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88 大剣の男

 野営地を離れ、その篝火も見えなくなったころ。

 グリムは水筒の水を一気飲みしていた。

 喉はもう、からからだった。


「グリム様は、神官様だったのですか!」


 クワルが言った。


「そんなわけあるか!」


 全部出鱈目だ。

 なんだよ、ピカソ導師って。俺の精神状態は、ゲルニカよりも混沌としてたぞ。まぁしかし、人間、土壇場になると何かに目覚めるものだ。中学生時代に流行った無駄な雑学と、小学生時代の学芸会、そして幼稚園の頃に読み聞かせて貰った童話の知識が、上手い具合に蘇ってきて助かった。


「グリムさん、いえ、ピカソ導師、他にも昔話があったら聞きたいのですけど――」


 カールが言ってきた。

 だから俺は、ピカソ導師ではない。


「ありがとうグリム、命拾いしたわ」


 ジャンヌが、腹を押さえながら言った。


「いや、それよりもジャンヌ、あの歌は……」


 上手だった、と言えば安っぽくなってしまう。

 ジャンヌのあの歌は、一つの芸術だった。ラリアンでも広場に行けば、そこそこ名の知れた吟遊詩人がいて、いろいろな歌を歌っていたが、ジャンヌの歌声と演奏は、比べようもなく素晴らしかった。


「剣士じゃなかったら、きっと吟遊詩人になってたわ。もしかしたら本当に劇団に……」


 ジャンヌはそう言って笑った。

 笑顔が、引き吊っている。傷が痛むのだろう。

 本当はジャンヌだけでもパトラッシュに乗せてあげたいところではあったが、それでは怪しまれるかもしれない。どこで誰が見ているかわからない。俺たちは慎重を期して、ピカソ導師一行のまま、街道をホペンに向けて進むのだった。



 みぞれが雹のようになってきた。

 俺たちは夕暮れ前に、ホペンに辿り着くことができた。

 酒場に入ると、すでに席はいっぱいで、階段まで傭兵たちで埋まっていた。俺は自分で言うのもなんだが、少し珍しい恰好をしている。そんな俺たちが入ってきても、傭兵連中は全く俺たちを気にしなかった。


 彼らは、女騎士以外は眼中に無いらしい。

 そのうちの一人が今、目の前にいるとは夢にも思わないだろう。今のジャンヌは、葉の汁や土で軽い化粧をした、男装の麗人である。フードをつけたままだと、どこにでもいる旅人だ。

 俺たちは二階の廊下を案内された。

 この田舎の店からしたら、場所がないからと客を追い出すことは、惜しくてできないのだろう。俺たちからしても、追い出されるのは御免である。


 温酒と甘湯が運ばれてきた。

 甘湯というのは、平たく言えば暖かい砂糖水のことである。金を払ってそれを受け取り、とりあえず一杯やる。

 人心地ついた所で、さて、どうやってエイルを探すか、という事を考える。


「私が探してきます」


 クワルが申し出た。

 ちょうど下で、喧嘩が始まった。そりゃあ喧嘩も起こるだろう。ここには、功名心やら金銭欲やら、興奮に血をたぎらせた傭兵がぎゅうぎゅう詰めになっているのである。村中の酒場兼宿屋がこうだと思うと、ここはもう、戦場と変わらないような気がしてくる。


 さて、俺が行くべきかクワルに任せるべきか。いずれにしても、どちらか一方はジャンヌとカールの傍から離れるわけにはいかない。情報収集は俺よりクワルの方が適任だろう。

 本当を言えば、俺が自分で探しに行きたいところだが、ここは、合理的に考えよう。


「クワル、任せた」

「はい!」


 クワルは、勢いよく飛び出していった。

 食事くらいとらせればよかったと、思いついて後悔する。こういう時こそ、コンディションはしっかり整えるべきだというのが俺の哲学なのに、こういうちょっとした所に気が付かないあたり、情けなくなる。


