二章ノ23 『たった一つの光』
レークスとエリザベスが戦線離脱した頃──
放心状態のネクタールを正気に戻す暇もなく、ミスラとキョウヤは苦戦を強いられていた。
「キョウヤ! ネクタールさんしまって!」
「わかった!」
止まっているのはまずい。キョウヤが亜空間に入れることで、ネクタールの命の危険はなくなった。
「頭狙ってくよ!」
「おう!」
気絶されるには脳を揺らすのが手っ取り早い。後頭部に強烈な一撃さえ入れば一旦は止まるはず。
幸いなのか不幸なのかはわからないが、アムネシアは適切な判断ができていない。
問題は体を覆う見えざる刃だが、対処法は不明。とにかくなんでも試すしかない。
絶対零度の氷は砕け、激流の渦は斬り裂かれ、暴風で巻き上げた瓦礫の嵐は粉々に砕け散った。
「無敵モードやん。スター取ったのか。災害級を防ぐのだんだんなんか簡単にやったんか!」
「おいミスラ、なに言ってんだ?」
「なんでもない」
「いやなんでもなくは」
「そんなことより回避に集中しなくていいの?」
「……もう簡単にかわせるからな」
連発される刃をぎりぎりで避け続けたことで、どういう魔法なんかがなんとなく掴めてきた。
「手から出た瞬間は小さいけど、飛距離が伸びれば衝撃波が刃の周りを覆って大きくなる。だがその代わり威力が減ってくから、見極めれば問題ない」
得意げに話しながら回避するキョウヤに、ミスラは呆れたようにため息をつく。
「ここは現実の戦場。油断してたら死ぬよ」
「大丈夫だって。このままなら魔力が尽きるでしょ」
「……どうだろうね」
「…………」
キョウヤもおかしいとは思っていた。なぜなら、災害級を斬れるほどの魔法を、アムネシアは何十回、いや、百は超えている。
一発の規模は災害級に及ばずとも、消費魔力は尋常ではないはず。それに、何度も使えばそれは大災害。現に、一国がほぼ壊滅状態に陥っている。
「なんでかはわかんないけど、魔力は尽きないって考えた方がいいね」
「……やっぱそうだよな」
もしそうだとしたら勝ち目はない。だからそんなわけない、と違和感から目を背けていた。
そんなキョウヤにミスラが告げる。
「都合のいいことなんか起きない」
「え?」
「常に最悪を想定するのが戦術の基本だよ」
回避しながらキョウヤと話しているが、ミスラはアムネシアから決して意識を外さない。
まだなにかあるかもしれない、とあらゆる不測の事態を想定し、心の準備をしておくのだ。
もっとも、
「最悪っつっても、そもそもなに考えればいいのか全然わかんねぇよ」
キョウヤにはまだ難しすぎた。
「慣れれば簡単だから」
当たれば即死の状況で呑気に会話していると、遠くの方から高速接近する魔力を感知する。
「よっし、時間稼ぎは終わりかな」
「え?」
「一気に攻めるよ!!」
「ちょま」
急に言われても、と戸惑うキョウヤだが、雷速で先に行ってしまったミスラのあとを追う。
ミスラの探知領域に入ってきたのは、エリザベスを避難させていたレークスだった。
「ネクタールは?」
「キョウヤの亜空間です!」
「よし、なら三人で一斉に叩くぞ!」
「はい!」
元気に返事したミスラが特攻し、超至近距離から<侵食の闇>で見えざる刃を喰らう。が、先に闇が消滅。
アムネシアがミスラへと薙ぎつける直前──視界を氷原の景色が埋め尽くす。
刃が切断した氷の裏にミスラの姿はなかった。
バッターのように<ワズラ>を振り、百倍で氷の塊を打ち出す。が、刃に阻まれる。
キョウヤがアムネシアの両肩へ弾丸を撃ち込むが、命中する前に細切れになった。
ただデタラメに災害級を撃っても、アムネシアに触れることすら叶わない。
ならばと、
「あとは頼む!!」
レークスは<グラム>を地面に突き刺し、残り全魔力を凝縮して<絶対零度>を発動した。
ミスラとキョウヤは炎と風で上空へ飛ぶ。
見えざる刃を掻いくぐり、冷気がアムネシアに触れる。直後──全身が一瞬にして凍てつく。
急激に消耗した体内の魔力が空になり、レークスは反動で意識が保てず、静かに手放した。
空から見ると氷河のような地面に降り、ミスラとキョウヤは恐る恐るアムネシアに近づく。
