80 それはいつかの思い出に
「兄が、黒魔術師だったの」
エイルは俺にそう告げた。
俯いて、黙り込む。
湿った風が頬を撫でる。
「黒魔術に溺れて、最後は、死んじゃった」
「……黒狩り部隊に?」
「ううん。家の地下に幽閉されて、そのまま」
胸を締め付けられるようだ。
妹の彼女は、どのような気持ちでいたことだろうか。
「家はそのせいで取り上げられて、私は追放。ベイフに拾われなかったら、今頃私は……」
「ごめん、俺にはわからないんだ。黒魔術が何なのか。ただ、その力を使えるだけで」
「そうなの?」
俺が頷くと、エイルはクスりと笑った。
控えめな笑顔がまた、可愛らしい。
というか、彼女は美人だから、何をしたって可愛いのだろう。
「ありがとう、グリム」
「何を……」
「貴方がいなかったら、私も、ベイフも、死んでた」
俺は首を振る。
それは俺も同じことだ。
感謝をするなら、神様がいいだろう。
「お酒、飲む?」
エイルはそう言うと、お猪口のような小さなコップを俺に差し出した。受け取ると、革の水筒からバラ色の液体を注いでくれた。エイルは自分にも注いで、コップを軽く持ち上げた。俺は、恐る恐るエイルのコップに、自分のコップをあてた。
かちんと、かわいらしい音。
「乾杯」
エイルはそう言った。
彼女は、本当は結構お茶目な女の子なのかもしれない。
甘い酒を飲む。
こういう時はスキっと、辛口の日本酒が良いのだが、まぁ、仕方がない。
エイルに二杯目を注いでもらい、俺はそれも、一気に飲み干した。三杯目を貰ったところで、エイルに訊かれた。
「ねぇ……貴方はこれから、どうするの?」
俺は酒を飲む手を休め、考えた。
これからの事は、実は全く考えていない。とりあえず、事の顛末をメロール伯爵には報告しなければならないだろうから、一度はデノンに行くことになるだろう。だが先に、レゼに戻ってパトラッシュに無事を知らせたい。全部が終わったらラリアンに戻って、魔術士としてユランに仕える。そうなりそうだ。
「じゃあ、レゼまでは一緒ね」
「そう、なるかな」
エイルに「一緒ね」なんて言われるとドキリとしてしまう。
罪な女である。
三杯目を煽る。一向に酔わない。
「エイルはこの先……」
「わからない」
そりゃあそうだ、と思う。
この戦いで、エイルやベイフを取り巻く状況は変わるだろう。変わらなければ、エイルも元の鞘に――カメス・メイスの一クランメンバーに戻ってゆくだけだ。
俺としては、金のために貴族の計略の片棒を担ぐようなクランに、エイルはいてほしくはないが、それをエイルに言うのは、お節介というものだ。エイルだって、好きでそういう依頼をこなしたり、そういう依頼を受けるクランにいるわけではないだろう。ベイフもそうだ。金のために、自分の正義と折り合いをつけている。
それが悪だと言えるだろうか。
甘ったるい酒。
何杯目だかわからない。
エイルも飲んだ。
暗くて肌の色は分らないが、酒をこくりと飲んだ後の吐息が、妙に色っぽい。誘っているのか、と勝手に勘違いしてしまう。
「戻ろうか」
「もうちょっと涼みましょう」
「そ、そっか……」
もうちょっと、涼むことにした。
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ロドロムを討ち取り、イノワンの伝説に新たな一ページが刻まれた。
凱旋の列の先頭には勇者イノワンと、騎士隊長、それに、ベイフが後ろに続いた。三十年前、王国に追放された聖退魔術師は、一夜にして英雄になった。
ベイフの後ろにはドラガンが並んだ。ドラガンの勇気に感銘を受けたイノワンが、ライカンの代表として、そこに並ばせたのだった。ドラガンの隣には魔術師ロッカ。
その後ろには生き残った騎士たちが馬で続き、俺とクワルとエイルは、聖術師に囲われた四人乗りの馬車に乗車した。
ピルグの門へと続く道には、たくさんの人々が列を成し、俺達の一行に手を振り、声をかけた。派手な楽器の演奏とともに門が開き、ピルグの町に入る。
