89 再開
「エイル様は、いらっしゃいますか!」
村のはずれには、カメス十字のマークの入ったテントが並んでいた。村の宿に入りきらなかったクランは、村の周りで野営をしている。カメス・メイスも、そのうちの一つだった。
雨の中、しかもこんな夜中にやってきた少女に、カメス・メイスの傭兵は嫌や顔をした。傭兵の勘が、厄介事の匂いを嗅ぎつけたのかもしれない。
「こんな時間に、何の用だ」
「会ってからお話します」
「言えないような事なのか?」
「――これで、お願いします」
クワルは、金貨一枚を男の目の前に出した。
男はひったくる様にそれを受け取り、テントの奥に引っ込んでいった。
――雨が降る。
篝火は魔法で保護されているから消えないが、その灯は頼りない。
雨の音だけが支配する、夜だ。
エイル様が来ていなかったらどうしよう。
努めて考えないようにしていたことが、脳裏をよぎって、溢れ出してくる。
あの傭兵さんは、お金だけ受け取って寝てしまったのだろうか。
時間が過ぎてゆく。
なんでこんなに遅いんだろう。
まさか、私達の事はもうバレて……。
クワルは首を振った。
私の予感は当てにならない。不安なだけだ。グリム様の勘はいつも当たるけど、私のは、当たった試しがない。だから、きっと大丈夫。
でも――。
雨の音が一層強くなる。
目の良いクワルも、雨の煙と飛沫のせいで、遠くまでは見通せない。カメス・メイスの一つ目のテントは見えるが、その奥は、闇と雨の中に消えてしまっている。
その闇の中から、突然人影が現れた。
人影は小走りで近づいてきて、篝火に、その顔が照らされた。
クワルは、その顔をはっきり見た。
「エイル様!」
クワルは、走り寄ってきた女性に抱き着いた。
その女性は、間違いなくエイルだった。紺のスーラに白のサージュを着、腰には、木の杖を差している。
「びしょ濡れじゃない」
エイルはそう言うと、杖を掲げた。
龍老人の杖である。
杖先から光が広がり、二人を包み込んだ。雨避けの魔法である。
エイルは、クワルの頭を、抱きかかえるようにして、自分の服で拭いてやった。それから、泣きそうな顔のクワルに訊ねた。
「何があったの?」
ただ事ではないのは、エイルにもすぐにわかった。
でなければ、こんな時に、このようにして会いに来たりはしない。
まさか、彼に何か――。
「助けてください」
クワルは頭を下げた。
「グリムは、ここに来ているの?」
「はい」
エイルの心臓が、どくんと鳴った。
「全部打ち明けます」
クワルはそう言うと、今、グリムが置かれている状況を、エイルに洗いざらい話した。クワルは、それだけエイルの事を信頼していた。その信頼は、グリムがエイルに寄せる信頼からきていた。
全てを聞き終えたエイルは、すぐに決断した。
「わかった、今すぐ行く」
「い、いいんですか!?」
「うん。案内して」
エイルは、もと来た道を一直線に、宿に戻った。
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村の外れから村の中心部に戻るまでの間に、クワルとエイルは、村の異変を感じ取っていた。傭兵たちが、得物を手にして駆けまわっているのだ。雨の中、馬が走り、荒々しい声が、闇の奥から聞こえてくる。
二人は走って宿に向かった。到着し、勢いよく宿の扉を開ける。
宿はもぬけの殻だった。
灯りだけがついている。あれだけいた客が、一人もいなくなっている。派手に倒れた内装品や割れたり転がったりしている瓶のボトルは、喧嘩のせいだろうか。
クワルは階段を上り、そこで、グリムたちの不在を確認した。
「ここにいたの?」
エイルの質問に、クワルが無言で頷く。
クワルは混乱して、言葉が出なかった。
「パトラッシュは!?」
クワルは思い出して、馬屋に走った。
馬は、全ていなくなっていた。パトラッシュも、姿を消している。エイルもすぐに追いついて、それを確認した。
「そんな……」
クワルは途方に暮れて、藁の上に崩れ落ちた。
エイルは、クワルに言った。
「たぶん、皆無事なんじゃないかしら」
クワルは、エイルを見上げた。
エイルは、気休めでそう言っているわけではなかった。
「ここにその小龍馬――パトラッシュがいないということは、三人は、それに乗って逃げることができた、ということじゃない?」
「あっ……!」
「雨の中でも、闇の中でも、パトラッシュは動けるんでしょ?」
「はい! それはもう、すごく速く走れます!」
エイルは頷いた。
「でも、ジャンヌ様は……」
「心配ね」
ジャンヌは傷を負っている。
