及川牧場見学ツアー
お久し振りです。
様々な理由が絡み合い、まったく書くことが出来ませんでした。
エタ回避できて良かったです。
宝塚記念でボロ負けし、逃げるように放牧に出され早幾日。俺は故郷の及川牧場で休養していた。
休養中考えるのはやはり宝塚記念の事だ。体調ボロボロで出走して案の定最終直線で失速。その結果、勝つどころか二桁着順に終わった。
ゴールして引き上げるまで勝ったロードケラウノスがこっちをジッと見つめていたのが印象的だった。
『俺の方が強いんだぞ』とでも言いたかったのか?そんなもん俺が他の誰よりも一番良く知っとるわボケェぃ。
ロードケラウノスの視線から逃れたら逃れたで、脱鞍所の雰囲気の重さもまたキツかった。それも俺を責めるとかそういうんじゃなく、皆が皆己が悪いと言っていた雰囲気が1番堪えた。
崇はゴール後、無言で脱鞍所まで引き上げてこっちを一瞥もせず検量室に行くし、おっちゃんも早々にどっか行くし、翔哉の兄ちゃんにいたっては鞍を外した後俺を引きながらポツリと
「俺フクオに信じられてないんだなぁ」
とこぼしていた。これが一番堪えた。逃げるように放牧に出されたって言ったけど、心境的には俺が笠原厩舎の皆から逃げてきた感じだ。
菊花賞後怪我した時も同じような雰囲気を味わったにも関わらず、同じ事を繰り返している。本当に成長しないなオレ。前世の頃から何も変わらない。
なんつーか、いたたまれない。
帰りたくないなー美浦に。このまま引退したとして、第2の馬生はどうなんだろ?少なくともお肉行きは無いよな?無いと思うんだけどどうなんだろ?
乗馬もしくは誘導馬か。そっか、誘導馬って可能性もあるか。でもなー、当初の目的である鎌からは逃れられないんだよな。
前世で行った乗馬クラブの社長が言っていた、去勢の時は麻酔なんかせず鎌でバサッとを受ける勇気は未だにない。未だというか一生そんな勇気は持てそうもない。
せめて牝馬だったらそんな心配せずにすんだのに。
あー、くそ。駄目だ。休養に来ているのに全然休める気がしない。
「さぁ、ヴェンデッタ。ちょっとお出掛けだ」
と、ぐだぐだ考えていたら世話してくれている牧場のおっちゃんがやって来た。お出掛け?
え、まさか!?去勢イベントっすか!?そんな!なんで!?俺を去勢するメリットなんて無いっしょ!?嫌だぁぁぁぁぁ!
「おぉ??どうしたどうした。何が嫌なんだ?大丈夫だ。ほら、行くよ」
ううっ。さようなら俺の息子。恨むぞ水嶋のおっちゃん。宝塚記念ボロ負けしたからって去勢に踏み切ること無いじゃないか。
せめて、せめてもう少しチャンスが欲しい馬生だったなぁ。
***
「本日は及川牧場見学ツアーにご応募いただき誠にありがとうございます。短い時間ではありますが、楽しんでいただけるよう誠心誠意ご案内させていただきます」
宝塚記念が終わったあたりで応募が始まった及川牧場見学ツアー。その存在を知ったのは本当に偶然だった。
新馬戦の時から応援していたヴェンデッタが宝塚記念で予想もしていなかった惨敗。レース中に怪我をおったのではないのかと心配になり、SNSでヴェンデッタの厩舎や厩務員のアカウントをチェックしていた際にヴェンデッタの生産地である及川牧場のHPで見学ツアーを企画していることを知った。
及川牧場のSNSアカウントではまだ宣伝をしていなかったから気付かなかった。見つけたのも何かの縁と応募した翌日SNSで宣伝が行われたが、瞬殺で応募が締め切られていた。SNSの宣伝力強いな、あっぶねぇ。
わざわざ応募して群馬から北海道は新冠まで来たのは勿論ヴェンデッタに会うためだ。競馬場に行けよという話ではあるが、競馬場より近くで会えるなら会いに行きたいじゃないか。応募が瞬殺されたのがいい証拠だ。他の皆も同じ気持ちなんだろう。
及川牧場は繁殖牝馬だけでなく、種牡馬も繁養している今では珍しい牧場だ。そんなわけだから見るところも多い。
まだ親離れ前の牝馬と仔馬にはほっこりした。ヴェンデッタの母であるスカイシャワーにも会うことが出来た。一緒にいる仔馬が今年生まれた仔か。芦毛ってことだけど栗毛みたいだな。
種牡馬の方はエイコーンゼイラーの他4頭がいた。当然だがスタリオンステーションに比べれば繁養している頭数は少ないな。
その中でもエイコーンゼイラーは種付けの際2本脚で立ち上がるとき、たまにふらつくようになったとの事で近々種牡馬引退し、功労馬として余生を過ごす予定らしい。
是非とも穏やかな余生を送って欲しいものだ。
そして遂に
「ではこれよりヴェンデッタ号の見学になります。写真撮影を行う場合はフラッシュを焚かないようお気をつけください」
ヴェンデッタがやってきた。やってきたが・・・なんかすごい嫌がってないか?
