一章ノ12 『悪魔なんかよりお化け怖いよ〜』
「チミわどれだけ持ってくれるのかなぁ」
強烈な匂いに、正気を保つだけで精一杯。
頭がぼーっとする。身体が火照る。疲れてもいないのに呼吸が荒くなる。
「こっちに来ていいお」
シトリーと名乗る悪魔に、燐光が渦巻く破滅の光線が直撃──したかに見えた。
でも、はじめからそこにはいなかった。
まだ部屋の中にいたシトリーは、災害級を使った人物を睨みつける。
「誰だチミはぁ。おでわ男に用わないお」
「残念ながら俺を惑わすことはできない」
ローランが私を守るように立つ。
「確かにぃ、男の癖にここまで来られるなんておかしいお。チミわ何者なのだ」
「さぁな」
消えた、と思った瞬間にはシトリーの背後にいたローランが〈デュランダル〉を繰り出す。
蜃気楼のようにゆらりと揺れるシトリーだが、そんなことは関係なく突き刺さった。
「あがっ……ば、馬鹿な……なんで効かんないぃ」
「知らん。だがこれは覚えておけ」
シトリーの体を貫通した〈デュランダル〉を通じて、炎の魔力を体内に入れ込んだ。
「ここにはもう来るな」
刹那──シトリーが内側から爆発し、魔力と共に強烈な匂いが消え去った。
歪んだ魔力がなくなり、振り向いたローランから手が差し伸べられる。
「立てるか?」
「あ……ありがとう」
身体に力が入らず、私はその手を取った。だが触れた途端、全身に電流が走ったような感覚。
「あぁっ、んっ」
反射的に出た変な声を手で塞ぐ。
思考がうまく纏まらない。なんかわかんないけど動悸と呼吸が激しくなる。体内から熱気が出て、熱中症みたいに頭がクラクラしてきた。
「それは〈状態回復〉で治る」
「す……すていと……?」
「使えるはずだが……今回は治してやる」
ローランが使った魔法によって、思考を覆っていた靄が消える。
早朝すっきりした気分で起きたような爽快感で、私の意識は完全に戻った。
「あぁ……〈状態回復〈ステイトヒール)〉ね。それぐらいなら私も使えるよ」
「奴の能力は惑わしだな。恐らくここはアンデットの巣だ。そこに幽霊のように惑わしを紛れ込ませていた」
「えっ、じゃあ……なんか頭がクラクラして身体が火照るあれはなに?」
「奴が調合した吸うと効果の出る媚薬だろう」
「び、媚薬……」
ローランがいなきゃ人生終わってたな。
こんなことなら来るんじゃなかった。終始完全に足手まといだったし。
「女である以上勝てなかった。奴の媚薬は男に効果はなさそうだからな」
「そ、そうなんだ……」
「今は先にやることがある」
「え?」
媚薬の匂いがきつすぎて気付かなかった。部屋からまだ漂っていたむわっとした嫌な匂いを。
「ゔっ」
シトリーがいた部屋の中は、その時の惨状が目に見えるほどの悲惨な光景だった。
目の焦点があっておらず、全身ボロボロの女の人たちが捨てられたように倒れていたのだ。
「酷い……こんな……」
「生きている。なら問題ない」
「問題あるでしょ! この中で自殺しない人が何人いるかな! こんなの死んだも同然だよ!」
「なかったことにする」
「は? なにいってるの? なかったことなんてできるわけないでしょ!」
私に背を向け、ローランは一人一人に魔法をかける。傷を治したあとには服を着せていく。
服なんか用意してなかったと思うが、創造魔法で創ったんだろう。
「でも、そんなんじゃなにも変わらないよ」
傷を治した程度じゃなんの意味もない。
だが、ローランは淡々と答えた。
「記憶は消した。感覚も『氣』で飛ばした。傷も全て回復させた。これで解決だろう」
「え? それってどういう」
どういうことかと聞こうとしたその時──消失したはずの歪んだ魔力が膨れ上がった。
魔法が発動した気配はない。
魔力だけで屋敷が爆砕した。
倒れている十人を落ちてくる天井と爆風から〈防御〉で守る。
これだけじゃ足りないけど、瞬時にそう何度も使うことはできない。
多分ローランも防御魔法を使えるから、足りない分は任せよう。
〈雷速移動〉で危険な地下から脱出すると同時に〈暴風嵐〉で瓦礫を吹き飛ばす。
