87 ピカソ問答
クワルの集めてきた情報と、ジャンヌの情報を集約すると、俺たちは今、囲まれているという事がわかった。
北からはアノール騎士団、ライン騎士団、そして暗殺部隊ロッシンが迫ってきている。東は深い森に阻まれ、西はカカン王国とルノアルド王国を分断する大山脈地帯。そして南は、レゼ地方あたりのクランが陣を敷いている。
「その陣の中のホペンという村に、カメス・メイスが来ているみたいです」
クワルが教えてくれた。
驚くべきは、クワルの情報収集能力である。渡したのは金貨十枚だったが、たった三枚しか消費せずに、これらの情報を入手して、しかもこの短時間で帰ってきた。
「さすがです、クワル様」
俺がそう言うと、クワルは目を白黒させた。
しかし困った。
カメス・メイス――エイルに会うには、南の、クランの包囲網を突破しなければならない。パトラッシュが速いといっても、流石に無理があるだろう。
「セネレイルーンが、森を出た所で陣を張っています」
「セネレイルーン……」
「レゼ地方では最も有力なクランの一つだそうです」
「そのクランの陣を突破しなきゃいけないわけか」
しかも、力づくではダメだ。
エイルは味方をしてくれるかもしれないが、カメス・メイスは俺たちを――ジャンヌとカールを捕らえようとするだろう。カメス・メイスだけではない。レゼ地方からやってきた他のクランも、セネレイルーンの背後からどんどんやってくる。
問題はまだある。
本当にエイルが来ているかどうか、わからないという所だ。エイルは、カメス・メイスの中でも少し変わった立ち位置だったように思う。彼女がクランの今回の作戦に参加していないということも、充分に考えられる。
コックリさんに訊いてみるか?
いや、今は正確な占いはできないだろう。エイルがいたらいいな、という期待が強すぎて、俺の無意識はそっちに引っ張られるに違いない。
もう一晩考えて……という猶予はなさそうだ。
気丈なジャンヌは、皆に心配をかけないように痛みを訴えないが、怪我な回復に向かうどころか、悪化している。俺は医療の専門知識などは持っていないが、人の感情を掴めるのと同じように、その人間の怪我などの具合も、何と無く分かる。
ジャンヌの怪我は、このままでは命に関わる。
今すぐに動こう。
下手の考えや休むに似たりというが、俺は今、その「下手」である。いくら長考したところで、この状況を打開する奇策など思いつかない。
北には行けない。東と西は地理的に不可能。となればもう、南しかない。南にはセネレイルーンがいる。それを超えれば、カメス・メイスが泊まっているホペンの村。
嫌が応にも、俺たちは南に向かうしかない。
北でも良いが、その場合、二つの騎士団と暗殺部隊を相手にしなければならない。今の俺達には、難しい選択だろう。
となればやはり、南だ。
同じ困難なら、それを超えた先に希望がある方を選びたい。今、俺たちの希望はエイルだ。エイルが来ていなければ、それは一気に絶望に変わるが、それでも今は、彼女が来ていることを信じるしかないだろう。
「私を置いていって」
察しの良いジャンヌが、俺だけに聞こえるように言った。
確かに、ジャンヌ無しで考えれば、北という選択肢も、取れなくはない。俺とクワルとカールの三人なら、パトラッシュにも乗れる。
だが、それでは、俺がここに来た意味がない。俺は、ジャンヌを助けるためにここに来たのだ。ジャンヌの願いは、カールを助けることだが、俺は、二人とも助けたい。
「一芝居うとう」
今、俺たちに残された方法は一つしかない。
セレネイルーンの陣を、バレないように通ること。力づくでは、追われる一手で後がない。となれば、騙して通る以外の選択肢はない。
もうじき日が暮れる。
みぞれが、一層強く降り始める。
「行こう」
覚悟を決めるしかない。
ジャンヌとカール、二人を助けるなら、もうそれしかないのだ。
俺たちは森を抜け、騎士の気配を気にしながら、ホペンに向かう街道に出た。歩きながら、芝居の打ち合わせをする。リハーサルをしている時間はない。本番一発勝負、失敗は許されない。
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森の街道から突然、堂々と現れた一行に、セレネイルーンの見張りは動揺を見せた。みぞれの中から、黒い変わった法衣を着た男が出てきたのだから、当然である。
一行はそのまま、セレネイルーンの野営地に差し掛かった。
野営地にはすでにいくつものテントが張られ、篝火が焚かれていた。まるで戦をしているかのようだった。
「何者だ」
番の傭兵三人がすぐにやってきた。
法衣を着た男、続いて立派な馬とそれを引く小さな馬子。その後ろには子供と大人。いずれも、フードを深くかぶっている。
「諸国放浪中の導師でございます」
「どこから来た」
「コオリ山の麓、イソップの村、アンデルセン神殿から来ました」
「聞いたことないな」
