二章ノ16 『深淵を映す闇』
パンドラの<深淵迷宮世界>により、六人は組み替えられた迷宮にバラバラに配置された。うち五人は、胸の奥に秘めた後悔や記憶、過去の自分や大切な人との対面を演じる。
──ただ一人例外がいた。
才能があるのに弱いキョウヤを先に狙う予定を変更。例外は見過ごせない。
「きみ〜、ほんとなんなの〜?」
飛ばされた場所から離れようとしたローランの前に、パンドラが影から現れる。
「後悔とかなんかないの〜? 全くないなんてありえないでしょ〜? 生まれたばっかりの赤ちゃんじゃないんだからさ〜」
「俺に惑わしは効かん」
「なにそれ〜?」
「お前は魔法が効かんのか?」
「自分にかけるわけないじゃ〜ん」
「なら試してみるか」
ローランが<レーヴァテイン>を抜き、なにもない場所で斬る動作をした。
「なにやってるの〜?」
「この剣は『反魔法剣』とも呼ぶ」
あえて教えるように言いながら、ローランは<レーヴァテイン>をしまう。直後──パンドラを風圧と共に魔力が通りすぎる。
「──なにが起こった」
確かに魔力を体に浴びたが、パンドラの体にはなにも異常が見当たらない。
「なにをした!」
「魔法を斬るだけが<レーヴァテイン>じゃない」
「まさか──」
「反魔法とは魔法を反射する能力。魔力の分解はそれを応用したにすぎない」
パンドラからは完全に余裕がなくなり、焦りを隠せず額に冷や汗がにじむ。
「だ、だが……貴様に惑わしは効かないと」
「抗体のようなものだ。魔法は食らっている。俺の体に残された魔法をお前に返しただけだ」
「なんだと……」
「効果は自動誘発のようだな」
強力かつ広範囲にまで効果が及ぶ<深淵迷宮世界>だが、対象者の記憶から勝手に映し出される。
術者であるパンドラの意思ではなく、魔法が自動的に情報を選別して発動していたのだ。
「くっ」
「解除するには魔法ごとしかないのだろう?」
「──」
焦りで顔を歪ませ、パンドラは自身の行動を心底後悔した。
ローランが五人の誰かと遭遇すれば、<レーヴァテイン>により魔法が強制解除される。
それを危惧してこの場に来たが、合流のリスク覚悟で無視しておけばと激しく悔いた。
魔法が自動でパンドラの記憶を解析し、ちょうどローランとの間で闇がなにかを形成する。
「──っ!」
その人物の姿を見たパンドラは絶句した。
動揺で後ずさり、呼吸が荒れ、胸を押さえる。
黒みがかった茶髪の少女。五歳よりは下であろう。それが、嬉しそうな笑顔を作った。
道端でよく見かける光景にすぎない。が、
「あぁああぁぁぁあぁぁ──!!」
強化しなければ鼓膜が破れるほどの絶叫が響く。
「あがぁぁ……がっ、ぐがぁ、あ、あぁ……うっ」
自分の髪を手で引きちぎり、地面にうずくまって苦しむような声を途切れ途切れ発する。
ローランはなにもしていない。少女もただ笑っただけ。それだけで、パンドラはかつてないほど苦しみ、口から胃の中のものをとめどなく吐き出す。
ようやく落ち着いてきたかと思えば、今度は叫ぶだけでなく狂い始めた。
喉が張り裂けんばかりに絶叫しながら、自分の頭を何度も、何度も地面に叩きつける。
ドロドロと血が流れて尚、思いきり打ちつけるのをやめない。
明らかに正気ではないパンドラだが、これ以上やれば死ぬ、と無意識で判断したのか、ピタリと動きが停止した。
突如、力が抜けたように倒れる。が、ぬるっと気持ち悪い動きで起き上がり、発動中の<深淵迷宮世界>を解く。
バラバラになった時と同様に、パッと瞬時に迷宮は元の形へと戻った。
発動前と同じ場所──シュヴァルツ迷宮最下層の最奥にある迷宮主の部屋に全員が揃う。
レークス・キョウヤ・ローランの様子はまるで変わっておらず、突然戻ってきたことに驚く程度。
だが、
「パンドラ! なぜ解除した!」
マーラは他の誰よりも驚き、激怒する。いつもなら間を開けて話すが、今は冷静になれなかった。
「エリザベス、大丈夫か!」
意識を失ったエリザベスを、レークスが胸で受け止める。魔力がほとんどない。傷も多々あり、レークスが治療に当たる。
「あと数十秒とあれば殺せた! なぜだ!」
普段なら気にさわる喋りでマーラをさらに苛つかせるが、パンドラはなにも答えず放心状態で俯く。
「……どうした」
異変に気付き、マーラは落ち着きを取り戻す。
「……撤退する」
「なっ、馬鹿なことを──」
パンドラとマーラが影の中へ消え去った。
意識のある五人が協力すれば、魔族の逃走を防げていたはず。
だが、レークスはエリザベスの状態が心配で冷静さを失い、キョウヤはアムネシアを助けようと真っ先に向かう。今は手足についている枷を外していた。
ネクタールは部屋の端で縮こまり、「どこにいるの、どこにいるの」と連呼している。
ミスラも頭を抱え、呪いにかかったように「怖い怖い怖い怖い怖い」と延々と言い続けていた。
ローランだけ定常心を保つが、一人だけで幹部二人の逃走を食い止めることは難しい。
「……仕方あるまい」
柄に添えていた手をやむなく下ろす。
「おい、ミスラ」
「怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い」
「戻ってこい」
ローランがミスラの頭を軽く叩く。
「ハッ」
外部からの衝撃でミスラは我に返り、首をぶんぶんと横に動かして辺りを見渡す。
「ファントムは──」
「ここにはいない」
