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94 降雨の刑

 雨が降り始めた。

 倉庫を出た俺たちは、そのまま厩に向かう。夜、雨も降りだしたというのに、町の中には、灯りを灯してうろうろしている人間たち――傭兵の姿があった。その姿は、まるで亡霊のようだった。


 ある宿の厩に忍び込んだ。

 番をしていた男は、『パペットカース』で眠らせた。

 速そうな馬を選ぶ。

 馬泥棒はどの町でも重犯罪で、捕まれば恐ろしい刑罰の対象だが、今の俺たちは、その罪を犯すことについて何ら躊躇いはなかった。


 馬は、エイルが選んでくれた。

 二頭の馬は暴れずに、大人しく外に出てくれた。雨に打たれて、ぶるるっと体を震わせる。彼らにとっても災難だろう。ゆっくり眠れると思ったら、こんな時間に外に出されて、走らされるなんて。


 だが今は、馬の事情や心情に心を通わせている余裕はない。

 こんな時間でもやかましい酒場宿の、入り口から漏れる光に、馬の目がきらりと輝く。俺とエイルは、それぞれ馬に乗った。

 音を立てないよう、常歩で道を行く。

 宿を通り過ぎ、傭兵に見つからないよう、慎重に進んでゆく。


 町の門は、まだ開いていた。

 篝火を焚き、見張り台には二人の番が立っている。

 俺は、『パペットカース』で彼ら門番を一瞬だけ呆けさせた。その隙に、門を抜ける。門を抜けた後は、速歩で馬を進ませる。パトラッシュは数時間にわたって、全力で走ることができるが、普通の馬はそうではない。一時間か、二時間ごとに休憩をとりながらの旅になる。


 真夜中の雨は冷たかった。

 だがこの雨は、俺達には恵みの雨になったようだった。馬も人も、冬のこの時期、前の夜などは寒くて普通は動けないのだ。ところがエイルは、体温を上げる魔法や、冷気を寄せ付けない魔法、雨除けの魔法などを、習得していた。


 道の脇で休憩をとりながら、俺はエイルに、忘翁の土産の温泉饅頭をあげた。エイルは微かに笑いながら受け取って、ほむっと食べた。馬には水をやる。エイルの魔法で雨水をろ過したものだ。


「本当に、すごいよ」


 俺は、心底感心していた。

 エイルは、一人で何でもやってしまう。俺一人だったら、今頃はとっくに野垂れ死んでいたのではないだろうか。いや、そうに違いない。もはやエイルは、「癒術師(ヒーラー)」の域を超えている。


「どうしたの、急に改まって」

「いや……ちょっとね……」


 人を殺すだけの黒魔術とは違うなと、思っただけだ。

 口に出してそれを言えば、きっとエイルは励ましてくれるだろう。しかし今は、別に慰めがほしいわけではない。それに、わかっている。荒事になれば、俺の黒魔術が嫌というくらい役に立つのを。


「あっちは、大丈夫かな……」

「大丈夫よ。貴方の愛馬についていこうと思ったら、グリフォンでも連れてこない限り無理よ」

「グリフォンを持った傭兵だったら――」

「そんな傭兵、いないわ。グリフォンに乗って空を飛ぶことを許されているのは、この国では、ノーヘンの山岳部隊くらいよ」

「そうなのか……」


 グリフォンのことやノーヘンの山岳部隊とやらのことは、いずれ教えてもらうとしよう。とりあえず、ジャンヌたちは、きっと大丈夫だ。エイルもそう言っているのだから、きっと、心配ない。


「俺たちは、向こうに行けるかな」

「行くのよ」

「あ、あぁ、そうだ、そうだよな……」

「グリム――」

「わかってる、うん。弱気になってるな」


 短く息を吐いて、暗い道の先を見つめる。

 暗闇を行く恐怖にはもう慣れた。感覚の麻痺だろう。俺の抱いているのは、もはや恐怖ではない。この暗闇の向こうには、新しい暗闇が待ち構えているだけなのだという、諦めに似た感情だ。

 ネガティブすぎるだろうか。いっそこのまま、ここで死んだとしても――なんて考えが浮かんでくる。実際には生きるしかないが、死に物狂いで生きてやろうという気も、今は全く沸いてこない。