 ジャンヌの出血はなかなか止まらなかった。

 ドバっと出るわけではないが、少しずつ流れて、傷が塞がらない。ジャンヌは気丈に振る舞うが、その気丈さも、限界が来ているようだった。体温が下がり、息が浅くなっている。まだ意識があるのは、彼女の精神力のなせる業だろう。


「ジャンヌ……」


 カールは、ジャンヌの手をぎゅっと握っている。

 今夜一晩、持つかどうかわからない。夜は冷えるから、毛布だけでは厳しいかもしれない。クワルが今夜中に戻らなければ――いや、あと一時間のうちに戻らなければ、ここにいる傭兵に頼んでみよう。この中に、一人くらい治癒魔法の使える人間がいるかもしれない。


「大丈夫です、カール様……」


 ジャンヌは、カールの手を握り返した。

 ダメだ、もうこれ以上待ってはいられない。目立つのは極力避けていたが、仕方がない。ジャンヌにこれ以上の苦痛を与えることと、カールにこれ以上の不安を与えることは、俺にはできない。


 俺は収納の杖から金貨を数枚取り出し、立ち上がった。

 ちょうどその時、宿の扉が勢いよく開いて、剣を背負った男が入ってきた。その男は、開口一番こう言った。


「女騎士が出た! 村の入り口だ!」


 客は黙り込み、男に注目した。

 男は、さらに言った。


「何してる! 手柄がほしけりゃ急げ!」


 男はそう言うと、扉の奥に消えていった。

 一瞬間があって、店の傭兵たちがいっせいに、入り口に殺到した。二階の扉も勢いよく開き、俺は肘をぶつけられた。出てきた男は、俺のことは気にも留めず、階段を下りて行った。あっという間に、二階の個室も、一回の酒場も、がらんとなってしまった。


 俺は、呆然と立ち尽くすしかなかった。

 ――馬鹿な。その女騎士は、今ここにいるんだぞ。

 あれは嘘だ。

 どうしてあんな嘘をついた。あの男は、悪戯にしては、度が過ぎている。


 そこまで思考が流れた時、扉が再び開いた。

 今度はゆっくりと。

 そして、再び、例の男が入ってきた。さきほど大声で、デマを叫んだ男である。汗と土に汚れたラモトカに、ぴったりした赤黒いダンテを履き、血のような色のザーオを羽織っている。肩越しに長い柄が見え、対角線の膝の後ろあたりから、銀の切っ先が突き出している。

 男は顔を持ち上げた。

 目が合った。


「ここの連中は皆、女騎士を探してる。わけもわからず、ただ、金になるだろうと考えてな。だからああ言えば、そういう連中はすぐに飛びつく。――だがあんたは、そこから動かない。店から出るそぶりも見せない。なぜだかわかるか?」

「……俺に話しかけてるのか?」

「教えてやる。あんたは、皆が探してるお尋ね者の女騎士がどこにいるか、知っているんだ。お前の足元で蹲っている、そうだろう。怪我をしているようだな」

「っ――!」


 男はつかつかと、階段を上ってきた。

 階段を上り終えた男は、俺の足元に、布をかけて横たわるジャンヌを認めた。そして、その横で座り、今しがた立ち上がった少年も。


「セネレイルーンの包囲を堂々と突破した手並み、天晴だ。大した度胸だ。が、連中は騙せても俺は騙せなかったぜ。さぁ、チェックメイトだ。大人しくそいつと、そこのガキを渡せ」


