誘い
魔物を翻弄するように、リージが飛び回る。大きな魔物にすれば、顔の周囲をハエが飛ぶようなものだろう。気になって魔物はその手を振り回すが、素早く飛ぶリージにかすりもしない。
逆に、その鋭いくちばしで顔や身体を何度も傷付けられる。何とかしてリージを捕まえようとすることに気を取られ、魔物のガードはがら空きだ。
そんな魔物の足元に、レスアークが火柱を立たせる。そうなると、魔物はリージどころではない。
慌てて火の中から飛び出したが、その足が今度は土の中にめり込む。フィオがぬかるみにし、魔物の動きを鈍らせたのだ。さらにはそこから魔物を急速に冷気が包み込み、半分氷漬け状態になった。
もうほとんど魔物は動けない。意識があるのかも怪しかった。その魔物を、ロスタードが炎をからませた剣で一刀両断にする。巨大な身体が中央から真っ二つにされた。凍りかかっていたところも、炎で一気に亀裂が入る。真っ二つにされ、それでも生きていたとしても、その亀裂で魔物の身体はほぼ崩壊状態と言ってよかった。
やがて、魔物は塵となり、周囲に静寂が戻る。幸い、余計な雑魚魔物は現れなかった。エルレシアとルーベルは魔物がいなくなり、二人して抱き合いながら喜ぶ。
特にエルレシアは、ルーベル達が来るのがもう少し遅かったら、と思うと全身が凍る思いだ。最悪の場合、ロスタードと二人であんな大きな魔物を相手にするところだったのだから。たぶん、そうなっていたら完全に硬直していただろう。ロスタードの手助けをする、なんてことはまず無理だ。
「なぁ、俺がいるから火でやってやろう、みたいなこと、言わなかったか?」
火を使ったのは、火の妖精を除けばロスタードだけだ。リージは最初から使わない、と言っていたが、フィオは……。
「ええ。それはとどめを刺すのにね。一度氷にすることで、ダメージがさらに増えるでしょ。あんなに大きいから、失敗して反撃されると恐いもの」
軽く睨むレスアークに、フィオはにっこりと返す。
「ロスタードは動きに無駄がなくて、戦い方がとてもきれいね」
「……どうも」
「ふふ、まだ一般人と同じって言われたこと、怒ってるの?」
ロスタードは一瞬言葉に詰まるが、静かに首を横に振った。
「いえ……。確かに、一般人と大して変わらないとわかりました。エルレシアと飛ばされた時、どうするべきかの判断もまともにできませんでしたから」
技術力がそれなりにあったとしても、経験はまだない。普通の人間でも、必死になればこの場から何とか生き残れることもあるだろう。自分は魔法を使える分、生き残れる確率が多少高くなる程度。こういう場合にどうすればいいか、という知識がない点では、魔法をどれだけ習っていようが一般人と同じなのだ。
それを思い知らされた。フィオの言う通りだったのだ、と。
「そ、そんなことないでしょ」
横で聞いていたエルレシアが、慌てて口をはさむ。
「判断できなかったのは、あたしの方よ。ロスタードはみんなが捜しに来てくれた時、すれ違ったりしないようにこの場にいようとか、土の中にいる魔物に先制しようとか、気付いてもらえるように魔石を燃やすとか……色々考えて、ちゃんとやってくれたじゃない」
何より、エルレシア一人ではない、と落ち着かせてくれた。放っておかれたらどうなっていたことか。
「それくらいしかできなかったからな」
「それで充分よ」
フィオが笑う。
「現場では、どれだけ臨機応変にできるかが大切なの。無理をして命を落としても、意味がないものね。どんな状況になるかは、その時によって違ってくるわ。どんな時にどんな行動をすればいいか。それは今後、先輩達に聞いたり、自分で経験していくの。あなた達は自分にできることをしたんだから、それでいいのよ」
「……」
「あら、何かしら」
ロスタードとエルレシアはこちらで見付かったのだから、フィオの方からカダルゴ達に連絡を入れるべきなのだが、先に向こうの方から連絡を入れてきた。
「さっきも話してたけど……ロスタードの魔石、割れちゃったの?」
「うん。本当に目の前で割れて、びっくりしちゃった」
エルレシアが割れた魔石の残りをルーベルに見せる。
「バルドンって、本当はすごい人なのね。いつも研究室でよくわかんない物をいじってるから、実はちょっと怪しい人かなー、なんて思ってたりしたけど」
「え……ルーベルってば、そんなこと思ってたの?」
かく言うエルレシアも、変わった人、というイメージはあったが。
