10・熊さんカレー
「パパ、久し振りの熊さんカレー美味ぁ♪」
まるで歌う様に歓喜の声をあげながら藍は俺が用意したハヤシライスを口に運ぶ。
我が家でカレーを意味する物はハヤシライスの事を指す。
何意味の分からない事言っているんだと事情を知らない人が聞けば思うかもしれないが、我が家でのカレーはハヤシライスなのは間違いなく事実だ。
夕飯のリクエストにジョージからカツカレーを所望された俺は彼女の希望する通りの物を用意した。
藍が言うには世界一のプラネタリウムをジョージと堪能した後、その帰り道で精肉店の惣菜のロースカツを購入し、現在は我が家にて夕飯を楽しんでいる最中である。
藍が歓喜の声をあげて食べている熊さんカレーだが、これは顔、手足、胴体部分をお握りの要領で形作り、カレー皿にバランス良く配置してルーを流し込んでやればまるで湯船でくつろいでいる様な見た目の楽しい一皿が完成する。
顔部分の表情等は海苔を使って作るが、ちょっとした手間で気持ちを寄せている人物の笑顔が見れるなら安いものである。
テーブルを囲んでいるもう一方のお嬢様は大きな丸皿に負けないくらいの存在感を放つ巨大なロースカツを乗せたカレーを無言で口に運んでいた。
歌う様な歓喜の声をあげている藍とは対照的にジョージは黙したままその異文化融合料理を楽しんでいた。
カレーは多様なスパイスを用いてその暑い気候に対抗して来たインダスの食文化が発祥とされているが、それがイギリスのインド植民支配時代に海軍が戦場で大量消費に適した料理として採用したのだとか。
そのイギリス海軍式のカレーが日本に伝わったのが文明開化と騒がれていた時代の出来事だ。
かの偉人、福沢諭吉も激動の時代の中でイギリスから伝わったハイカラな料理に舌鼓を打ったのだとか。
そして日本人の口に合う様に魔改造された料理は現在では国民食とも呼べる料理として世界中から注目されている。
まぁ発祥や歴史なんて云うのは話題のひとつとしての面白さはあるが、結局美味ければ正義なのである。
料理なんてのは美味しく、そして楽しく食べられればそれが幸せに繋がると俺は思っている。
そう云う意味では日本に入って来た"洋食"の数々は八百万文化に上手く馴染み、日常の幸せを数多く作り出す事に貢献しているのは間違いない。
今も目の前で食べてるモノは違えど、その満足度が手に取る様に感じられる二人を見て俺はそう確信するのだった。
『聞いていた以上にカツカレーと云うのは凄いな。』
無言で皿半分を食べ進めていたジョージは落ち着いたのか、そう俺に話題を振ってきた。
お互いの母国語がネイティブでやり取り出来ない為、俺とジョージはスマートフォンの音声翻訳を介して意思の疎通を図っている。
特別に何か伝えたい事でも無い限り音声翻訳を用いる事は無い。
それを使って来たと云う事は夢中になって食べていたカツカレーについて何か語りたいのだろう、俺はそう受け止めた。
「カツカレーは平和を具現化したモノだからな、凄いのでは無く人類が到達すべき当たり前の必然だと思うぞ。」
何を持ってしてジョージが凄いと言ったのか、その意図は分からない。
なので俺は冗談めかしてカレーについての持論をジョージに言ってみる。
『幸運の神がビールを振舞い、その神が保存食まで提供する国からしたらこのカツカレーは神の食物とでも言いたいのか?』
ジョージは恵比寿神のイラストが描かれた金色の缶を掲げて、俺に聞いて来る。
スマートフォンから音声翻訳されたそれは皮肉を含んだものだった。
「カレーは数多くのスパイスで作られる。それだけのスパイスを集められると云うのは平和だから可能な事だ。平和で無くては作れない食べ物を日本人は更なる美味さを求めて手を加えている。カツカレーは平和を象徴する日本の味だと俺は言いたいね。」
