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The Ruin's Sky -The unknown’s War-  作者: 月野 白蝶
1/3

Act.01-1-

 始めに認識したのは、潮の香りだった。

 ここは海の近くなのだろう、とぼんやり考える。

 目を開けると、住宅街の向こうに青々とした木々。

 それで、存外近くに山があることを知る。

 視線を落とせば、ひび割れたアスファルトに白線。どうやら、自分は道路脇の歩道にいるらしい。

 そして、手を見た。

 大きくなく、小さくもない、手。

 握って、開いて。手の平を見て、甲に返して。

 思った通りに動く、その、手。

 どうやら『これ』は『自分』らしい。

 そうして、ふと考える。

『自分』とは、一体何だろう。

 名前は、両親は、生い立ちは、友人は、一人称は、口調は。

 分からなかった。

 何一つとして。

 知識は言っている。これは記憶喪失なのだと。

 同時にこうも言っている。知識は残っているのだから、これはエピソード記憶障害なのだろうと。

 そこまで考えて、ふと首を傾げた。

 記憶を無くしたのに、何故自分はこんなにも落ち着いているのだろう。

 しかし、その答えは考えずとも分かり、一人で頷く。

 そもそも、何に焦ればいいのか分からないのだ。

 何も分からなくて、分からなすぎて、逆に落ち着いてしまったのだ。

 なるほど、と頷いた。

 これで他に人なり知人なりがいて、その人が慌てていれば、自分も一緒に慌てただろう。しかし、あたりには誰もいない。これでは自分が何者か問うこともできない。

 試しに声を出してみた。少し低い声。自分はどうやら男のようだ。よくよく意識してみれば、下半身に付くものは付いている。間違いない。男だ。

 次に格好を見てみた。上着は白く長い……これは白衣だろうか。中にはワイシャツを着ている。下は濃い藍色のGパンに革靴。どれも着慣れている風だ。昨日今日着始めたという雰囲気ではない。だが、これはまるで研究者のような姿だ。正確に判断はできないが、推測するに自分の歳はまだ十代中頃のように思う。誰か研究者の助手でもしていたのだろうか。

 所持品は何か無いかと服を探してみたが、鞄が無いのは勿論のこと、財布どころか携帯電話一つ持っていない。昨今どんな田舎者でも携帯電話ぐらい持ち歩いているだろうに。

 ふと、白衣のポケットに何か感触を覚え、取り出してみた。

 それは、封筒だった。

 宛先に群馬県のとある研究所の名前が記されているそれの宛て名は、丁寧な女性の 文字で『神宮寺 司』様とあった。裏に返すと、今度は幼い文字で『あずさ』よりと書いてある。何度も何度も読み返したのだろうか。封筒は少しだけよれていた。中を見るのは勝手に人の私物を覗き見るようで申し訳ない気持ちになったが、この白衣に入っていたのだし、自分のものだと思うことにしよう。何より、『自分』の貴重な手掛かりになるかもしれないものだ。有事の非常事態だからやむなしと誰にとはなく弁明し、封筒を開けた。中には可愛らしい花柄の便箋に、裏面に書いてあったのと同じ幼い文字で文章が綴られていた。

 曰く、自分――『あずさ』は元気であること。

 曰く、兄――この場合は宛て名の『司』のことだろうが、そちらは元気かということ。

 曰く、母も父も会いたがっており、自分も会いたいということ。

 研究所は楽しいか。無理はしていないか。淋しいが、お国のために頑張っているのだから我慢している。一度でいいから返事が欲しい。

『兄』を慕う妹の言葉が、そこには並んでいた。

 この『司』という人物は、国のために何かする研究所にいたようだ。まさかこの年で研究員なはずがないから、やはり助手をしていたのだろう。

 知識は言っている。


――この研究所は、軍事兵器の開発機構なのだと――


 ゾクッと、背筋が凍った。

 何だ、今の知識は。軍事兵器? まさか、そんなはずはない。だって、だってもし自分が『司』で、その研究所にいたのだとしたら、自分はこの歳で軍に関わっていたことになる。