「だって、発明家って言いながら、よくわかんない物ばっかりこしらえてるんだもん。どこでも発明家なんて似たようなものみたいだけどね。でも、今回の事でちょっと見直したかな」
「ルーベルちゃん、俺のことは?」
元の人形サイズに戻ったレスアークが、ルーベルの肩に立つ。
「あー、そうね。今回はかなり……助かったかも」
「見直してくれた?」
「まぁ、ね」
これまで好き勝手に現れてまとわりつかれていたが、いざという時に口だけでなく、ちゃんと守ろうとしてくれた。言葉にはしないが、ルーベルの中で、レスアークの株はかなり上がっている。
ルーベルが言うと、火の妖精は嬉しそうに笑った。
「また用があったら、いつでも呼んでくれ。俺は一足先に帰るよ」
「あら、そうなの?」
ここまで一緒だったから、レスアークなら街に戻るのを見届けるまでいるだろう、と勝手に思っていたので、ルーベルはちょっと意外だった。
「あの姿になるの、結構疲れるんだ」
普段の姿のおよそ十倍の大きさ。どういう仕組みになっているのかわからないが、魔力やエネルギーを普段より消費するのだろう。いつもはふわふわと浮いているのに、地に足を着けて歩くのも、レスアークにとっては苦痛なのかも知れない。
ロスタードには特別サービスだと怒鳴っていたが、恩を着せるためではなく、レスアークにすれば本当に特別だったのだ。
「じゃあな」
そう言って、ふっとレスアークは姿を消した。
「次は……もうちょっと優しくしてやってもいいかな」
ルーベルの言葉に、エルレシアは笑って頷いた。
ちょうどフィオの連絡も終わったようだ。
「このままそれぞれ森の外へ出よう、という話になったわ。それと、あちらでも大ザルがいたそうよ」
「ええっ、それってあんなのが二匹いたってことっ?」
ルーベルは魔物が消えた辺りを振り返る。あんなのが一度に二匹も出るところなんて、見たくもない。後で、そちらの大ザルは腕が四本もあったと聞き、エルレシアとルーベルは青くなるのだった。
「私達は複数とは聞いていなかったんだけれど、森の妖精がそう言ったらしいわ。でも、双方で倒した訳だから、とりあえず今日は引き上げても問題はないだろうってことで」
全員が揃い、お互い無事だとわかっているのだから、森の中でわざわざ合流することもない。さっさと森を出てメルエの街へ戻ろう、という話になったのだ。
「戻るって、どうやって? 魔獣に乗って、とか? でも、あたし……」
最初にこの森へ来た時、まずは森から出ることを第一の目標にしていたので、出た後のことを考えていなかった。こうしていざ森を出られそうだとなると、その後はどうすればいいのかわからない。
魔物退治に行く魔法使いは、力を貸すと契約してくれた魔獣を呼び出し、その背に乗って目的地まで行く。ロスタードやルーベルも魔獣を呼び出す授業の際、これなら頼りになると思った魔獣と契約していた。いざとなれば、それらを呼び出して街へ戻ることができる。
でも、エルレシアは魔物退治という目的はないので、無理して魔獣と契約しなくてもいいや、と思ったからしていない。だったら、臨時で呼び出せばいいという話だが、そんなに気を入れて練習してない魔法を、エルレシアがここで使えるかどうか。
「俺にまかせろ」
フィオの肩でリージが胸を張る。
「お前らくらい、俺が乗せてってやるよ」
鳩サイズで忘れていたが、リージはロック鳥だった。まだ子どもでも、本来のサイズに戻って翼を広げれば、この場にいる四人の人間くらいは楽勝で乗せられるのだ。
「リージ、乗せてくれるの? わー、頼りになる」
契約した魔獣がいないエルレシアは、本心から喜んだ。まさか置いて行かれることはないと思ったものの、それならどうやって? と不安だったのだ。
「おう。頼りにしていいぞ」
エルレシアの素直な喜び方に、リージも満足そうだ。
「リージの乗り心地はとてもいいのよ。それじゃあ、リージが大きくなっても問題がない場所まで行きましょうか」
こうしてエルレシア達はようやくナエラの森を出て、無事に街へと戻ったのだった。
☆☆☆
クインドラでは、四人の見習い魔法使いの安否を心配した先生達とバルドンが待っていた。
エルレシア達三人が戻ってから少し遅れて、ライドルトも戻って来る。これで全員が帰って来られたのだ。誰一人、ケガすることもなく。