「止まった……のか?」
「そうだけど、このまま放置したら死んじゃう」
「なにっ! それは絶対だめだ!」
「私も同意。でも、今すぐに溶かせば暴れ出すよ」
アムネシアは殺せないが、また暴走されても厄介。今度こそ打つ手なしになってしまう。
「……他に方法はないのか?」
「思いつく限りだと……溶かした瞬間に動きを封じる、とかかな」
「なら急がねぇと」
「ちょ待てよ」
ミスラがキョウヤの腕を掴む。
なぜか口調が変なのも気にはしたが、それよりミスラに腕を掴まれたことに動揺する。
顔が熱帯びる前に足を止め、キョウヤは反射的に腕を離してしまう。
「ど、どうしたんだ?」
「先に作戦を決めておかないと」
「作戦?」
「まだコントロール難しいでしょ? うっかりアムネシアちゃんを燃やしちゃうかもだから、私が氷を溶かす。キョウヤはアムネシアちゃんがなにかする前に両手足を封じて、後頭部に石をぶつけて意識を奪う役ね」
「なるほど……わかった」
「じゃ、行くよ」
ミスラがアムネシアへ<爆炎弾>を放つ。だが、見えざる刃にかき消された。
「──っ!」
ミスラとキョウヤは上体を反らしてかわす。そのまま地面から足を浮かせてバク転し、上下を通った刃のどちらも避けきった。
「……時間切れか」
「マジかよ」
黒い肌。だが、魔族とは違い濁った黒。負の感情を詰め合わせたような黒。
人族という概念から逸脱した様相のアムネシアが、一歩踏む度に絶対零度の氷が斬り刻まれる。
「なにがどうなって……」
「この感覚……どこかで……」
垂れ流される邪悪な瘴気。ミスラには覚えがあった。似たような存在を体感していた。
「──『悪魔』か」
思い出したくもないリアルお化け屋敷。ローランと行ったSランク依頼で遭遇したシトリーと名乗る悪魔。あれと同じような感覚。
「アムネシアちゃんが悪魔と契約したってことか。……それで魔力が尽きなかったのかな」
「悪魔? そんなのこの世界にいんの?」
「……そんな話は聞いたことないけど……今はアムネシアちゃんから悪魔を追い出すよ!」
「そうだな!」
蹴り足に力を入れた瞬間──探知領域は魔力で埋め尽くされていた。
「は?」
無数の刃を前に逃げ場はない。突然の出来事にキョウヤだけでなくミスラまでもが硬直してしまった。
電気を通して思考を無理やり動かし、自分の正面だけでも、とミスラは絶対零度と蠢く闇を放つ。
二つの災害級でなんとか防ぐが、ミスラの胸と左肩に勢いの弱まった刃が命中する。
「──っ」
鋭い刃物と同様に肉まで抉り、激痛と共に鮮血が溢れ出す。
治療しながら視線を移すと、キョウヤは場違いな間の抜けた表情で驚いていた。
アムネシアが手から刃を出すのに釣られ、キョウヤも掬い上げたのだが、なぜか真正面の魔力が消えた。
まるで、その空間だけ切り取ったかのように。
あれっ、とキョウヤは既視感を抱く。前にもよくわからない現象に遭遇したことがある。
シュヴァルツ迷宮で魔族と殴り飛ばした時、亜空間の中を通って移動したような気がした。
速く動きすぎて錯覚でも起きたかとも考えたが、今の現象も空間魔法だと結論付けられる。
「助けられる!」
体に残る感覚を頼りに、空間を渡ってアムネシアの死角に潜り込む。
本人を傷つけないよう、周りを囲う見えざる刃を剥ぎ取るイメージで魔法を使う。
災害級すら無効化する刃だが、存在する空間ごと切り取れば抵抗もできなかった。
戸惑いを見せるアムネシアの真後ろから、空間を通ってキョウヤが押し倒す。
体重を乗せてのしかかり、後ろに持ってきたアムネシアの左腕を両手でがっちりと掴む。
脚を動かせないように脚で押さえ、右腕にはお尻を乗せて、実戦では初の関節技をきめた。
「……君は……どこにいるんだ?」
「壊す。殺す。壊す。殺す。壊す。殺す。壊す。殺す。壊す。殺す。壊す。殺す。壊す。殺す」
虚無を見つめてひたすら送り続けている。
見当違いな場所しか見えないアムネシアに、体を押さえつけながらもキョウヤは優しく話す。
「……壊したかったわけじゃない。殺したかったわけじゃない。ただ……自分の愛が届いてほしい。そう思ってただけだよな」
