78 最後の召喚
扉が斬り壊された。
ずしいんと倒れる扉。埃が舞う。
人影が現れる。
ロドロムは、亡霊を見たと思った。
ロングソードを右手に持った剣士。汗と砂で汚れた黒髪の下から覗く双眸が鋭く光っている。鎧も盾も付けない、サーコートだけの軽装。しかもそのサーコートは、色褪せた赤の骨とう品である。
「(馬鹿な……)」
ロドロムは、腰を浮かせた。
その男を、ロドロムは知っていた。もう死んだはずの男である。生きてはいるが、ほとんど屍として、ピルグの宮殿に引きこもっていたはずだった。十六で王国の騎士団に入り、数々の戦場を渡り、多くの武勇を残してきた。そしてその男は、ナバースの戦いで救国の英雄になった。
しかし勇者は、その戦いで死んだ。かつて勇者だった男は、もはや埃を被った置物に過ぎない。――そのはずだった。
だが、目の前にいるのはどうだ。
イノワン――勇者イノワンは、鎧を付けなかった。盾もレガートもガントレットも付けず、ロングソード一本で戦ってきた。イノワンのロングソード――その名は〈ルルス〉。エントの言葉で「勇気」を意味するその剣はイノワンがドライアドから授かったものだ。――その刀身は、所有者の「勇気」によって強化される。
その刀身が今、薄い金色に輝いている。
ロドロムは立ち上がった。
全てのブラックナイトが剣を構え、イノワンの方を向く。
「イノワン卿……」
ベイフは、バスターソードを振り上げるブラックナイトの下で呟いた。
イノワンは、滑るようにベイフの前に飛び出し、スパンと下から剣を振り上げた。剣を振り上げていたブラックナイトは、胴を斜めに分断され、消えた。
近くにいた二体も、返す刀で斬る。
一瞬で、三体のブラックナイトが霞に消えた。
「遅れてすまない」
しわがれ声。
ベイフは、勇者を見上げた。
扉の外から、30人からなる騎士たちが部屋に入ってきた。
「あれは、ケイノスか」
消えてゆく化物の残骸を見下ろしながら、イノワンはベイフに訊ねた。
ベイフは頷いた。
「すまなかった……」
イノワンはそう言ってから瞼を閉じ、それから、かっと目を見開いた。
ロドロムを真っすぐに睨みつける。
「久しいな、イノワン」
ロドロムが言った。
二人の間には、ブラックナイトの隊列が壁のように列を成している。
「若い魔術師に言われてしまったよ。我々のそれは、仲良しごっこだと」
「随分じゃないか。少なくともあの戦いまでは、私は真に、良き友だっただろう?」
「お前は戦友だ」
「あぁ、そうだ。だが、ここに招待をした覚えはないぞ」
「友ならばこそ――止めに来た」
「今更何を……あの宮殿は居心地が良かっただろうに」
「色々なものを忘れさせてくれる。痛みも、過去も、剣の握り方も」
「戦場が恋しくなったのか。お前は強いが、戦狂いではないと思っていたが」
「私たちは正気ではなかった」
「その通りだ。常人では計り知れない天才だ。私も、お前も」
「互いに、己惚れすぎた」
「己惚れではない。私は、天才だ」
ロドロムは笑った。
両手を広げる。
すると、ロドロムの前に二つの大きな魔方陣が現れた。それぞれの魔方陣の上に薄闇が出現し、ばちばちと稲妻が走った。召喚獣が形成されてゆく。並みの魔術師では、到底成しえぬ術である。
「――腐っても鯛、か」
「魔法に歳は関係ない。腐ったのは、お前だけだ」
イノワンの騎士たちが、召喚獣の恐ろしさに慄く。
召喚獣の一体は、赤銅色の肌の鬼だった。
長い二本の角、岩石のような肌にはマグマが流れ、吐く息は燃えている。それが、飛翔して上から睨みつけてくる。もう一体は、銀色の巨大なサソリである。
「私の最高傑作だ。彼らは召喚獣であって、召喚獣ではない。生身の肉体を持つ召喚獣、言うなれば――創喚獣。美しいとは思わないか」
「よくわからんな」
ロドロムが剣を構える。
騎士が聖術師を伴ってベイフに駆け寄った。ベイフは後方に下がり、聖術師がベイフの傷の治療を始める。
ロドロムは、口を覆って笑った。
イノワンも騎士たちも、ロドロムには滑稽に映った。私の最高傑作と戦おうとしているのか? まるで、雷雲に戦いを挑もうとする子供ではないか。なんて愚かな戦士たちだろう。彼らがもう少し賢明ならば、もはや逃げる以外に道はなかろうに。
