79 砂の器
「なんだあれは」
ベイフの元に駆け戻ったドラガンが訊ねた。
ベイフは、形成されてゆくその魔物の正体を知っていた。まさに三十年前、ナバースの戦いにおいて、王国の戦士たちが戦った軍団の、そのボスである。
「ここまでか……」
「無念……」
騎士たちが口々に言う。
イノワンは口をへの字にして、一歩、二歩と、形成されてゆくバーズズから離れた。三十年前、死に物狂いで倒した相手だった。
その時には、イノワンにも仲間がいた。
ロッカのような炎を扱う魔術師、聖女から直接術を習った優秀な聖術師、剣聖とうたわれた勇猛果敢な戦士、そして、天才術師ロドロム。
その戦いで一人は死に、残りの三人はピルグを離れた。
今のイノワンには、誰も居なかった。
力は衰え、体力ももう残っていない。
「皆、すまない……」
イノワンはそう言った。
ふざけんじゃないわよ、とロッカは言いたかった。だがロッカも、自分のスタミナの限界から、言葉が出てこなかった。息を切らし、バーズズを睨みつける事しかできない。ベイフも、同じようなものである。
「ええい、剣をよこせ!」
ドラガンは、戦う気力を失った騎士から剣を二本奪い取り、イノワンの前に立った。クワルも騎士から短剣を奪い取り、それに続いた。
「グリム様の仇、この命に代えても……」
クワルは泣いていた。
グリムが、死んだと思っていた。
「よせ! その化け物は――」
「黙れ臆病者め! ベレネの勇者など、その程度か!」
ドラガンは、ぐおおおっと野獣のように吠えた。
「我がライカンの英雄、勇者グノギオンは、一人で一万の魔物の軍に立ち向かった。我々はその子孫だ。この血には、誇り高きグノギオンの魂が流れているのだ!」
バーズズが完成した。
銀の甲冑を付け、巨大な黒い翼を持った細身の巨人である。その左胸には文字が彫られ、真っ赤に輝いている。
つま先は床すれすれを浮かんでいる。
邪神バーズズ。
その圧倒的な存在感と魔力を、皆感じていた。
イノワンも、自分が恐怖しているのを、はっきりと感じ取った。しかし、剣を置くわけにはいかなかった。いつもそうだった。騎士たちが、皆が見ている。私の背中を見つめている。
背負うものの為に、戦ってきた。
イノワンの剣に、再び黄金の光が宿った。
ベイフが、胸を押さえながらドラガンの隣に歩み出た。ロッカも、杖を構えて、ドラガン達の後方で精神を集中させた。
バーズズが、手を突き出した。
背後に無数の魔方陣があらわれ、その全てから、金の光線が放たれた。
色も、音も、感覚も、全部が滅茶苦茶になった。
光が、全てを飲み込んだ。
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(全てのパッシブスキルのレベルが1つ上がりました)
(パッシブスキル『アビスオーラLv1』を会得しました)
(全てのアクティブスキルのレベルが1つ上がりました)
(アクティブスキル『マナドレインLv1』を会得しました)
グリムは、心地よい女神の声を聞きながら瞼を開けた。
72のキメラを倒し、嘘のような生還を果たした。
振り向いて、エイルがいることも確認する。
「これは……」
エイルは、周りの状況を見て言葉を失った。
皆、倒れている。
生きているのか、死んでいるのか分からない。後ろの扉には、ブラックナイトの大群が控えている。
そして、目の前にいる巨大なモノ。
魔物というには神々しすぎるが、天使というには無機質すぎる。
「バーズズ」
俺は、それの正体を即座に見破ることができた。
名前しか分からないが、これが敵だということははっきり感じ取れる。あの甲冑の下に、凄まじい邪悪な感情を隠していることも、簡単に見抜ける。
「グリム――」
危ない、と言おうとしたのだろう。
エイルが言い終わる前に、バーズズの光線が放たれた。