騎士の剣で受けたもので、塞がらない傷だという。エイルは、怪我や傷の専門知識を持っている。それによって考えてゆくと、そのジャンヌという女騎士は、今頃はその傷によって、命を落とすような状態にあるかもしれない――ということが推測できた。
「どこに行ったか分かれば――」
言いかけて、エイルは、パトラッシュのいたという場所の藁の上に、一枚の小さな紙が落ちているのを見つけた。エイルはそれを拾い上げた。
そこには『セネレイルーンの野営地にいます』と書かれていた。それがグリムの筆跡であるのを、クワルはすぐに見て取った。
「な、なんで!?」
驚いたのはクワルだった。
折角突破したセネレイルーンの包囲網なのに、そのただなかに戻るとは、何を考えているのだろうか。自分の主人のことながら、クワルにもさっぱりわからなかった。
「とにかく、行くしかなさそうね」
エイルは言った。
そうだ、行くしかない。
クワルも頷き、二人は厩を出た。
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ホペンからセネレイルーンの野営地までは、パトラッシュだと十分とかからなかった。俺とジャンヌ、そしてカールと、店員オーバー気味だったが、パトラッシュは頑張ってくれた。
野営地につくと、番をしている傭兵が、武器を手に集まってきた。
俺はパトラッシュを降りて、彼らの前に出た。
番の傭兵たちは、俺の事を覚えていた。
それはそうだ、名前も、格好も強烈すぎる。
「ピカソ導師様、どうしましたか」
この世界でも、神官は格が高いらしい。
傭兵でも敬語を使うし、若干腰が低くなる。
「騒動に巻き込まれましてな。連れが、怪我をしてしまいました」
「騒動というのは……?」
「ホペンに、女騎士が出たと」
「なんだって!」
傭兵たちは慌てた。
「その女騎士を、見ましたか!?」
「私が見たのは、猛り狂った傭兵たちだけです」
言うと、傭兵たちは相談して、一人は、急いで野営地の中に入っていった。マスターに、この情報を伝えるためだろう。
「どうか、彼女――彼の傷を治してやってはくれないだろうか」
「勿論です。あぁ、血が出ている」
「こちらへどうぞ」
と、俺たちはまんまと、野営地の医療テントの中に案内された。
テントには癒術師の女性がいて、彼女はジャンヌを布団の上に寝かせると、服を脱がせた。その間に、ジャンヌは眠ってしまった。ジャンヌは、だいぶ憔悴していた。
癒術師の女性は、服を脱がせるとゆうに「あっ」と小さな声を上げた。ジャンヌが女であることを知ったのだ。ジャンヌの胸部は、包帯できつく巻かれていたが、その二つのふくらみは、隠しようがない。
女性の癒術師は、なぜか顔を染めた。――それはまぁ、深く考えないことにして、今考えるべきは、ここから逃げる方法だ。。
ジャンヌの治療のためにここに戻ってきたが、ジャンヌが女だと知られてしまった。その情報だけで、あのマスターならすぐに勘づくだろう。
癒術師は、ジャンヌの為に治癒術を施している。
性別を偽っていたわけも聞かずに。
だが彼女は、ジャンヌが女性であることを、クランのメンバーに伝えなければならないだろう。
逃げるために、彼女を殺すか?
いや、ありえない。仮にだが、殺したとして、死体を隠せなければ意味がない。「殺す」とか「だます」とかいう手段をもう少し真剣に考えれば、黒魔術を使った良い方法があるかもしれないが、そんな外道な事、俺にはできない。
とすると、金で彼女を買収する……。
だが、それは恐らく、無理だろう。癒術師は、金で動かない人間が多い。傭兵の中でも、少し変わった人種だ。情に訴える方がまだ可能性はありそうだが、その後の彼女の事を考えると、それをするのは躊躇われる。
やはり、ジャンヌの治療が済み次第、パトラッシュでここを脱出するしかない。ジャンヌの治療がいつ終わるのか、そもそも完治するのかはわからないから、これは運任せの勝負だ。
「厄介な傷です」
癒術師が言った。
「私の力では、治しきることができません。傷の広がりを押さえて、活力を与える所までが限界です。ここにはもう一人、私よりも優れた癒術師がいます。今は手が空いていませんが、彼なら治せると思います」
「ありがとうございます」
俺は癒術師の女性に頭を下げた。
今の俺は、名前から何から色々と嘘っぱちだが、この感謝は本物だ。ジャンヌの体を包んでいた死の気配が、彼女のお陰でだいぶ消えた。これで、今晩一晩は大丈夫だろう。
もっとも、この一夜を無事に過ごせればの話だが。
一通りの処置を施した後、癒術師の彼女はテントを出て行った。