「小さな村なので」
傭兵は顔を見合わせた。
それから、再び導師に質問した。
「その連れは、何者だ」
「馬方に、身寄りのない子供と、道中お救い申した者です」
紹介された三人は、それぞれ頭を下げた。
傭兵たちは、再び顔を見合わせる。
追っているのは女剣士と子供。この一行にも子供はいるが、女はいない。子供も、別段変わったところはない。そもそも、他に連れがいるとは聞いていない。
「まぁ、通していいか」
傭兵はそう呟き、一行から離れた。
一行は再び歩き始める。
そこへ――。
「待て」
再び呼び止められた一行は、歩みを止めた。
呼び止めたのは、赤と黒の、これもまた変わった法衣を着た男――セレネイルーンのマスター、リュナクだった。
リュナクは導師の前に立ちはだかり、一行は、あっという間に傭兵に囲まれた。
「何の御用でしょうか」
「導師と見るが、どこへ行く」
「定まった行き先はありません。諸国霊場を巡り、怨霊を供養する旅の身でございます」
リュナクに、先ほどの傭兵が耳打ちした。
リュナクは頷き、再び口を開いた。
「イソップとは、私も知らないな。どのような村だ」
「長閑な村です。人々は野菜を育て、牛や羊を放牧して暮らしています」
「何がある」
「ヨーグルトというものがあります。牛乳や羊乳を加工して作ったもので、これが非常に美味しく、健康にも良い」
「今、持っているか」
「あいにく今は」
「残念だ。是非今度、試してみたいものだ」
導師は頭を下げる。
リュナクは笑顔を見せた。
「名はなんという」
「私の名は――」
「俗名ではなく、真名を教えてほしい」
「真名、でございますか」
「神官は、神に仕える時、その神から千字の名を貰うと聞く。女神に仕える神官はその限りではないが、見た所、その法衣は、他の神に仕える者なのだろう」
導師は、ちらりと子供を見る。
子供は、小さく頷いた。
「いかにも。しかし、真名を名乗るというのは法要などの場合のみ。みだりに口にするものではありませぬ」
「全部とは言わない。途中でいい。できないか?」
導師は、ほうっとため息をついた。
「では、謹んで――パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・デ・ラ・サンテシマ・トリニダット・ルイス・イ・ピカソ、と申します」
「おおぉ」
リュナクは感心して笑った。
「よく舌を噛まないな」
導師は軽く頭を下げる。
「何とお呼びすれば良いかな」
「ピカソ、と」
「ピカソ導師――すまないが、貴方の仕える神の名を教えてくれないか」
「ボウオウです」
「聞いたことがないな」
導師はリュナクに言った。
「もう行ってもよろしいか。日暮れまでに、ホペンに辿り着かなくては」
「まぁ、そう慌てることは無いだろう。日暮れまではまだ間がある、もう少しお話を伺いたい。ホペンはもう目と鼻の先だ」
「しかし――」
「その者は?」
リュナクは、後ろの成人に訊ねた。
「道中、途方に暮れていたところを助け、供に旅をしている者です」
「顔を見せてもらえるか」
「……」
導師は黙り込んだ。
成人は、フードを降ろした。
おぉ、と幾人かの傭兵が声をあげる。美青年だった。女の傭兵は、皆一様に、頬を染めた。リュナクは眉を顰めた。
「旅人とは思えない顔だちをしているな。目などは、まるで戦士のようだ。剣の心得は?」
「ありません」
俯きがちに、美青年は答えた。
「どのような経緯で、導師と知り合った」
「私の身の上など、大したことではありません」
「是非聞きたい」
「……わかりました。私は、数年前まで劇団にいました。しかしある事件が起こり、私は劇団を追放され、それ以来、歌を歌いながら諸国を巡る、流浪の生活をしてまいりました」
「吟遊詩人か、楽器はどうした」
「盗られてしまいました」
「なるほど。――一曲、歌ってはくれないか」
「しかしギターがありません」
「ギターならある――持ってこい」
リュナクの指示に、傭兵が走ってギターをとってきた。
大部隊の場合、退屈な時間の為に吟遊詩人等を連れてくるのは、よくあることだった。傭兵は美青年にギターを渡した。
「申し訳ないが、彼は、腹を患っている。無理をさせたくはない」
導師は言った。
しかしリュナクは引かなかった。
「一曲くらいなら大丈夫だろう。一曲も歌えないほど衰弱しているようには見えない。短いのでいい。あぁ、そうだ、カントの歌は」
美青年はギターを受け取ると、弦を弾いて音を鳴らした。
導師は、ごくりと唾を呑んだ。
「カントの歌ではありませんが、短いのを一つ――」
そう言うと、美青年はもう一度ギターを鳴らし、弾き始めた。
懐かしい旋律が流れ始める。
「終わりを告げる ラッパの音
戦士の雄たけび 盾を鳴らして
イノティアの大地に 朝日が昇る
朝露に 似た涙が 黒い鱗を濡らす
血の流れない 傷が 月と太陽の狭間で光る
硬い鱗に 優しい瞳
貴方は野に咲く 花を愛した