今までならどうにもできない、防ぎようのない攻撃だったかもしれない。しかし今は――。
俺は、右手を掲げた。
赤黒い炎が宿る。
光線が空中で止まり、それが、Uターンしてバーズズを襲った。ぼん、ぼん、と小さな爆発がバーズズの銀の甲冑を包んだ。
爆発の光もおさまる前に、バーズズは兜の隙間から、一層強い光線を放ってきた。
俺の体の周囲に薄い黒の膜が現れる。
光線はその膜の中に入ると消えて、代わりに、膜の中に、バチバチと赤い稲妻が走った。俺の体も、背後のエイルも、無傷である。
『アビスオーラLv1』
これでレベル1か、思う。
バーズズの攻撃を全く寄せ付けない。もっとも、寄せ付けない自信があったからわざと受けたのだ。少し、試したかったというのが本音である。
俺は掲げっぱなしの右手に、再び赤黒い炎を宿らせた。
『マナドレイン』
バーズズの体中から、白い光の帯が出てきて、俺の右手の炎の中に吸い込まれてゆく。ガシャンと、バーズズは飛翔をやめ、床に足を付いた。
膝をついた。
翼にひびが入り、燃えて穴が開き始めた。
光線を放とうとするも、その元の魔方陣からもマナが流出し、魔術を使う前に魔法陣は消えてなくなった。
バーズズの銀の甲冑が色褪せてゆく。
黒ずみ、錆び付き、やがてぐしゃっと倒れた。
崩壊を始めると、バーズズは脆かった。感覚としては、バーズズも封印術の部屋のハイキメラも同じである。とにかく、脆い。
バーズズは間もなく、甲冑の残骸を残して消えていった。
収納の杖を振って、ドロップアイテムを、とりあえず回収しておく。何を回収したかは、あとで確認しよう。
今はそれよりも――。
俺は扉の方に向き直った。
無数のブラックナイト。そしてルーンナイト。
強敵だった。
そのはずだった。
俺は右手を掲げた。
幾筋もの青白い帯が、鎧の魔物から伸びてくる。
バーズズと同じように、鎧の騎士たちは呆気なく崩れ落ちた。収納の杖で、ドロップアイテムを回収する。
俺の頭は、やたら冷静だった。
体はむしろ、寒いくらいである。
「エイル、手当てを」
俺が言うと、エイルははっとして、すぐに近場の人間から手当てを始めた。俺は『ダークバインド』で、怪我人に乗っかっている石の残骸やらを取り除いた。
エイルが治療をしている間に、気を失っていた騎士たちが次々と目を覚ましていった。きょろきょろとあたりを見渡して、皆、首を傾げた。
「グリム様ぁ!」
目を覚ましたクワルが抱き着いてきた。
ところどころ血が出ている。俺には治癒魔法は使えない。代わりに、『HPポワード』をかけた。
「生きててよかったですぅ……」
胸の中で泣く。
愛い奴め。
ベイフ、ドラガン、そしてイノワンも目を覚ます。
「エイル!? これは一体……あの邪神はどうした!?」
ベイフが、治療中のエイルに訊ねた。
エイルは、俺の顔を見た。
「ちょっとぉ!」
瓦礫を爆発させて、中から現れた少女がいた。
ロッカだ。
随分久しぶりに会った気がする。顔が煤で汚れているが、気付いていないのだろう。
「あいつはどうしたのよ! あの、銀色のデカブツは!」
バーズズのことだろう。
銀色のデカブツ……まぁ、その通りだが、もうちょっと言い方を工夫できないものか。
「あれは――」
俺が倒した! なんて言いたくはなかった。
英雄に祭り上げられるのは御免だ。勇者の末路も見てきた。そういえばどうしてここにイノワンがいるのか分からないが、あんな風にはなりたくない。
「なんか、勝手に壊れ始めて……」
詰め寄って胸倉を掴んでくるロッカに、言い訳っぽくそんなことを言う。
黙っていれば小悪魔っぽくて可愛い顔をしているのに、残念な子だ。この男勝りは、貰い手に苦労するぞ。
「自壊したというのか……」
ベイフが言った。
そう、それだ、自壊したんだ、その、銀のデカブツは!