街はお祭りになっていた。
ロドロムと関係のあった商人はイノワンの凱旋を快く思わなかったが、後のほとんどの者は、イノワンを褒め称えた。中には祭りの熱に浮かれたいだけの者もいるが、それくらいが、この宴にはちょうど良かった。
馬上から見る町。
イノワンは、ずっといたはずなのに、初めてここに来たような気がしていた。ピルグはこんなにも華やかな町だったのだ。人々は活気に満ち、私は、こんなにも応援されていたのだ。
イノワンは顔を拭った。
ベイフも、鼻をすすった。
「泣いているのか、ベイフ」
ドラガンが茶化す。
ベイフは咳払いをして、そっぽを向いた。
ロッカは得意顔で、人々に手を振っていた。
「グリム様」
「うん?」
馬車の中、俺が座り、向かいにはクワルとエイルが並んで座っている。エイルは窓の外を眺めながら、時折手などを振っている。窓は閉め切っているから、外の音はずいぶん遠くに感じる。
「本当は、グリム様が全部倒したんじゃないですか?」
クワルが急にそんなことを言った。
エイルが俺に視線を向ける。
俺は一瞬答えに詰まったが、白状した。
「実は、そうなんだ」
クワルには誤魔化せそうになかった。
やっぱり、とクワルは頷いた。
「どうして隠すんですか?」
クワルの質問に、エイルがくすりとした。
誰だって、そりゃあそう訊ねるだろう。
目立ちたくなかった。俺には相応しくない。――そんな答えはキザすぎる。単純に、英雄の責任を負いたくないだけの話なのだ。人の期待を背負えるだけのものを持っていないし、そんな自負心もない。
この黒魔術の力が、絶え間ない努力の賜物ならまた違うのだろうが、俺の場合は、努力に対してのリターンが大きすぎる。確かに命がけの戦いを経験した。助けた命もある。だが次に同じような事件や場面に出くわしたとき、俺は今回と同じようにできる自信がない。
イノワンは違う。ベイフも、そしてドラガンもそうだが、彼らは地に足がついている。彼らの行動は、常に信念から発生している。いつでも、どこにいても、どんな状況でも、彼らは背負うものを背負い、プライドをかけて信念を貫いてゆくだろう。
「戦いの前にも言った通り、俺は、クワルが助かって、他の皆も死なないなら、別にロドロムなんて倒さなくていいと思ってた」
「でも実際には、ロドロムと戦いました」
「それは、そうしなければならない状況になったからだ。俺が選んだわけじゃない。黒魔術師になったのもそうだった。72のハイキメラを倒したのも、倒さなければ自分が死んでたから、死にたくないからそうしただけで――クワルや、エイルや、他の皆みたいな、崇高な理念や信念があったわけじゃないし、正義のために命を懸ける勇気なんて持ってなかった」
実のところ馬車を選んだのは、町の人の自分に向けられる声援を聞きたくなかったからだ。彼らの為に、俺は何もしていない。自分のためにやったことだ。しかし町の人々は、俺の事をも、イノワンと同じような英雄だと思い込んで、歓迎をしてくれる。
「結構英雄なんて、そんなものかもしれないわよ」
エイルが言った。
エイルの俺に向ける表情は、戦いの終わったあの日から随分と柔らかくなった。俺がステレオタイプの、極悪な黒魔術師ではないとわかったから、少し心を許してくれたのかもしれない。
「俺は英雄じゃないよ。器じゃない。むしろクワルやエイルの方が、英雄らしい」
「いいえ! グリム様は英雄です!」
「こんなパッとしない英雄、本物に失礼だよ」
「確かに、英雄って感じじゃないわね」
「流石にこの歳にもなってくると、何となく、自分の役どころが分かってくるものなんだよ」
凱旋の列が広場に辿り着いた。
舞台が用意され、馬から降りた面々は、その上に上がった。聖術師が馬車を開けてくれて、俺たちも馬車を降りた。
「どうぞ、舞台の上に」
促される。
すでに舞台にはイノワンが上がり、ベイフやドラガンが、階段を上っているところだった。俺は首を振った。
「どうかされたのですか?」