視界が晴れると、邪悪な魔力を纏った醜い巨大ななにかが姿を見せた。
「絶対に許さないぞォォォ!! 人間如きがぁ、おでに歯向かうなァァァァ!!」
怒りに満ちた気色の悪い声が森全体に轟く。
巨大化してより一層気持ち悪い姿になったシトリーが咆哮を上げ、私は感じたことのないプレッシャーに襲われる。
「……許さないのはこっちだよ」
笑の頃ならビビってただろうが、今の私は転生者であり全属性使いの王女ミスラだ。
「お前のしたことは絶対許せない。自国民に手を出されたんだから」
私は鞘から〈ワズラ〉を引き抜き、呼吸を変えて本気モードに入る。
探知の領域を広げて周辺のマナを引き寄せる。
「キャメロット王女ミスラが、お前を討つ!!」
実戦で本気を出すのは初めてだ。あんなことをした悪魔相手に容赦の必要は欠片もない。
「人間の女わみんなおでの物になればいいんだァァァ!! おとなしくその肉体をおでに捧げろォォォ!!」
不快な発言と共に十体に分身したシトリーが私の周りを囲む。
これが惑わしの能力だとするなら、本体はこの中の一つだけ。それ以外は無視していい。
「……気持ち悪いよ」
不快感に悪態をつきながら電気信号を加速させ、一瞬で魔力探知の認識力を向上させる。
「チミもその身体をおで委ねれば良かったんだよォォォォ!!」
十体のシトリーの口から獄炎が吐かれるが、命中する前にマナの流れから本物を見分けた。
他の九つは無視して、本体の獄炎を目掛けて〈侵食の闇〉を撃つ。
蠢く闇が炎を侵食していき、他の炎は私に直撃した。でも、熱くも痛くもない。ホログラムに似てる。
闇と炎が相殺したあと、シトリーの分身は螺旋状に渦巻く激流が飲み込んだ。
「ふぐぅぅぅ──!」
屋敷の地下から、ローランと十人の人族の魔力を感知する。全員無事だったようだ。
今の〈激流螺旋渦〉もローランが発動させたみたい。
分身体は全て消えたが、唸り声を漏らしながらも本体だけは踏みとどまった。
「人間風情がああァァァァ!!」
魔物のように叫ぶシトリーの背後に雷速で移動する。重量を千倍まで上げた〈ワズラ〉の刀身の腹で思いっきり後頭部を打つ。
爆音を鳴らして大地が割れ、煙のようにシトリーは消滅した。
手から離れる前に〈ワズラ〉の重量をスポンジにする。魔力が消えたことを確認し、呼吸を戻して魔力探知を解除した。
「うぐっ──!」
肺に溜まった空気を一気に吐き出し、私は顔をしかめて頭を両手で押さえる。
ズキズキと激痛が走る。痛い。頭が割れそう。
大地に座り込み、瞑想する。呼吸の音に意識を集中させ、コンマ一秒だけ無心になった。
「はっ──はぁ……ふぅー……」
完全になにも考えないっていうのはほんとに難しい。私も三年鍛えてようやくコンマ一秒できるようになったばかり。
脳の伝達速度を上げると相当な負担がかかるから、基本は無理をする前に解除する。
でも、限界まで使う場合には必ず瞑想しなければならない。
「よくやった。さすがだ」
私が独自の呼吸で落ち着かせていると、地上に上がったローランが歩いてきていた。
「さすがだ、って私のことそんな知らないでしょ」
「実力なら充分知っている」
「確かに、そうだったね」
この前模擬戦したばっかりだ。
「倒れている人たちはどう?」
「全員無事だ。俺が防御に専念しておいた」
「さすがだね。私の意図汲み取ってくれたんだ」
「ああ」
ローラン凄いな。アイコンタクトすらしてないのに、長年一緒に組んでたように完璧な連携ができた。
「あっ、そう言えばさっきのことだけど」
「これで依頼達成だな。俺がギルドに状況を伝える。そこの十人を見ていてくれ」
「ちょ、ちょっと待って──って言ったのに……」
光速でローランは行ってしまった。
言いたいことは山ほどある。でも、どうしてもこれだけは言わせてほしい。
「アンデットの巣に私一人を置いてかないでよおおぉぉぉおぉぉ!!」
正確には他にも十人いるけど、誰一人として意識がないわけで。
屋敷は壊れたけど、周りになんか漂ってるし。クスクスとかキャハハとか聞こえてくるし。
