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93 呪殺

 木漏れ日の動くのを眺めながら俺たちは少し休憩し、その後、再び歩き出した。

 不思議なことに、数歩も歩かないうちに、不意に、道に出た。道の一方の先には、石造の門が見えた。

 その町こそ、キーロだった。


 なぜこんなにも早くキーロに辿り着くことができたのか、全くどういう理屈なのかさっぱりわからない。物理的には、不可能なことだ。ネックレスのお陰なのか、はたまた別の力が働いたのか……。

 しかし今、俺たちは疲労していた。何かを考えられるような状態ではない。とにかく今は休息だ。俺たちは門を抜け、キーロの町に入った。


 まずは宿を探そう、そう思って門を抜けた。

 その瞬間――。

 シャキン――音がした。

 振り向けば、薄汚れた身なりの、体格だけは良い男が、剣を抜いていた。俺たちを見て、涎を垂らしそうになっている。


 ふと、俺は顔をあげて周りを見た。

 すると、その男と同じような表情をした人間たちが、杖やら剣やら鈍器やらを構え始めていた。


 吐き気を催すような欲望の念。

 人を捕え、殺してまで金を欲する人間の強欲。

 ――俺たちは囲まれてしまった。


「死ねぇ!」


 剣士が二人、三人と襲い掛かってきた。

 間合いを詰めてくる。

 俺は、片手を前に出す。『アビスブラスト』。


 ドン、と突風のような波動が迸る。

 襲ってきた剣士は背中を地面に打ち付けて倒れ、その後ろで「矢」を放とうとしていた魔法使いも数メートル吹き飛んだ。

 それが、戦いの合図になった。

 魔法が飛んで来る。剣士が、飛び掛かってくる。俺たちは、小さい路地を見つけて、走り込んだ。バキバキと、建物の削られる音が背後から聞こえてくる。


「こっち、こっち!」


 路地から路地へ無茶苦茶に走っていると、女性が、扉を開けて手招きしていた。俺たちは、女の手招きに吸い寄せられるように、扉をくぐってその家の中に入った。――家ではなく、倉庫だった。しんとした空間に、木箱が積まれて置いてある。

 バタンと、女性は扉を閉めた。

 助かった、と息を吐いた。

 次の瞬間――。


「グリム!」


 エイルが叫んだ。

 俺は、後ろを振り向いた。

 思わず息を呑む。

 斧を振り上げた女の、恐ろしい形相が目の前にあった。


 ドシュ――。

 斧が、俺の背中めがけて降り下ろされた。

 俺は、何も反応できなかった。が、斧は俺の『アビスオーラ』に阻まれて砕け飛び、女は悲鳴を上げて蹲った。女の腕に、黒い呪いの霧が、蛇のようにまとわりついていた。


 積まれた箱の影から、二人の男が飛び出してきた。

 エイルを狙っている。

 俺は咄嗟に『ダークバインド』で二人を拘束した。

 俺は背後に再び殺気を感じた。

 振り向くと、入り口の天井の上から男が二人、飛び降りてきた。身をかがめ、懐に飛び込んでくる。二人の手に、ナイフの刃の銀色が光った。

 『アビスブラスト』で吹き飛ばす。

 二人は壁まで吹き飛び、沈黙した。


 ――気づくと、『ダークバインド』で拘束していた二人も大人しくなっていた。力なく、手足を伸ばしきり、ぽかんと口を開けている。

 死んでいた。


 俺は死んだ二人を降ろし、倒した他の人間たちを眺め下した。

 しかし俺はすぐに気づいた。彼らも、倒れているのではない。

 ――死んでいるのだ。

 呪いに耐性がなかったのだろう。ほとんど即死である。一番ひどいのは斧で襲い掛かってきた女で、呪いによって、両腕を肩まで失っていた。千切れたとかもげたとかではなく、呪いによって分解されたのだ。肉体的な苦痛があったかどうかは、俺にはわからない。


 大兎の死体の、黒いドロッとした血肉の腐臭、その光景が呼び起こされる。

 俺は、人を殺したのだ。

 これまでにも人を殺したことはあったが、それは、人間の皮を被った悪魔だった。しかし今俺が殺した五人は、そこまでの大悪党ではない。人間だった。


 エイルが、五人が死んだのを確認し、そっと立ち上がる。

 俺は五人を木箱の影に運び、床に座り込んだ。

 額の汗を拭う。

 通りを、物騒な連中が通り過ぎてゆく気配を感じる。


 俺たちは水を飲み、乾パンをかじり、休憩した。ここも、見つかるのは時間の問題だろう。しかし今は、何よりも休憩だ。自分の殺した人間の、五つの亡骸と一緒であっても、今はここで休んでいたい。

