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86 追われた王子

 細かいみぞれの音が、洞窟に反響する。

 音が強くなると、それだけジャンヌはほっとするのだった。この音が、みぞれが、私たちを隠してくれる、

 しかし、念のため、もう一度外の様子を見に行こう。


「ジャンヌ、動かないで」


 立ち上がろうとするジャンヌを、十歳ほどの男の子が止める。

 幼い、優しげな瞳の少年である。


「大丈夫です、これくらい――」

「ダメだよ、動かないで。僕が行くから」

「それはいけません。私が――」

「無理をしないで。ジャンヌは、もうよくやってくれたよ」


 少年の言葉に、ジャンヌは胸を詰まらせた。


「必ず助かります。だから、そんな悲しいことを、言わないでください」

「でも僕は、ジャンヌが怪我をする方が悲しいよ」


 少年は、他ならぬカール王子だった。

 ルノアルド王家、ブロド王の次男である。長男が死に、王位を次ぐのはカール王子のはずだった。ところが、そうはならなかった。


「もう、降参しよう」

「いけません」

「このままじゃ、ジャンヌが死んじゃうよ」

「私は、もとよりその覚悟で来ました。命に代えて、カール様を――」

「僕は嫌だよ。ジャンヌが死ぬところなんて、見たくないよ……」


 悲しそうに、カールが言った。

 ジャンヌは、何も言えなくなってしまった。


「カール様。カール様は、こんなところで果てる方ではありません。神様も、必ず見てくれています。必ず、救いの手を差し伸べてくれます」


 カールは笑った。


「そうだね。そうだといいな。ジャンヌも、こんな所で死ぬような騎士じゃないよ」


 そう言って、カールはジャンヌの手を取った。

 暖かい手。

 ジャンヌは、カール王子のその暖かさに、忠誠を誓う決意を固めたのだった。


 みぞれの音が強くなる。

 その音に混じって、馬の蹄の音が聞こえてくる。

 ――近い。


 ジャンヌは、今度こそ立ち上がった。

 鞘に手をかけ、森を睨みつける。


 木々の間から、騎士が現れた。鎖帷子の上から青のサーコートをつけ、白のマントを纏っている。マントには六芒星を象った紋章が、黒糸によって描かれている。


 騎士は、ジャンヌを見つけると一瞬立ち止まり、そのままずんずんと、洞窟の入り口に近づいた。その後ろに、同じ衣装の剣士が続く。


 ジャンヌは剣を抜いた。


「お下がりください」

「ダメだよ、そんな体で、死んじゃうよ!」

「大丈夫」


 ジャンヌは、カールを優しく後ろに回して、騎士と対峙した。

 すでに一度戦っている相手。

 ――双剣のスレッド。


「探したぞ。もう逃げ場はない」


 スレッドも剣を抜いた。

 二刀流。

 片方の剣からは赤いオーラ、もう片方は青いオーラを帯びている。


「後悔するわよ」


 青鷲親衛隊のマントや服は、旅の途中に捨ててきた。今ジャンヌが着ているのは、みすぼらしいからし色の布の服である。しかし、そのような出で立ちでも、ジャンヌの気高さは失われていなかった。

