二章ノ2 『名前と魔力がない少女』
「……とりあえず食べよっか」
「そ、そうだな」
料理が冷めては困るので、私とキョウヤは席に置かれているフォークを手を取った。
──この世の全ての食材とオーディン様に感謝を込めて、
「いただきます!」
「いただきます!」
ルーティーンのように手を合わせ、目の前にある未知のパスタにフォークを絡める。
「では」
まず、周りの野菜と鶏肉と麺だけを食べていく。
「うん、美味しい」
これだけでも充分すぎるほどに美味しい。真ん中にあるやつを食べたくなくなってくる。
「キョウヤ、そっちのハンバーグはどんな感じ?」
ナイフで斬ると、じゅわっと肉汁が溢れ、そっちにしておけばよかった、と思ってしまう。
せめて、感想だけでも聞いておこうと考えた。
「そうだなぁ。食レポ風に言うと……口の中に運ぶと、ジューシーで濃厚な牛肉の旨味がたっぷりと溢れ出る。舌触りも滑らかで、とろけて消えるハンバーグ。ってことか」
うっわ、めちゃくちゃ食レポ上手いじゃん。これは食べたくなっちゃうよ。しかも、実物が目の前にあるっていう。
「美味しそう」
「肉の気分じゃないんじゃなかったか?」
「実際に五感で感じると、やっぱりハンバーグでもよかったかも」
「あ……そ、それじゃあ俺の──」
「でもせっかく頼んだんだし、この未知のパスタを楽しんで食べる! そこに後悔はない!」
どうせならよく解らないものも食べてみたい。ようやく自由に、歩いて、喋って、食べれるようになったんだから。
「……そうだな」
「ん? なんか言おうとしてた?」
「べ、別に……」
「ふ〜ん。まっ、冷めちゃう前に食べよう」
キョウヤの顔が赤みがかってるけど、そんなにハンバーグが美味しいのかな。またここに来たら、今度はハンバーグを頼もう。
──さて、覚悟を決めるしかないか。
目の前に立つ美しい王妃様。それを横にコテンと倒し、無情にもフォークでグサッと突き刺す。
この絵面大丈夫か、と思いつつ、パスタと絡めて恐る恐る口の中へと放り込む。
「──っ!?」
噛んだ瞬間、私は思わず動揺し、ガタッとテーブルに膝をぶつけてしまった。
「こ、これは……」
──んまーい。
背中に羽が生えたように、天にも登りそうな気分になるほど極上の一品でございます。
野菜と鶏肉だけでも充分だった。だが、そこに王妃様が加わることで、パスタを至高の存在へと昇格させたのだ。
──わずかな雑味とくどさもパーフェクトに消す。全てを包み込む絶妙なマリアージュが、至上なるハーモニーを演奏しているっ。
「はっ! あ、危ない。……もうすぐで昇天させられそうだった。落ち着け……おかしなテンションになってるぞ私」
呼吸を整え、一旦フォークを置こうとしたが、自然に手が動いて止められない。
頭では解ってる。でも、身体が目の前のパスタを食べたいと求めているのだ。この手はもう、お皿の上を殻にするまで、決して止まることはない。
「お、おーい? ミスラ?」
キョウヤの呼びかけに答えることなく、食べ進めること数分後、私はパスタを完食した。
興奮しすぎて顔が熱くなったのを感じる。
「お……おいひかったぁ」
またここに来よう。というか通い詰める。そして、絶対にこのパスタを頼もう。そう、強く心に決めた。
──この味を知ってしまったからにはもう、
「他のものじゃ満足できない身体になっちゃった」
頬を紅潮させて私が呟いた。するとなぜか、キョウヤが顔を赤くし、店内がどよめいたのだった。
──なにをそんなに驚いたんだろう。
◇◆◇◆◇
建物と建物の間にできた路地裏。薄暗いその道に、全身を漆黒のローブで覆う人物が入ってきた。