 そんなはずはない。

 そんな馬鹿な話があるわけがない。

 そうだ、もしかしたらこの手紙は自分に宛てたものではないのかもしれない。たまたま拾ったものである可能性だってあるじゃないか。

 きっとそうだ。

 そうに違いない。

 そうなんだ。

 だとしたら、


『自分』は『誰』だ。


 答えを求めて、辺りを見渡す。

 けれど、誰もいない。

 いや、それどころか、車一台通っていない。

 自分は『自己』を意識し始めてから随分この場所にいるけれど、その間、車の排気音を、一度たりとも聞かなかった。

 おかしい。

 これは、明らかにおかしい。

 ここはまるで――まるで、死んだ街だ。

 後ろからは波の音が聞こえる。木々のさざめく音がする。世界は確かに生きている。

 それなのに、どうしてここだけ死んでいるのだろうか。

 右を見る。

 左を見る。

 どこまでも続く道路。

 どこまでも続く住宅。

 どこへ向かえばいいのかさえ分からず、ただ呆然と立ち尽くす。

 突風が吹いた。

 次いで、聞こえた轟音。

 咄嗟に顔を庇い、風をやりすごすと、視界の外に一機の戦闘機が着陸するのが見えた。

 ダークブルーグレーのカラーリング。尾翼は二。機首はシルバー。ガトリング砲が付いているはずの部分には何か違う武器が付けられている。ミサイルも搭載してないようだ。ただの、非戦闘用の機体なのだろうか。

 それにしても、見たこともない戦闘機だ……いや、待て。どこかで見たことがある。現物ではないが、似たようなものをどこかで見たことがある。知識として残っている。

 そう、戯れにつけた、《××××》というロボットの設計図が、知識に刻まれていた。何だったか。名前の部分だけが削げ落とされたように出てこない。

 でも、何故。何のために。どうしてこんな知識が出てくる。

 彼は、初めて怖いと思った。

 他ならない、自分を、怖いと思った。

 何なんだ、この知識は、

 何なんだ、この記録は、

 おかしい。絶対におかしい。

 普通ならば、見ただけで戦闘機かどうかなど分からないはずだ。一般の人間ならば、まず見る機会が少ないはずなのだから。

 群馬にあると『知識が言った』軍事兵器開発機構。

 見たことのない戦闘機だと即時に『知識が言った』戦闘機。

 この、自分の頭は、絶対に、おかしい。

 思わず両手で髪を掴む。

 そうでもしないと、叫びだしてしまいそうだった。

 混乱の極致に陥っている少年の、数メートル先で止まった機体から、一人のパイロットが降りてきた。梯子も使わず、膝の動きだけで着地の衝撃を流す。片手にはちゃんと縄梯子の端を持っているのだから、これがおそらくあのパイロットの通常なのだろう。