「哀れなものよ」
ロドロムは呟くと右手を掲げ、そして、振り下ろした。
溶岩の鬼が、両腕から燃え盛る炎の球を現出させ、イノワンに投げつけた。イノワンはその火球を剣で打ち払い、突進してくる溶岩鬼に向かって飛翔した。
スパン、と空気の破裂するような音がした次の瞬間、溶岩鬼が墜落した。床に叩きつけられ、石の破片が飛び散る。イノワンは、着地と同時に銀の大サソリにも一撃を加えた。
キーン、とイノワンの剣が、サソリのハサミに弾かれる。
イノワンは飛び退って、サソリとの間合いを取った。
「硬い……」
イノワンは呟いた。
その体中から、どっと汗が噴き出す。
心臓の痛みに、イノワンは息を詰まらせた。
「かかれ、我が騎士たちよ! こやつらを、滅ぼしつくせ!」
ロドロムが吠えた。
ブラックナイトが、イノワンに襲い掛かる。
襲い掛かってきた三体のブラックナイトを一瞬で切り伏せ、イノワンは再び、銀の大サソリに攻撃を仕掛けた。サソリはイノワンの攻撃を挟で弾き返し、反り返った尾から炎を放った。
イノワンは再びサソリから離れた。
ブラックナイトがイノワンを包囲する。
「はぁ、はぁ……歳は取りたくないな……」
イノワンの額から汗が零れ落ちる。
溶岩鬼はイノワンによって受けた一撃で飛翔能力を失ったが、起き上がり、騎士に火炎のブレスを見舞った。騎士たちは盾でそれを防ぎながら、溶岩鬼を囲んだ。
騎士たちのさらにそのまわりを、ブラックナイトが圧倒的な数で取り囲んでいる。
「望みはない。イノワン、降伏するのだ。さすれば、命だけは助けよう」
「私も、我が騎士も、己が命が可愛くてここに来たわけではない」
「死を前にすると人間は変わる。お前も知っているだろう。忠誠を誓っていたはずの戦士たちが、奴らに命乞いをし、我々に刃を向けたその様を」
「変わらない信念もある。私は、勇者イノワンだ」
ロドロムはぎりっと奥歯をかみしめ、イノワンを睨みつけた。
「望み通り、勇者のまま息絶えるがよい」
大サソリが、イノワンに襲い掛かった。
ハサミの一撃を躱し、イノワンはその懐に入り込む。
一閃。
ギンと、音がして、サソリの足の一本がちぎれ飛んだ。イノワンは後退し、再び剣を構える。大サソリは、痛みも恐怖も感じないらしい。飛んでいった自分の足に視線を送ることもしない。
「厄介な魔物だ……」
肩で息をするイノワン。
体力の衰えはどうすることもできない。肉体の疲労は気力も削いでゆく。イノワンは、息を吐き出し、弱気を振り払った。
圧倒的なブラックナイトの数。
手ごわい召喚獣が二体。
無傷のロドロムは、まだ切り札がありそうだ。
対してこちらの総戦力は……。
そんな計算を無意識のうちに、皆がし始める。
イノワンはその雰囲気を感じ取って声を上げた。
「眼前の敵に集中しろ! 多くを見すぎるな! 目の前の敵を倒すことに、全神経を向けるのだ」
騎士たちは気合を入れなおした。
その時、巨大な火球が、壊れた扉の奥から飛び込んできて、溶岩鬼にぶち当たった。溶岩鬼は後方に数歩下がり、怒りの咆哮を挙げた。
ルーンアーマーとの決着をつけたロッカが、意気揚々と入ってきた。
降り注ぐメテオの火球が、ブラックナイトの包囲を崩す。
ロッカはほうっと息をついた。
ロドロムが立ち上がる。
有無を言わさず、ロッカは杖先から数十本の炎の矢を放った。矢は光線のように、真っすぐにロドロムに飛んでいった。ロドロムの前にブラックナイトが立ちはだかった。
ブラックナイトは全ての矢を一身に受け、燃えて消えていった。
「アンタがロドロムね」
「挨拶のつもりかな、お嬢さん」
「いえ、殺すつもりよ」
ロッカは、今度は『コルムフレイム』を放った。
ロドロムの足元から火柱が突き上げる。ロドロムは一瞬、その炎の中に消えたが、ロッカは舌打ちをした。手ごたえがなかった。
案の定、ロドロムは炎の中から、無傷で現れた。
バリアかオーラか、そのへんの魔法で防がれたのだと、ロッカは悟った。
「暑苦しい、低級な魔術師め」
「己惚れてんじゃないわよ、変質者」
メテオの火球が、矢のようにロドロムを狙う。