 休憩を終え、俺たちは再び進み始めた。

 暗いうちはできるだけ進んで、明け方になったら、森の中に逃げ込む。睡眠をとりながら、昼間はゆっくりと進もう――ということになっている。全てエイルの案だ。


 ある地点で、俺は背後から、迫ってくる気配を感じた。

 人間だ。気配は複数ある。馬で駆けてくる、そんなイメージが一瞬頭に浮かぶ。エイルに言うと、エイルはすぐに森に隠れようと言った。俺はそれに従って馬を降りた。街道から森の中へと入ってゆく。

 気配が近づいてくる。俺たちは進むのをやめて、音を立てないように注意しながら、茂みの中に身を隠した。じっと、街道の方を見つめる。


 雨音の中から、ドドド、ドドドという、地面を揺らす音が聞こえてきた。

 音はだんだんと近づいてくる。

 そして、すぐそこまで来たという時、馬の嘶きとともに、急に蹄の音が止まった。


「……見つかった」


 俺は直観的にそう感じた。

 俺には『プレシーブセンス』という勘がある。だが、それに近い勘を持っているのは、何も俺だけじゃない。馬に乗ってやってきた追っ手は、俺たちの気配を敏感に感じ取ったのだろう。


「どうする?」

「――道に戻ろう」

「戻るの?」

「うん。森の中は、危ない感じがする」


 エイルは、それ以上は何も言わずに従ってくれた。

 馬を引き連れて、道に戻る。


「見つけたぞ!」


 男の声が、森の中からきこえてくる。

 声の先を見れば、微かな灯りを手にした人間がいて、いままさにこっちに向かってくるところだった。がさがさと、いくつもの気配が近づいてくる。

 エイルは走りだそうとした。

 俺はその手を取って、見上げてくるエイルに首を振った。


「もう逃げられない。戦うしかない」


 俺は、馬を森の中に逃がした。戦いの巻き添えになるのはかわいそうだ。馬は、とんとんと、俺たちのもとから離れていった。一度、二度、後ろを顧みる姿が愛おしい。


「動くな!」


 すぐに、その男がやってきた。

 腰に小さなランプをつけた、剣士だ。ただの剣士ではない。雨除けのグロッケを着ているその下から、青いサーコートとマントが見える。

 ――騎士だ。アノール騎士団の騎士である。


 騎士は次々にやってきて、俺たちを囲むと、剣を抜いた。

 さすがに公爵直属の騎士団というだけあって、その辺の傭兵とは強さが違う。それぞれが研ぎ澄まされた刃物のような集中力を持っていて、構える剣には、一切の隙がない。


「お前がピカソ導師か」


 騎士のリーダー、スレッドがグリムに尋ねた。

 スレッドはまだ剣を抜いていない。腕を組むようにして二振りの剣の柄に手を置き、グリムとエイルを見据えている。


「いかにも、私がピカソ導師だ」


 グリムは、ピカソ導師を演じる。

 自分の柄にもない大仰なふるまいに、グリムは自分でも笑いそうになってしまった。


「あの女騎士はどこだ。あの子供は」

「知りたければ、私を殺してはいかがかな」

「そこの女は」

「旅の仲間です」


 文句あるのか、とグリムは言ってやりたかった。

 自分と同じ歳くらいのこの隊長の物言いと態度は、高飛車で気に食わない。この若さで王の騎士団の隊長に抜擢されるのだから、よっぽどの実力を持った、いわゆるカリスマなのだろうが――その、デキる男然とした雰囲気がまた、腹立たしい。


「剣を濡らすのは好きじゃない。私に剣を抜かせるな」


 カリスマが、そんなことを言い放った。

 部下もいる手前、演じている部分もあるのだろう。それにしてもキザな男だ。それがまた様になるのだから、二重に腹が立つ。


「お前は、あの女騎士と子供が何者か知った上で、匿っているのか?」

「知った上で、匿っています」

「それがどのような意味を持つか――」

「貴方こそ、あの二人の事を知った上で、捕らえようとしているのですか? 貴方は、あの二人の何を知っているのですか」


 ここで、カリスマは言葉に詰まった。


「奴らは大罪人だ!」


 声を張ってそんなことを言う。

 向こうが騎士の面子でそういうことを言うなら、俺も導師の面子にかけて、導師らしいやり方で戦ってやる。


「この雨を、貴方は罰するというのか」

「……何だって?」

「雨を罰するおつもりかと聞いているのです」


 カリスマは咄嗟に口を開き、何事か言おうとした。だが彼はその口を閉じた。俺が、何か哲学的な問いを課したのだと気付いたのだ。

 彼は、隊長の面子もある、俺の問いに答えなければならない。「ねばならぬ」ということはないが、答えられた方が彼にとってはベターだ。隊長が脳筋では格好もつかないだろう。