「え?あっと。後藤さんヴェンデッタどうしたんですか?」
「いや、ちょっとわかんないんだ。馬房から出そうとしたら一度嫌がって、そこから大人しくなったかと思えばここに来てまたこんな感じなんだわ」
「お客さんに怯えたかな?ヴェンデッタなら気にしないと思ったんだが。
えー、皆さん。ヴェンデッタ号の見学についてですが、当初はふれあいも予定していました。ですが、ご覧のとおり、少々興奮しています。場合によってはふれあいは中止し、写真撮影のみとなるかもしれません。誠に申し訳ありませんが、ご理解のほどよろしくお願いします」
***
「うーん?ヴェンデッタのやつどうしたんだ?」
自室から牧場見学ツアーの様子を見ていた及川 叶太はヴェンデッタの嫌がりように首をかしげていた。
町も巻き込んで企画した牧場見学ツアー。牧場施設や繁養している馬の紹介。そして目玉として水嶋さんの許可を取ってヴェンデッタ見学“ふれあいもあるよ”を打ち出したが、まさかのヴェンデッタふれあい拒否。
完全に予想外だった。急な企画にもかかわらず応募してくれた人達の為にもなんとか機嫌を直して欲しいんだが。
「しょうがない。後で笠原先生に謝るか」
そう呟くと及川は携帯電話で連絡を取り始めた。
***
うーむ、ヴェンデッタの機嫌がまったく直らない。耳を後ろに伏せて警戒心バリバリだ。これはふれあいは無理か?間近で見て写真を撮れただけでも御の字と思うべきだろうか?
しかしわざわざ群馬から来たんだから触ってみたかったなぁ。
「これは厳しいか・・・あ、皆さんすみません少々失礼します。はい、会田です。お疲れ様です。はい、そうなんです。仕方ないのでこれで終わらせようかと・・・え?確かにありますけど、笠原調教師からヴェンデッタには与えないよう言われているのでは?はい、はい。わかりました。そのようにします。はい、失礼します」
なんかスタッフさんが話しているけどなんだろう?
「後藤さん、ヴェンデッタに氷砂糖あげてください」
「え?いいのかい?」
「社長から了解は得ました。もしかしたら機嫌が直るかもしれません」
「わかった。ほら、ヴェンデッタ。氷砂糖だぞ」
***
嫌でござる!嫌でござる!やっぱり鎌は嫌でござる!しかもこんなギャラリーいっぱいの状態で息子とお別れとか畜生のそれか!?畜生は俺だよ馬鹿野郎!
「わかった。ほら、ヴェンデッタ。氷砂糖だぞ」
救いは!救いはないんですかぁ!?
・・・氷砂糖!?何故急に?
「ほら。これ食べて機嫌直してくれ。お前に会いにファンの方々が来ているんだ」
・・・はい?ファン?俺の?あれ、鎌は?
「これ食べて皆と写真撮影だ。だからほら。お食べ」
あー・・・もしかして俺とんでもない勘違いしてた?むしろ何故去勢イベントと勘違いしたのレベル?