「あの……ここにいてもいいですか?」
「そんな! 貴方は英雄です! どうぞ舞台へ!」
「いやぁ、ちょっと……」
困り果てる俺を、エイルが助けてくれた。
「彼はロドロムからの呪いを受けていて、まだ体調が良くないんです」
「なんとっ!」
「少し治療が必要なので、近くの治療院を案内して貰っても良いですか?」
「失礼しました、そんな事とは知らずに。治療院はこちらです。私が案内いたします、エイル様!」
様、と言われて、エイルは恥ずかしそうに頷いたのだった。
広場に面した治療院の三階の個室に案内された。白いベッドにカーテン、窓からはちょうど舞台が見えた。イノワンが大衆に演説を始めていた。大きな拍手が沸き起こる。
俺はベッドに座り、エイルの用意してくれた水を飲んだ。
「助かったよ」
「私も、注目されるのはあんまり好きじゃないから」
確かにそうなのだろう。
いかにも聖術師という衣装を、規則正しく着ている。アイドルのような派手な顔立ちの美人ではないから、群衆の中に入ればそこに紛れ込んで消えてしまいそうだ。消えてしまえるから、彼女は意図的に、そうしているのだろう。
だが、彼女がその気になれば――その硬派な身なりをちょっとでも変えたなら間違いなく彼女は、男どもの注目の的になるだろう。
「ベイフは、また黒狩り部隊に戻るかな?」
「そうなるかもしれないわね」
「そうしたらクランは――」
「サブマスターが継ぐか、そうでなければ解散か――たぶん、継ぐと思うけど」
「エイルは、どうする?」
「私は、クランの他に居場所なんてないから。仕事は必要だし」
「ベイフが今回の功績で出世したら、たぶん、エイルも連れていくんじゃないかな」
「それは夢を見すぎ。そう言われても、たぶん断るわ」
「どうして」
「足を引っ張っちゃうもの」
「エイルの治癒魔法は、ベイフも買ってたじゃないか」
「魔法がどうとかじゃなくて、私がね……」
わっと拍手が沸き起こった。
イノワンを称える合唱が始まる。
「ほら、私の家、黒魔術師を出してるから」
「あぁ……」
「そう。同情はしないでね。そういうのは、好きじゃないから」
「……エイルはさ、カメス・メイスでの仕事が好きなのか?」
「生活のため。好きとか嫌いとかは、考えないようにしてる」
「じゃあ……生活ができれば他の仕事でも良い……?」
「まぁ、ものによるけど……でも、ヒモみたいになるのは嫌。自分の生活は自分が責任を持ちたいの」
「それだけの力があったら、貰い手はいくらでもあるんじゃないかな」
エイルは首を振った。
物事はそう簡単じゃないのよ、と子ども扱いされているような気がした。
俺の考えが安易だということを、その後すぐに思い知らされた。
エイルは、急に服を脱ぎ始めたのだ。
「ちょっ……エイル!?」
エイルは両手を胸の前で組み、その背中を俺に見せてくれた。
白い肌。ほっそりした華奢な身体つき。
その左の背中に、彼女には全く似つかわしくない痣があった。いや、痣ではない。炭のように、真っ黒に変色した皮膚。それが、何かのマークを象っている。
――烙印だ
俺は、エイルの素肌を見た興奮が、一気に冷めてゆくのを感じた。
「それは……」
エイルは再び服を着なおし、服を着ながら応えた。
「黒魔術師を出した家の人間は、皆この烙印が押されるの。心臓の後ろ側、左の背中に。ベイフは、知ってて私をクランに入れてくれたけど、そんな人、国中探しても他にいないと思う」
エイルが、服を着て俺に向き直った。
「やめてね、同情は」
俺は頷いた。
自分の抱いている感情が同情なのか、それとも違うのか、俺にはわからなかった。エイルが諦めたような微笑を浮かべ、俺はかけるべき言葉を失った。
ピルグの民は勇者の復活に沸いた。
俺は歴史的な瞬間に立ち会っているのかもしれない。クワルと、エイルと一緒に。
これはやがて、遠い日の思い出になってゆくのだろうか。
エイルにとっても、俺にとっても。
拍手が一層大きくなり、ラッパが鳴り響いた。




