝説の隠し芸大会の記録である。
都内某所、高級ホテルの大宴会場。
金屏風。赤絨毯。そして、着飾った業界関係者や所属タレントたち。
この煌びやかな空間の片隅で、私は黒のパンツスーツにインカムを装着し、壁と同化していた。
「……眩しい。光属性の攻撃力がカンストしている」
私はサングラス(度入り)の位置を直しながら、会場の中央を見つめた。
そこには、本日の主役である神宮寺レン様が立っていた。
黒紋付に、仙台平の袴。
純和風の正装だ。
黒髪を少し撫で付け、凛とした立ち姿は、まるで明治時代の若き文豪か、あるいは由緒正しき剣術道場の師範代。
タキシードも破壊力抜群だったが、和装の破壊力は「貫通属性」が付与されている。日本人のDNAに直接訴えかけてくる尊さだ。
(……あかん。あれは重要文化財に指定すべきだ。私が文化庁長官なら即座に保護指定する)
私が脳内で合掌していると、インカムから如月サエ・マネージャーの冷徹な声が響いた。
『レイカ、見惚れてる場合じゃないわよ。次は「隠し芸大会」のコーナーよ。レンの出番、準備できてる?』
「イエッサー。小道具のセッティング、完了しています。……ですが、本当にあれをやるんですか? リスクが高すぎませんか?」
『本人が「どうしてもレイカに見せたい」って聞かないのよ。……失敗したら、貴女がフォローしなさい』
無茶振りだ。
だが、推しの願いとあらば、火の中水の中、テーブルクロスの下へでも飛び込むのがファンの務め。
私は覚悟を決めて、舞台袖へと移動した。
***
「ジェネシス・エンターテインメント新春隠し芸大会」は、カオスの一言だった。
若手お笑い芸人による獅子舞(中の人が噛まれて流血)や、新人アイドルの羽根突き大会(羽根がシャンパンタワーに直撃)など、放送事故レベルの演し物が続く。
そして、真打ち登場。
司会者が高らかにコールする。
「続きまして! 昨年、映画界に旋風を巻き起こした最強のペア! 西園寺エリカ様による『女王の断罪』です!」
会場がどよめく。
ステージに現れたのは、艶やかな紫色の振袖を着崩したエリカ様。
手には、なぜか日本刀(模造刀)が握られている。
「……新年早々、景気づけに『悪』を斬るわ」
彼女が指差した先には、大根を持ったSPたちが震えながら立っていた。
目隠しをしたエリカ様が、気合一閃。
スパァァァン!!
SPたちの頭上の大根が、見事に両断された。
(……怖い! 隠し芸じゃなくて処刑ショーだ!)
会場中が戦慄と喝采に包まれる中、エリカ様は涼しい顔で刀を納め、マイクを取った。
「さあ、次はウチのエースの番よ。レン、準備はいい?」
彼女の視線が、舞台袖のレン様に向けられる。
レン様は深呼吸をし、私に小さく頷いてから、ステージへと歩み出た。
「神宮寺レンです。……今日は、僕の大切なパートナーのために練習した技を披露します」
会場の視線が集中する。
パートナー。その言葉だけで、関係者席がざわつく。
彼はステージ中央に設置された長テーブルの前に立った。
テーブルの上には、真っ赤なクロスが敷かれている。
そして、その上に並べられたのは――。
ワイングラスや皿ではない。
『神宮寺レン・アクリルスタンド(全20種)』
『初回限定版DVDボックス』
『直筆サイン入り色紙(額縁入り)』
『推しぬいるみ(特大)』
……私の秘蔵コレクション(私物)だ。
「ちょっ……!?」
私は袖で悲鳴を上げそうになった。
聞いてない。小道具は「プラスチックのコップ」のはずだった。
なぜ、私の命よりも重い「祭壇の御神体」たちが並んでいるのか。
レン様がマイクを通して宣言する。
「題して、『絶対に推しを傷つけないテーブルクロス引き』」
会場が「おおーっ」と湧く。
湧くな。止めろ。
あのアクスタは、今やメルカリで5万円で取引されている廃盤品だ。もし倒れて傷がついたら、私はショックで心肺停止する。
「レン様! やめてください! 難易度がルナティック(狂気)級です!」
私が袖からジェスチャーでXを送るが、彼はニカっと笑ってサムズアップを返してきた。
「大丈夫。レイカの大切なものは、俺が絶対に守るから」
無駄にいい声で死亡フラグを立てないでほしい。
彼は袴の袖を捲り上げ、クロスの端を握った。
会場が静まり返る。
ドラムロールが鳴り響く。
ダララララララ……。
(神様、仏様、運営様! もしアクスタが無事だったら、来月の給料全額課金します!)
ダン!
シンバルの音と共に、レン様が一気にクロスを引いた。
シュッ!
赤い布が宙を舞う。
私のコレクションたちは――。
微動だにしていなかった。
アクスタ一つ倒れず、DVDボックスも直立不動。
完璧な成功だ。
「……っ!!」
一瞬の静寂の後、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
レン様はドヤ顔で布を掲げ、そして私の方を見てウインクした。
「見た? レイカ」
「……寿命が、三年縮みました……」
私はへなへなと座り込んだ。
かっこいい。悔しいけど、最高にかっこいい。
でも、心臓に悪すぎる。これが「吊り橋効果」の最上級、「断崖絶壁効果」か。
***
大盛りあがりの隠し芸大会。
これで終わりかと思いきや、悪魔が微笑んだ。
「あら、レンだけかっこいいところ見せてズルいわね。……ねえ、レイカ?」
ステージ上のエリカ様が、マイクを持って私を手招きした。
「そこの地味なスタッフさん。貴女も何かやりなさいよ。レンの『メンタルケア』担当なんでしょ?」
スポットライトが、舞台袖の私を直撃する。
公開処刑だ。
会場中の視線が、黒スーツのモブである私に突き刺さる。
「え、あ、私は……無理です! 芸なんて何も……!」
「あるじゃない。貴女の得意技が」
エリカ様がニヤリと笑う。
得意技?
