7・紺色の夜空の下で
『一五ドルそこそこで本物の寿司をあれだけ食べられるなんて日本は本当にファンタスティックだ。』
シカゴからの友人は腹を満たした代金の安さに深夜のビル街を歩きながら歓喜の声を上げていた。
海外でも多少回転寿司は存在するようだが、その数はまだかなり少ない。
そしてその他の寿司バーは日本人が経営している店は皆無で、その多くは二~三時間程度の講習を受けただけのナンチャッテ調理師が料理する怪しげな寿司モドキを出す店が大半と云うのが現実だ。
しかも寿司は鮮魚を扱う料理だと云うのに衛生管理も杜撰な為にそれが元で事故が起こるのは日本で伝えられる数倍はあり、海を超えて日本で報道される事さえある。
もちろんちゃんとした寿司を提供している店だって存在する。
しかしその様な店は大抵高級店で自称貧乏学生であるジョージが食べに行ける様なお店では無い。
海外で展開されている日本の回転寿司店はそれらの本格的な店に比べれば随分と安い料金で寿司を楽しむ事も出来るが、それでも一皿三ドルからすると云うのだからやはりお金の無い学生の身では一大イベントと言っても過言では無い。
そう云う意味でジョージがたかだか回転寿司程度で驚きの声をあげているのも納得出来てしまう状況だった。
概ね好評だった回転寿司だったが、出された物全てをジョージが食べられた訳では無い。
予想通りと云うかホタルイカと蛸は手を着けなかった。
俺は横からそれらを美味しく頂いた訳だが、それを見ていたジョージはクレイジーだと呟いていた。
食文化にクレイジーも無いだろうに……
そのくせヤリイカの握りは食感が面白いと言って気に入ったらしく追加で注文を俺に頼んだくらいだ。
結局見た目が駄目なだけで、その元の姿を感じさせないなら普通に食べてしまう訳だから人とは業の深い生き物だと思ってしまう。
その事を駅に向かう道すがら話をしたら、自分がディープワンズを食べたなんて信じられないと何とも形容し難い表情を見せた。
そんな彼女の様子を見て笑いながら深夜のビル街を歩く俺達。
「お姉ちゃんお寿司美味しかったね、また食べに行こうね。」
藍はジョージに対して無邪気に話し掛けた。
「でもパパから今日来る人は男の人だと聞いてたから藍驚いちゃった。」
美味しいものを食べ、上機嫌な藍は言葉を紡ぐ事を止めない。
その矢継ぎ早に繰り出される言葉の波にジョージは困った顔をして、自らの言葉を自身のスマホに向ける。
『お嬢ちゃん、言葉が分からないんだ。スマートフォンで理解できる言葉に変換して貰えないかな?』
ジョージのスマホからは日本語に訳された言葉が藍に向けられる。
そのスマートフォンからの音声を理解して藍は自らの肩掛け鞄からタブレット端末を取り出す。
しかし今まで音声による翻訳等を使用した事が無い藍はどうして良いのか分からずに戸惑ってしまっていた。
「藍、パパが使い方を教えてあげるから貸してごらん。」
俺はそう言って、藍からタブレットを受け取る。
音声翻訳を行うサイトを藍に教え、それを記録し簡単な使い方を説明する。
その間ジョージはシャッターの降りたアーケード街をウロウロと見て回っていた。
「使い方は分かったな?」
「うん。」
「それじゃさっき話した事をこのタブレットに向けて喋ってお姉さんに伝えような。」
藍は言葉のやりとりが可能になった事が分かるとタブレットを抱えたまま足取り軽くジョージの元に行く。
俺もその後を追い彼女達の会話を聞く事にする。
タブレットで自身が操る言語以外でも会話が可能になった藍はジョージと色々な事を話した。
先程ジョージと云う呼び名から俺が来日するのは男性と思っていた事を藍が改めて聞き直すと彼女は女性名だとネット上では無意味な冷やかし等を受ける為に男性名を名乗っている事が判明した。
彼女の本名はジョアンナと云い通常なら略称はジョーになるのだが、その略称だとどちらの性別でも使われる略称の為に彼女はネット上では男性名であるジョージを使用していた訳だ。
ネット上で言葉を交わしていたとはいえ俺もその名前から勝手に男性だと思い込んでいた訳だが、彼女が音声チャットで言葉を交わさず"会った時に楽しみにしておけ"と言っていたのも彼女なりのサプライズだったらしい。
俺はそのサプライズに見事に引っ掛かった訳だ。
夜の無人に近いアーケード街を抜け、映画村の通りを歩きながらそのライトアップされた通りの美しさに二人して歓喜の声をあげながらはしゃぐのを見ながら俺はベンチに腰を下ろしてその様子を楽しむ。
光に飾られた煉瓦通りを堪能した二人はベンチに居る俺の元にやって来た。
『結構な時間になってしまったけど、本当に帰る事出来るの?高いホテルに泊まるなんて嫌だからね。』
空腹を満たし美しい街並みも堪能したジョージが俺にそう尋ねて来る。
安く旅行をしようと思って俺に連絡して来たのに予約も無く高いホテルに放り込まれたのではソレをされた方としてはたまったものじゃない。
なので心配してそう聞いて来るのは当然である。
『まだ電車も動いているし心配ないさ。』
夕飯を食べ終わって店を出たのは二十四時近く、結構な時間になってしまっているがまだまだ首都圏では普通に電車は動いている時間帯だ。
『それじゃ帰宅しますか。』
とは言え、終電の時間までは残り少ないのも事実だ。
俺はベンチから腰を上げ、駅に向かって歩き出す。
