wikiまとめ風
お久しぶりです。
前々から言っていたまとめ回になります。
ダラダラ長いので前半は読み飛ばしてしまってかまいません。
ヴェンデッタ(競走馬)
『血統の復讐者』
ヒーロー列伝No.XXX
ヴェンデッタとは日本の元競走馬、種牡馬。
ブラッド・スポーツと呼ばれた競馬の常識を覆した競走馬である。
生誕:20XS年3月22日
死没日:20ZR年7月18日
父:クワイトファイン
母:スカイシャワー
母父:エイコーンゼイラー
生産者:及川牧場
馬主:水嶋 穂高
調教師:笠原 雅道(美浦)
主戦騎手:横川 崇
通算成績:20戦11勝[11-3-1-5]
主な勝ち鞍:20XV'菊花賞、20XX`天皇賞(春)・天皇賞(秋)・ジャパンカップ・有馬記念、20XY`天皇賞(春)20XZ'有馬記念
誕生
20XS年3月22日生まれの牡馬。
父クワイトファイン、母スカイシャワー、母父エイコーンゼイラーという血統である。
父は地方競馬で生涯戦績142戦6勝と本来なら種牡馬どころかそのまま処分されてもおかしくない成績の一競走馬だったが、父トウカイテイオー、父父シンボリルドルフ、母父ミスターシービー、母父父トウショウボーイ、母母父シンザンと三冠馬三頭、顕彰馬六頭がいる、昭和日本競馬の集大成と言える血統である。
加え、世界でも貴重となったヘロド直系種牡馬であり、そのクワイトファインの仔であるヴェンデッタはバイアリーターク27代子孫となる。
母スカイシャワーは中央でデビューしたものの骨折により引退。未勝利のまま繁殖入りした。繁殖後は様々な種牡馬を試す中、7番仔としてクワイトファインの間にとある牡馬を産むこととなる。
当歳から重賞出走まで
幼駒のうちから親離れへの順応の早さ、放牧地を一頭でひたすら駆け回るなどの行動を見せ、環境の変化への図太さ、類まれな心肺機能などはここで鍛えられたのだと思われる。
祖父と同じ鹿毛と顔立ちのいい流星から購入を検討する話は多かったが、父クワイトファインという血統から破談になり中々買い手が決まらなかった。
そこに現れたのが水嶋 穂高氏。及川牧場とは長年付き合いのある馬主であり、ヴェンデッタの半姉であるキャッチングハートの馬主でもあった。水嶋氏は一目でヴェンデッタを気に入り、父クワイトファインという血統を聞いても意に介さず購入を決めた。250万円で。
250万円。安い。安馬の代名詞といえるキタサンブラックが350万円と言われているが、それよりも更に100万円安い。
しかし無理もない。父クワイトファイン、母父エイコーンゼイラー。共に種牡馬として大した結果を残せていない上、パーソロン系とハイペリオン系。日本はおろか世界で見ても衰退の一途を辿る血統である。この安値も納得といったところか。
水島氏も250万円で買った馬がその1000倍を稼ぐことになるとは思ってもいなかっただろう。
1歳を迎え馴致が始まると持ち前の順応の早さを見せ、2歳時の6月に美浦トレーニングセンター所属の笠原 雅道厩舎に預けられた。
初戦は20XU年8月27日の新潟5レースの2歳新馬戦。横川 崇を鞍上にデビュー。2歳馬、それもデビュー戦ながら大逃げを敢行し見事5馬身差の圧勝。見事初勝利を上げた。クワイトファイン産駒、中央初勝利である。
なお、この新馬戦では後にヴェンデッタと長きにわたり対戦することとなるダンシングウィナーも出走していたが、8着と破れている。
その後芙蓉ステークスも快勝し2戦2勝。その勢いのままGⅢ京都2歳ステークスに出走するが、出遅れにより3着となり初めて敗北。しかしながら元々後ろからの競馬を試したかった陣営としては期せずして望みが叶った形となり、収穫のある敗北であった。