平和である国は物流も滞りなく行われる為に食べ物も充実しており美味いのが相場である。
そしてジョージの皿に鎮座していたカツを俺はひょいと摘み口に運ぶ。
厚さが三センチ程もある淡いピンクに彩られたカツは中まで程良く火が通り、口に運んだそれはカレーの濃いルーの味に負ける事無く肉としての存在感と味わいをこれでもかと云う程に俺に伝えて来る。
突然カツを取り上げられたジョージは一瞬驚きの表情して、刹那眉根が険しく上がる。
『平和の象徴を奪うとは人としての尊厳を奪うのと一緒だ。トミーは私に争いを仕掛けたいのか?』
機械翻訳された声は平坦なものだが、スマートフォンに向けていた声の調子からすれば相当御立腹なのは理解できた。
たかだか食べ物ひとつでと思うかもしれないが、その食べ物を巡って起こった戦争と云うのは数知れない。
冗談で笑いながら食事をしたかっただけなのに俺はどうやらその手段を間違ってしまったようだ。
どうしようかとジョージの皿から奪ったカツの残りを口に運びながら思案するが、カツが小さくなる程に彼女の表情はどんどん険しいものになって行く。
こんな気不味い状態だと云うのに肉屋のおっちゃんが揚げたロースカツは絶品だな。
ひとつで五〇〇円もするが、この厚さと大きさならむしろ安いとも言える。
──って、そうじゃない!
今にも殴り掛かって来そうな目の前の女豹を何とか宥めないと。
「お姉ちゃん、熊さんカレーも美味しいよ。」
猛獣を目の前にどうやってこの危機を回避しようか思考を巡らせていた俺に助けを出してくれたのは藍だった。
自分が楽しんでいたハヤシライスの匙をジョージの口の中に半ば強引に捻じ込む。
その藍の突然の行為にジョージは一気に燃え上がった怒りの感情は霧散させられ、黙ってその口に入れられた物を咀嚼した。
匙で運ばれたものが口の中から消えると、藍が楽しそうに食べ進めていたハヤシライスに目を落とす。
ご飯でマスコット的な熊を作り、ハヤシのルーに浸すだけの簡単な物だが、その見た目の愛らしさも手伝って藍はこの熊さんカレーを殊の外、気に入っている。
彼女にとっては外では決して食べられない我が家で出される特別料理のひとつだ。
エルフは唐辛子成分を含むものを食べる事が出来ない。
それでもネット上で様々な情報を入手する藍がカレーと云う魅惑の料理に興味を持つのも我が家に来てからそれ程時間は掛からなかった。
いくらエルフにとってカレーは毒物であると説明しても納得する事の出来なかった藍に対して俺は似た別の物で誤魔化す事にした。
その時に出したのが熊を模したご飯がカレー皿の中のハヤシルーの中で身を委ねる"ハヤシの中の熊さん"だったのだが、藍はこれをこれを熊さんカレーと呼び大層気にいった。
それ以降、我が家でのカレーと言えばハヤシライスを指すものとなった。
なんだか先程も似たような言い訳じみた事が頭の中を過っていた気もするが、気にしてはいけない。
『私もその熊食べたい。』
そんな熊さんカレーに魅せられた人物がまた一人。
先程とはまた別の意味で獲物を狙う表情の女豹がそこには居た。
「その残ってるカツカレーはどうするの?」
まだ半分は残っている皿を示して俺はジョージに問う。
その問いにジョージの表情が曇る。
なまじ美人だとそんな曇った表情ひとつでさえ人の気持ちを動かすには充分な武器になる、その辺り彼女自身は分かっていてやっているのだとした相当な策士だ。
「一緒の物は出してやれないが我慢しろよ。」
俺は溜息を吐きながらジョージの皿を取る。
「悪いけど、熊さんを少しジョージに分けてやってくれるか?」
台所に立ちながら俺は藍に声を掛ける。