ロドロムは片手を突き出した。ロドロムの前に魔術の障壁が現れ、メテオの火を阻んだ。ロドロムは全てを防ぎ切った後、忌々しそうに舌打ちをした。
溶岩鬼がロッカとロドロムの視線の間に割り込んだ。
「邪魔よ!」
ロッカが『ブレスフレイム』を放った。
溶岩鬼も炎のブレスで対抗する。
二つの炎がぶつかり、火花と熱気が飛び散った。火の魔力を含んで重くなったマナの塊が、炎の交点からぼたぼたと床に落ち、床の絨毯を容易く突き抜け、大理石を溶かしながら穴を作った。
バチンと、二つの炎が弾け、二者は互いに仰け反った。
状態を戻し、睨みあう。
――次の一撃で決まる。
ロッカは杖を掲げた。溶岩鬼が思い切り息を吸い込む。
そして、互いに極大の炎をぶつけ合った。
巻き込まれたブラックナイトは一瞬で溶けて消えた。空気が震え、やがて地鳴りのような音がし始めた。
「うくっ……」
ロッカは歯を食いしばった。
押し返さなければ、やられる。体中の魔力を絞り出す。
溶岩鬼のブレスも強くなる。
二つの炎はぎゅっと圧縮され、やがて――ばあんと破裂した。ロッカは尻もちをつき、溶岩鬼は、微動だにしなかった。
負けた――ロッカは、自分が押し負けたのを感じた。
ロドロムが笑みを浮かべた。
ところが次の瞬間、溶岩鬼の顔がばさりと、剥がれ落ちた。まるでカステラが崩れるように、ぼそぼそと、剥がれ落ちてゆく。
溶岩鬼の体は、自身のブレスの力に耐えられなかったのだ。
肩から上の肉は灰となって崩れ、やがて骨がむき出しになった。大きな黄色い目玉が二つ、骸骨にくっ付いている姿は、できそこないのプロトキメラのようだった。
ロドロムが笑顔を失い、ロッカがにやりと微笑む。
騎士たちが声をあげ、ブラックナイトに立ち向かってゆく。
イノワンの渾身の一撃が、大サソリの鋼鉄の体を突き刺し、その心臓を貫いたのは、その直後だった。
「馬鹿な……ありえない……私の、最高傑作だぞ……」
ロドロムは後ずさった。
クワルとドラガンが拘束から抜け出した。クワルは騎士を脅かすブラックナイトに突撃し、ドラガンは、ロドロムに思い切り拳を叩きつけた。
どん、とそれをまともに喰らったロドロムはうぐっと声を漏らして後方に吹き飛び、床の上に転がった。
ブラックナイトが、ロドロムを庇うように、ドラガンの前に立ちはだかった。
「ううぅ……私は、天才だ……貴様らのような、虫けらに、倒されるなど、許されない。私には、天命を全うする、責任があるのだ……」
ロドロムは血を吐きながら立ち上がった。
「そこまでだ、ロドロム」
イノワンが言った。力をほとんど使い果たして、息を切らせている。ロドロムは、血を拭い、イノワンに言い返した。
「黙れ、人間が」
「お前も人間だ。ただの、一人の、人間だ」
「違う、私は、ただの人間ではない……ふざけるな、私は、天命を受けてこの世に産み落とされた魔術師だ!」
「ロドロム、何をする気だ、やめろ!」
ロドロムは右手を自分の胸に押し込むと、ずぶっと肉を抉り、自分の心臓を掴み出した。それを高々と頭上に掲げ、血しぶきを吹き出しながら笑った。
「我が心臓を捧げよう。深淵の縁より出でよ、バーズズ!」
ロドロムの心臓が黒い炎に包まれる。
ロドロムの笑いが引きつり、その体は痙攣をし始め、膨れ上がってゆく。ぶちぶちと、筋繊維の弾ける音がして、数秒もすると、ロドロムはもはや、人間ではない、三メートルほどの巨大な、黒い肉の人形になってしまった。
「愚かなことを……」
イノワンは、ぎゅっとこぶしを握り締める。
それから、皆に強く命令した。
「退却だ、しんがりは私が勤める! 逃げよ!」
迷いのない撤退命令。
ところが騎士は部屋の入り口を見て絶句した。
数十もの魔方陣が現れ、そこからまさに、ブラックナイトやルーンナイトが、次から次へと出現しているのだった。
「イノワン卿、もうダメです!」
「狼狽えるな! 突破口は必ずある!」
イノワンは騎士たちを鼓舞する。
ロッカは杖を頼りに立ち上がり、半笑いで状況を眺めた。
「絶体絶命ってヤツね……」
ロッカは杖を構え、出現した召喚獣――邪神バーズズに杖を向けた。