終生のライバルとの邂逅
陣営はオーナーサイドの希望によりホープフルステークスへの出走を決定。レースには新馬戦で対戦したダンシングウィナー、芙蓉ステークスで対戦し東京2歳ステークスを勝ったゲイリーホーン、2戦2勝のロードケラウノスといった注目株がいる中ヴェンデッタは再び大逃げを敢行。1000m58秒7というハイペースで逃げ、残り200m時点で後続と5馬身差。逃げ切りは濃厚に思えた。しかし、
「さぁ、②番ロードケラウノスが来た!!」
レジェンド谷 新を背に乗せたある一頭の馬が大外一気の追い込みを見せ先頭を走るヴェンデッタを猛追し、並ぶ間もなく抜き去る。
桁違いの末脚を見せ、2馬身差をつけてゴールイン。
ホープフルステークスを勝ったのはロードケラウノス。父コントレイル、母クールフレイア、母父ロードカナロア、母母父ネオユニヴァース。
21世紀の日本近代競馬、その結晶が繰り出す神の雷が如し豪脚。
あまりにも圧倒的、異次元とも言えるその末脚にファンは驚愕し、実況アナもゴール後のコメントで「親子三代無敗三冠制覇が現実味を帯びてきました」と発言するほど。
ヴェンデッタは最後ロードケラウノスに抜かされたものの、同じく追い込んできたゲイリーホーンの猛追をクビ差凌ぎ2着。フロック視されていた評価を払拭するには十分な成績だったが、勝ち馬との差が浮き彫りになるレースであった。
春のクラシック
ホープフルステークス後は休養に入り弥生賞から始動。放牧中の大幅な馬体重増加により前走から+16kgでの出走となった。
馬体重増加の影響か大逃げとはいかず、道中は他馬を引きつけたまま進んだ。3,4コーナー中間で他馬に噛みつかれるアクシデントも重なり、ダンシングウィナーの4着に敗れた。優先出走権こそ逃したが、獲得賞金順で無事出走に漕ぎ着け、皐月賞へと駒を進めることとなる。
皐月賞は枠順に恵まれレースではスタート直後に先頭に立つが同じく先頭に立とうとするドトウノアラシとのハナ争いにより、1000m57秒8という超ハイペースでレースが進んでいく。
4コーナーでドトウノアラシが沈む。それはそうだ。それに続きヴェンデッタも後続勢に捕ま・・・らない。沈むことなく驚異の粘りを見せるヴェンデッタだが、ゴール寸前で上がり3ハロン33秒1という豪脚を見せ迫ってきた1番人気ロードケラウノスに差し切られ1/2馬身差の2着に敗れた。ちなみにこのレースは1分57秒5のコースレコード。レコードメイカーと呼ばれたヴェンデッタ最初の仕事であった。
次走は競馬の祭典、クラシック二冠目、日本ダービー。
一番人気は無敗の皐月賞馬ロードケラウノス。ヴェンデッタはロードケラウノスに次ぐ二番人気に推された。
レースはヴェンデッタが大外枠ながら好スタートを決め、内に鋭く切り込みながら先頭に立った。サーブドラケンにマークされる形で最初の1000m58秒5でレースは進み、4コーナーで力尽きたサーブドラケンを突き放し粘り込みに入るが、三度大外一気の追い込みを仕掛けてきたロードケラウノスの強襲に遭い、ハナ差でダービーの栄光を逃してしまう。なお、このレースでも2分21秒1のダービーレコードを更新している。
淀にて燃ゆる復讐の焔
ダービー後、秋は菊花賞直行が発表された。だいぶ異例のローテーションだが、戦法から来るヴェンデッタへの負担が考慮されステップレースを回避する形となった。
菊花賞当日。
ヴェンデッタはダービーからのぶっつけ本番ながらまたしても二番人気。一番人気は勿論ロードケラウノスで、皆が世界初となるロードケラウノスの親子三代無敗の三冠馬誕生に期待を寄せていた。