藍はそれを聞いて輝かんばかりの笑顔を向けて俺に応えてくれた。
一旦ジョージが食べていた皿を台所に運んだ俺はルーとまだ混ざっていない部分を使って熊さんお握りを作った。
少々ご飯の追加もあったが、大食漢のアメリカ人であれば多分問題ないだろう。
偏見なのかもしれないが、アメリカ人は大味な物を好み大食漢であるイメージが強い。
皿の上に残っていたカツは新たに盛った皿にも飾り付け、まるで熊が丸太を担ぐ様にカツを盛り付けて飾った物を出した。
『カツカレーが平和を表す食べ物なら、この熊カレーは幸せの極みを示す食べ物だな。』
まるで子供の様な笑顔で熊さんカレー(本物)を食べるジョージ。
その食べ方は藍と同じ様に足の方から食べ進め、最後まで見た目を楽しみながら食べていた。
ハヤシとカレーのルーが混ざってしまった部分もあるが、そこは我慢してもらう他無い。
そうして新たに盛り付けられた皿に舌鼓を打ちながらジョージはそんな感想を述べたのだった。
「パパは藍を笑顔にしてくれる天才なんだよ。」
皿に盛られた熊さんを自らの腹に収め終わった藍は御馳走様の挨拶の代わりにジョージにそう告げてる。
『皿の上の豚揚げ物を取られた時は殴ってやろうと思ったけどな。だが写真でしか見る事の出来なかったキャラ弁が食べる事が出来たのだ。その感動にを味わえたのだから、豚揚げ物の事は許してあげよう。』
翻訳された言葉は多少難があるものだが彼女が言いたい事は伝わる。
しかし、熊カレーは彼女にとってはキャラ弁と同じ様な扱いなのが意外だった。
俺自身料理する事は苦手では無いがキャラ弁を作る程凝った事はしない。
今日出した皿だって使ったのは惣菜のロースカツにレトルトカレーと云う手抜きっぷりだ。
俺と藍が食べたハヤシも同様にレトルト物で、それだけだとただのデミグラスソースをご飯に掛けただけと同様なので安い牛切り落とし肉を炒めた物を少々追加しているに過ぎない。
今晩の夕飯は昨晩の回転寿司に比べてしまうとあまりにチープだ。
「お姉ちゃん、キャラ弁って何?」
カレーをビールで流し込む様に食べているジョージに藍は問う。
どうやらキャラ弁に対して興味を持った様子だ。
「This it.
ジョージは自らのスマートフォンを操作して画面を藍に見せる。
俺の座っている位置からでは確認する事は出来ないが、どうやら彼女はキャラ弁の写真を藍に見せたようだった。
その画面を楽しそうに眺める藍、時折ジョージに話し掛けるが、彼女のスマホは藍の手元にあるので言葉は一方通行でなかなか意思相通を図るのが難しい状態になっているようだ。
そんな状態を見ているのがもどかしく俺は席を立ち、仕事机としても使っている場所からある物を手にしてジョージに手渡す。
「Use this.」
俺が手渡したものは以前に使用していたスマートフォンだ。
契約そのものはすでに破棄しているが、室内の無線通信を使用しての利用が可能であり、俺は情報端末としてしてその小さな画面を利用していた。
限定的な利用方法ではあるが、これなら音声翻訳を使用する事も出来る。
スマートフォンを手渡されたジョージは少し困惑したような表情を見せたが俺の意図が分かったらしく、自身の使っている物よりも小さな画面を操作して藍との楽しい時間を満喫しはじめた。
『昨晩もそうだが、お金の話しなきゃいけないよな……』
スマートフォンの画面を見ながら楽しげに会話する二人を見ながら俺はガイド料の話をいつ切り出せば良いのかのタイミングが掴めず一人でモヤモヤしていた。
お読み下さり有難うございます。
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