Act.01-2-
志紀は慣れた様子で周辺機器を弄っている。年齢には、やはりそぐわない気がした。
景色は後ろに流れていき、やがて見えてきたのは、海に面した、まるで空軍基地のような所だった。
並ぶ、灰色の建物。あれが格納庫だろうかと、少年は座席の後ろからぼんやりと眺めた。
機体は滞りなく滑走路に着陸する。
格納庫まで惰性で滑り込めば、すぐに整備員が駆け寄り梯子をかけてきた。志紀はやはり縄梯子の端を掴み飛び降りていた。それもいつもの風景なのか、誰も咎めはしない。
志紀の降ろしてくれた縄梯子で降りながら彼は周りを見渡した。誰も彼も、志紀が戦闘機に乗っていることに疑問すら抱いていない。
整備員に二言三言交わしたあと、立ち去ろうとして、志紀が少年に振り返った。
「話があるから、皆にブリーフィングルームに集まってもらっている。行こうか、少年」
明るさを装っていたが、彼の声はどこか堅かった。
何故だかは分からないが、彼は酷く緊張しているようだ。いや、緊張ではない。ただ、やはりあの手紙を見てから、対応がどこか固い。
一つ頷くと、志紀は少年を連れて横開きのドアが並ぶ廊下を進む。
しばらく進むと、志紀が足を止めた。見上げてみれば、《ベクター小隊》という教室札がかかっている。
そういえば、先ほどまで歩いていた廊下にも、所々に教室札があった。あれは小隊名だったのか。廊下の光景そのものは学校と何ら変わりはないのに、かかっている教室札に小隊名が書かれているのがどこか歪で、おかしいような気持ちになった。
「少年?」
志紀に訝し気に声をかけられ、慌てて意識を戻す。横開きのドアは自動らしく、その一歩手前で志紀が待っていた。
「すみません、ボーっとしてました」
彼のそばまで駆け寄り、室内を見る。
まず目に入ったのは教壇。本来は黒板があるべき場所にあるのは大きな電子版。
そして、机の代わりなのか、タブレット端末が置かれた台が全部で五つ、等間隔に並んでいた。部屋自体は広くない。ブリーフィングルームと志紀が言ったように、ここは作戦前の打ち合わせスペースなのだろうか。
背を押され、室内に入る。促されるまま教壇に進むと、もうすでに少年が三人銘々に座っていた。定位置なのか、茶色い髪を肩まで伸ばし、前髪をボンボン付きのゴムで結んでいる少年は廊下側の一席、赤毛を左側だけ後ろに撫で付け、ピアスをジャラジャラつけた少年は窓際の一席、柔らかそうな黒髪を小さく結び、眼鏡をかけた泣きぼくろが特徴的な少年は教壇の真ん前に座っている。見事に、バラバラだ。
それをぼんやり見ながら、理解した。
同じ隊にいながら、彼らは単独なのだ。
ただ、《隊》という器に入れられただけで、誰一人、心を通わそうとしていない。
志紀が小さな声で、眼鏡の少年は深山 涼、茶髪の少年は月見里 悠太、赤毛の少年は永岡 智治という名なのだと教えてくれた。
志紀と二人教壇に立つと、それぞれ温度の違う三対の目が、少年に向く。
「彼は、俺がパトロール中に保護した民間人だ」
志紀が切り出すと、涼が静かに手を挙げる。
「民間人なら、シェルターに帰すべきでは?」
「話は最後まで聞いてくれ」
涼の言葉を否定し、彼は続ける。
「少年、すまないが君のことは便宜上『神宮寺 司』くんと呼ばせてもらうよ。」
その言葉に少し迷い、少年――司は小さく頷いた。いかんせん、他に名前を示すものがない。いくら許容できなくとも、その名を飲み込むしかない。
「便宜上ってなんっすか~?」
悠太の疑問に、志紀は少し迷ったようだった。一瞬だけ司を見、悠太に視線を向ける。
「おそらく、この子は記憶に障害を負っている」
彼の言葉に、何より司が一番驚いた。思わず小さな声で「何で」と呟く。志紀はその呟きが聞こえたのが、何故かつらそうな顔で司を見つめた。
「神宮寺くん。君は今が、西暦何年が言えるかい?」
志紀の質問の意味が分からない。西暦? そんなものは誰だって分かるだろう。
「二〇二六年です」
司の返事に、三人が目を剝く。珍しく揃った動きだなと思うのと同時に、それが何故そんなに驚く内容なのか分からず目を瞬かせる。
志紀だけは、「やはりか」とさらにつらそうに眉を寄せていた。
「え、二〇二六年って、あんたマジで言ってるっすか?」
驚いたような悠太の言葉に戸惑う。マジもなにも、知識はそう言っている。知識以外に頼るもののない司には、今が西暦二〇二六年と答えるしかない。
けれど
「神宮寺くん。今は、西暦二〇六八年なんだ」
志紀の言葉に、司の時が止まった。
彼は今、何と言った?
西暦二〇六八年?
