フランスでの一幕
この話の後半はもっとさらっとやるつもりだったのにドンドン話が膨らんでしまいました。
こんな感じの話、要りますかねぇ?
「まずはフォワ賞お疲れさんだったな、新」
「いえ、ケラウノスの力を以ってすれば勝てるレースでした。順当勝ちですよ」
フランスシャンティイにあるアルチュール・シモン厩舎に滞在中の栗東所属調教師矢坂 義人と、ロードケラウノス主戦騎手である谷 新は間借りしているスペースで打ち合わせをしていた。
新は今日の夜、日本に一時帰国する為取り急ぎ情報共有をしておくことになった。
「本当なら飯でも食べながら話が聞きたかったが、この後帰国するお前さんも時間がない。手短に聞こう。勝ったのにこう聞くのはあれだが、ケラウノスにロンシャンの芝はどうだった?」
「日本の芝とは違いますからね。とは言え洋芝自体はメイクデビューの札幌で走ってますから。今回みたいな良馬場なら十分チャンスはあると思います」
「てことは重馬場じゃわからないってことか。まぁ、それはしょうがないか」
北海道2場以外で採用されている日本の芝は所謂野芝と呼ばれる種類で、地下茎が太くがっちりした網目を形成している。バレーボールやテニスで使用されるネット状を想像するとわかりやすい。
それに対しロンシャンの芝はペレニアルライグラスと呼ばれるタイプの洋芝で、糸くずのような地下茎が土が見えないほど密集して草を支えている。
前者である日本の芝は踏み込むと跳ね返すような性質があり日本に遠征してきた外国馬陣営が『日本の芝は硬すぎる』と言う要因となっている。
それに対してロンシャンの芝は馬の蹄が沈み込むように入り引き抜く際、地下茎が絡み付く。
実際にロンシャンの芝を視察したJRA職員もこの絡み付くような芝がロンシャンの特徴だと話している。
ただ、芝以上に違いが大きいのがその地盤だ。水捌けを重視して整地した日本の競馬場は余程の雨が長く降らない限り不良馬場にはならないし、馬場の回復も早い。
対して、欧州は元の土壌と土地の形状をそのまま活かしたコースがほとんどだ。整地していないため路盤の硬度が日本よりも柔らかく、保水性も高いため馬場の回復が日本の馬場に比べて極めて遅い。
加えて、フランスの10月は雨が多く、重馬場の場合が多い。絡み付くような芝、整地されていない路盤、雨が降りやすい気候。この日本とはあまりに違う環境が半世紀以上に渡って日本馬の挑戦が跳ね返されてきた要因と言っていいだろう。
「天気に関してはどうにも出来るものではないが、いい馬場でやらせてやりたいものだな」
「そうですね」
「さて、どうにも出来ない話をだらだら話していても仕方ない。凱旋門賞に出てくる有力馬についても少し話しておこうか。もっとも、お前も把握している馬も多いだろうがな」
そう言うと矢坂はタブレットを取り出した。
「地元紙でも特に最有力と呼ばれているのがこれまで無敗、今年のフランスダービー馬シャルルマーニュだな。7戦7勝。今年のフランスダービー、パリ大賞典を勝ち、つい先日イギリスセントレジャーをも勝った現状のフランス、ひいては欧州最強馬だ。
父フランケル。最初は10ハロン(2000m)が適正とか言われていたが、フランスダービーを6馬身差で圧勝した為、パリ大賞典に出走。そこも快勝し何故かイギリスセントレジャーに出走し、そこも勝ち欧州最強になった。
凱旋門賞では3歳馬による斤量有利もある。牝馬でないのがせめてもの救いだな」
「話には聞いていましたがとんでもない馬ですね。弱味とかなさそうですね」
「いや、そうでもない」
新の発言を待っていたかのように矢坂はタブレットを操作し、レース映像を流し始めた。
「これは?」
「シャルルマーニュのデビューからセントレジャーまでの全レース映像だ。方々駆け回って手に入れた」
その映像は全てのレースで中団に付け、最後の直線で一気に抜け出すレース展開、正に横綱相撲と言える競馬だった。
