96 逃げる男の仲間たち
ガラスを突き破って、何者かが部屋に入ってきた。
同時に、壊した扉からも人の影。
侵入者は、部屋に入ってくると同時に、ベッドの上に飛び乗った。そこに誰もいないことを知り、素早く部屋を見渡す。
暗闇の中で、俺と襲撃者は視線を交わした。
殺意のない、ただ冷酷な視線。
――斬りかかってくる。
俺はエイルを壁際に庇い、斬りかかってくる襲撃者に背を向けた。『アビスオーラ』が発動し、襲撃者がくぐもった呻き声をあげる。
からん、とナイフの落ちる音。
もう一人の襲撃者が、間髪入れず襲い掛かってくる。だがこれも、『アビスオーラ』に阻まれ、刃物を落として蹲まった。
俺はエイルを起こし、背中に庇いながら部屋を出た。
部屋を出た瞬間、矢が飛んできた。
矢は俺の眼前で消滅し、黒い霞となって散っていった。だが、それだけでは終わらなかった。床が――爆発したのだ。床が崩れ、俺とエイルは、床の瓦礫とともに落下した。
落ちても俺は怪我をしない。
危険な木材の破片も、落下の衝撃も、全て『アビスオーラ』が排除している。近くにいたおかげで、エイルもその恩恵を受けたらしい。――無事だ。けほけほと、噎せてはいるが。
暗闇の中から、再び矢が飛んでくる。
霊的な力を帯び、その矢じりには毒が込められているようだった。が、『アビスオーラ』を突き通すことはできない。
相手もそれを悟ったのだろう、いくつかの人影が俺たちを囲み、直接斬りかかってきた。もう少し察しの良い相手だったなら、俺に攻撃をすること自体を取りやめただろうが、向こうにも引けない事情があるのだろう。
哀れな三人の襲撃者は、『アビスオーラ』の呪いをもろに受けて、瓦礫の中に倒れこんだ。
俺たちは、宿を出た。
宿の人々の大声が遅れて聞こえてくる。さすがに起きたのだろう。
外に出ていくと、敵意の念と人の気配をいくつも感じ取った。
十人はいるだろうか。
それに、囲まれている。暗闇の中に、微かに、人の動く気配がある。
数秒ほどの逡巡。
俺も、向こうも、ここに至るまでの全てのプロセスと、ここでの決断がもたらす未来、そして其々の決断におけるリスクとリターンを責務・任務の優先順位と照らし合わせ、総合的な評価を下す。
最善の決断を引き当てるための、稲妻のような熾烈な思考の電流が、脳みそのミクロの回路にスパークする。
動いたのは、向こうだった。
暗闇の気配が、さっと消えてゆく。相手は、撤退を選んだ。周りの建物の灯りがつき始める。
「なんだこれは! なんてこった!」
宿の灯りが灯り、主人の叫び声が聞こえてきた。
そりゃあ、叫びたくもなるだろう。
俺たちも同じような気持ちだ。だがこっちは、すぐに身を隠さなければならない。嗅覚の鋭い傭兵や賞金稼ぎは気付くに違いない。宿が派手に破壊され、そこには身元の知れないいくつかの死体が瓦礫とともに転がっている――賞金首がここにいたのだ、と。
俺たちは町の外まで、人目につかない道を選び、急いだ。
明日になれば、噂を聞き付けた冒険者たちが、この町にやってくるだろう。今日中にこの町を出て、身を潜めなくては。
厩で馬を失敬し、『パペットカース』で門番を呆けさせ、その隙に門を抜け、町を出る。馬を盗むことにも、人に『パペットカース』をかけることにも、罪悪感を覚えなくなっている。
暗闇の一本道、馬を一時間ほど走らせて休憩をとる。