二番人気とはいえ単勝3.0倍と、単勝1.5倍のロードケラウノスとヴェンデッタ、この2頭が人気を分け合い、三番人気以降は10倍以上という正に一騎打ち状態であった。
レースが始まるとヴェンデッタはいつも通り先頭に立つと単騎の逃げに入った。一周目のホームスタンド前の段階でリードは7馬身ほど。今回もハイペースでの逃げと思われたが、
「⑥番ヴェンデッタの1000m通過は1分3秒1。1分3秒1!?」
鞍上横川 崇は1000mを63秒というスローペースに落とし、脚をしっかり溜めていた。皐月賞のドトウノアラシ、ダービーのサーブドラケンの例から「ヴェンデッタについて行って潰されたら元も子もない」と思っていた他の騎手や競走馬達の裏をかいたのである。
しかし1000m通過の際のどよめきとターフビジョンに表示されているタイムで各騎手は状況を把握。ヴェンデッタの好きにはさせぬと1コーナーから2コーナー付近から早くもレースが動く。一時は3馬身差まで詰められるも坂の下りで突き放しにかかる。
実はヴェンデッタは中盤はペースを上げ、1000m58秒でラップを刻んでいた。そのため、早めに動いた先行勢は最後の直線の段階で脚はもう残っておらず、次々沈んでいった。
ロードケラウノスも怒涛の末脚を見せるが時既に遅く、クラシック最後の一冠はヴェンデッタが手にした。4度目の対決で遂にライバルの打倒を果たしたのである。
笠原調教師及びオーナーの水島氏はこれがGⅠ初制覇。水島氏に至っては重賞初制覇であった。
現役最強ステイヤー
3歳最後のレースは有馬記念を予定していたが、菊花賞後球節炎を発症。その為有馬記念を回避し春まで休養にあてる。
年が明けて4歳の春。春の大目標を天皇賞(春)に狙いを定め、阪神大賞典から始動。主戦の横川 崇が騎乗停止処分中の為、代打として横川 光典が騎乗することとなった。
レースは大雨の降る不良馬場の中、逃げ馬3頭に先頭を譲る形で好位追走。最後の直線では荒れた馬場をものともせず抜け出すと2着に5馬身差の圧勝。重賞2勝目を飾った。
次走は当初の予定通り天皇賞(春)。横川 崇のブッキングにより新たな鞍上として横川 忠生に据えての出走となった。前半掛かりながらも前走同様好位を追走。
直線先に抜け出すものの後方から追い込んできたフトウフクツと熾烈な叩き合いを演じる。一時は交わされるもド根性で差し返し、2頭もつれてのゴールイン。写真判定の結果、ハナ差でヴェンデッタが勝利。春の盾を掴み取り現役最強ステイヤーの座を掴み取った。
そこから2ヶ月空けての宝塚記念。
出走15頭中GⅠ馬かも7頭という豪華メンバーが揃う中、ヴェンデッタは手綱が横川 崇に戻り中距離への不安視もあったが重馬場に強い印象から3番人気での出走となった。
しかしレースは前半またしても掛かり、折り合いを欠きながらオットリガタナとの先頭争いをした為か最後の直線はまったく伸びず12着大敗。自身初の掲示板外、二桁着順となってしまう。
この大敗により検討されていた凱旋門賞への出走も断念され、年内は国内に専念することが決まった。
覚醒・血統の復讐者
宝塚記念後は故郷の及川牧場にて休養に入る。陣営はオーナーサイドから秋は天皇賞(秋)を提案された。実はこの時既にヴェンデッタの種牡馬入りが内定しており、その種牡馬価値を高めるため中距離の実績を作りたかったと思われる。
その為中距離挑戦への試金石として札幌記念へ向けて調整が進められていくこととなった。そして迎えた本番札幌記念。前走の敗戦で少し人気を落とし5番人気。レースでは好スタートで先頭に立つと大逃げから得意の粘り込みにかかる。最後の直線後方から伸びてくる後続に詰められるも2着のウソダドンドコドンに1馬身差をつけ優勝。