「どこに弱味が?」
「まぁ、カッコつけたが明確な弱味って訳じゃないんだが、シャルルマーニュはこれまで同じ勝ち方しかしていない。その圧倒的な地力の違いからか叩き合いも逃げ馬を最後まで追うことも、ましてや差されることもこれまでなかった。弱味があるとすればここよ」
ここまで説明されてようやく新にも矢坂の言いたいことが理解できた。
「自身の型から逸脱する事態が起きた場合、それに対応出来ない可能性があるってことですか?」
「まぁ、鞍上はフランスリーディングのダニエル・オベールだ。そう簡単にはいかないだろうが、向こうのホームでやろうってんだ。奇策だろうが搦め手だろうが使えるもん使わず勝てるほど楽な相手じゃねぇ。そもそも今年の凱旋門賞は近年稀に見る当たり年と言われてるからな。嬉しくないが。シャルルマーニュやケラウノス含め4頭のダービー馬が出るんだからそう言われてもしょうがないがな」
凱旋門賞はその年によってレベルが大きく変わる。今年は特にレベルが高いと言われていた。
「でもそれならシャルルマーニュ側ばかりが有利って訳でもないでしょう。先程言われた通り斤量の有利はありますが、これまでとは相手のレベルが違います。こちらも十分勝機はありますよ」
新の発言は楽観視にも見えたが、この男に限ってそれはないと矢坂は理解していた。これまで凱旋門に10回以上挑戦した男だ。その新が勝機があると言うのだ。何か根拠があるのだろう。
「鞍上がそんな風に言っているのに必要以上に不安要素を上げて怯える必要もないか。レースが始まれば全てお前に任せるんだ。俺はそれまでにケラウノスのを万全の体調に持っていくだけだ。
そろそろ時間か。じゃあ新。また来月よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
***
フランス、パリ市内にあるカフェに1人のパリ紳士がいた。その男ピエール・フォンティーヌはフランスひいては欧州最強馬シャルルマーニュのオーナーであった。
「フランス競馬こそが世界最強。それを今回証明しなければ」
タブレットを置き、雑誌を片手にカフェでお茶をする姿は絵になるが、その言葉は穏やかさとは無縁だった。
「今年の凱旋門賞はシャルを含めて4頭のダービー馬が出走か。今年のアイルランドダービー馬ヴァンデン。斤量はシャルと同じだがこの馬はロンシャンは初めて。一昨年のイギリスダービー馬ハンティンググローリーはロンシャンの経験はあるが今年に入ってからあまり振るわない。凱旋門賞がラストランとの噂もある」
1人で喋る様は異様に映りそうなものだが、周りの人はさほど気にしてはいなかった。
『あのぉ~?叔父さん?』
「昨年の凱旋門賞2着馬パコも気になるところだが、昨年の凱旋門賞後の骨折があり万全とは言えないだろう。しかし、前走のキングジョージ。骨折明けにもかかわらず、4着に食い込むあたり、注意するに越したことはない」
『ちょっとー?聞いてる~?』
「そして最大のライバルとなるのは恐らくこの馬だ。日本のロードケラウノス。シャルとは違い無敗でこそないが、今年のドバイシーマクラシックの覇者。ハンティンググローリーやドバイのオーヴァードラマティックをものともしないあの実力は本物だ。日本馬という事で一枚落ちるような評価を受けているが、あの国は変態の集まりだ。昔は我々欧州勢に歯が立たなかったあの国は、その変態性をもって今やサウジやドバイで荒稼ぎするように制してしまった。
その毒牙は欧州にも伸びてきている。今でこそまだ結果は出ていないが、今の結果に油断してあの変態どもを放置するのはあまりに危険」
『いい加減こっちの話聞けや、このハゲ』
「ハゲとらんわぁ!」
タブレットに向けて怒鳴る声に一瞬目を向ける周囲の視線に気付いたピエールはコホンと咳払いをし