は、恥ずかしいぃぃぃ。幸い俺の勘違いは皆に気付かれてないし、このまま氷砂糖貰って落ち着いたふりしよう。
***
「ヴェンデッタ君氷砂糖食べてる。可愛い~」
「おやつ禁止されてたのか。機嫌悪かったのそれが原因か?」
「食いしん坊らしいしそうかもしれないね」
氷砂糖を貰ったヴェンデッタはさっきまでの嫌々が嘘みたいに落ち着いた。これならふれあいも出来るかもしれない。
「あぁ、良かった。皆さんお騒がせして申し訳ありません。ヴェンデッタ号の機嫌が直ったようなので、予定通りツアーを再開します」
そう言って再開したツアー。ヴェンデッタについての説明を経ていよいよヴェンデッタに触れるようになった。
「うわぁ、本物だぁ。本物の天皇賞馬だぁ。テイオーの孫だぁ。群馬から来て良かったぁ。メイクデビューから応援してたんだよぉ。菊花賞勝ったときは現地にいなかったことを後悔したものさ。春天で初めて競馬場デビューもしたんだ。色んな初めてを君は僕にくれた。本当に感謝しているよ。
次のレースも頑張ってな。札幌記念だったっけ?応援してるからな」
等と撫でくり回していたらヴェンデッタが顔をあげた。嫌がられただろうか?と思ったらヴェンデッタが顔を俺の頭に乗せてきた。
「え?何?なんですこれ?」
「お、すごいですね。ヴェンデッタ号に気に入られましたよ。ヴェンデッタ号は気に入った人の頭に顔乗せるそうなんで」
「へ、へぇ」
「あ、いいなあの人。私達のときはヴェンデッタ君ってば微動だにしなかったのに」
「なんか女の子に触られて緊張で動けなくなった童貞みたいで面白かったけどね」
「紳士なんだよヴェンデッタ君は。女の子には優しいの」
若い女性のツアー参加者が色々言っているが、どうでもいい。今はこの刹那を永遠に味わっていたい。まぁ、そんなこと出来ないんだが。
「そろそろいいでしょうか?では最後に記念撮影と希望者にはツーショットを撮って頂き、ヴェンデッタ号とのふれあいを終了させていただきます。
なお、記念撮影で撮った写真は弊社の広報で使用させて頂くことがございますので、あらかじめご了承ください」
無論、俺もツーショットを撮りヴェンデッタとお別れとなった。最後までヴェンデッタがこちらを見ていた気がしたが、流石に自意識過剰か。
あー、最高の時間ってのはあっという間だな。こっからツアーバスで千歳まで送って貰って羽田行きの飛行機で東京行って新幹線で群馬か。
にしてもなんでヴェンデッタは俺の事気に入ったんだろう?
***
え!?お兄さん群馬!?俺も俺も!前世群馬!いやぁ、まさか同郷の人に会えるなんて!いや、在住群馬で出身他県の可能性も微レ存だけど、そんな事は些事でしょう。
いやぁ、なんか一気に親近感わいちゃった。頭乗せちゃう。俺頑張るから!次のレース頑張るから!札幌記念?上等だよ。2000mがなんぼのもんじゃい。あの化物がいないならどうとでもなるわ、天皇賞馬舐めんな。
そしてそこの女子!どどど童貞ちゃうくないけど!逆に童貞じゃなかったら別の意味で大事やろが。
え?もう終わり?この兄ちゃんお持ち帰りできない?無理?そうだよね。
あ、記念写真ね。はいはい。いい子にしていますよ。皆ありがとう。頑張るから応援していてな。
ツーショット?いいよいいよ。バンバン撮っておくれ。
じゃあね~。気を付けて帰るんだよ~。
そういえば、これまで明確に俺を応援してくれていた人らって牧場の人や厩舎の皆に水嶋一家だけだったんだよな。
勿論それだけじゃないのはわかっていたけど、あくまで応援してくれているであろう“誰か”でしかなかったんだよな。
今日みたいに明確に応援してくれている人らと触れ合えたのは個人的にも有り難かった。この人らの為に頑張ろうって思えるもん。
特にあの兄ちゃん。デビューの頃から俺を応援してくれていたと聞いて本当に嬉しかった。なんか背負うものが増えた感じ?
本来、俺にとってそういうものはただの重荷なんだけどな。皆の期待をエネルギーにして頑張る的なのは無理。期待に応えられなかったときが怖いもん。
でも、ちょっとだけ。ちょっとだけエネルギーにしてみようかな。期待ってやつをさ。
「さぁ、ヴェンデッタ。おうちに帰るぞ」
はーい。どのくらいの期間かはわかんないけど、とりあえずは休んで体調を整えよう。恐らくまたすぐ調教も始まるだろうしな。
ところでおっちゃん。さっき貰った氷砂糖、まだ持ってたりしない?
明日はユニコーンステークスですね。
私の本命はハセドンです。