「なにも聞こえない。なにも見えない。なにも聞こえない。なにも見えない。なにも聞こえない」
ローランがギルドマスターを連れてくるまで、私は呪いにかかったような状態を続けた。
◇◆◇◆◇
依頼は無事クリアしたが、報奨金はローランに全て譲った。
なにもしてない私がもらうわけにもいかない。そもそも、私はギルドには行かず直接自宅に戻ったのだ。
十人の被害者は、事件に関しての記憶だけがすっぽ抜け落ちたようになにも覚えていなかった。
それ以外の記憶に異常は見られず、連想されるワードを言っても思い出す気配すらない。
ローランの言っていた通り、全部なかったことになった。
でも、それは私を除いての話。
──あれから私は引き篭もりになった。
しばらくは毎日していた料理も作らず、部屋の中だけで生活していたのだが、
「……飽きてきた」
外の世界恐怖症になったけど、アエテルタニスにはアニメも趣味にできる物もない。
趣味と言えば魔法の練習ぐらいしかなかった。でも、室内でやったら王宮殿壊滅だからね。
「……ちょっと外に出てみよっかな」
恐る恐る窓を開け、十メートルぐらいの高さから飛び降りる。
着地の瞬間に突風で浮いて華麗に着地っと。
地球じゃこんなことできないけど、アエテルタニスの方が重力も軽い。
魔法もあるから比較的安全に飛び降りられる。
風が気持ちいいんだよね。一度やったらやめられない。部屋から外に出る時は大抵窓から行っちゃう。お父さんには心配されるけど。
「あースッキリした〜。気分転換に散歩でもしよっかな〜。最近行ってないしね〜」
久しぶりに国民に会ってみよっと。
──この時の私は、そんな軽い気持ちで城下町へと向かった。
王族だからって別に豪華な服装でもないし、そんなに目立たないと思ってたんだけどな。
現在──私を見るやいなやその場にいた全員が一斉に押し寄せてきた。
周りを完全に囲まれて身動きが取れない。
「王女様大丈夫ですか!」
「元気になられたのですね!」
「今朝採れたてのシルフィウムをどうぞ!」
「コカトリスの串焼き差し上げます!」
「今日『ディヴェス』で買った自宅の鍵です!」
「金運アップのパワーストーンです!」
待て待て待て待て待て待て。
「パワーストーン? それなら俺が買いたい。でも……お高いんでしょ?」
「そうですね、白金貨一枚。ですが、今ならなんと九割引! 金貨一枚で差上げます!」
「金貨一枚!? これは王女様も買いたくなりますね〜」
「さらに! さらにですよ。なんと今回限り! 恋運アップのパワーストーンもおつけして! お値段変わらず金運一枚! これは買うしかな」
「ちょっと待てえぇぇぇい!!」
喉を強化して私が叫ぶと、ワチャワチャと騒がしかったのが嘘のように静まり返った。
いや、聖徳太子でもこの人数を聴き取るのは不可能だよ。
てか明らかに怪しげな物売りつけようとしてくる二人組がいるんだけど。
あと自宅の鍵を渡そうとすな。
──カオスすぎるだろ。
二人ペアでテレビショッピングみたいなことしてきたし。どの世界でも行き着く先は同じなのかな。絶対買わないけどね。無駄に高いし。
「まぁでも……みんなの気持ちは嬉しいです」
変な二人組が男の人たちから「こいつが例の詐欺師だ!」とか「捕まえろ!」とか言われてるけど、あえて見なかったことにしよう。
「ありがとうございます」
数日ぶりに心からの笑顔で感謝すると、国民の顔も綻んだ。たくさんの笑顔で幽霊の恐怖をなんとか誤魔化す。
その後、病気とか怪我してる人とか、その他諸々の悩みを解決して回り、気付けばお昼時だったので、私は王宮殿に戻ることにした。
ミスラ「次回はお母さんが登場だね〜」
??「私も出るんだけど〜」
ミスラ「お前は黙れ」
アーサー「お前は黙れ」
??「お父さんまで!?」
グェネヴィア「お前は黙れ」
??「お母さんも!? ていうかお母さんはまだこっちで出てなくない!? 名前出ちゃってるよ!?」
ミスラ「次回、『お母さんはかっこよくて優しい。姉は変態で変質者』」
グェネヴィア「ちなみに、私とアーサーの物語は『聖剣使いの英雄譚』に書かれているぞ」