『深夜に雨風凌げる人の少ない場所を歩いていても身の危険を感じる事が無いなんて日本は夢の国の様だな。』
ジョージはシャッターの閉まった地下アーケードを歩きながらそんな音声翻訳された言葉が響く。
『シカゴでは違うのか?』
『この時間帯に人の少ない場所を歩ける程安全じゃない。こんな場所を歩いていたら襲ってくれと言っているようなものさ。』
俺達以外歩く人が見当たらない地下アーケードでジョージは戯けた様にそう応える。
日本で生活をしていると実感は無いが、二十四時間身の危険を感じないこの当たり前は世界から見たら希有な事なのだろう。
彼女の言った国外の現実に俺はどう応えて良いかも分からず曖昧な苦笑を浮かべる事しか出来なかった。
△▼△▼△▼△
自宅に向かう電車の中で格安宿泊が可能な場所として漫画喫茶の存在を教えた。
鍵も簡易的なものしか無く、少し無茶すれば蹴破れるブースに泊まるなんて信じられないと仕切りにジョージは言っていたが、これも日本の治安の良さ故に成り立つ商売なのだろう。
そんな格安な簡易宿泊所としても利用できる漫画喫茶にジョージは興味を示し、ならばどこか紹介した上で一晩一緒に過ごしてくれと言われたが、彼女のその希望に応えられない要因があった。
藍の存在であるが、この灰色肌のエルフと云う存在が一緒であると長時間滞在を前提とした施設の利用は出来ないのである。
エルフと云う存在は猛獣と云う扱いであるが、それは特殊なペットを飼っているのと同義でペット持込み可能な施設と云うのは意外に少ない。
商業施設等ではペットを持ち込む際にはゲージ等に入れた状態で無いと施設の利用が出来ないと云うのは当たり前に存在する。
ただ、エルフと云う存在は言葉による意思疎通が可能な種であり、商業施設内を人間の意思とは無関係に行動する事も無い事からその管理者が同伴であれば施設利用する際に何も言われないと云うだけである。
そんな話をしているうちに俺の借家がある最寄り駅に到着。
『日本はどこもこんなに綺麗な場所ばかりなのかい?』
自動改札を潜ったジョージはその駅前のロータリーを見て再び驚いていた。
俺にとっては灰色にしか感じられない見慣れた場所でしか無いが、海外からの来訪者の見えている風景は違っているらしい。
『綺麗か?』
俺にとっては疑問にしか思えず聞き返してしまう。
『だってそうだろ。このアーケード、ゴミひとつ無いじゃないか。』
駅から直通可能な深夜で人っ子一人居ないアーケードを歩きながらジョージは言う。
『これだけ綺麗なのはここ数十年でと言った感じさ。俺が子供の頃は日本でもそこらにゴミが落ちている事なんて結構あったぞ。』
実際にそんなゴミがそこらに捨てられていた時代に俺は存在していない。
だが、俺がまだ学生だった時代に趣味の関係で付き合いのあった社会人だった人た達からはそんな現実があったのを話を聞いて知っていた。
日本が今の様にどこに居ても清潔に保たれ、路上にゴミが散見しなくなったのはバブル期と呼ばれる時代を過ぎてからだろう。
それ以前は日本も公害やらモラルやらは今程洗礼されたものでは無かった。
『日本は世界の三〇年先を行っていると言われているが、母国もいずれ日本の様に綺麗な国になるのだろうか?』
ジョージは整然としたアーケードを歩きながらそんな事を言う。
『日本は戦後アメリカを目標に頑張って来たらしい。目標になっていた国がいつまでも追い抜かれたままじゃないさ。』
そう俺は返したが、何かキッカケが無ければ国全体の雰囲気が変わる訳じゃない。
俺が物心ついた時には今の日本が当たり前になっていたが、バブル期を境に変わったのならその時代に個人の価値観が変わる大きな転換期があったのだろう。
その価値観が変化した個人一人ひとりが多くなった事で国と云う集団の雰囲気も変わっただけだ。
皆と違えば社会的少数者として白い目を向けられるが、その社会的少数者が全体に広がればそれは集団意識となり、今度はそれらから外れる者は老害や懐古主義者と呼ばれる別の社会的少数者として迫害に似た扱いを受ける。
日本以外の国々は未だ公害やモラルと云ったものは低いままで、それらに警鐘を唱える人々は過去の日本であった様に未だに社会的少数者として扱われるままである。
大衆の意識を変えて行くのは確かに難しい。
しかし日本は日本人はそれを行った事実があるのだ。
他の国の人々だって日本と同じ様に意識が変わり、国全体の雰囲気等が変わると云う事が起こるのだっていつ現実になってもおかしくはない。
俺はそんな期待を込めてジョージに応えた。
『長々と歩かせて疲れたろ?我が家に到着だ。』
駅から暫く歩き、築五〇年近くになる賃貸アパートのドアの鍵を開けながらジョージを迎え入れる為の言葉を俺は口にする。
「入って、入ってぇ~。」
藍は俺が入るよりも先にアパートの中に入って行き、後ろも確認しないまま我が家の中に入り室内の電気を点けながら言う。
我が家に到着したのはすでに日付変更線を越えており、明日の日本観光は遅い時間からのスタートになるだろうと思いながら俺はジョージを我が家に招き入れるのだった。
お読み下さり有難うございます。
作者モチベーション維持の為にも感想、御指摘等お待ちしております。
また不定期連載中の他物語も宜しくお願い致します。
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