 ジャンヌの剣が、黄金の光を帯びる。


「今度は逃がさない」

「……」


 仕掛けたのはスレッドだった。

 地を滑るような跳躍と共に一気に接近し、両刀からの素早い連撃を浴びせる。

 ジャンヌは体を入れ替えてそれを交わし、スレッドの隙が生まれた所で、剣を斬り上げた。


 スレッドは後方に跳躍しその一撃を躱した。


「うっ……」


 ジャンヌは、左腹を押さえて俯いた。

 昨日の戦いで受けた傷が、開いてしまったのだ。


「ジャンヌ!」


 カールは、ジャンヌに駆け寄った。


「いけません、下がっていてください」

「もうやめてよジャンヌ。僕は、もういいよ」


 スレッドは、二人に歩み寄ろうとした。

 しかし、ジャンヌはそれを許さなかった。

 剣の切っ先を、真っすぐにスレッドに向ける。


「お前は私に勝てない。剣士なら、分かるだろう」

「……」

「私は、お前たちを殺すつもりはない。私も殺したくない。武器を捨てて、投降するんだ。その傷も、すぐに手当てしてやろう」

「ジャンヌ――」

「いけません、カール様。ここで降参したら、またあの国に戻されてしまう!」

「……僕はそれでいいよ。ジャンヌ、だからもう、戦うのはやめて」


 スレッドは、この会話の行方を見守ることにした。慌てることもない。すでに勝負は決した。


「命に代えて、お守りします、だから――」


 ジャンヌはカールを再び退けて、剣を構えなおした。

 ――まだ戦うか。


 スレッドは、息を呑んだ。

 手加減できる相手ではない。怪我をしていても、この騎士は強い。よって、次に剣を交えるとなれば、自分はこの女騎士を殺すことになるだろう。あるいは、腕の一本、足の片方を切り落とすことになる――いずれにしても、そういう結末しかない。


 スレッドは舌打ちした。

 その時、スレッドの背後に乱入者があった。


「うわっ!」

「ぐふあっ!」

「えふぁっ!?」


 騎士が数人、吹っ飛んでいた。

 くるくると回転しながら移動する何者かがいた。


「何者だ!」


 騎士も腕の立つ剣士だが、クワルの奇襲は、彼らの上をいっていた。

 一瞬のうちに六人の騎士が戦闘不能に陥った。

 何かが地面に落ち、じゅっという音とともに、白くて甘い香りの煙が広がってゆく。


 煙が晴れた時、すでにそこには、女騎士と少年の姿はなかった。

 スレッドは地団太を踏んだ。



 パトラッシュは、川沿いの木陰に三人を運んだ。

 ジャンヌとカール、そしてクワルである。


「危ない所でした」


 クワルが言った。

 ジャンヌとカールは、顔を見合わせた。


「あぁ、ええと、自己紹介がまだでした! 私は、グリム様のドレ――付き人のクワルと言います」


 グリムという名前に、二人は反応した。


「グリムが、ここに来てるの!?」

「グリムさんが、来ているのですか!?」

「はい! もうすぐ戻ってくると思います」


 パトラッシュの背中は定員オーバーだったので、グリムはあの洞窟から、走ってこの水辺に来る羽目になった。やがて、30分もしたころ、グリムが川沿いの斜面を上ってやってきた。


「グリム!」

「グリムさん!」


 ジャンヌとカールの二人は、グリムに抱き着いた。

 怪我をしていたことを忘れていたジャンヌは、すぐにうっと体を屈めた。


「久しぶり」


 本当に久しぶりだった。

 そして実は、ジャンヌと言葉を交わすのは、これが初めてである。


「怪我をしてるのか」


 グリムは、『HPポワード』で、とりあえずのこの場を凌ぐことにした。『HPポワード』は、自身の生命力を他人に分け与える魔法である。免疫力や治癒力、スタミナが一時的に上がるが、しかし傷を塞ぐことはできない。


「こんな怪我、大したこと――」


 言いかけて、傷んだのだろう、ジャンヌが俯く。

 ポーションを傷口にかけたが、傷は塞がらなかった。ジャンヌの白い肌に、血の固まりかけた筋ができているのは、痛々しかった。


 さて、普通の擦り傷や切り傷であれば、ポーションですぐに治る。

 深い傷であっても、普通の傷であれば、ポーションでそれなりの治癒を期待できる。しかし、熟練の剣士や魔術師によって与えられた傷は、ポーション程度では治りきらない。なんとかの霊的作用というらしい。そういう傷は、ヒーラーに治してもらう他ない。


 だが、今現状、ジャンヌを町に連れて行くのは危険だろう。

 もしかしたら大丈夫かもしれないが、もしかすると、ダメかもしれない。ダメな可能性の方が高い気がする。とすると、逆に、ヒーラーを連れてくるか。

 金を出せば、ホイホイついてくるヒーラーだっているだろう。ヒーラーというと保守的なイメージが強いが、きっと中には、金のためにある程度の危険を冒してくれるのがいるに違いない。


 そうと決まれば、善は急げだ。

 町には、クワルに行ってもらうことにした。俺でも良かったが、ジャンヌとカールの二人を置いていくのは、不安だった。いや、確かに、俺よりもクワルの方が、実際には二人の役に立つかもしれないが、一応俺だって、いくつかの修羅場を潜り抜けてきた魔術師である。