皆が納得して、この場がそれで収まるなら俺は何でもいいんだ。
「自壊って、耐えられなかったってこと? 自分の魔力に?」
ロッカが俺から手を離す。
思わずため息をつく。
魔物よりも、ロッカのほうが手強いな。
「ブラックナイトもか」
今度はイノワンが質問してきた。
ロッカが俺を睨む。
俺は、頷いた。誰も、それ以上は俺に訊いてこない。
皆が立ち上がり始める。
すでに息のない者もいた。程なくして、施設の結界を完全に破壊し終えた聖術師たちがやってきて、怪我人には治療を施し、息絶えた者には弔いの言葉を手向けた。
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戦いが終わった。
俺もそうだが、イノワンも騎士たちも、そしてベイフやエイルも、ロドロムを倒した喜びを爆発させるようなはしゃぎ方はしなかった。
ロドロムを倒した部屋で、運ばれてきた酒をちびりちびり飲みながら、騎士も勇者も、そして元聖術師も、色々な思いをかみしめていた。
討伐部隊が酒を酌み交わす傍らには、急ごしらえの医療空間が聖術師によって作られ、騎士や、実験のために捉えられていた人間たちを、夜通し治療することになった。
俺はその輪に入れない孤独感を覚えて、一人施設の屋上に逃げていた。
孤独を感じるのは、嘘をついたからではない。
ロッカも、俺と同じような孤独を感じていることだろう。だが彼女は、聖術師の治療の手伝いを買って出て、今も動き回っている。
酒は呑まないらしい。
ここは、未成年でも酒の規制はないというのに、律儀なものだ。
ジューガの森は真っ暗闇だった。
星の瞬きも月の明かりも、森の木々には届かない。
星も遠いし、ここからだと木も遠い。一緒に戦ったはずの皆も、やっぱり遠い気がする。遠いものばっかりだ。上司に怒鳴られた日が懐かしい。炎天下の太陽の元、面接から面接へと歩いた都心の小さいアスファルトが、懐かしい。
「戻りたいのか、俺は」
暗闇に吸い込まれる独り言。
戻りたくないと思う。戻りたいとも思う。向こうには向こうの友達がいる。親がいる。彼女はいない。寂しい。こっちには何がいる。友達がいるか?
クワルはどうだろうか。クワルは俺の、付き人だ。内容で言えば、妹とか、生徒とか、そんなところだろうか。クティは? ユランは? ベイフは? ロッカは?
なんだかよくわからない。
俺は何を求めているのか、それが一番わからない。【アビスメイジ】などという大層なものになって、大層な魔物を倒せるくらいの力を得たようだが、他人事のように思えてならない。その力で皆を救うことができたのは良かったが、むしろ俺は、自分の力に振り回されているような気がして恐ろしい。
アビスって何だ。
深淵って、この森の闇の中よりも真っ暗闇なのだろうか。
そんな闇の中に、俺は足を踏み入れてしまったのだろうか。
事の重大さを、俺はきっと理解していない。黒魔術師がこの国で忌避されている本質もわからないのだ。差別は良くないよね、程度の意見しか持てないのだ。
良い悪いではないところの感覚を、俺は持ち合わせていない。この世界で生まれ育った人間なら、子供でも持っているだろうその感覚を。
「一人で何してるの」
背後からの声に、俺は振り向いた。
暗闇の中から、美しい女性が現れた。
エイルだ。
まさかのエイルである。エイルから話しかけられたのは、これが初めてかもしれない。
「わからない」
俺は素直に答えた。
俺は本当に、一人で何をしているのだろう。
ただ、居心地の悪さを感じて逃げて来ただけなのだ。
「なんで本当の事を隠すの?」
「あぁ……」
なるほど、そのことを訊きに来たのか。
「目立つのは嫌いなんだよ」
「嘘」
「勇者を見て、ああなるのは嫌だと思った」
「それだけ?」
エイルの質問は、切れ味が鋭い。
自分でも気づかなかったことに気づかされる。
「俺はこの世界の人間じゃない」
「アニマンだから?」
「なんだ、知ってたのか」
「薄々気づいてた」
そういうことは早く言ってくれ。
それなら、もうちょっと気が楽だったのに。
「アニマンで黒魔術師で、これでもかってくらい気味が悪い。自分でもそう思うよ」
「……ごめんなさい」
「え?」
エイルに謝られた。
随分殊勝な態度をとるじゃないか。
「どうしても、黒魔術師が許せなくて……」
「あぁ、いいよ。それは、しょうがない」
差別は良くないよ、なんて、俺が小学生の子供なら言えたかもしれない。だがそれを俺が彼女に言うのは、暴力だ。彼女はこの世界で育ってきた。彼女のバックグラウンドを俺は知らない。彼女が俺を知らないのと同じように。
「ごめんなさい」
「いいって。そういうことは誰にだってある。俺は平気だけど、虫が嫌いとか、クモが苦手とか、ゴキブリがどうしてもダメとか。あぁ、俺もゴキブリはダメだけどね」
「兄が、黒魔術師だったの」
「え!?」
月明りのもと、俺はエイルの俯く顔をまじまじと見つめていた。




