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90 金貨二千枚の傭兵

 なんだよ、ピカソ導師って。

 思わず笑ってしまったが、いや、笑う所ではない。


「ごめんエイル、いきなりこんな所に連れてきて、こんなことになってしまうなんて……」

「いつから導師になったの?」

「それはその、色々あって……」

「あのジャンヌって人は?」

「ルノアルド王国を旅してた時の、旅の仲間だよ」


 なんだろう、エイルが少し怖い。

 それにしても、こんな状況なのに、彼女はどうして動揺しないのだろう。俺は、はっきり言って、かなり動揺している。男は度胸、女は愛嬌というが、エイルはどうやら、度胸も愛嬌もあるらしい。愛嬌に関して言えば、振りまくタイプではないが。


「まんまと騙された。大胆な男だ」


 リュナクが、馬から降りてそう言った。馬に乗っていた傭兵は、皆それに続く。剣を抜き、杖を構え、臨戦態勢だ。

 雨は、相変わらず降り続けている。


「子供と女はどこに隠した」

「言うと思うか?」

「拷問は好きじゃない」

「その必要はないな。俺を殺せば、自然と見つかる」

「その言葉が嘘か真か、そっちの女に訊けばわかるかな」


 俺の考えが甘かった。

 エイルを、完全に巻き込んでしまった。だが俺だって、そう簡単に諦めない。エイルはこの殺し合いの外に出さなくては。


「彼女はただの癒術師(ヒーラー)だ。腕は確かだが、俺たちの仲間じゃない。金で釣って、握力で脅した、そういう関係だ」

「導師ともあろう人間が、なかなか面白い真似をする。だが私は、導師の言うことを真に受けてはいけないという教訓を得た。その癒術師(ヒーラー)、本当にただの傭兵か?」


 エイルは応えた。


「えぇ、そうよ」

「それなら、お前を雇おう。この戦いが終わりまで、5グロウルでどうだ」


 破格値である

 これを呑まない傭兵は傭兵ではない。


「お断りよ」


 嘘だろう……。

 俺に気を使っているのか? いや、だが俺は、さっきの言葉で意思表示をしたはずだ。賢いエイルの事だから、その意図は絶対に伝わっている。

 なのになぜ、断った!


「少なくとも2000グロウル、それより安い金で私を雇うのは無理よ」


 言ってのけた。

 表情一つ変えず、声音一つ変えず、冷淡に。

 ぞくぞくしてしまうが、これで俺の努力は水の泡だ。


癒術師(ヒーラー)ごときが調子に乗るな」


 リュナクは、懐から細長い紙を数枚取り出した。

 紙には、文字が書かれている。

 霊札だ。

 雨のせいでだんだんひしゃげてくるのが、なんとも面白い。いや、面白がっている場合ではない。彼は、珍しい【ルーナー】だ。初めて見る。


「破っ!」


 リュナクの掛け声と同時に、霊札が光り、飛んできた。

 俺は霊札に『マナドレイン』をかけた。

 霊札は力を失い、ただの紙切れになって、水溜まりに落ちた。


「「「「「「……」」」」」」


 皆、言葉を失った。

 俺は、まぁこうなることは予想していた。


 リュナクは、両手に四枚ずつ、計八枚の霊札を取り出した。


「滅っ!」


 リュナクの掛け声とともに、再び霊札が放たれる。

 霊札は、途中までは順調に宙を舞った。だが、俺の『マナドレイン』の魔法がかかると、霊札はあっという間に輝きを失い、水溜まりに落ち、底に沈んでいった。

 ――雨音。


「馬鹿な……」


 動揺を見せるリュナク。

 彼のクランメンバーも狼狽える。

 そりゃあそうだ。皆には、俺が魔法を使ったことすら、分かっていないだろう。


「妖術師め! 覚悟!」


 剣士が、水溜まりをバシャバシャやりながら斬りかかってきた。

 その声で我に返った傭兵たちが、次々に攻撃を仕掛けてきた。

 対して俺は――。


「エイル、逃げるぞ!」


 俺は、その気になっているエイルの腕を掴んで走った。


「え、ちょっと、戦わないの!?」

「冗談じゃない」

「どうして!? 貴方だったら――」

「説明は後!」


 街道を走り、途中で森の中に入った。

 エイルの作り出す『サンランタン』の灯りが夜の森を照らす。俺たちに害を成す者には見えない灯りだ。


 森の中に入ると、走ることはできない。

 枝を避けて、蔓をかき分けて、たまに蜘蛛の巣が顔に引っかかったりもするが、そんな思いをしながら少しずつ進んでゆく。それは追手も同じだが、この場合、有利なのは逃げる側だ。