 だが結局ダメだった。しばらく黙った末、カリスマは俺に言った。


「我々が捕らえようとしているのは、女騎士と王子だ!」

「雨を罰するおつもりですか?」


 繰り返す。

 エイルが、不思議そうな顔で俺を見つめてくる。


「この破戒僧め、そのような問答で時間を稼ぐつもりだな! 小癪な! だが、その手は食わんぞ!」


 カリスマ隊長は剣を抜いた。

 二刀流。青と赤のオーラを纏った剣。


「双剣のスレッド……」


 エイルが呟いた。

 有名な剣士であるらしい。ジャンヌを斬ったのはこいつだな。双剣のスレッドは、全身から湯気のようなオーラを放ち、準備万端という感じである。その気になれば、コンマ数秒で斬撃を繰り出せる、そんな感じだ。

 しかし俺は、だからといって、こっちから黒魔術を使ったりはしない。俺の魔法は、使えばそれが即ち必殺技となって、相手の命を奪ってしまう。『パペットカース』なら彼らを殺すことはないが、残念ながら、『パペットカース』が通用するような三流の剣士はここにはいない。


 じりじりと、騎士たちが間合いを詰めようとする。

 だが俺は動かない。エイルも、俺のすぐ後ろで固まっている。

 俺には『アビスオーラ』がある。向こうが斬りかかってくれば、それで返り討ちにできるから、俺は慌てる必要がない。持久戦になれば、有利なのはこっちだ。こっちにはエイルがいる。彼らの服にも防寒対策の術が施されているのだろうが、エイルの魔法には劣るだろう。この冷たい雨に打たれながら、一時間はじっとしていられまい。


 さて、どうする。

 無理やりかかってくるか? 死ぬぞ? 俺の余裕がハッタリじゃないことくらいは見抜けているんだろう? それでも来るか?


「おぉぉ!」

「やぁ! やぁ!」


 騎士が、声を上げる。

 威嚇しているのだ。ただの声ではない。そこに霊的な力を含ませている。だが、俺には通用しない。今、怖いものがあるとすれば、それは、彼らが黒魔術で死んで、その死体の不気味さを見るかもしれないと想像することだ。


 睨み合いが続く。

 十分は経った。それからさらに時が流れる。

 ある瞬間に、俺は首の後ろに冷たさを覚えた。咄嗟に、エイルを引き寄せる。その瞬間、森の暗闇の中から、何かが出てきた。その何かは、騎士の二人にあたった。


 一瞬だけ、騎士の体にぶつかったものが見えた。

 それは、白い糸だった。


「あぁぁぁ!」

「うわぁぁ!」


 二人の騎士は、暗闇の奥に引きずり込まれていった。他の騎士たちが、二人の名を呼び、追いかける。だが、二人はあっという間に、森の闇の中に消えていった。耳をふさぎたくなる悲鳴が、だんだん遠くなってゆく。


 バキッ、バキン――。

 固いものが折られるような音が聞こえてきて、悲鳴はそれきり聞こえなくなった。そして俺たちは見てしまった。暗闇の中に赤い光が四つ、現れるのを。


「スジャーナだ!」


 スレッドが叫んだ。

 騎士たちが、俺たちへの包囲をあっさりと解き、弾かれたように動き出した。戦うつもりで暗闇に剣を構えた騎士の一人が、四方から飛んできた糸に手足を絡み取られ、悲鳴とともに引きずられていった。


「逃げるぞ! 撤退、撤退!」


 ラッパが吹かれる。


「私たちも逃げましょう、早く!」


 エイルが、俺の手を取って走り出す。

 何かヤバい感じはするが、何が来たというのだろう。


「スジャーナって、何?」


 走りながら、尋ねる。

 エイルは、弾む息の合間から答えてくれた。


「巨大蜘蛛の化け物。この森にも、出るとは聞いてたけど……」


 相当危ない化け物らしい。あの騎士たちが、四の五の言わず「撤退」を叫んだのだから。


 数分走ると、俺たちは再び街道に戻った。

 街道には、逃がした二頭の馬が不安そうに並んでいた。待っていてくれたらしい。俺は二頭の首を撫でずにはいられなかった。

 俺たちは再び彼らに乗って、街道を走った。

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