 床に横になると、眠気が波のように意識を飲み込んだ。



 息を吸いながら、俺は静かに目を覚ました。

 薄暗闇、自分の呼吸まではっきり聞こえる。もうきっと、夜なのだろう。倉庫を照らす、天井から吊るされたランプが、弱っちい光を灯している。(昼であれば、この光は太陽のように明るい)。


 エイルも、俺の近くで眠っていた。

 すーすーと寝息をたて、力の抜けたエイルの顔は、まだまだあどけない少女のそれだった。普段のあのしっかり者のエイルは、無理をしているだろうか。--いや、きっと、そうしなければ生きてこられなかったのだろう。

 ふと、木箱の積まれたその陰に目をやる。

 ――つま先が見える。


 ここは、常に死が隣り合わせの世界だ。

 殺人鬼がそこかしこにいるわけではないが、人の命は極めて軽い。貴族でもない誰かが路地で冷たくなっていたとしても、亡骸が川で浮かんでいたとしても、草原や森で誰かが行方を眩ましたとしても、それも自然の一部だと切り捨てられる。

 俺がここで死んでも、あるいは、俺を殺そうとした傭兵が返り討ちにあって死んでも、それが何だというのだろうか。


 俺は果たして、言い訳をしているのだろうか。

 襲ってきた人間を返り討ちにして、殺してしまったことについて。

 つい、うっかり、で済まされる話ではない。だが実際、つい、うっかりそうしてしまったのだ。『パペットカース』で対応できる相手だった。だがあの瞬間、咄嗟に、黒魔術を使ってしまったのだ。


 エイルは眠っている。

 隣で息をしている。生きている。

 もしエイルが死んでしまったら、俺はこんな風に、落ち着いて分析のような真似などできないだろう。エイルも、俺が殺した五人それぞれの命も、そして俺自身の命も、重みは同じだ――そう、教わってきた。

 だが、どうだろうか。

 俺と他人の命は同じとしても、エイルと他が同じだとは思えない。『ダークバンド』を使ったのは、そしてその後、『アビスブラスト』を使ったのは、彼らがエイルを殺そうとしたからだと思う。よく覚えていないが、そう思う。


 死んだ彼らは、自業自得だったろうか。

 おそらく、そうだったのだろう。もしかすると、生活に困り果て、死ぬか殺すかしか選択肢がなかったのかもしれない。その結果彼らは、殺すほうを選び、俺たちに襲い掛かってきた。襲い掛かってきたのではない――殺そうとしてきた。

 仮にそうだったとして、俺は、とんでもないことをしてしまったのだろうか。俺は俺で、自分を守ったのだ。その結果、こういうことになった。しかし彼らだって、自分たちが殺されるという、それくらいの危険は承知していたのではないか?


 いや、わからなかったのかもしれない。

 このお祭りの雰囲気に酔って、その気になってしまった。短絡的に、失敗など考えもせずに。


 俺たちを殺そうとしている連中は、まんまと俺の言葉に騙されたのだろう。「俺を殺せば、自然と見つかる」――リュナクに言った言葉だ。皆俺の言葉を真に受けたのだろう。少なくとも、傭兵連中は。


 しかしよく考えれば、なんと馬鹿げた話だろう。俺を殺してジャンヌとカールが見つかるなんて、根拠がないじゃないか。そういう魔法があって、得体のしれないピカソ導師ならその魔法を使えると考えたのかのかもしれない。

 だがそれは、いい加減な憶測に過ぎないじゃないか。「かもしれない」程度のことのために、命を懸けたり、人を殺したりするなんて、どうかしている。しかし彼らは、まさに一縷の望みをかけて、この「お祭り」に参加しているようだ。


 仮に、傭兵の誰かがジャンヌとカールを捕らえることができたとして――大金を得られるとは到底思えない。ルノアルド王国は、国王直属の騎士と、そして暗殺部隊まで派遣してきている。カカンも、騎士の他に黒狩り部隊まで出動させている。

 金を貰うより先に首が飛ぶだろう。

 傭兵の一人や二人、死んだところで大勢に影響はない。傭兵に任せても良いくらいの仕事なら、二つの国がわざわざ、中央から部隊を派遣するだろうか。「何としても、誰よりも早く処理しなければならぬ」という、鬼気迫る意志を感じる。


 俺も、「人を殺したくない」なんて言っている場合ではないのかもしれない。状況からすれば、まさに今は、「殺るか、殺られるか」だ。自分や、自分の仲間を生かすには、この後も、殺さなければならない状況が――あるいは、殺してしまうような状況が出てくるかもしれない。