陣営は当初の予定通り、天皇賞(秋)の出走を決定した。
そして迎えた本番。1番人気は昨年の二冠牝馬ラヴズフォーチュン。2番人気に東京優駿をクビ差で敗れた今年の皐月賞カノンディバティ。ヴェンデッタは3番人気8枠16番大外枠での出走。レースはオットリガタナとヴェンデッタがハナを争う展開となり、後続も前2頭を追走した為全体的にハイペースでレースが進む。そして最後の直線。残り400m時点で道中息を入れられなかったオットリガタナは後退。変わってヴェンデッタが先頭に立ちそのまま押し切り態勢に入ったが、内側からラヴズフォーチュン、ヴェンデッタの外からカノンディバティが追いすがる。そして更に外からゲイリーホーンが3頭を交わしにかかり残り300m付近で先頭に立つ。ヴェンデッタは一旦後退しかけたがド根性で盛り返し、そして大外から最速の上がりで飛んできたユメウタが2頭と並んだところでゴール。
続いてラヴズフォーチュンとカノンディバティがほぼ同時に入線し、上位入線馬のうち、1着と2着と3着および4着と5着が写真判定となった。長い写真判定の結果、軍配はヴェンデッタに上がり、史上7頭目の天皇賞春秋連覇を達成。同年の天皇賞連覇は史上6頭目である。
天皇賞(秋)後は有馬記念が有力視されていたが、陣営は秋古馬3冠への挑戦を表明。次走をジャパンカップとし、調整が進められた。
近年外国馬がジャパンカップを敬遠する傾向にあり、欧州の一流馬の参戦はほぼ無かった。しかしこの年、ロードケラウノスの日本馬の凱旋門賞制覇という偉業により凱旋門賞でロードケラウノスに惜敗した欧州最強馬シャルルマーニュ等4頭もの海外馬がジャパンカップに参戦した。当初はロードケラウノスも出走予定であったが、体調面の不安もあり出走は見送られた。
この年はレース直前に台風21号が接近。レース中止すら危ぶまれる可能性もあったが、幸いにして開催は叶ったものの当日は案の定グチャグチャの不良馬場。
欧州馬有利と判断されオッズは外国馬の人気が高い中、ヴェンデッタは2番人気に推されての出走となった。
ゲートが開くとヴェンデッタはいつも通りハナを切って大逃げを敢行する。各馬シャルルマーニュをマークする中リードを10馬身差まで拡げ、そのまま直線コースへと入っていく。直線に入り後続も追い出すが、荒れ果てた不良馬場も影響し中々伸びてこない。その中で一番人気シャルルマーニュが1頭抜け出しヴェンデッタを追撃するが逃げるヴェンデッタを捉えることができず2分23秒7という不良馬場とは思えないタイムで優勝した。
ヴェンデッタはこれでGⅠ4勝目、1984年カツラギエース、2003年タップダンスシチーに続くレース史上3例目となる逃げ切り勝利であった。
年内最後のレースとなった有馬記念。
ファン投票ではラストランとなる凱旋門賞馬ロードケラウノスに2万票近く差をつけられての2位に選出された。グランプリ三連覇のかかるロードケラウノス、秋古馬三冠を狙うヴェンデッタ。6度目にして最後の対決が幕を開けた。観客は逃げるヴェンデッタと追うロードケラウノスの鍔迫り合いに心を踊らせていたが、ヴェンデッタはあらゆる意味で観客を含めた全ての人を驚かせることとなる。
スタートでゲートに突進し、まさかの出遅れ。道中は最後方から進めることになってしまう。スタンドから悲鳴が上がりレース開始1秒で馬券は紙屑に・・・と思いきや、向こう正面に入ったところでヴェンデッタが外から進出を開始。それを追うようにロードケラウノスもヴェンデッタを追走。実はこの時ヴェンデッタを見たロードケラウノスが掛かってしまい、以降この年の有馬記念は地獄の消耗戦へ突入していく。