また馬鹿な旅人が迷い込んだのか、という考えに至ったのも束の間。いつも通り身ぐるみを剥いでやろうと足に力を入れた時、本能で感じた。
──動けば確実に死ぬ。
垂れ流される膨大な魔力。肌で感じる圧倒的な実力差。魔力だけじゃない。全てにおいて勝つ可能性などなかった。
命あっての金。ローブの人物を囲んでいた十数人は、息を潜めて仕方なく引き下がった。
無論囲まれていたことには気付いていた。だが、実力差が解らない訳ではない。それを知っていたからこそ、離れていく魔力を見逃す。
しばらく歩いていくと、ガタイのいい男五人組が、なにかを囲んで笑う声が聞こえてくる。
「こいつは使えそうだ」
「今から鍛えりゃいい戦力になる」
「とっとと捕らえて教育してやろうぜ」
「そうだな」
よく見てみると、男たちの足元には、縮こまっている子供がいた。顔はまだよく見えない。だが、小刻みに震えているのははっきりと判る。
「は、離せ! この私を誰だと!」
「はいはい、じゃあおたくは誰なんだ?」
「私は──あぐああぁぁあぁ!!」
「だから誰なんだよ」
「あぐあ様ですかぁ?」
ハハハと男たちが高笑う。
「くっ……こんな奴ら……」
男たちからはなにもされていないが、子供は突如苦しみ出す。
「もう大人しくしろ」
「そんなに暴れられたら、他の奴らに怪しまれるだろうが!」
「あがっ!」
みぞおちを足のつま先で蹴り上げられ、子供がローブの人物の目の前まで飛んできた。
「あぁ?」
「なんだお前」
「死にたくなきゃ、さっさとここから離れろ」
「もっとも、逃がすつもりはないがな!」
五人の男がそれぞれ魔法を詠唱する。
炎属性と土属性が二人で、一人は氷属性だ。
「詠唱か」
五人の魔法を〈爆破〉で相殺する。
「なっ」
「無詠唱だと」
「嘘だろ」
「たかが中級魔法程度に」
「クソが……てめえなにもんだ!」
氷属性を使うリーダーらしき男が〈氷柱〉が撃つ。だが、ローブの人物は〈炎球〉で溶かす。
「そ、そんな馬鹿なぁ! 今度は低級だとぉ!」
「くそっ!」
「こいつはやべえ」
「ずらかるぞ!」
目の前のローブは危険だと判断し、男たちは背を向けて逃げていく。
「逃がすと思うか?」
ローブの人物は、五人の後頭部に〈岩弾〉を放ち、全員を気絶させた。
後ろにいる子供の顔をよく見てみると、ボロボロの格好で肌も薄汚れている。六歳ほどの金髪の少女だった。だが、どこか気品が漂っている。いい家の育ちなのだろう。
「た、助けてくれたのか」
そんな少女と同じ目線までしゃがむと、ローブの人物はフードを取った。
「ああ」
いつも通りの簡潔な一言。その無機質な瞳で、傷だらけの少女の問いに答えた。
「俺はローラン」
「わ、私は……その……うぐっ」
先程と同じように、少女は頭を押さえ、顔を歪めて苦しむ。
「名前が言えないのだろう」
「わ、解るのか!?」
「なんとなくだ。原因は知らん」
「す、すまない。私からはなにも……」
「安心しろ。解っている」
「──感謝する」
少女らしからぬ丁寧なお辞儀を見せる。
「今傷を治す」
全身の至るところが擦り切れ、血が出ている少女に、ローランは手をかざす。温かい魔力で〈回復〉を使い、少女の傷を治していく。
「す、すまない。実は魔法も使えないのだ。なにからなにまで感謝しきれない」
「ああ」
魔法が使えないなどありえない。だが、事実として少女から魔力は感じなかった。
あっという間に治療を終えると、ローランは少女に右手を差し出す。
「なら俺と来るか? 一人で歩けばまた狙われる。信用できないなら無理にとは言わん」