 ちょっとは自信を持っていいのではないか、と思う。


 クワルが行った後、火を囲みながら俺は二人に訊いた。


「一体何が?」


 ジャンヌが首を振った。


「カール様が、罪を着せられて、処刑されそうになって、それで……」

「処刑!?」

「陰謀に巻き込まれたのよ。だから、カール様と国を出たの」

「な、なるほどね……」


 分かりやすい説明だった。

 つまりは、亡命だ。

 ところが、カカン王国は、二人の亡命を認めなかった。その結果、関所破りという暴挙に出たわけである。思い切ったことをしたものだ。


「ルノアルドからも追手が?」

「来てるわ。一つは、ブロド王直属のライン騎士団。もう一つは、暗殺部隊ロッシン」


 物騒な単語が出てきた。

 暗殺部隊、ロッシン。貴族の中には、そういう組織を内部に持っている者もいるらしいとは聞いていたが、ルノアルドの王家がそれを持っていたとは。いや、それは、おかしくないか?


「ルノアルドは、ブロド王が治めてるんだよな」

「えぇ」

「彼は、実の息子だろう?」

「そうよ」


 ジャンヌが答える。

 カールが俯いた。

 まさかそんなこと、あるのだろうか。実の息子を殺すために、暗殺部隊を差し向ける親なんて。


「父は、そういう人間です」


 カールの口から出た言葉は、何とも寂しいものだった。

 俺は、やりきれなさに唇を結んだ。


「青鷲親衛隊は?」

「カール様に味方をした騎士は、皆罰せられたわ。生き残ったのは私だけ。他の親衛隊は、皆、ブロド王の側に付いた」


 聞かなきゃよかった。

 二人の前にさっそうと現れて、たちどころに事件を解決し、そして、風のように去ってゆく。そんな風に、気軽にヒーローをやりたかった。

 二人の背負っているものは、俺には重すぎる。

 カール王子には側近がいた。彼らは一体どうしたのだろう。だが俺には、聞く勇気がなかった。きっと、予想通りの答えが返ってくるだろう。他にも聞きたいことがたくさんある。だが俺には、とても怖くて聞けない。


「ジャンヌ、僕はもう……」


 カール王子が呟いた。

 俺には、この少年の気持ちがわかった。自分を守るために命をかけ、死んでいった皆に、申し訳ないと思っているのだ。自分が最初から降伏していれば、皆、死なずに済んだ。自分の命、たった一つだけで済んだ。


 俺には人の気持ちが分かる。

 高い魔力のなせる業だという。

 時によっては、その思考の流れすら感じ取ることができる。

 俺は、カールの頭を撫でた。カールが俺を見上げる。少年らしい、純粋な瞳で、俺を見つめる。こういう時、人生経験を積んだ分別のある大人なら何と言うのだろうか。

 俺はただ、少年の頭を撫でる事しかできない。

 カールは、俺の体に身を預けてきた。本当はクワルの定位置だったが、俺はカールを、腹の前で抱いた。


「大したもんだよ。俺は死ぬのが怖いから、逃げてばっかりだ。君は、死ぬ勇気を持ってる。それは本当に、勇敢な事だと思うよ」


 勇敢な少年は、俺に頭を撫でられたり、頬を撫でられたりしている。

 こんな幼い少年の命を奪おうとは、もはや人間の所業ではない。

 俺は、自分の腹の底に、ふつふつと熱い怒りがこみあげてくるのを感じた。

 金のために集まってきた連中もそうだ。自分の命可愛さに、金欲しさに、他人の命を、人生を平気で踏みにじろうとする。


 やがて、クワルが帰ってきた。

 結果は、残念なものだった。

 ヒーラーはいたが、金で動くような人間はもうとっくに、誰かに雇われてしまっていた。しかしもう一つ、クワルは良い情報も持ってきた。


「――カメス・メイスも来ています」


 俺は生まれて初めて、心の底から神様に感謝した。

 俺とクワルは、カメス・メイスにヒーラーの知り合いがいる。とびきり優秀なヒーラーの知り合いが。

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