まどろんでいる 大きな瞳
もうすぐ 眠りにつくのだろう
朝露に 似た涙が 黒い鱗を濡らす
血の流れない 傷が 月と太陽の狭間で光る
終わりを告げる ラッパの音
戦士の雄たけび 盾を鳴らして
貴方は 幻に 星に還る」
美青年は見事に歌い上げた。
そのもの悲しい旋律に、涙を流す者もいた。
「イノティアカンの歌です」
「素晴らしい」
リュナクは拍手を送った。
馬方も子供も、目を拭っていた。
美青年はギターを近くの傭兵に渡し、再びフードを被った。美青年は、微かに腹を撫でつけた。リュナクは、一度咳払いをして、今度は導師に質問した。
「しかしピカソ導師、貴方は変わっている」
「さて、どういう所が、ですか」
「ピカソ導師は杖を持っていないが、神官にとって杖は、人にも霊にとっても、目印のようなもの。杖を持たない神官は、見たことがない。何か謂れでもあるのか?」
「これは――」
導師は自分の両手を掲げて見せた。
「言い伝えがありましてな」
「聞きたいな」
「……」
「是非」
「では――」
と、導師は話し始めた。
「イソップの周辺の村々では、毎年若い娘を一人ずつ、ダイダラボッチという山の神に生贄に出していました。
ある時、スサノオという若者が、ダイダラボッチに、生贄の決まりを無くすよう話しに言った。しかしダイダラボッチは、頷かなかった。かといって、スサノオは、人間ながら怪力の持ち主で、武芸にも秀でていた。戦ったのでは、万が一という事もある。
そこでダイダラボッチは、スサノオに謎々を出した。朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足の者は何か。この謎々を解くことができたら、今後生贄をとらないようにしよう。ただし、もし解けなかったら、その時はお前の村の人間を全部喰ってやる」
「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足……まるでスフィンクスの謎かけのようだ。そのダイダラボッチというのは――」
「スフィンクスだったという説もあります」
「難しい謎々だ。朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足……」
暫くリュナクに考えさせてから、導師は続けた。
「スサノオは、この問題を解くことができなかった。ダイダラボッチは、降参したスサノオに答えを教えた」
「その謎々の答えは?」
「人間――です」
「人間? ――あぁ、なるほど! 朝昼晩は人生を表し、四本は赤ん坊の四つん這い、三本は……老人の杖を表しているわけか」
「村に戻ったスサノオは、明日の朝ダイダラボッチが、村の皆を喰いにやってくることを話して、詫びた。その話を聞いた村の年寄は、その晩、老人連中を集めた。年寄は、村の全ての老人に杖を捨てさせ、それを焼いた。
翌朝、夜明けとともにダイダラボッチがやってきた。待ち構えていたスサノオは、ダイダラボッチに言った。
やいダイダラボッチ、お前の謎々は嘘っぱちだ!
ダイダラボッチは腹を立て、そのわけを聞いた。
スサノオは答えた。この村には、三本足の老人などいない。皆、二本足だ。朝は四本足、昼は二本足、夜も二本足、というのならあの問題の答えはお前の言う通りだが、お前は、夜は三本足と言った。この村の老人を良く見てみろ!
ダイダラボッチは、村の老人を集めさせた。確かに、杖を突いている者は一人もいなかった。ダイダラボッチは悔しがったが、約束は約束、自分の謎々の出し間違いを認めて、山に帰っていった。それ以来、ダイダラボッチの山の麓の村々では、生贄は出さなくても良いことになった」
「初めて聞く話だ」
「そういう謂れがありましてな、以来我々の村の神官は、杖を持たぬことになっているのです」
「面白い話だった」
リュナクは、すっかり信じたようだった。
今度こそ導師は、一礼して行こうとした。
「ピカソ導師」
「まだ何か」
「祝詞を、あげてもらえないだろうか」
「祝詞……」
「どうかお願いする」
導師は、しぶしぶ頷き、両手を合わせた。
「じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれ かいじゃりすいぎょの すいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ くうねるところにすむところ やぶらこうじのぶらこうじ ぱいぽ ぱいぽ ぱいぽのしゅーりんがん しゅーりんがんのぐーりんだい ぐーりんだいのぽんぽこぴーの ぽんぽこなーの ちょうきゅうめいの ちょうすけやい!」
導師の一風変わった祝詞が終わると、傭兵たちは導師に頭を下げて有り難がった。
導師は一頭と三人を引き連れて、野営地を横切って行った。
リュナクは、その後姿を暫く眺めていたが。やがてみぞれの雨の中に消えていった。




