二章ノ12 『影の中へと──』
──膨大な不気味な魔力。
魔族から見ても異質なものを感知した。それは段々と遠ざかる。遠く、遠く、離れていって、探知領域外へと消えた。
死んだ、というわけではなさそうだが、逃げた、ということだろう。
他の幹部の魔力も消失した。移動した気配はない。即ち、死んだということだ。
「……くっ」
二対一とはいえ、人質を利用して立ち回ることで有利な状況だった。が、残る幹部は自分ただ一人。盤面は最悪な状態となる。
肩を貫通させて脚も射抜いた。横腹からも血を流している。立っているのも限界なレークスとアムネシアなど、あと数分もすれば殺せた。
マーラは歯切りする。力を温存してとどめを、といきたかったがそれは不可能。退却しなければまずいため、今すぐ殺すことにした。
「……幹部二人と人族二人……割に合わん」
ぼやきながらしゃがみ込み、地面に手のひらを当てて<絶対零度>を発動させた。
地面や周りの民家を飲み込んでいき、瞬時にレークスとアムネシアを襲う。
防戦一方の二人に反応できるはずもなく、半径数百メートルは一面氷原と化した。
「……帰還するか」
と、種を返そうとしたマーラは違和感を持つ。
「……おかしい」
通常、人が凍れば人型の氷像になるはずだが、レークスとアムネシアがいた場所は球体状の氷になっていた。
まるで、渦を凍らせたような。
「──っ」
接近する魔力を凍結させる。それは水弾だった。
「……貴様は……」
民家の屋根から飛び降り、透き通った水色の髪をなびかせる。
「私の家族は殺させない」
混乱して混雑し、逃げ遅れた国民の魔力が流れるように遠ざかっていく。
「避難は終わった。もう人質はいないぞ」
球体状の氷像にもヒビが入り、砕かれた。
「逃しはしない」
氷を破った二人に加えもう一人、青藍髪の人族が並び、シュヴァリナの王族である計四人が揃う。
刹那──マーラは<絶対零度>を発動させる。が、<激流螺旋渦>を自分たちの周りに展開することで、エリザベスが全員を守った。
マーラの魔力はほぼ全快。先程まで神器で戦っていたが、魔力は経過と共に回復する。ほとんど魔力を消費しない能力を連射しても、回復がすぐに追いつく。
だが、この状況で神器は役に立たない。
神器<バビアス>は『追尾弓』とも呼ばれ、狙った対象に命中するまで追尾する。が、威力は中級魔法程度であり、四人の幹部級相手には突っつくほどの効果しかない。
「……あと何発で落ちる──」
マーラが焦っていると、レークスたちが地面を蹴り、民家をうまく利用してバラバラの方向から魔法を放つ。
──その中に災害級はなかった。
全て凍結させ、マーラは確信を持つ。
「……もう魔力が残っていないな?」
レークスたちはなにも答えない。が、続けて魔法を連発しないことが、魔力消費を抑えたいという証だった。
<バビアス>から放たれる無数の氷矢から、国民を魔法で守り続けたのだ。レークスとアムネシアには災害級を撃つだけの魔力がない。
エリザベスとネクタールも幹部と戦闘し、倒してここに来ている。すでに満身創痍だろう。
エリザベスは災害級を二度使った。おそらくもう撃てない。対して、マーラはまだ余裕がある。
「……これは防げるか?」
相殺されるなら使わないでおこう、と思っていた<絶対零度>を三度発動した。
対抗手段はないかと思われたが、
「僕が防ぐよ!」
ネクタールが地面を反り上げる。辺りは絶対零度に包まれるが、四人は災害級を使わずして見事に回避した。
アスファルトまでは行かずとも、多少は整備されている地面は土属性で簡単に動かせる。
「……そう長くは持たん」
災害級を防ぐとなると、周りの地面を反り上げて自分たちを囲むしかない。かなり大規模な作業になるため、大幅に魔力を消費してしまう。
四度目となる<絶対零度>をネクタールが防ぐが、超級魔法八発と同等の魔力を失った。
バラクとの戦いでも、何回か覚えてないほど超級を連発し、ネクタールの魔力は尽きているも同然。
容赦なく発動した五度目の<絶対零度>は、いつの間にか立っていた黒髪の少年に斬られて消えた。
「な……なにが」
驚く間もなく真横から一撃。マーラは路地裏を抜けて吹っ飛ぶ。
