97 薬指の傷
小雨が降っている。
小高い丘を、俺たちは馬に乗って、登っていた。
この丘を登るのは、これで三度目だ。
一度目は、カメス・メイスとロドロムの取引を止めるためにクワルと一緒に。そして二度目は、ライカンの猛将ドラガン将軍との決闘のために。そして今回は、仲間が待っている。
トリンドル城塞跡地は、閑散としていた。
かつて、ライカンの祖先であるライガルーという種族がここで戦い、滅んだ土地だという。この城塞は、今から二百年ほど前にあった戦争で使われたものらしい。
馬を降り、遺跡になりかけた廃墟を歩く。
自分の呼吸の音が、随分大きく感じられる。
静かだった。
「クワルー、クワルー」
雨の中に呼びかけてみる。
一応、ジャンヌやカールの名前を出すのはやめておく。
暫くそうして歩いたが、反応がなかった。
――まさか。
最悪の事態を想像してしまう。三人は、すでに、何者かに捕まって……。
「クワル! クワル! 返事をしろ!」
声のボリュームを上げる。
だが俺の声は、霧雨の中に吸い込まれていくのみだった。
俺は、見覚えのある廃墟を見つけ、中に入った。クワルと一夜を明かした(決して変な意味ではない)場所だ。
扉のない入り口から中に入る。
がらんとしていた。もしかしたら、という期待は、一瞬で消え去る。
チチチ、チチチ。
部屋の隅に、プレーリードックのような小動物がいた。非常に、かわいい。何かを食べている。よく見ると、その小動物の前には袋があって、その袋の中身を食べているようだった。
雑穀、ではない。白い、米のような――というか、米だ。なんでこんなところに米があるのだろう。
俺とエイルは建物を出、また歩いた。
「いないな……」
独り言のように呟く。
エイルは、周囲をゆっくりと見渡していた。
「近くの町に移動したのかも」
「近くの町か……」
そういえば、エイルと初めて会ったのは、ここの近くの町だった。ドラガンの救出に失敗し、クワルまでも連れ去られ、そしてカメス・メイスから命からがら逃げ出した先の町の宿で、出会ったのだ。
あの町が、ここから一番近いだろうか。
「移動したなら、その先を伝えるはずじゃないか?」
「伝えようがなかった、とか」
「そんなに切迫した状況だった、のか?」
それは例えば、どんな状況なんだ。
と、考えようとした時である。
――ズウンと、急に体が重くなった。重くなる感覚があった。
「ふ、うっ……!」
エイルは膝と両手を地面に着いた。
――結界だ。
俺はこれを知っている。まさに一年前、ここで、カメス・メイスの魔術師によってこの攻撃を受けたのだ。体が重くなって、動かなくなる。まるで、全身を縄で縛られ、背中に大きな岩を乗せられたかのように。
だが今の俺には、『アビスオーラ』がある。
これくらいの結界は、通用しない。
「ほぉ、この結界の中で、立っていられるのか」
建物の影から、男が現れた。
白服に青のサージュ、その上から、袖口や裾が金糸で縁取られた、純白のザーオを着ている。――聖退魔術師だ。
そして俺は、そいつの顔に見覚えがあった。
――セシュー。
黒狩り部隊の隊長だ。去年行われた魔術武闘会で、準優勝だった男である。しかもこの男は、ロッカに勝っている。どんな戦いだったのかは知らないが、あのロッカに勝つのだから、魔術師としての力も確かなのだろう。
建物の影からメイスを掲げた聖退魔術師が二人、三人と現れる。結界はその間にも、エイルを苦しめている。
「女と子供をどこに隠した」
セシューが訊いてきた。
だが俺は、教えるつもりはない。というより今は、俺が訊きたいくらいだった。三人は本当に、どこに行ってしまったのだろうか。
「隠蔽の呪いをかけたか?」
俺は答えない。
向こうがそう思うなら、そう思わせておいた方が良いだろうと思ったのだ。その術がどんなものなのか、俺は知らない。
「お前を殺せば術が解け、二人が姿を現す――そういう理解でいいのかな?」
セシューが訊いてくる。
なるほど、隠蔽の呪いというのは、そういう術なのか。便利な術もあったものだ。そんな魔法が使えるなら、俺は迷わず、皆にそれをかけただろう。