高位の癒術師であるとするところの男に、ジャンヌの治療を頼みに行ったのだ。止めることもできたが、いい加減誤魔化すのにも疲れてきた。彼女のような、素で親切な良い人を騙すのは、特に疲れる。
「ここは……」
ジャンヌが目を覚ました。
もう服は着ている。しかし胸に巻いた包帯は治療のためにとってしまったから、その女性らしいボディーラインが露わになっている。こんな時なのに、俺は目のやり場に困っている。
「良かった……」
カールが、ホッと胸を撫でおろした。
しかし状況は、極めて悪い。
悪いというか、最悪だ。
もうじき、部下を引き連れて、ここのマスターがやってくるだろう。俺たちは今、この地方でも有名な大手クランの野営地の、ド真ん中にいる。なんてクレイジーな状況なのだろう。
「ジャンヌ、立てるか?」
「えぇ」
ジャンヌは、よろめきながら立ち上がった。
よし、すぐに逃げよう。
テントを出ると、すぐに蹄の音があって、雨の飛沫の中からパトラッシュが現れた。カールが乗り、次にジャンヌ、そして俺が乗ろうとしたとき、雨の中から氷の刃物、『アイシクルスピア』が飛んできた。
なかなか良い狙いで、氷の槍は俺の腹に突っ込んできた。だが俺のパッシブスキル、『アビスオーラ』を貫くほどの力はない。氷の槍は、俺の手前で粉々に割れて、マナに還った。
パトラッシュに飛び乗る。
パトラッシュが走り出し、来た道を戻る。背後から、無数の矢が追いかけてくる。
「止まれぇ!」
「ピカソ導師よ、ご乱心かぁ!」
雨の音に負けじと、番の傭兵が声を張り上げる。
パトラッシュは、進行方向に立ちはだかった傭兵たちに突進して行き、そして、飛んだ。傭兵たちは、頭上を飛び越えるパトラッシュを、ただ見上げるしかなかった。
ふわりと宙に舞う感覚。
と、俺はその着地点の先に、信じられないものを見た。
闇の中に光が灯っている。
その中に、エイルとクワルを見つけたのだ。
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パトラッシュは、光の近くに着地した。
俺はパトラッシュから飛び降り、二人のもとに駆け寄った。
「グリム!」
エイルは、俺の名前を呼んだ。
感動の再開――をしている場合ではない。追っ手が来ている。
「エイル、彼女の治療、できるか?」
「傷を見せて」
エイルはパトラッシュに飛び乗り、ジャンヌと向かい合うように跨った。
「傷を見せて」
ジャンヌは、服をまくった。
エイルは、じっとその傷を見つめ、それから、手を翳した。
「私はエイル、グリムの友人よ」
「わ、私はジャンヌ。ジャンヌ・エイメイ・ダレイジア」
二人は短い自己紹介をした。
それから数秒の治療の後、エイルはパトラッシュを降りた。
「ダメか……?」
「応急処置は済んだわ。あとは、自然に治っていくはずよ。数日はかかるけど」
「マジか……」
さすがエイルだ。
この短時間で、あれほど厄介だという傷を。
「でも、激しい運動は控えて」
「つまり、戦いは――」
「ダメに決まってるでしょ」
会話の後、俺は色々な事を一気に考えた。
あと数秒が過ぎれば、セネレイルーンの傭兵たちと戦闘になる。それはもう、避けられない。避ける方法は、パトラッシュで逃げる事だが、パトラッシュに乗れるのは、大人一人と子供二人、あるいは、大人二人が限度だ。
ジャンヌなら、俺とカールとクワルを選ぶだろう。
カールなら、ジャンヌと俺と、パトラッシュに無理をさせてクワルか。
だがこの場には新たな助っ人、エイルもいる。
絶対に逃がさなければならないのは、カールとジャンヌだ。皆、その二人の命を狙っている。とすると、自動的にパトラッシュに乗るもう一人は、クワルになる。
この場に残って戦うのは、俺とエイルだ。
……エイル、俺はなんて貧乏くじを引かせてしまったんだ。
だがエイルは、ジャンヌやカールと、直接的な関係はない。金で雇ったとか、脅して無理やり仲間にしたとかいえば、傭兵もエイルの事を見逃してくれるだろう。何しろ傭兵は、金が全てだ。金にならない殺しはしたくないはず。
「クワル、パトラッシュに乗れ」
「私も戦います!」
「いや、お前は二人を守れ」
「でも――」
「大丈夫、後で落ち合おう。パトラッシュ……トリンドル城砦跡地だ」
クワルは唇を結ぶと、俺の命令を守って、パトラッシュに乗った。
パトラッシュは一声嘶くと、わっと駆け出した。
直後、リュナクが俺の名を呼んだ。
「ピカソ導師!」
我ながら、こんな場面でも吹き出しそうになる。
ピカソが描いた、あの無茶苦茶な女の顔の絵が、脳裏に浮かび上がってきたのだ。