 そんな時に俺は、その瞬間に、果たして決断を下せるだろうか。


『困っとるな』

「えぇ、これ以上ないくらい困って――え?」


 神的な者の声。

 女神ではない。老人だ。しかもこの声は――。


「忘翁!?」

『元気にしとったか?』

「死んだんじゃないんですか!?」

『何を物騒なことを。ちょっと旅行にいっとっただけじゃわい』

「旅行!?」


 俺は、思わず声を上げた。


『ほれ、土産じゃ。その木箱の中に入っとる』


 俺は、近くの木箱を開けた。

 入っていた。温泉饅頭の箱が。

 この爺、馬鹿にしてんのか。


『何百年ぶりじゃったかの?』

「二年です、たったの二年! 俺にとっては長い二年でしたけどね!」

『だいぶこっちの世界の人間になってきたようじゃな』

「そうですか」

『あぁ、そうじゃった、忘れとった。その隣の箱をあけてみぃ』


 開けてみた。

 酒と枝豆が入っていた。


「な、何ですか……」

『まぁ、一杯どうじゃ?』

「あのですねぇ、爺様、俺はいま、そんな状況じゃないんです」

『わしの酒が飲めないというのか!』

「飲めるか!」

『つれないのぉ……』


 忘翁は、拗ねたようだった。

 知ったことではない。恨み言を言えば、一千言は下らない。


「一から説明しなきゃダメですか……?」

『いいや、だいたい知っとるよ』

「この爺さんは……」

『はっはっはっは』


 笑えるか、この状況!


「服を下さい。二人分。この目立つ服のせいで、どこに行ってもすぐにバレてしまいます」

『それはしょうがないことじゃよ。ピカソ導師でいる間は、それ以外の服を着ることはできん』

「……どういうことですか?」

『そういうことじゃ。違う服を着たとしても、その服はたちまち、その黒の法衣となる』

「そんな……最悪の呪いだ……」

『ものは考えようじゃよ。その服のことはおいおい分かってくるじゃろう』


 スフィンクスの服には、何やら、「何か」があるらしい。が、忘翁は、今は話すつもりはないのだろう。というより、ド忘れしているんじゃなかろうか。


「地図とか加護とか辞典とか、ステータス巻物とか、いろいろなくなって不便なんですけど、何とかなりませんか」

『何ともならんのじゃ』

「ええっ!? だって、もともと貴方がくれたものじゃないですか! 貴方との関係が切れて、全部失っていきましたけど、今こうしてまた――」

『わしとの関係じゃない。お主と、お主の住んでおった世界との関係じゃ。もはや辞典や地図やステータス巻物は、お主の役に立たん』

「いやいや、立ちますから!」


 俺が言うと、忘翁はため息をついた。


『じゃあ聞くがの……HPとは何じゃ?』

「ヒットポイントです。ゼロになると、死にます」

『スタミナとはどう違うのじゃ?』

「スタミナは、体力のことです」

『体力の限界を超えて走っても、HPは減らないのか?』

「減る、でしょうね……」

『ということは、スタミナもHPも同じか?』

「いや、ちょっと違うような……。スタミナを使いすぎると、HPが――」

『MPってなんじゃ?』

「魔力、です……」

『魔力とは?』

「霊刃測定法で測れますけど……」


 だが、測定法はほかにもある。霊刃測定法は、魔力の測定法としては最も一般的だが、その測定法が万能かといえば、決してそんなことはない。暫定的に、ざっくりと、魔術師の魔力を推定しているに過ぎない。この測定方法では測れない魔力もある。


「何が言いたいんですか?」

『ここに来た時にお主がそうだと思っていたものが、変わってきたのじゃ。それゆえに、辞典やステータス巻物や、地図もそうじゃが、そういうようなものが、お主に力を示さなくなった。言い換えるとな、お前さんの力が、それらのものを超えたのじゃ』

「は、はぁ……」


 柄にもなく、忘翁が難しいことを言っている。

 抽象的過ぎて、よくわからない。便利だと思っていた忘翁の道具が使えなくなった、ということは理解ができたが。


「この町から逃げる良い方法を教えてください」

『わからん!』

「即答……」

『そんなところでくだばるようなタマじゃなかろ。何とかせい』


 忘翁の気配が遠ざかってゆく。

 俺は、暗い空間に向かって質問した。


「人殺しは、許されるのですか!」


 消え入りそうな遠くから、翁の声が聞こえてきた。


『わしゃ別に咎めんよ。そのあたりは、女神に聞けぇ』


 忘翁が消えていった。

 エイルが、俺の声に目を覚ました。


「どうしたの?」


 寝起きのゆっくりした口調で、エイルに訊かれる。俺は首を振った。


「ごめん、起こしたな。何でもないよ」


 俺は答え、酒と饅頭を収納の杖にしまった。

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