「まぁいい、どうせ口を割らないのだろう。試しに殺してみて、いや――そっちの女に訊いた方がいいかな?」
「どいつもこいつも――」
人の命を道具のように扱いやがって。
「しかしお前は知っているのか、お前が隠している者のことを」
「さぁ」
「なるほど、僧侶らしい慈悲の心というやつか。だが、あの者たちは、お前が思っているような人間ではない。あの子供の方は、魔王の眷属だ」
またそれか。
確かに、そういうことでもなかったら、わざわざ黒狩り部隊などでてきはしないだろうが……。つまりカールは、黒魔術師のような、忌むべき存在というわけだ。――何が忌むべき存在だよ。小さな子供を、寄ってたかって迫害しやがって。
「そうと知って、なおも庇うか」
「殺す気か?」
「それが、我々の仕事だ」
「お前たちとはわかりあえないな。かかってこい聖退魔術師。俺は――黒魔術師だ」
俺は、左手を握りしめた。
薬指に切れ目が入り、血がにじみ、滴が一滴、草の上に落ちた。
瞬間――。
「あぁぁ!」
「うわぁあ!」
結界を張っていた聖術師が、メイスを弾き飛ばされ、その場に転がった。供血魔法による『アビスオーラ』。結界は普通、外から破るもので、内側から破るというのは、かなり常識離れした芸当であるらしい。
だが俺には、できる確信があった。
セシューが、光の魔法を放ってきた。
俺はそれらを『ダークバインド』で受け止め、魔法は受け止められた先から消滅した。
結果の拘束が解け、エイルが立ち上がった。
光の矢、レーザー光線のような聖なる槍の魔法、そして、邪悪を消滅させる追尾性の光の球体――セシューの魔法はどれもこれも、完成度が高かった。
だが、怖くない。
一年前、ベイフと対峙したときの、あの怖さがない。今の俺は【アビスメイジ】になり、確かに一年前の自分よりも、遥かに強くなっている。
だが、今仮にベイフと戦ったとして――勝てるかどうかは正直な所、わからない。
だが、この男――セシューであれば、勝てる。
俺は、『マナドレイン』を念じた。
俺めがけて飛んでくる魔法が一瞬で消滅し、セシューの纏う『セイントオーラ』も、マナごと吸い尽くす。セシューは、よろめいて、草の上に膝をついた。
「何を、した……」
セシューが、俺を見上げながら、睨んでくる。
俺はその視線を受け止め、じっと見降ろした。
その間は、ほんの数秒だったかもしれない。セシューの、怒りと憎しみの感情が、視線を通して伝わってきた。
「エイル、逃げるぞ!」
俺とエイルは、踵を返し、馬の元に駆け出した。
そうはさせるかと、三人の聖退魔術師が俺たちの行く手を阻んだ。光の矢が飛んでくる。俺は走りながら、『アビスブラスト』で魔法ごと、その三人を蹴散らした。
馬に飛び乗り、「はっ!」と掛け声をかけて丘を下る。
雨が、強くなってきた。
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馬を走らせて三時間ほど。
俺たちは、例の町にやってきていた。エイルと初めて会った町である。町の名前は、ランペンという。ラン鉱の通り道、という意味の名前らしい。
宿をとり、部屋に入った。
人目につかないように、食事も運んでもらった。
キャベツ、タラの芽、赤ピーマン、サラミ、それにパンの添えられたサラダ、温かい枝豆の緑のスープ、そしてガーガー鳥の焼き肉を薄く切って盛り付けたもの。それに加えて、蜂蜜酒。
まるで、宴会のような豪華な食事である。
エイルは俺の正気を疑ったが、さすがに俺も、こうなると食事くらいは楽しみたかった。
傭兵の一般的な食事といえば、スープに硬いパン、そしてちょっと余裕があれば、甘くて薄い酒、という質素なものだ。たまに大きなクエストを成した傭兵が、酒場でガーガー鳥の丸焼きなんかを焼かせて、皆にふるまったりしているが、そういう傭兵だって、普段はスープにパンだ。
「生きてることに乾杯」
俺は、エイルのグラスに乾杯し、蜂蜜酒を一気に飲み干した。手酌でさっそく二杯目を注ぐ。エイルは、俺が無理やり注いだ蜂蜜種に、静かに口をつけた。俺はその間に三杯目。