話はまた改めて聞かせてもらうから、時間も遅いので今日はとりあえず帰れと解放された。正直、疲れていたのでほっとする。
三人の魔法使いと合流してからの話は、彼らが報告してくれるだろう。多少のことは確認のために聞かれるだろうが、少なくとも今回の件について自分達に非はないから、何か罰があるのでは、とびくびくしなくて済む。
帰る際、バルドンからは「改良したいから、使った感想を教えてくれ」とこっそり言われた。使った、と言うにはちょっと……かなり語弊があるのだが、あの扉を通り抜けたのには違いない。意図せず、実験台になってしまった訳だ。
とりあえず、最低でも扉の色は移動装置とわかるものにすべきだと言わなければ、と誰もが思った。
外はすっかり暗くなっている。途中まで一緒に四人で帰路に就いた。
各家庭にはクインドラから連絡が入っているはずだ。いなくなったことも、無事に戻って来たことも。
帰ればきっと心配させてと怒られるだろうが、自分達の意志で行方不明になった訳ではないので、その点の言い訳は通じるだろう。
「ロスタード、エルを送ってあげてね。あたしはライドルトに送ってもらうから」
「え? あの、ルーベル……」
そんな気など全然なかったエルレシアは、突然そう言われて戸惑う。
「俺がルーベルを送るのか?」
同じく急に言われたライドルトが一応確認する。
「あんたン家、あたしの家と同じ方向でしょ。こんな暗い夜道を女の子一人で歩かせるつもりなの? チカンに遭ったらどうしてくれるのよ」
「どうしてくれるって、ルーベルならチカンの方が逃げるだろ」
「それ、どういう意味っ」
「じょ、冗談だって。んじゃ、ロスタード、エル。また明日なー」
個々の自宅がある方向は違うのだから仕方ないが、こちらの意思を一切確認せず、ルーベルとライドルトはさっさと角を曲がって行ってしまった。
残された二人も、そこでぼーっと立っている訳にもいかず、再び歩き始める。
はっきり何時とはわからないが、祭りの準備で賑やかだったはずの街も今はすっかり静かになっているから、ずいぶん遅い時間だと思われた。
それでも、街の中だとわかる場所を歩いていると、ちゃんと帰って来たんだなぁ、と思えてほっとする。
夜空を仰げば晩秋の星座が見えた。ナエラの森で空はほとんど見えなかったから、そういう点でも帰って来られたことをまた認識できる。
「今日は本当に大変だったね」
「そうだな。ドライムへ魔石のことを聞きに行っただけのつもりだったんだが」
新しい物がいるとわかったところまではよかったのに、気付けば遠くの森へ飛ばされて魔物退治をし、魔石は割れてしまった。目まぐるしく長い時間だったが、こうして戻ってくれば一気に過ぎた気がする。
「あ、エルレシア、ちょっと止まれ」
「え?」
突然そんなことを言われ、エルレシアはどきりとする。
「髪に葉っぱが付いてる」
森の中を歩き回っているうちについたようだ。ロスタードの手が髪に触れる。単にゴミを取ってもらっているだけのことなのに、エルレシアはどきどきした。
髪を切り揃える時以外で人に、しかも男性に触れられることなんてほとんどないので妙に緊張してしまう。子どもの時とは違い、最近では家族に触れられることもないので、なおさらだ。
「取れた」
「あ、ありがとう」
何かが起こることもなく、二人はまた歩き出す。
う……なーんにも滞りなく過ぎちゃった。髪に触れるだけでハプニングが起きるはず、ないわよね。
心の中で溜め息をついたエルレシアは、ふと触れた自分のポケットに固い物が入っていることに気付いた。
何……? あ、そっか。ロスタードの魔石の半分だ。
自分達の居場所を知らせるために、ロスタードは二つに割れた魔石の半分を燃やした。残りの半分は、拾ったエルレシアがそのまま持っている。そして、結局まだ返しそびれたままなのだ。
これを返して、明日になったら……また今までと同じような感じになるのかな。クラスの連絡事項やなんかの、どうしても必要なことだけを話して、あとはせいぜい挨拶をするくらいで。そして、卒業……。
今日のことで多少は親しくなれたかも知れないが、明日以降それで一気に何かが変わる、とは考えられない。話す時間が少し増えるくらいが関の山だろう。
そう考えた途端、エルレシアは「いやだ」と強く思った。
卒業までの間、二言三言しゃべって一日がおしまい、なんてしたくない。これまでと同じ状態のままなんて、悲しすぎる。考えただけで泣きそうだ。今日みたいなことはさすがにもう起きてほしくないものの、今日みたいにロスタードとたくさん話せる時間は明日もその先もほしい。