魔物の気配が漂っている。差し迫った脅威はないが、その危険がいつ訪れても不思議はない。
「あれは――」
「たぶん、ジャンヌの言ってた暗殺部隊だ。ロッシンだったか」
なぜ見つかったのか、わからない。
だが相手は、ソレのプロだ。俺たちはうまく身を隠したつもりだったが、プロからすれば、「甘かった」のだろう。俺も気を抜いていた。エイルがもし、一緒の部屋で寝る提案をしなかったら、今頃どうなっていたかわからない。
俺たちは、本当なら死んでいたのだ。
しかし、暗殺者たちも、俺の黒魔術については知らなかった。俺が魔術師だということくらいは知っていただろうが、それ以上は調べなかったのだろう。ある程度力を持った魔術師は「オーラ」系の魔法を習得しているものだが、それへの対策は万全だったに違いない。
だから、必ず仕留められると思って、俺たちに襲撃をかけた。
しかしそこに誤算が生じた。暗殺者は知らなかったのだ。『アビスオーラ』という、特殊な「オーラ」系統の魔法を。だから、躊躇いなく彼らは、俺に接近戦を挑んできた。その結果、犠牲を出し、逃げる羽目になった。
しかしあれは、一旦退いただけに過ぎない。
また機を見て襲い掛かってくるだろう。今度は、俺の『アビスオーラ』への対策もしてくることだろう。俺が黒魔術師だと、すでに見破っているかもしれない。
「トリンドルまではあと、どれくらいかかる?」
「休みなく歩いて、二日くらいだと思う」
「早く行こう」
エイルは頷いてくれた。
短い休憩を終えた俺たちは、再び馬を走らせた。
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ジャンヌは、まくった服を戻し、腹を摩った。
スレッドと戦った時の傷は、灰色のうっすらとした線として肌に残っているだけである。出血も止まり、傷は日ごとに塞がっていった。
トリンドル城塞跡地に着いてから数日が経過していた。
ジャンヌとカールとクワルの三人は、草原に取り残された石造りの廃墟の一つで寝泊まりしている。一年前、グリムとクワルが身を隠していた、ちょうどその場所である。
食料が尽きたので、クワルは近くの町まで買い出しに行っていた。近くといっても、歩いてゆけば往復半日以上の距離である。だが、パトラッシュは早かった。数時間のうちにクワルは、買い物を終えて帰ってきた。
ジャンヌとカールは、クワルの帰還に胸をなでおろした。
二人の頼みの綱は、今やクワルだった。クワルだけが、この土地の事を知っている。ジャンヌとカールは、カカンについては、その歴史も地理も、良く知らないのだった。
クワルは二人にパンを渡すと、建物の扉であった場所から首を出し、きょろきょろと見渡した。一応の安全を確認してから自分も袋の中からパンを引っ張り出し、齧った。
「何かあった?」
ジャンヌが訪ねる。
クワルは少しためらってから、口を開いた。
「はい。なんか、私たちを探してるような人たちがいました」
そう言って、クワルはまた、何となく心もとない壊れた扉の出入り口に視線をやった。ジャンヌとカールもそれに釣られる。
「どんな人たち?」
「魔法使いです、たぶん」
「魔法使い……」
ジャンヌはパンを顎に当てて考えた。
自分たちがこのあたりにいることを、どうして知ったのだろうか? クワルによれば、ここはめったに人の訪れない辺境である。何か目的がなければ、来ないような場所だと。
まさか――グリムが捕まった?