俺は決して酒飲みじゃなかった。
酒に逃げる大人は、嫌いだった。
だが今は、酒に逃げたくなる気持ちがよく理解できた。
「あぁ、ちくしょう、どいつもこいつも、俺たちを悪者扱いしやがって」
肉を頬張る。
次に野菜。パンなんて齧るもんか。枝豆のスープは絶品だ。
エイルはスープにパンをつけ、口に運んだ。
「でも私たち、やってることは完全に悪者よ」
「どうして?」
「王国にたてついてるんだから」
「だから悪者か?」
「うん」
まぁ、そういうものなんだろう。
第一俺は黒魔術師だ。この国じゃあ、それだけで悪党なのだから、今の俺は、二重に悪を重ねる大悪党ということになるのだろうか。
「いっそ国を転覆させるか」
「馬鹿言わないで」
「……冗談だよ」
「貴方が言うとそう聞こえないわ」
「え……俺、そんな風に見られてるの?」
「貴方の力が……」
「あぁ……」
黒魔術の事か。
確かに他人からすればそうかもしれない。俺自身はそんな気はないし、そんなことができるとも到底思えないからやらないが、周りは、俺の考えなんて知らないのだから、想像するのだろう。
酒を飲む。
四杯目か、五杯目か……。
「私は、貴方がそんなことをするなんて、思ってないけど……」
「無理しなくていいよ。――怖いんだろ?」
「怖くなんてない!」
エイルが言った。
図星だったか、と俺は苦笑する。
「いや、エイル……俺だってちょっとは魔法を勉強した。自分が何をしてるか、何となくわかってるよ」
俺は、左の掌を見た。
薬指の腹に、一センチほどの黒い切れ目が入っている。【アビスメイジ】になって、供血魔法を使ったら、この傷ができていた。
治癒魔法でも塞ぐことはできない傷だ。
「そういうつもりで言ったんじゃないの」
「わかってるさ」
俺は何杯目かの酒を飲もうとした。
ところが、エイルが俺の腕をつかんできた。
「わかってない」
じっと見つめてくる。
俺は酒を置いた。
「何が」
「私は、貴方を怖がってなんかいないわ」
「だとしたら、少しおかしいよ」
自分でも驚くくらい、冷たい声でそう言ってしまった。
エイルの目の光が、一瞬揺らいだように見えた。
「なんでおかしいの?」
「見てただろう、俺の魔法」
「だけど――」
「いや、そうだよエイル、俺は別に、死んでいった奴らに同情するつもりはない。あいつらは、俺たちを殺そうとしてきた。そんな連中に慈悲をかけるほど俺だって、馬鹿じゃない。でも――あんな死に方ってあるか? 俺に触れようとしただけで死んでった。俺は、この数日で何人殺した? 黒狩りの連中から逃げる時だって、俺は殺したかもしれない。あいつら、殺すような奴だったか?」
自分の言葉が突き刺さる。
そうだ、俺は、たくさん殺してしまった。人を殺してしまった。
俺のせいじゃない。俺の力のせいだ。俺を殺そうとしてきた、向こうのせいだ。自業自得だ。そんなことは、頭ではわかっている。
殺そうとした方が返り討ちに合って殺される。何も不自然なことはない。殺されないために殺したのだ。正当防衛だ。
正義は俺にある。
だが……。
――だから、何だっていうんだ。
事実として、俺はたくさん殺したんだ。それぞれに生活があり、家族や友達があったことを思うと、やりきれない。相手が俺を殺そうとしてきたのは解っている。でも、やりきれないのだ。
俺は新しい蜂蜜種の瓶を開けて、ラッパ飲みした。
エイルが腕をつかんで、止めようとしてくる。俺はそれを振り払って、飲んだ。
エイルが、俺を止めるために刃物を持ちだしたら、俺の『アビスオーラ』は、エイルまでも殺してしまうのだろうか。
「グリム――」
「俺に近寄るな!」
俺は立ち上がり、怒鳴っていた。
俺は、なんて力を持っているのだろう。クワルもエイルも、ジャンヌやカールさえ、俺の力は、殺しかねない。俺の意思とは関係なく、この力は俺を守ろうとする。
怯えた目でエイルは見上げてくる。
――そんな目で俺を見るな!
気づくと俺は、瓶を床に投げつけ、部屋を出ていた。階段を転げるように降りて宿を出、その後の事は、覚えていない。