人気馬2頭が超ロングスパートの大まくりを見せることによって各馬も動き出し、馬群が団子状態のまま4コーナーを回り最後の直線に入る。この時点で先頭はロードケラウノス。そのすぐ後ろをヴェンデッタが続き、2頭が並んだところがゴールだった。決着は写真判定となったが、僅かの差でヴェンデッタが勝利。天皇賞春秋連覇に続き史上3頭目となる秋古馬三冠を達成した。
余談だが有馬記念後引退式を迎えるロードケラウノスの特別ゲストとしてヴェンデッタが登場するのではないかと噂が出た。しかしそんな事実は微塵もなくレース後ゲートに顔をぶつけた影響による内出血により左目が腫れ上がり、ヴェンデッタは引退式前には既に美浦に帰ってしまっていた。
なお、年度代表馬はロードケラウノスが選出された。ロードケラウノス139票、ヴェンデッタ130票と9票差の激戦だった。国内GⅠ4勝、天皇賞春秋連覇、秋古馬三冠と実績は十分だったが、やはり凱旋門賞制覇のインパクトは大きかったか。
連覇と狂い出す歯車
年が明けて5歳。春はドバイシーマクラシックへの挑戦が発表されたが、放牧中重度の疝痛により死にかける事態が起こる。関係者一同この時のことを振り返ると、皆口を揃えて「生きた心地がしなかった」と話す。事実、放牧先でヴェンデッタを担当していたスタッフはストレスのあまり拒食症になり、場長は円形脱毛症を発症した。その後無事快復したものの、ガレた馬体を戻すことができず陣営はドバイ遠征を回避する決定をした。
その後新たな目標として天皇賞(春)への出走を決定。有馬記念からのぶっつけ本番となったがレース当日、オッズは1.2倍の一番人気であった。レースはスタートこそやや出負けしたものの、強引にハナを奪い取った。後のインタビューで主戦の横川 崇は「(4歳の有馬記念以降)ゲートを怖がるようになったのか、スタートにそれまでのキレが無くなった」と話している。
それでも先頭に立ったヴェンデッタは大逃げこそしないものの、最初の1000m先を60秒1,2000mを2分0秒7と一切緩むことのないラップを刻んでいった。そして最後の直線では後続を突き放し、最後は流してゴール。タイムは驚異の3分12秒9。史上6頭目の天皇賞(春)連覇を果たした。
しかしレース後、右前肢第1指骨の剥離骨折が発覚。予定していた宝塚記念を回避し休養に入る。
秋は天皇賞(秋)からの始動を予定していたが、体調が整わず天皇賞(秋)を回避。陣営が次に選択したのは年末の有馬記念だった。昨年勝利したレースに勝って現役最強を証明したいところだったが、レースでは先頭に立つものの後続にピッタリマークされ最後の直線ではいつもの粘りを見せることなく9着に敗れる。レース後鞍上の横川 崇は「返し馬の後も集中していないようで全く競馬にならなかった」と話している。
明けて6歳。ピークが過ぎたように言われるもヴェンデッタは今年も現役を続行。6歳初戦は日経賞から始動。しかしここでアクシデントが起こる。スタート直後躓き鞍上の横川 崇が落馬。競走中止となった。アクシデントはまだ続く。レース後左前肢がむくんでいたため、エコー検査にかけた所、繋靭帯に若干の炎症が確認された。引退も検討されたが症状は軽症であった為、三連覇のかかった天皇賞(春)は回避し春は全休となった。また、秋はジャパンカップと有馬記念をもって引退が発表された。
ラストラン・乾坤一擲
怪我から復帰した初戦は当初の予定通りジャパンカップ。しかし昨年の天皇賞(春)以降勝ち星のないヴェンデッタは8番人気で、人気は今年のダービー馬クリムゾンブラストと昨年のダービー馬エンドスマッシャーの2強ムードであった。レースは先頭に立ち主導権を握るとハイペースよりのミドルでレースを進める。最後の直線で突き放しにかかるも、2頭のダービー馬の追撃にあい結果5着に敗れた。