なんとか衝撃を殺そうと地に足をつけ、摩擦を強くすることで民家にぶつかる前に止まる。が、四方八方から魔力。
焦らず<絶対零度>で対処したが、正面から突き出されていた剣が斬り消す。
留まることなくマーラの胸に突き刺さった。
「くっ」
状況が理解できないが、自分の胸を貫くこの剣が魔法を分解している。使えないようがっしり掴み、マーラは<絶対零度>を放つ。
「私の災害級も撃ち止めだから!」
叫んだミスラが<熔融紅蓮業火>で返す。同じ災害級であり、氷と炎の相性は最悪。
勝てるはずもなく氷は溶け、剣を置き去りにローランは離れる。
──まだこの剣の能力を使えば。
胸を貫いている<レーヴァテイン>を引き抜こうとしたが、マーラの手は剣に拒否された。
「な……なぜっ……」
特定の人物しか使えない神器など、聖剣を除けばないはず。だが、触れることすら叶わない。
災害級でなら相殺できるが、さすがにもう魔力が限界に近く、超級すら難しいだろう。
抵抗する手段はなく業火に飲まれたマーラは、自身を凍結させてかき消す。が、初級すら使えないほど魔力は減少する。
とどめを刺そうとアムネシアがかざした腕が掴まれ、間近に異型の顔面があった。
「ひっ」
恐怖でアムネシアは声を漏らす。鼻がくっつくほどに迫った顔を驚き咄嗟に下がる。だが、正面にはなにもおらず、背後から肩に手が置かれた。
「──っ」
「きみ〜……匂うね〜」
マーラに意識を集中させていたミスラたちが振り返る。視線の先には、アムネシアの首に短剣を当てるパンドラがいた。
「ちょっと聞きたいことがあるから、僕たちについてきてくれる〜?」
命の危機というのを体験したことがなく、思考停止したアムネシアは問いに答えられない。
「まっ、どっちみち連れてくけどね〜」
突然の出来事に冷静さを欠いたレークスとエリザベスだが、娘の危機に正気を取り戻す。
「アムネシアは連れていかせねぇ」
「魔族には渡さない」
二人は同時に地面を蹴るが、
「にゃはははは!!」
助けられないことを嘲笑いながら、影の中へと消えた。アムネシアとマーラを連れて。
レークスとエリザベスの神器<グラム>と<マイヤ>は、無情にも空を斬り裂く。
パンドラの〈影渡り〉など、万全の状態なら対処のしようがいくらでもある。だが、この場にいる誰もが超級一発の魔力も残っていない。
「くっそぉ」
「なんでアムネシアを」
二人にはわからなかった。なぜ、自分たちの娘が魔族に攫われたのか。
「……連れ戻す」
「でも、どこにいるかわからないよ」
「片っ端から探す」
「どこを? シュヴァリナにはもういないかもしれない。それにもしかしたらもう……」
「じゃあどうすんだよ!!」
怒鳴られるのは初めてだった。エリザベスはレークスと喧嘩なんてしたことがないから。
「それは……」
「なんでもいいから探すしかねぇだろ!!」
「……うん」
自分が悪かったと、エリザベスは反省する。
レークスの前以外では冷静なエリザベスだが、予想外への対応が苦手でパニックになりやすい。
昔から諦め癖があり、レークスと出会う前は自分が魔族を倒すなんて無理だと思っていた。
「まだこの国の中にいる」
レークスとエリザベスの不安に、変わらず無表情のままローランが答えた。
「え?」
「どうしてそんなこと」
「奴は聞きたいことがあると言っていた。なにか探しているのだろう」
「なにかって……一体なにを……」
「なぜ奴らはシュヴァリナに来たと思う?」
「……キャメロットやエトワールでは駄目だった理由ってことか?」
頭は良くないレークスはピンときていないようだが、エリザベスには思い当たる節が一つ。
「ここにしかないものが目的。そして魔族」
「そうだ」
エリザベスは納得する。これなら魔族がシュヴァリナに攻めてきた理由の説明がつく。
「狙いは……『呪剣』ってことね」
「あくまで推測だがな」
「なるほど……確かに魔王が使ってたもんな」
エリザベスとローランを会話を聞き、わかっていないようだったレークスも納得した。
「今すぐ殺される心配はないってことだよね?」
そうミスラが聞くと、
「ああ」
ローランはいつもの返答。だが、今回はまだ言葉が続いていた。
「拷問は受けるだろうがな」
「──なら今すぐにでも!」