 男はそう言った。

 目付きが、常人と違う。人を殺すことなど何とも思っていない人間の目だ。傭兵の中には、たまにこういう目の人間がいる。


「渡せ。あんたは、金目当てでそいつらを助けたわけじゃないんだろう。情もな、かけ間違えれば命を落とすぜ」


 男はそう言うと、柄に左手を伸ばした。

 カチャっと音がして、剣を留めていた留め具が剣を離した。男は剣を抜いた。

 バスターソード――巨大な魔物と戦うために作られた剣だ。もとはジャイアントのための剣だったという。その大剣を、男は軽々と片手で持ち上げている。


「ほら、坊さん、これが剣だ。人間の首なんて、これをちょっと動かすだけで千切れ飛ぶ。親切は勝手だがな、今回ばっかりは、相手を間違えたぜ」


 大剣の切っ先が、俺の額に向けられる。

 と、俺とジャンヌの前に、カールが手を広げて立ちはだかった。


「ん? なんだ、ガキのくせに勇敢だな。だがそれは、無謀ってもんだ」

「連れて行くなら私だけにしろ。彼女は、関係ない」


 俺は息を呑んだ。

 カールの声は、死を目前にした人間のそれではなかった。落ち着き払い、その声には、威厳さえ感じられる。


「それはできない相談だ。だが結果的に、お前だけを連れて行くことになるかもしれないな。そこの女は、もう長くなさそうだ。首だけでも持ち帰るか」

「やめろ!」


 カールが叫ぶ。

 男は、にやっと口元に笑みを浮かべた。

 俺は、カールの手をぐいと引っ張って、後ろにやった。カールが俺の事を見上げる。俺は、大剣の男を見据えた。


「金のためか」

「それもある。だが、傭兵は趣味だ。本業は、魔族を狩ることさ――そこの、ガキのような魔族をな」

「この子が魔族?」

「なんだ、まだ教えてもらってなかったのか。そいつは、魔族だ」


 話が大きくなってきた。

 魔族――と一口に言っても、その定義は曖昧で、話者によってその指すものにはバラつきがある。広くとらえれば、黒魔術師も魔族になるようだが、この男は、何をもってカールを、魔族と言っているのだろうか。

 だが今は、そんなことはどうでもいい。

 カールが何であろうと、この子は殺させない。


「だから殺させろって言うのか。馬鹿言うな」

「まぁいいさ、あんたの宗教にとやかく言うつもりはない。渡す気がないなら、奪うまでだ」

「やってみろ」


 俺がそう言うと、男は、猛烈な速さで襲い掛かってきた。

 俺は、右手を思い切り突き出した。

 右の掌に赤黒い炎が宿る。一瞬、掌がかっと熱くなった。次の瞬間、男は向かってきた方向に弾き飛ばされた。『アビスインパクト』――【アビスメイジ】になってから会得した黒魔術だ。

 男は壁に背中を打ち付けたが、すぐに壁を蹴って、階段の上に降りた。


「ただの坊主じゃねぇな」


 男は呟いた。

 大剣が、赤黒いオーラを纏う。

 この男も、ただの剣士じゃない。『アビスインパクト』は、呪いの波動だ。「ちょっと強い」くらいの戦士なら、一撃でお終いだ。

 ところがこの男は、まだピンピンしている。のみならず、『ダークネス・カース』の呪いも入っていない。呪い耐性が、抜群に高いようだ。


 男が、再び襲い掛かってきた。

 俺は『ミストテレポート』で男の懐に入り、『ダークバインド』で一瞬だけ男の動きを止め、同時に、『ダークアロー』超至近距離から放った。


「ううっ……」


 男は呻き声を挙げた。

 だがこの男は、やっぱり普通じゃない。『ダークバインド』を解いた。

 男は拳を振り上げる。


 俺は再び『ミストテレポート』で男の背後に移動し、その背中に、両手をあてがった。――『アビスインパクト』。


 ずん、と男の体に衝撃が走り、男は一階のテーブルの上に突っ込んだ。派手な音がして、テーブルや椅子が破壊され、男はその残骸の下敷きになった。


 俺は床に着地して、男が下で伸びているのを確認する。


「はぁ……」


 ずっと『HPポワード』をジャンヌに使っていたせいもあるのだろう。

 どっと汗が吹き出し、疲労感が襲ってくる。

 だが、疲労している場合ではない。

 普通なら間違いなく殺しているような攻撃を見舞ったが、この男は、まだ生きている。いつ起き上がってくるかわからない。ここでとどめを刺さないのが、俺の甘さなのかもしれないが、今ここでこの男を殺したとしても、結局俺たちはもう、逃げるしかないのだ。


 ジャンヌを起こし、肩を貸して、俺たちは宿を出た。

 みぞれは、細い雨に変わっていた。

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