しかし陣営は手応えを感じており、ラストランとなる有馬記念に向かうのであった。
そしてラストラン、3度目の出走となった有馬記念。前走5着と復調の兆しを見せたヴェンデッタは単勝6番人気。ラストランを見ようと多くの観客が中山競馬場に詰めかけた。
ゲートが開くと全盛期のようなスタートからの大逃げを敢行。道中10馬身差以上リードを拡げ最後の直線に入る。4年の競走馬生活、その全てを出すかのように先頭を死守するが
、ゴール手前で遂に追い込んできたベルシアドーム、トワイライトメッツらに並ばれたところが決勝点だった。写真判定の結果ヴェンデッタがハナ差逃げ切り勝ちを果たした。
ラストランで奇跡の逃げ切り勝ちを果たしたヴェンデッタに鞍上横川 崇騎手は勝利ジョッキーインタビューで男泣きし、苦楽を共にしてきた相棒に涙ながらに感謝の言葉を述べた。
種牡馬として
引退後、亜台スタリオンステーションにて種牡馬入り。GⅠ7勝、古い血統ながらサンデーフリーの配合自由度が買われ初年度の種付け料500万ながら178頭の繁殖牝馬に種付けを行うなど出だしは好調に見えた。しかし、初年度産駒の戦績が振るわず、種付け数は減少。種牡馬生活5年目には故郷である及川牧場に移動した。
その後は新冠周辺の牧場の繁殖牝馬に種付けを行っていたが、亜台時代4年目の産駒から唯一の代表産駒にして最大の問題児、コールレインを輩出し、再び亜台スタリオンステーションに移動し種牡馬生活を続けるが再び及川牧場へ出戻ることになる。それ以降は大した成績も残せず、20ZR年種牡馬を引退。
種牡馬引退後は及川牧場で功労馬として繋養される予定だったが、同年7月、事故により左前脚骨折。安楽死の処置が取られた。
産駒
コールレイン
ヴェンデッタ唯一の代表産駒にして最大の問題児。父ヴェンデッタ、母サイレントノーブル、母父コパノリッキーという血統。ヴェンデッタ産駒は総じて気性の荒さが目立っていたが、コールレインはその中でもとびきりのヤンチャ者だった。
その気性はレースで遺憾なく発揮され、全日本2歳優駿を勝つと3歳はサウジダービー、UAEダービーを連勝しケンタッキーダービーに駒を進めた。そこではフェイトウィナーの2着に敗れるものの、日本馬としてケンタッキーダービー最高着順を更新。世界にその実力を見せつけたのである。
その後秋まで休養をはさみ秋初戦はJBCに直行しこれを快勝。国内ダート路線のトップに経つが、この頃に気性が悪化。満足に調教が行えない程になり去勢も検討されたが、世界的にも貴重な血統であり、ヴェンデッタの後継種牡馬としての役目という面もあり現役引退、種牡馬入りした。
しかし、引退後も気性の荒さは収まらず他馬を威嚇する、牧柵を蹴り壊す等問題児っぷりをほしいままにした。そして最初の種付シーズン中、放牧中の事故により右後脚を骨折し安楽死の処置が取られた。
20ZS年現在、コールレインの早世もあり後継種牡馬は存在しない。ラストクロップも1頭のみとなっており、非常に厳しい状況となっている。
昨年の12月に完結させてからブックマークが100人以上増えて慄きました。
日間ヒューマンドラマ部門3位とか喜び通り越して恐怖ですよ。終わったら増えるとかそういう現象があるんです?
とりあえず、次回作も書けたら投稿していこうと思います。2周目じゃないよ。
といっても半年以上グータラしてこのまとめに取り掛かれなかった私なので書けるかわかりませんが。
とにかく、競走馬転生を読んでくれた皆様、誠にありがとうございました。