「本当か!?」
「ああ」
「だ、だが……貴殿に得るものがあるとは思えん」
「ああ。ない。それでも来るか?」
なんのメリットもない。名前も言えず魔法を使えない少女。明らかに厄介になることは確かだ。
それでも手を引っ込めないローランに、少女はポカンとした眼差しを向ける。
そんなうまい話があるわけがない。そう思うのが自然だろう。なにか裏があるに決まっている。
「だが、例えその手を取らずとも、待っているのは破滅のみ。どちらにせよ、貴殿に救われたこの身。もう貴殿のものと言って差し支えない」
少女はローランの手を握り返した。
「貴殿に従おう。どこへでも連れて行け」
「ああ」
握ったままの手を引っ張り、ローランは少女を連れて上空へ飛ぶ。路地裏で寝ている五人組も風に乗せた。
「なっ! き、貴殿は二属性使いだったのか!?」
「いや、全属性だ」
「は?」
少女を含めた六人を引き連れ、ローランは突風に乗って上空を駆けていく。
例え、夜空を誰かが飛んでいようと、闇がその姿を覆い隠し、地上の者が気付くことはない。
◇◆◇◆◇
「──で、そのまま連れてきたと」
「ああ」
夕飯を終えてからしばらくして、ローランが来たかと思えば、他に六人も引き連れていた。
しかも、五人は気絶してて、一人は服がボロボロの少女。
なにがあったかは大体ローランから聞いた。
まさか、シュヴァリナの治安がそこまで悪いとは。幸いキャメロットには余裕あるし、良ければ移住させてあげようか。
「ま、まさか貴殿に仲間がいたとはな。恩人に失礼だが、怪しげな格好であったからつい……」
「ほえ〜。ほんとに変な喋り方だね〜」
「変とはなんだ! 私は──うぐっ」
「あっ、ご、ごめんね! 大丈夫!?」
「あ、ああ。悪意がないことは解っている」
子供とは思えない喋り方。それに仕草も。よっぽどしっかりした家庭環境で育ったんだろうな。
「一つ聞きたい。だが、ここは人目につく。申し訳ないが場所を変えないか」
「もう食べ終わったし、私は全然いいけど」
「俺も後は会計を済ますだけだしな」
「異論はない」
満場一致で決定した。早速キョウヤから二つの財布を受け取り、私が二人分の会計を済ます。
「二人分ですね。金貨三枚と銀貨五枚になります」
「これでちょうどですね」
「はい。それと、こちらのカードを無料で受け渡すことが可能ですが、どうされますか?」
会計の女性店員さんが見せてきたのは、エリザベスファンクラブの会員カードだった。
「あ、いえ、私は……」
「こちらのカード。次回ご利用時にお見せいただければ、『エリザベス様一押し』料理の裏メニューを頼むことが可能となりますよ」
「……」
パスタ、美味しかったな。他にも同じような特別メニューがあるのか。どうしようかな。
心の中で悩む振りをしつつ、私は迷いなく手を伸ばす。会員カードを手に取ると、素早く懐にしまう。
「ありがとうございます、同志よ。次回のご来店もお待ちしておりますね」
店員さんがニヤリとして手を差し出してくる。
──その手を握り返す以外の選択肢は、会員の私には用意されていなかった。
ローラン「次回は『ガスト』が登場する」
ミスラ「がすとってなに?」
キョウヤ「ガスト知らねぇのか!?」
ミスラ「思い当たるのはゴミってことぐらい」
キョウヤ「それはダストだ! 失礼だそ!」
ミスラ「じゃあなんかの最後?」
キョウヤ「それはラスト!」
ミスラ「なら次とか?」
キョウヤ「それはネクストな!」
ローラン「次回、『聖騎士団団長失踪事件』」
ミスラ「失踪事件二回目じゃん」