気が付けば、もうすぐそこにエルレシアの自宅がある所まで近付いて来ていた。
何も言わずに家の前でロスタードと別れ、それぞれの家に帰ってしまったら。
まともに話をするチャンスは、この魔石を返す時くらいしかない。もし今返したら、明日以降はそのチャンスさえなくなってしまう。
そんなことになるのはいやだと思った途端、エルレシアは口を開いていた。
後で考えればこの時、まともな意識はどこかに飛んでいたような気がする。
とにかく、自分でも驚く程に唐突だった。脈絡もへったくれもない。
「ロスタード、お祭りの日、あたしと一緒にダンスパーティへ行ってくれない?」
ダンスパーティへの誘いは、愛の告白をしたも同じ。
そんな話が若者達の間でなされている。ダンスパーティでパートナーになれば生涯のパートナーになると言われているのだから、その前段階であるダンスの誘いがそう言われてしまうのは当然と言えば当然。
もちろん、将来がどうなるかはわからないし、ルーベルは噂だと言った。本気に取るかはその人次第だが、真面目に受け取る人が大多数だ。
「お前、何言ってるんだ」
ロスタードにそう返された途端、エルレシアの中で色々なものが一度に崩れた音が響いた……気がする。これを世間では玉砕と呼ぶのか。
何言ってるって……そう、だよね。小さくて、美人でもなくて、成績も大したことなくて、特に何か秀でてるって訳でもないあたしが、クインドラでトップレベルの人と釣り合うはずがないよね……。
魔石を返したら、それでもうおしまい。後はやっぱりこれまでと同じ状態になるだけなのだ。
崩れたものはかき集めて、あとでゆっくり修復しよう。それから、みんなと卒業できるように練習に打ち込めば、少しは忘れるのも早くなるかな。
何かが崩れてから数秒の間、エルレシアは自分が使い物にならなくなってしまわないよう、修繕策を考えることでショックを隠そうとした。
「そういうことは、男に言わせろ」
「……え?」
頭の中で組み立てかけていた修繕策が、一気に飛んで真っ白になる。
「ったく……。家の前まで行ったら言おうと思ってたのに、先に言いやがって」
薄暗い街灯の下でも、ロスタードが渋い表情をしているのがわかる。
「えーと……何か、ごめんなさい」
まだ理解しきれてないが、謝っておく。先に言ってはいけなかったらしいが、もう言ってしまった。どうしたらいいのだろう。
「謝らなくていい。余計言いにくくなる」
一歩前を行ったロスタードが、エルレシアの方を向く。
「俺、ダンスはうまくないけど……エルレシアとダンスパーティへ行きたい。一緒に行ってくれないか」
よくこの時倒れなかったな、とエルレシアは自分で自分に感心する。まさかロスタードの口からそんな言葉が出るなんて、火の妖精が水になったと言われたくらい、信じられないことだ。……そこまで言うと、彼に失礼だろうか。
正直なところ、その後のことはうろ覚えだ。もったいない。
彼の言葉にエルレシアが頷き、ロスタードが笑みを浮かべた気がする。
今まで彼が見せたことのない、少なくともエルレシアは見たことがない、優しい笑みだった。
☆☆☆
次の日に学校へ行くと、タルグが四人の元へ駆け寄って来た。
「お前ら、心配させんなよ。どうなることかと思ったんだぞ」
「あんたがあんなややこしい場所に扉を立ててるからでしょっ」
無事に帰って来たから、お互いがこうして軽く言い合える。
しかし、クラスメイト達が移動装置を使ったとわかった途端、扉のこちら側でも蒼白になっていたのだ。
タルグに言われ、バルドンも扉の確認をしたが、開発途中だからまだ色々と不明な点も多い。再び扉を開けても彼らの姿はなく、壁があるだけだ。
一時的に空間がつながったのだとしたら、設定として魔力の高い場所のはず。バルドンはすぐにクインドラへ向かい、事情を話して魔力の高い場所へ魔物退治に行っている魔法使いがいないかを尋ねた。
数カ所該当する場所があるとわかり、四人がいたら保護してくれるように依頼する。案外、早く見付かったという連絡が入り、ほっとした。
心配しているだろうと、ひとまず家に帰らせておいたタルグにクラスメイトが見付かったことを伝え、バルドンは彼らが戻って来るのをクインドラで待つ。四人が思いがけず魔物退治をするはめになり、実際に戻って来るのが遅くなったが、とにかく無事だったことに安堵した、という次第だ。