 人数がいくら多くても、森の全方位をカバーすることはできない。追う方はそれが分かっているから、心理的に不安になってくる。誰もいないところを探しているかもしれない。魔物が出てくるかもしれない。迷うかもしれない。

 いろんな不安がある。


 一方で逃げる側、俺たちの不安は、大したことは無い。

 魔物は確かに怖いが、俺には『プレシーブセンス』の勘があるから、急に襲われる心配はない。勿論、全ての危険を察知できるわけではないが、察知できないようなものによって命を脅かされるなら、それはもう、運命と思って諦めるしかない。

 心配と言えば、迷子だけが心配である。

 とりあえず今は、傭兵から逃げきることだけを考えていればいいが……。


 三十分も逃げた頃、俺たちは小さな川の前に出た。

 幅1メートルちょっとくらいの小川である。

 手を洗って、うがいをして、飲んでみる。

 ――美味い。

 冷たくて、柔らかくて、透き通った味わい。


 エイルも、俺に倣って水を飲んだ。

 口を拭く仕草が、やたら色っぽい。思わず目を逸らしてしまう。

 エイルは、手頃な石に腰を下ろした。


「それで、どうして戦わなかったの?」

「底が見えなかった、というのが一つ」

「底? 終わりの事? 全部倒しちゃえば良かったのに」

「それは現実的じゃない」

「現実的じゃない? 貴方がそれを言う? 一番現実的よ」


 俺も、近くの石に腰を下ろした。


「黒魔術も万能じゃない」

「そうかもしれないけど、私には、そうは見えないわ」

「……手加減ができないんだ」


 黒魔術の問題点は、そこだった。


「俺の黒魔術は、簡単に人を殺せる。殺さないような手加減ができない。相手が魔物ならいい。あとは、殺すべき相手なら、別に普通に戦おうと思う。でもそうじゃない人間が相手になると、怖くてとても黒魔術なんて使えない」


 何しろ、全ての魔法に『ダークネス・カース』の呪いが付与されるのだ。しかもその呪いは、【アビスメイジ】になって、さらに強化された。それぞれのスキルもレベルが上がって、殺傷能力をより増した。魔力も上がった。

 相乗効果で、俺は殺人マシーンのごとき魔術師になった。


「あの、マナを吸い取る魔法は? あれで、動けなくしちゃえばいいんじゃないの?」


 俺は首を振る。

 そう考えていた時が俺にもあった。


「あの戦いの後、俺もいろいろ考えて、試してみたんだ。あの魔法は『マナドレイン』って言うんだけどな、それを、大兎を相手に試してみた。俺は足止めのつもりで『マナドレイン』の魔法をかけた。弱らせるだけのつもりでね。

 そうしたら、死んだんだ。一瞬で致死量のマナを奪ったらしい」


 そして、その大兎の肉は黒く変色していて、所々オイルのようなドロッとした、異臭を放つ黒い液体になっていた。


「人間の技じゃない。人間に使っていい魔法じゃない」


 俺の黒魔術は、大体そんな感じである。

 呪い耐性が極端に高い人間――例えば宿で戦った大剣使いのような人間なら、いくつかの魔法は遠慮なく使えるが、そんな人間、滅多にいるものじゃない。


「自分が殺されるかもしれないのに」

「そうだな」


 おかしな話だ、エイルの言う通り。

 命を奪う勇気がない、人殺しの業を背負う覚悟がない、それは優しさなのだろうか、なんてことを考える。


「あれから、どうしてたの?」

「ちょっと、勉強したかな」

「ふーん。魔法?」

「うん。おかげで、黒魔術以外の魔法を一つだけ使えるようになった」

「何が使えるの?」

「ちょっと、灯を消してみて」


 エイルは、ランタンの明かりを消した。

 一寸先も分からない真っ暗闇。


 俺は、手を広げ、腕を回した。

 これには集中力が必要だ。表面張力の耐えられるギリギリまで水を入れる注ぎ手のように、バランスの極めて覚束なくなったジェンガの一木を抜くように、鴬張りの廊下を音を立てずにわたり切る泥棒のように……。