いや、とジャンヌは首を振った。グリムが捕まり、自白剤を飲まされて一切合切全部しゃべってしまったのなら、追手はすでに、ここに来ているはずである。
何らかの方法で、このあたりと目星をつけたに違いない。
――いや、そもそも、自分たちを探しているわけではないかもしれない。ただの杞憂かも……。
「で、でも、気のせいかもしれないです!」
クワルは、努めて明るくそう言った。
それを受けて、ジャンヌはさらにもう一度考えた。
確かに、気のせいかもしれない。
だが、気のせいだろうと思って何も策を講じなかった先で、それが気のせいではなかったら、その未来には、破滅しかない。しかし動くとなれば、そこにはまた新たな危険、しかも未知なるものが待っている。
――こんな時、彼ならどうするだろうか。
ふと、ジャンヌはそう考えた。
「グリム様なら、どうするでしょうか」
クワルが言った
カールとジャンヌが、ぱっとクワルを見た。まさに今、ジャンヌも、そしてカールも、それを考え始めた所だった。
「きっと彼なら……逃げるんじゃないかしら」
ジャンヌが言った。
クワルは頷き、それに同意した。
「きっとグリム様なら、すぐに逃げると思います」
言葉だけを聞けば、そのグリムという男はとんだ臆病者だが、当然三人は、そういう意味で言ったわけではない。
グリムは、イチかバチかという賭けを嫌う。そのことは、クワルもジャンヌも、同じ理解だった。特に命がかかる局面に際して、グリムという黒魔術師は、命がかからない方法をまずは考えようとする。決して、自分から進んで、冒険をするような人間ではない。結果的に命掛けになってしまうのは、それしか手段がない場合のみだ。
今はどうだろうか。
ジャンヌとクワルは考える。グリムならきっと、すぐに逃げるだろう。危険がある「かもしれない」、しかもそれは、「命」の危険だ。
「迎え撃つ」という選択もある。クワルとジャンヌはむしろ、そっちをとりたかった。だが、グリムならと考えると、「戦う」はまずありえない。勝てる戦いであっても、戦わない。
――その先はどうなる?
クワルには、グリムの声が聞こえてくるようだった。
その先。戦ったその先に待っているのは、たぶん、駆けつけてきた他の傭兵や賞金稼ぎとの戦いだろう。戦って戦って、逃げ場も失って、そうなればあとはもう、死ぬまで戦うしかない。
「逃げよう」
カールが言った。
優しい声だが、そこには、有無を言わさぬ力が籠っていた。
「どこに逃げましょう?」
「クワル、どこかないかな?」
クワルは、頭の中に地図を広げた。
このあたりの地理にそれほど詳しいわけではない。いくつかの村や町の名前が浮かんでくる。「逃げる」だけならどこでも良いが、その中から一つを選ぼうとしたとき、何を決め手にすればいいのだろうか。
クワルは悩んだ。
ここからある程度離れていた方がいい。パトラッシュがいるから、むしろ、遠い方がいい。追手は、物理的についてこられないのだから。
その次に、目立たない方がいい。ということは、ピルグやレゼや、それに準ずる規模の町には、入らない方がいいだろう。とすると村だが、村は村で、よそ者は逆に目立つ。
とすると、大きすぎず、小さすぎない村や町がいいだろうか。
「グリムとの合流も考えないといけないわ」
ジャンヌが言った。
そうだ、とクワルは思い出した。
ということは、グリムの知っている場所じゃなければいけない。クワルはそこで、行き詰ってしまった。クワルは、自分の主人が、異世界からやってきた人間――アニマンであることを知っている。カカン南方の地域で、レゼとピルグ以外の町や村を知っているだろうか。
たぶん知らないと結論付け、クワルの思考はそこで止まった。
「どうしましょう」
クワルは、ジャンヌを見つめ返し、助けを求めた。
クワルは、何としても、グリムと合流する必要があった。自分が二人を、最後まで助けられるとは思えなかった。そして、グリム様なら何とかしてくれるという、確信めいた期待を持っていた。
ジャンヌはパンを齧った。
ぱさついた、味気のないパンだ。
クワルもそれに倣う。
あぁ、ご飯が食べたいなぁと、クワルはぼんやりと考えた。
そこでふと、クワルは閃いた。
「ありました、もしかしたら、いいところ!」
クワルはそう言うと、バックパックから麻袋を取り出した。
それを、部屋の隅に置く。
きっとグリム様なら、これでわかってくれるはず。
「行きましょう!」
クワルはそう言うと、パンを口に詰め込んだ。