昨日、あんなことがあった四人だが、授業は特に問題もなく、昼休みに先生達から少し話を聞かれて一日が終わる。
もしかして昨日のことは夢だったのかな、なんてことまで考える程、スムーズに過ぎた。これはごく普通のことで、昨日の放課後が特殊すぎたのだが。
それはともかく。
昨夜、ダンスパーティの誘いを受けたと思ったのは間違いだったのかな。もしくは、強い願望が見せた夢、とか。
そうエルレシアが思うくらい、ロスタードの態度はいつもと変わらない。つまり、特にこれと言って話しかける訳でもなく、エルレシアと一緒にいたがるというのでもないのだ。
それを言い出せば、エルレシアもいつもと同じで、何か行動に出た訳ではないのだが……。
ダンスはダンス、その他のことはその他って切り分けるタイプなのかしら。魔物のそばにいた後遺症で、都合のいい夢を見た? 疲れてたしなぁ。やっぱり夢オチかも。
エルレシアは本気でそんなことを考えてしまった。それならそれで仕方ないが、やっぱり淋しい。
「エルレシア、この後、時間はあるか?」
授業が全て終わった放課後、ロスタードがそう声をかけてきてくれて、エルレシアの心臓が跳ね上がる。
「うん。何もないわ」
「じゃ、特訓するぞ」
嬉々として返事したエルレシアは、目が点になる。
「え?」
ロスタードは自分でダンスがうまくないと言っていたし、エルレシアも自信が持てるようなステップを踏める訳でもない。
一瞬、ダンスの特訓かと思ったが、直後に絶対違うよね、と思い直す。
「卒業したいんだろう。俺が見られるところまで付き合ってやるから」
……やはりダンスではなく、魔法の方の特訓だった。
森の中で、練習もしないで卒業できないと言うなんて横着だ、と言われた。こうして関わりを持った以上、卒業させるということだろうか。
実力のある人に特訓に付き合ってもらえるのはありがたいし、昨日の誘いで恋人と言っても差し支えない関係になった人と一緒にいられて嬉しいはずなのだが……何だか恐い。
何も予定がない、と言ってしまったので、エルレシアに拒否権は与えらない。一緒に帰るつもりだったルーベルに半泣きで手を振り、練習場へ連行された。そこでみっちりしごかれる。先生より厳しい。
「これから予定がない時は、こうして特訓するからな」
今後の特訓まで宣告されてしまった。卒業試験を受ける前に倒れないだろうか。
でも……こうしてる間は絶対一緒にいられるんだよね。
そう考えると、気持ちが温かくなる。それに、ロスタード自身の時間を削って練習に付き合ってくれているのだから、ひたすら感謝だ。
「帰り、バルドンの所へ寄るけど、一緒に来るか?」
配達係にまたアクシデントが起きていなければ、すでに新しい魔石が店に届いているはずだ。少しお高めの値段を言われたが、昨日のことがあったから少しは値引き交渉をしてもいいかも知れない。
「うん」
せっかく誘われたのに、エルレシアが断るはずもない。
二人して並んで歩き、バルドンの店ドライムへ向かう。
「ねぇ、ロスタード。割れた魔石って、もう何も使い道がないの?」
「魔力が抜けると聞いてるからな。昨日は割れて時間が経ってなかったからどうにか使えたけど、もう無理だろう」
「あの、あたし……割れたもう半分、持ったままなの。使えないなら、もらっていい?」
「いいけど、何に使うんだ? たぶん、利用価値はないぞ。宝石としての価値がある訳でもないし」
魔力が抜けてしまえば、単なるきれいな色の石、というだけ。
「持ってるだけでいいの」
だって、会えない時にあの石を見れば、緑の瞳を思い出してロスタードを近くに感じられるもん。
心の中でそう応える。声に出して言うのは、まだちょっと恥ずかしい。
ドライムへ来ると、今日は入口の扉に留守を示す札は下がっていない。だが、二人はそのまま裏手へ回る。
もう一日が経ったんだな。あれが昨日のことなんて、うそみたい。森に飛ばされた時はひどい目に遭ってるって思ったけど……実際にひどい目に遭ったけど、こうしてロスタードの隣りを歩けてるんだから……あの移動装置って、彼とあたしの距離を縮めてくれたようなものかも……なんてね。
そう考えると、悪いことばかりでもない気がする。
ロスタードが研究室の扉を開けると、そこには昨日と同じ顔が揃っていた。