「あっ、ローラン……良かったぁ」
正気に戻ったミスラは立ち上がる。
「いや〜、恐怖死するかと思ったよ〜」
安心してホッと息を吐き、ミスラが一体どうなったのかをローランに詳しく聞く。
一方で、キョウヤは土属性でアムネシアにつけられていた枷を全て外した。
「大丈夫か?」
「──」
目は開いているが虚ろで、アムネシアからの返答はない。
思い出したように、キョウヤが<回復>をかけていくと、浅い傷はすぐに治る。だが、深く抉れている傷は治療できず、心に負った傷も癒せない。
「おい、生きてるか?」
「……お……に、い……さ、ま」
「ネクタールならあそこにいるぞ」
縮こまるネクタールを視界に捉えると、アムネシアの瞳に生気が宿る。
兄の元へ向かおうとするが、体が気持ちに追いつかない。怪我をした脚ではまともに歩けず倒れた。
「肩を貸してやるよ、ほら」
キョウヤがアムネシアを支え、部屋の片隅にいるネクタールへとゆっくり歩く。
「よし、着いたぞ」
「お、兄……様」
アムネシアはネクタールに倒れ込む。だが、ぶつぶつとうわ言のように呟くネクタールの言葉を聞き、目を見張ったあとアムネシアは意識を失う。
レークスが治療したエリザベスの外傷はほとんど消え、痕は残るだろうが命に別状はない。
「これで一安心、と言いたいところだが、アムネシアはどこに行った?」
「それならあそこです」
キョウヤがアムネシアとネクタールを指差す。
「アムネシアさんは俺が治療しといたんで、外傷は問題ないと思いますよ」
「そうか、ありがとうキョウヤくん。問題は心の傷をどうするかだが……有効そうなネクタールはどうしたんだ?」
「それは俺にもわかりません」
「まぁ、そうだよな。……とりあえず戻るか。悪いがミスラちゃんはアムネシアを、キョウヤくんはネクタールを運んでくれ。ローランくんは先頭で魔物の討伐をお願いしたい」
「無論だ」
四人それぞれの役割を分担したところで、迷宮主の部屋をあとにする。
帰りは来た道を逆走しなければならない。
「キョウヤ、魔物の肉はちゃんと拾っといてね」
「わかった」
ミスラにとって食材は重要なため、キョウヤが忘れないよう先に言っておく。
無事──かどうかわからないが──アムネシアを魔族の手から連れ戻し、ミスラたちは行きよりペースを落として迷宮を逆走した。
◇◆◇◆◇
魔族を退けた翌日──
念の為国全体を探知してみたが、魔族の反応は見つけられなかった。
避難した国民を回復したエリザベスさんが各自誘導し、まる一日かけて帰宅させた。
崩れた民家も少なくない数あるが、ローランの言う通りになる。エリザベスさんを助けた犠牲、と説明したら全員が納得した。
もちろん、私たちが土属性で建て直す。
二日も休めば聖騎士団の魔力は完全に回復し、重症を負った者も誰一人としていない。
シュヴァリナには平穏が戻った。
「とはならない。まだ問題は残ってるんだよね」
翌々日の夕方頃──重要な話し合いなので、ドーム地下にある縦長テーブルに私たちは座ってる。
エリザベスさんは聖騎士団と共に国の復興に奮闘してるから、レークスさんと私たちの五人だけ。
「消えた『呪剣』と聖騎士団団長だな」
そもそも魔族が攻めてくる前から、シュヴァリナではすでに問題が起きていた。
「アリスちゃんも謎だしね」
「私か?」
ローランの膝の上に乗るアリスが首を傾げる。
「名前も言えないし魔法も使えない。どこから来たのかも口には出せないっておかしいよね」
アリスが一番おかしい。特に、魔法が一切使えないなんてありえないはず。
「……確かにそうだな」
「そこで、私の仮説言っていい?」
「なんだ?」
「アリスちゃんって、聖騎士団団長のアーデルハイドなんじゃないかな」
「……私が?」
「時期的にその可能性は充分にありえると思うんだけど、レークスさんはどう思いますか?」
この中で唯一、アーデルハイドさんの顔を知ってるレークスさんならなにかわかるかも。
「うーん……そうだな。ミスラちゃんが言いたいのは、なんらかの魔法で団長がアリスちゃんになり魔力が奪われた、ってことかな?」
「可能性はあるんじゃないですか?」
「そんな魔法は見たことも聞いたこともないが……仮にそんな魔法があったとして、じゃあ誰がやったのか、という話になる」
「魔力で判断はできませんが、顔に面影があるとかないですか? 子供の頃にそっくりとか」
「団長……あえて昔の呼び名で呼ぶが、アーデルちゃんの父親は元聖騎士団団長で、アーデルちゃんの子供の頃を俺は見たことがある」
アリスをまじまじと凝視するが、レークスさんは眉間にしわを寄せる。
「人の顔を覚えるのは得意だが、俺の記憶とは容姿が違うな」
「そうですか……わかりました」
私とは赤ちゃんの頃にしか会ってないのに、見ただけで顔を判断できてた。
そんなレークスさんが言うなら間違いないか。
「地下通路の入り口にある氷のことも知ってたし、国の関係者だと思うんだけどなぁ」
「アリスはあれをどこで知った?」
ローランが自分の膝にいるアリスに問う。
答えることはできないだろうが、その反応だけでなにか判明するかもしれない。
「どこで、か…………なぜか知っていたな」
「なぜか? どういうことだ?」
「そもそも……」
謎を解明しようとしたはずが、アリスの一言でこの謎はますます深まることになってしまった。
「私はどこから来たんだ?」