「それで、なんだいマリィ」
『なんだいじゃないよ。そっちから連絡してきたかと思えば延々とシャルについて語ったかと思えば日本のライバル馬について語り始めて。日本が好きなのは知ってるけどまずは連絡してきた理由を言いなさい。ただ語りたかったから何て言ったらお母さんに叔父さんが仕事の邪魔をするって言うから』
「待て待て待て。ただでさえ姉には頭が上がらんのだ。やめなさい。と言うか、お前がその仕事に就けたのは私のお陰が2割くらいあると思うんだが?」
そう言うと画面の女性は不服そうな顔をしながら答えた。
『だからまだ行動に移してないんです。それで?シャルの事で先生に何か?それとも担当厩務員の私に?』
「勿論、可愛い姪っ子にだとも。レースから少し時間が経ったがシャルの様子はどうだい?」
『それはもう元気に・・・と言いたいところだけど、疲れが残っているってのが正直なところね。なんでセントレジャーなんて出したのよ。あの子には距離が長すぎたわ。それなのにあの子ったら負けず嫌いだから限界まで頑張っちゃって勝ってしまうのがすごいところなんだけど。先生も言ってたわ。シャルには10ハロンから12ハロンが適正距離だって』
「なるほど。わかったよ。今後は気をつける。というか、凱旋門賞を勝った後はBCか香港。そして来年はドバイだ。懸念するようなことはもうやらないさ」
『呆れた。もう勝った気でいるの?』
「負ける気はさらさらないね。おや、まさか君が担当する馬が勝てないとでも?」
『それこそまさかよ。シャルは勝つわ。私が担当している馬だもの』
そう言うと互いに笑い合う。ピエールの姪であるマリィことマルグリットはシャルルマーニュの担当厩務員だ。マリィは担当馬に対し愛情を持って接する姿と見目麗しい外見から人気は高い。
それに加え、今回、欧州最強馬と呼ばれるようになったシャルルマーニュの担当厩務員であることも人気に拍車を掛けた。
「私は心配だよ。凱旋門賞で世界中の男どもにマリィの姿が晒されるのが」
『そういう心配は自分の子供にしたら?』
「ティムに?あいつに心配する意味などない。むしろ、世界中に晒されて結婚してもいいと思ってくれる女性でも出てくれば最高だなぁ」
『またそんなこと言って。そういえば仕事は?またティムに押し付けてティータイムキメてるの?』
「肩書こそまだ私が社長だが、大部分の業務はあいつ1人で回る。本当に必要な決済は流石に私がやらねばならんが・・・あっ」
おどけながら話すピエールだが、何かを思い出したのかその動きが止まる。その姿を見て全てを察したマリィは深い溜め息を吐きながら
『今からでも戻れば情状酌量の余地はあるんじゃない?』
「そ、そうだな。ここはバレないように社に戻っt」
「それは無理でございます、社長」
いつの間にか後ろに立っていた男に肩を掴まれるピエール。恐る恐る後ろを振り返れば、息子の秘書がいつものスマイルを浮かべながら立っていた。
「お、おぉ。ジョセフ君か。ところで、無理とはどういうことかね?」
「社長がおっしゃった“バレずに”は無理と言いました。残念ながら専務にはバレております」
「ちくしょう!なんてこった!」
「決済の書類を後回しにしたツケですね。では専務がお待ちです。社まで参りましょう」
「あぁー、これは折檻コースだな。マリィ。骨は拾ってくれ」
『いいから行きなさい。シャルに関しては疲労回復に努め、次のレースは予定通り凱旋門賞だと先生には伝えておくから』
そう言い残し通話を切るマリィ。そしてテーブルに広げていたタブレットや雑誌を手早く片付けピエールはジョセフに連れられその場を後にするのであった。
ピエールさんは当初イギリスをブリテン野郎、日本を極東の猿、ドバイをアラブの成金何て言う尖ったキャラの予定だったんですけどね。
私がひよりました。無理です。そういうキャラを回せる気がしませんでした。