 右の人差し指を、目の前にそっと突き出す。


 ――集中力と、イメージ。


 指の先に、米粒のような光が灯った。砂金の反射のような、ごくごく微かな光だが、間違いなく、魔法の光である。


 葉っぱから、雨粒が落ちてきた。

 その飛沫が目に飛び込んできた。

 魔法の光は、すうっと消えてしまった。集中力を少しでも欠くとこうなる。


 エイルが、ランタンに再び火を灯した。

 俺の作った灯りを百万倍しても届かないような明るい光が、俺たちを囲んだ。


「毎日一時間練習をして、これだよ」


 苦笑を禁じえない。


 この魔法の名前は『ルーメン』。エイルの使う『サンランタン』は、太陽のような灯で、害を成す相手にはその光は見えない。もう一つ、『パトロソラス』は「聖なる光」とも呼ばれ、闇を晴らすことができる。「闇を晴らす」というのが何なのかについては議論の絶えないところであるが、今はいいだろう。


 さて、『ルーメン』だが、これは普通の「光」だ。『パトロソラス』よりも新しい魔法と言われている。家屋の照明として最も一般的な魔法だ。「光の魔法」と一口に言ってもいろいろと種類があって、例えば『トーチ』という魔法は、夜行の際に広く使われている。


 さて、俺は『ルーメン』を習得するのに、丸一年を費やした。

 一年を費やして、「習得」と呼ぶにはあまりに悲しいレベルである。

 実は、他にもいろいろな魔法を試していた。黒魔術師だし、魔力なんて異常なほど高いのだから、一年あればモノになるだろう。そういう風に考えていたのだが、結局、何一つモノにならなかった。


「相性が悪かったのかも」

「まぁ、そうなんだろうけどね」


 相性。

 魔法を使えるかどうかは、その魔法との相性が99.99パーセント――いや、もう100パーセントと言っている学者も多いが、つまるところ魔法は、才能あっての努力なのだ。一年かけて、俺はそれを学んだ。

 たった一年で何を分かったような口を、という人もいるだろうが、こと魔法に関して、ベースになるのは素質だ。才能だけで何とかなるほど世の中は甘くないが、努力で全てか解決できるほどにも、この世界はまた甘くない。


「エイルは?」

「私? 私は……私もちょっと、魔法、頑張ってたかな」

「へぇ」


 エイルの口から、頑張っていた、という言葉が出るとは思わなかった。

 汗臭い努力とか、そういうことをしているエイルの姿がいまいち想像できない。本を読んでいたり、祈りを捧げていたり、怪我人を癒している、エイルと言えば、そういう姿のイメージだ。


「なんで、トリンドル城砦跡地にしたの?」

「北からは騎士団とか、ちょっと危なそうな追手が来てるから、避けたかった。あとは、トリンドルならここから離れてるから、逃げるポイントとしてなかなか想像できないんじゃないかと思ってね」

「あの男の子は、本当にルノアルドの王子様なの?」

「うん」

「……大事じゃない」


 そう、大事なのだ。

 俺が介入しなければ、事はすでに収束していたのだが、俺が二人の側に付いたことで、事態はどんどん、大きくなってゆくことだろう。


「参ったな……」


 この先の事を全然考えていなかった。

 ジャンヌを助けることだけを考えてこうなったわけだが、そのゴールはどこになるだろう。カールをルノアルドの王の座につけるまでが勝負か? ルノアルドが、カールの処刑を取りやめるまでか? それとも、誰も追ってこられない場所に二人を逃がすまでか?


 どれにしても、茨の道じゃないか。

 覚悟した気になっていたが、よくよく考えてみると、これはかなり、絶望的な逃避行だ。


「呆れた。何も考えてなかったのね」

「何も考えてなかったな……」


 エイルは微笑する。

 俺は、エイルに言った。


「明日の朝、クランに戻るのがいい。今ならまだ……」

「もう決めたの」

「決めたって――」

「貴方についていく」

「え!?」


 エイルは微笑した。

 最近色々あったが、今のが一番驚いた。

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