まさか
だって
そんなことがあるわけがない。
司の顔が余程悲痛だったのだろう。志紀は静かに目を伏せた。悠太と智治は胡乱気な、正気を疑うような目で見てくる。
ただ一人、涼だけが、涼やかな表情を崩さなかった。
「……ここから先は、涼、お前の方が得意だろう」
隊長の言葉に、小さくため息をついてから、涼は自席のタブレット端末を弄る。すると、教の後ろにある電子版に世界地図が浮かび上がった。
白い点は、建物の明かりだろう。それくらい、司だって知っている。けれど、それが大きく欠けている。
アメリカは、国土が全体の四分の一程。中国と日本、ロシアはおよそ三分の一。南米に至っては半分も明かりが消えている。ヨーロッパ諸国では明かりがほとんどなかった。
明かりがないということは、文明がそこだけ途絶えたということだ。つまりは、そこは滅んでいると言ってもおかしくはない。
司が覚えている世界地図とは大きくかけ離れたそれを、呆然と見つめる。
「まず、現状を理解していただくために、おそらくあなたが勘違いしている項目から説明させていただきます。
現状、日本は《国として機能していません》」
意味が分からず目を瞬かせる。
国として機能していない? なら
「《ここ》は、《どこ》ですか?」
司の問いに、眼鏡をあげながら涼は涼しい顔で答える。
「日本ですよ」
言っていることの矛盾さに、頭が混乱してきた。日本は国として機能していないという。けれどここは日本だという。
何を言っているのか、理解できない。
混乱している司の反応すら予想の範囲と言わんばかりに、涼はまた端末を弄った。
「二〇二八年、世界中に謎の物体が現れました」
言って、世界地図の端に、見たことのない黒い物体が映される。一般人が撮ったのだろうか。それともそこまで恐慌状態の中で撮られたのだろうか。映像は酷くブレていた。それでも、全体像は見える。黒い長方形二つを円柱が繋いでいる、何とも奇妙な構造だ。
それが分かるほどには、《それ》は大きかった。
「正式名称は不明です。ですが、これらは出現と同時に世界の至るところで破壊行為を開始。当
時の軍事兵器では、破損させるどころか《当たりもしません》でした。この物体には、《物理攻撃は一切通用しない》のです。
我々は、あれらを恐怖の種と呼びます」
テラー……恐怖の種。確かに、世界の至るところで破壊行為をしてきたのなら、それは恐怖の種と呼ぶに相応しい呼称だろう。
涼はあくまで冷静に続ける。
「被った被害は、この地図を見ていただければあえて言う必要もないでしょう。とにかく奴らは、無作為に襲ってきます。そこに善悪の基準はありません。各国はみな様々な対策を取りました。その結果発覚したのが、あの物体にはレーザー兵器なら通用するという、ただそれだけです。
二〇三二年、アメリカがレーザー兵器を搭載した試作機を開発、運用を開始。これで対抗策が見えたかと思われましたが、それが甘かった。今までどんな攻撃であろうと反撃しなかったテラーが反撃を開始したのです。世界はまた、テラーによる恐怖に支配されました」
涼は次に、地図に丸を付け始めた。位置で言うなら、イギリス、インド、ブラジルの三か所だ。
「特に大きな被害を被ったのはヨーロッパ諸国とインド、ブラジルです。そこに現れたテラーは、消えずにそこに住み着きました。他のテラーと違い知能があるのか、近寄ろうとするモノ全て攻撃します」
説明を続けながら、涼は四つの写真を電子版に映し出した。それは、サイズこそ違えど同じ形をした、テラーのようだ。
「テラーは大きく分けて四つに分類されています。
最も巨大で知能があり、かつ強いのがアルファ級――おそらくながら、全テラーの親のようなものでしょう。
次に、アルファ級まで行かずとも、ある程度の知能と強さを持つものをベータ級。主要都市に現れ、より多くの被害を出しているのが、これです。
次に、アルファ、ベータに及ばずとも学習機能が付いているものがガンマ級。
最後に、最も出現率が多いのがデルタ級」
説明を終え、涼は地図を日本に絞った。
光は、三分の一になってしまったその国の上に、いくつかの線が引かれていく。
「日本も、当然被害を受けました。自衛隊の所有している武器では歯が立たず、主要都市部は壊滅。現在日本には、《県という概念は存在しません》。そもそも、その存在自体がテラーによって破壊しつくされてしまったのですから、定義仕様がない。よって、今の日本は十二のブロックに区分けされています。それを更に六分割し、対テラー用のボーダーラインを敷きました」
また画像が変わる。いくつかの線が薄くなり、代わりに日本列島を切断するように、六つの線が現れる。
彼の声は教科書を読み上げるように淡々としている。こんなものは常識だと、そう言わんばかりに。
「一番苛烈な部分から、アルファベット順にA、B、C、D、E、Fと定義付けされています」
六つの線に、それぞれアルファベットが浮かび上がる。
「かつての自衛隊――軍部は、現在はレーザー兵器の開発に勤しんでいるようです。
ですが、失われた数が多すぎ人手が足りず、設立されたのが、ここ、《英雄たちの船》です」