動画編集? 妄想トーク? ネット工作?
どれも宴会芸には向かない陰湿なスキルばかりだ。
すると、レン様が助け舟――ではなく、追撃砲を撃ってきた。
「そうだね。レイカちゃんのアレ、見たいな。……俺への『愛の舞』」
「……はい?」
愛の舞。
その単語で、私の脳内検索がヒットした。
まさか。
あれをやる気か。
会場のBGMが切り替わる。
流れてきたのは、映画『キリング・フィールド』の主題歌(アップテンポver)。
そして、スタッフが私の手元に「業務用サイリウム(高輝度オレンジ)」を二本、押し付けた。
「……やるしかないのか。この、煌びやかな芸能人たちの前で」
私は覚悟を決めた。
推しが「見たい」と言ったのだ。
ならば、応えるのがファンの矜持。
私はスーツのジャケットを脱ぎ捨て、ハチマキ(なぜか用意されていた)を締めた。
スイッチオン。
サイリウムが眩い光を放つ。
「行きますよ……! 親衛隊長、姫島レイカ、推して参る!!」
イントロの爆音と共に、私は踊り狂った。
そう、オタ芸(打て)だ。
「ロマンス! 捧げ! 推しへ! 届け!」
高速で回転するオレンジの光。
キレのある動き。
残像が見えるほどの速度で繰り出される「サンダースネーク」と「ムラマサ」。
私の動きは、もはや人間の関節可動域を無視していた。
なぜなら、目の前に「本尊(レン様)」がいるからだ。
「レン様尊い! 顔面国宝! 存在が福利厚生! 世界遺産!!」
叫びながら舞う。
会場の空気が「引き気味」から「圧倒」へ、そして「熱狂」へと変わっていく。
エリカ様が腹を抱えて笑っている。
そして、レン様は――。
ステージの上で、誰よりも嬉しそうに、手拍子をしてくれていた。
その瞳は、「俺のレイカ、最高」と語っている。
曲が終わる。
私は最後のポーズ(推しへの指差し確認)で静止した。
ゼェ、ゼェ。
息が切れる。汗が滴る。
一拍おいて、会場から爆発的な拍手が起きた。
「ブラボー!」「キレすぎだろ!」「愛を感じた!」
称賛の嵐。
私は燃え尽きた矢吹ジョーのように、その場で膝をついた。
これが、私の仕事始めだ。
今年も波乱万丈になりそうだという予感しかしなかった。
***
宴もたけなわ。
私たちは喧騒を抜け出し、ホテルのバルコニーへと避難していた。
1月の夜風が、汗ばんだ体に心地よい。
眼下には東京の夜景。
隣には、紋付袴姿の神宮寺レン。
「……すごかったね、レイカちゃん。今日のMVPだよ」
「……忘れてください。黒歴史です。デジタルタトゥーならぬアナログタトゥーとして脳に刻まれました」
私が手すりに突っ伏していると、彼は優しく背中を撫でてくれた。
「俺は嬉しかったよ。あんなに必死に、俺を応援してくれる姿が見れて」
「……それは、貴方がそこにいるからです。貴方が輝いている限り、私はいつでも発光します」
「ふふ。じゃあ、俺はずっと輝いてなきゃね」
彼は夜景を見つめ、静かに言った。
「今年は勝負の年だ。映画の公開、新しい仕事……。父さんの妨害も、まだあるかもしれない」
彼の横顔が引き締まる。
「戦う男」の顔だ。
「でも、俺はもう怖くない。……レイカがいるから」
彼は私の手を取り、自分の袴の袖の中に引き入れた。
着物越しではない、直接触れる指先の体温。
「ねえ、レイカ。今年の目標、決めた?」
「はい。貴方の主演映画の興行収入100億突破と、貴方の健康維持、そして……」
私は言葉を濁した。
もう一つの願い。それはあまりにも個人的で、贅沢な願いだったから。
「そして?」
「……貴方と、来年もこうして笑い合っていることです」
レン様は目を見開き、そしてとろけるように笑った。
「それ、俺の目標と被ってる」
彼は私の腰を引き寄せ、バルコニーの影に隠れるようにして、顔を近づけた。
「……あけまして、おめでとう。今年も、その先も、ずっと愛してる」
唇が重なる。
お正月の冷たい空気の中で、口づけだけが熱く、甘い。
遠くで誰かの笑い声が聞こえるけれど、今の私たちには届かない。
オタクと推し。
スタッフとタレント。
そして、恋人同士。
私たちの関係には名前がつかないけれど、この温もりだけは確かだ。
「……レン様。初詣、まだですよね」
「うん」
「明日、行きませんか? 芸能の神様のところへ」
「いいね。……あ、おみくじ引きたい。『大吉』が出るまで帰れまテンやろうよ」
「破産しますよ」
私たちは笑い合い、手を取り合って宴会場へと戻っていった。
新しい年が始まった。
どんな困難が待ち受けていようとも、私たちの「銀河帝国軍」なら乗り越えられる。
だって、私たちには「愛」と「オタ芸」と「テーブルクロス引き」という、最強の武器があるのだから。
今年も推しが尊い。
それだけで、世界は十分に平和だ。
(特別編・おわり)