「──」
「でも、その心を利用されてる。なんで壊したいんだ? なんで殺したいんだ? なんのために、なにを奪いたいんだ? ……それを見失っちゃだめだ」
この体制から抜け出そうと、藻掻いていたアムネシアの動きが止まった。だらんと力を抜く。
キョウヤも腕を掴む力を緩め、心の奥底へ届ける思いで言葉に力を籠める。
「そんな奴に想いを汚されちゃだめなんだよ! だから、もう……苦しまなくていいんだ。……悪魔なんか意思の強さで追い出しちまえ!」
暗黒の世界でも輝ける光点。地上を明るく照らしているそれは、
──深淵の海底にまでは届かない。
脱力からの急な動きに対応できず、キョウヤは投げ飛ばされ、アムネシアはアームロックを脱した。
受け身も取れずに転がって止まり、ところどころ脱臼している。
だが、アムネシアの苦しみに比べればっ、という意地だけで痛みを堪えてキョウヤは立つ。
全身に力が入って汗ばみ、立っているだけがやっとで動くことができない。
そんなキョウヤへアムネシアが手を掻き上げる。
「絶対助けてやる!」
あと数センチ。たったそれだけ、指でも動かせば良かった。そうすれば、キョウヤを確実に殺せていたはずだ。
それなのに──アムネシアの手は止まった。
「こ、ろ……こ、わ……に、く……う、ば……」
よろよろと、一歩、また一歩と後ろに下がる。
「おに、い……? ……や……がう、ちぁぅぅ」
うずくまってうめき声を詰まらせ、アムネシアは本当の記憶を思い出す。
壊したかったんじゃなかった。殺したかったんじゃなかった。ただ、手に入れたかったんだ。
二つの思い違いをしていた。自分の意思で自覚したことで、肌が元に戻り邪悪な雰囲気が消える。
「──助かっ……たか……?」
まだ痛みに慣れていないキョウヤは、意識を保つもの限界だった。緊張の糸が切れて倒れる。
──同時にアムネシアも意識を失う。
◇◆◇◆◇
煌めく光がたくさんある。その中でたった一つだけが、ひときわ目立ってキラキラと輝く。
それでも深淵には届かなかったが、ひときわ眩しい光からは手が差し伸べられた。
拒絶しても、無視しても、傷つけても、差し出された手は引っ込められたりしなかった。
間違ってる。自分が間違っているはずはない。一方的に助けようとする偉そうな手が間違いだ。
諦めない手を見ないように、なにもかも見たくなくて、まぶたを下ろして遮断する。
探しているものは海の底にあるんだと信じ、それが悪魔の囁きとも知らずに沈んでいく。
どこまで続いているのかは知らない。だが、いずれどこかで止まるだろう。いつかきっと、なにかは見つかるはず。
根拠のない考えを信じて、都合の悪いことから目を背け、考えずにただ堕ちていく。
──そこへ一筋の光が差す。
鬱陶しい。もう干渉するなと、怒りのあまり目を開けた。すると、まだあの手が伸ばされていた。
あまりのしつこさに嫌でも気付くしかなかった。
海底にはなにもない。延々と続いていて、気付けば後戻りできなくなる。だが、まだ間に合うんだとわかり、勘違いを反省してその手を掴んだ。
◇◆◇◆◇
夢なのか、現実なのか、どちらなのか断定するのは難しい。暗黒で音のない世界。現実離れしていてとても想像がつかない。
だが、確かにそこに自分はいた。そう断言できるほど、明確な意識が心に刻まれている。
思い出そうとしてもぼんやりとしかわからないが、絶望と憎しみと苦しみと恐怖と愛情を、深く深く感じて、自分の感情に呑まれていた。
藻掻いて藻掻いて足掻いて足掻いて、それでも無駄だった。意味などなかったと知った。
諦めて沈もうとしたとき、光が暗黒を裂く。
藻掻き苦しんだのは無駄なんかじゃなかったんだと、真正面から怒鳴られたように感じた。
全てが救われた。だから、心の中にはたった一つの光が住み着いて離れない。離したくない。
それは、あの漆黒の影とは違う。自分の中にいるのが心地よく感じる存在。ずっと寄りかかっていたいと思える、ぽかぽかと温かな優しい光。
──お慕いしております。……キョウヤ様。
少女は『嫉妬』から解放され、シュヴァリナでの闘いは幕を閉じた。