 機体から自分の方へ走ってきながら、パイロットはフルヘルメットを脱いで、一度軽く頭を振った。ヘルメットのせいで張り付いていた髪がサラリとほどける。

 そのパイロットは、少年だった。

 十代半ば、どれだけ見繕って二十歳前の、少年だった。

 パイロットスーツに身を包み、けれど、それに違和感が無いのが不思議なほど、どこにでもいそうな普通の……いや、顔立ちは非常に良い、少年。


「君、どうしてここに? 今日は注意報が出てるから、この辺一帯の住人はシェルターに入るよう、朝、報道されたと聞いているのだけれど」


 注意報――それは分かる。暴風雨などの際に出る勧告のことだ。

 シェルター――これも分かる。有事の際の避難所だ。

 しかし、この二つが結びつかない。

 いや、それでいい。首を振る。

 もう、この頭から出る情報など欲しくなかった。

 また、恐ろしい情報が出る確信があった。

 いつまで経って喋らない少年を訝しんだのか、パイロットは今思い立ったと言わんばかりに手を叩いた。


「そうか、まずは自己紹介しなきゃだな。いきなり戦闘機で登場じゃ不審がるのも当然か」


 そう言い、彼はにっこりと人好きのする笑みを浮かべる。


「俺の名前は遠坂 志紀。《アルゴノーツ》のベクター小隊一番機に乗っている。今は……まぁパトロール中だから正規の機体じゃないけれど、所属は本当だよ」


 ほらと、彼が見せてきたのは、明らかに学生証だった。

 シールド型の中に赤と黒と黄色のストライプ。星が五角形に配置されている。

 それを身分証とするくらいなのだから、有名な物なのだろう。けれど、変わらず知識は沈黙している。


「それで、君の名前は? 危ないからシェルターまで送るよ」


 彼――志紀の問いに、返事を惑う。まだ自分は『自分』を、『神宮寺 司』と容認できていない。

 けれど、じゃあお前は誰なのだと問われると困る。

 そんなこと、自分が一番知りたい。

 沈黙を保ったままの少年に、志紀は困り顔で後頭部を掻いた。


「じゃあ、住民IDカードならあるだろう? それを見せてくれないかい?」

「住民IDカード……」


 困った。実に困った。先ほどから志紀の言っている言葉を何一つとして知らないのだ。

 ――おそらく、『今』を生きている人間なら、当たり前に知っていることを。

 俯いてしまった自分の頭上から、困ったような小さなため息が聞こえた。この志紀と言う少年も、この状況をどうしたらいいのか分かりかねている様子だ。

 ふと、志紀の指が自分の持っている手紙を指した。


「君のかい?」


 少し躊躇い、


「……多分。この上着に、入っていたので……」


「失礼するよ」と言って、志紀が手紙を取る。


 裏面の差し出し人を見、表に返し、


「何だ。名前がキチンと書いてあるじゃないか。神宮寺 司くんだね。宛て先は……え?」


 住所を見た志紀が、眉を寄せる。



「……群馬?」



 県名を、口に出して読む。

 何かおかしいだろうか。群馬県など、関東に住んでいれば名前くらいは聞いたことはあるだろう。

 そうだ、聞きたいことと言えば、


「すみません、ここは何県ですか? 最寄りの交番を教えていただけると更に助かります」


 問うと、視線をこちらに向け、志紀はますます困惑してたような顔をした。


「君は、」


 何か言おうと口を開き、志紀は何故か唇を噛み、

 そして、少年の手を取った。


「え?」

「すまない、君をシェルターまで送る予定だったが、事情が変わった。俺の機体に乗ってくれ」


 早口でまくし立て、「どうやら」と志紀が付け足す。



「……君は訳ありのようだ」



 その言葉に、少年は息をのむ。

 何故、

 何故、それを?

 問いただす暇さえ与えず、志紀は縄梯子の端を少年に掴ませた。


「先に登ってくれ。狭くなってしまうが、席の後ろに座ってほしい」


 言われるがまま、座席の後ろに座った。座席の後ろは酷く狭い。四方を機械で覆われているその場所は決して座り心地の良いものではなかったが、どうしてかしっくりと落ち着いた。

 知識は言っている。この機体は単座らしく、複座と違いメインパイロットを補佐するオペレーターが座る場所がないなのだと。

 だからっ!

 両手で前髪を掴む。

 どうしてっ! どうしてこの頭はそんな知識ばかりを吐き出すんだっ!

 恐れと未知への恐怖感でいっぱいいっぱいな少年の前方の席に、志紀が座る。おそらく足元に置いていたのだろうヘルメットの埃を軽く手で払い、シート越しにこちらへ渡してきた。


「予備のヘルメットだ。一応かぶっておいたほうがいい」

「分かりました」


 少年がヘルメットをかぶったことを確認してから、志紀は色々な機械を弄り、ヘルメットに内蔵されているマイクに声をかけた。


「こちらベクター1。司令塔、応答願う」


 間を置かず、ヘルメット内蔵のスピーカーから不鮮明な女性の声が響く。


『こちら司令塔。どうしました? ベクター1。注意報はまだ発令されておりませんが』

「実はパトロール中でね。確認したいが、今日のスクランブル要員はウチの隊で合ってるか?」

『はい。ベクター隊、各自待機中です』

「分かった、じゃあ俺は今から帰還する。全員に、ブリーフィングルームに集まるよう伝えてくれ」

『了解しました』


 言っている内容は何一つ分からないはずなのに、少年は知っている。こういうやり取りを知っている。聞いたことがある。いつ? どこで? 分からない。分からないけれど、知っている。


「ああ、そうそう」


 まるで今日のおやつについて語るような気軽さで、志紀は付け加えた。


「民間人を一人保護した」

『はい?』


 司令塔とやらにいる女性の声が困惑さを乗せる。


『民間人、とは?』

「そのまんまの意味さ。シェルターまで送るつもりだったがちょっと事情が変わってね。同乗してもらってる。複座機でくれば良かったよ」


 返す志紀の口調はどこまでも軽やかだ。まるで、動揺している女性こそがおかしいかのように。


『ベ、ベクター1っ 民間人とは』

「おっと、そろそろ出ないと間に合わないな。基地近くになったらまた連絡する」


 言って、志紀は通信を切ったようだった。そして、肩越しに少年を振り返り、ニッと笑う。


「ってことだ、ちょっとばかり狭いタクシーで悪いね。少しの間我慢してくれ。あ、あとその辺の機械は弄らないでもらえると助かる。なんでも、めんどくさいらしいから」


「詳しくは俺も知らないんだ」と、どこまでも明るく彼は笑う。

 つられて、少年もクスリと笑った。

 それを見た志紀は、今度は声を上げて笑う。


「ようやく笑ったな! 君、せっかく顔立ちがいいんだから、もっと笑ったほうがいい。その方が人生楽しいからね!」


 それを聞いて、少年は彼が一番 (リーダー)機になった所以を知ったような気がした。

 轟音を響かせ、機体が前進する。離陸するには、この住宅地は適していた。何しろ、どこまでも一直線の道路なのだから。


「では少年、空の散歩と洒落こもうか!」


 声と同時に浮遊感。上からGがかかり、機体が上昇していくのがわかる。

 思わず、ガラス越しに下を見た。

 自分がさっきまで途方に暮れていた、その場所を。




 何かが変わる。

 そう、どこかで確信した。

 ここから、何かが変わっていく。

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