帯刀する<グラム>の柄を掴むレークスの手を、横に移動したローランが押さえつける。
「落ち着け」
「落ち着けるわけねぇだろ! 娘の危機だ!」
「苦しいだろうが明日の早朝まで我慢だ」
焦るレークスをローランが鎮ようとするが、
「時が経つほどアムネシアが傷つくだろ!」
「今から国中を探してもきりがない。ミスラの体調と魔力さえ回復すれば、魔力探知で居場所は特定できる」
「なに? 国全体に魔力探知を広げるってことか? そんなことできるわけが」
「私が本調子ならできますよ?」
あっけらかんと言ったミスラに、首を動かして丸くした目をレークスは向けた。
「……まじ?」
「まじです」
通常の探知は位置を絞って行うのだが、優れた者は自身の周りに領域を広げ、その範囲全ての把握が可能。
とはいえ、レークスやエリザベスですら半径数百メートルが限界。それ以上は脳が処理しきれずにパンクする。
「シュヴァリナとキャメロットは大体同じぐらいですからね。前に一回試したことがあるんですよ、キャメロット全体の魔力探知を」
「……アーサーから手紙で聞いてはいたが、神の使いって話もあながち間違いじゃないな」
「さすがに一気に全体っていうのは脳が爆発して死にますけど、ちょっとずつ広げていけばなんとか。半刻ぐらいあれば全体が把握できますし、魔族の居場所が近ければもっと早く終わります」
一国といえどそもそも人族の人口は少ないため、広さは北海道の二分の一程度。
「簡単に見つかる場所にいるわけないんですから、デタラメに探しても無駄です。でも、半日後には私の探知で確実にわかります。それまでは、体力と魔力の回復に専念してくださいね」
「……そうだな。ここはグェネヴィアさんを見習って、感情よりも理屈で動くべきだ」
「ちょっとレークス、ミスラちゃんいるって」
「グェネヴィアって、お母さんがどうかしました?」
「あっ……いや、なんでもないよ。こっちの話」
「それ一番気になるやつなんですけど……」
「さっ、早くドームに戻ろう」
あからさまに話題をそらし、レークスとエリザベスは先に歩いていった。
ミスラにとって実の母であるグェネヴィアだが、アーサーと違って全く過去を知らない。
ものすごく問いただしたかったが、言いたくなさそうなので、帰ったら本人に聞いてみようと思った。
◇◆◇◆◇
──そこは闇そのもの。
なにも見えない。だが、通路や部屋は確かにある。暗闇でも目が慣れれば見えるはず。まるで、視覚を闇に覆われているよう。
「『呪剣』はどこにあるのかにゃ〜?」
「……早く答えろ」
耳にはしっかり声が届く。それは聞きたくない声。塞ぎたくとも体は言うことを聞かない。
「……これ以上は無意味か」
「無理やりじゃないと無理かにゃ〜?」
パンドラとマーラには見えていた。全身血だらけで手の爪が全て剥がされ、壁に縛りつけられているアムネシアが。
なにも見えないのはアムネシアだけ。視覚を<暗転>でパンドラが奪ったのだ。
「う〜ん……あの方に教わった魔法を使うか〜」
「……いつになる」
「さすがにあの方みたいにうまくは使えないし魔力も必要だからなぁ……十時間後ぐらい?」
「……二時間は俺が魔力を使わず試しておく」
「じゃ〜四時間寝るね〜。おやすみ〜」
「……好きにしろ」
ケラケラと奇妙に笑ったあと、パンドラは部屋から出ていった。
「……さて……言わねば足をも剥がすことになる」
「…………」
「……だんまりか」
魔族が人族に同情する必要も価値もない。なんの躊躇もなく左足の小指の爪を引き剥がす。
「あぁああぁぁぁあぁぁ!!」
もう何度目かわからない絶叫が響く。数十回は超えているからか、声が掠れて最初よりは声が小さくなっている。
「……飲め」
喉が潰れては<回復>を幾度か使わねばならず、ただでさえ足りない魔力を消費したくない。
無理やりアムネシアの口をこじ開け、マーラは器に入った水を流し込む。
「……人族風情に拷問など──」
魔力の使えない拷問はなかなかに面倒くさいが、殺すわけにもいかない。
喉が潤うまでの待ち時間に退屈するが、マーラはアムネシアの爪に指をかけて準備する。
苦しく痛い悲痛な拷問に耐え、泣き叫びながらもアムネシアはただひたすらに兄を想う。
──全てはお兄様のために。




