75 勇者の帰還
ずがあん、ずがあぁあん!
宮殿が震えた。
兵士の足音、甲冑のこすれる音。
「イノワン様! イノワン様ぁ!」
兵士が一人、イノワンの部屋に飛び込んできた。
その頭、片方だけがちりちりに焦げて、半分丸刈りになっていた。
「なんだその頭は」
イノワンも、突っ込まずにはいられない。
だが兵士は、それどころではない。
「イノワン様! 宮殿が、魔術師の――『ソーサレス』の襲撃を受けています!」
イノワンは立ち上がった。
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宮殿一階の長廊下。
そこは兵士を集めて集会などを行うため、横幅30メートル弱、縦は80メートルほどの広さになっている。
魔術師ロッカは、その廊下を歩いていた。
金ボタンの深紅の上着に、膝上丈のスカート。黒のニーソックス、金紐の軍靴。金の肩章に、燃えるように赤い毛皮のマント。片手には長杖〈招精の三日月〉を握っている。
ロッカは兵士に囲まれていたが、兵士たちは、ロッカの半径5メートル圏内には踏み込めないでいた。
「武器を捨てろ! それ以上進めば、反逆と見なす!」
「反逆で結構よ。私は、アンタたちが捕まえた魔術師の行方が知りたいの。まだ隠すっていうなら――」
ロッカの杖先から火の球が現出し、柱の一つに飛んでいった。
があんという爆音が響き、柱が砕けた。
宮殿が震える。
「やめろ! 貴様ぁ!」
しかし兵士は、ロッカに切り込めない。
ロッカの周囲を守る『サラマンドオーラ』の中に入ってゆくのは、自殺行為のように思われたからだ。
ロッカがピルグに入ったのは二日前だった。
そこから情報を集め、すでにロッカは、グリムがイノワンに会ったことも知っていた。その泊まっていた宿の焼け跡にも立ち寄った。そして、その宿に泊まっていた五人連れの客が、ピルグの兵士に連れて行かれたことも。
――さあっと道が開いた。
廊下の奥、階段をゆっくり降りてくる人影をロッカは見た。
それが、勇者イノワンであると、ロッカはすぐに直感した。他の兵士とは全く異なる、「強者」のオーラを身にまとっている。剣を抜かないまま、つかつかと歩いてくる。
互いに20メートルの空間を開けて立ち止まる。
「我が宮殿に押し入るとは、どういう了見か」
「グリムという魔術師がここに来たでしょ」
「知らんな」
「その魔術師を含めた五人連れ、そのうち一人は男のライカンで、一人は女の子のライカンだった。宮殿に入ったところを目撃した人がいるんだけど」
「それなら、たしかに来た」
「その五人が、ここの兵士に捕まった。知らないとは言わせないわよ。目撃者は、一人や二人じゃないわ」
イノワンは少しの間を置いて、口を開いた。
「君とその者たちは、どのような関係なのだ」
「その中の一人と知り合いなの」
「なるほど……」
「で、私は彼らの行方を訊いてるんだけど」
「私に答える義理はないが」
「答えたくなるようにしてあげるわ」
ロッカの頭上に、複数の火球が現れ、それが八方に飛んでいった。
ばごおおん、ばごおんと、爆発が起こり、石の大小さまざまな破片の飛来に、兵士が悲鳴を上げる。
「まだ足りないかしら?」
「力づく、というわけか」
「そうさせてるのはアンタたちよ。勇者だか何だか知らないけど、それだけシラを切るってことは、何か後ろめたい事情でもあるんでしょ」
「そんなものはない」
「じゃあどこにいるのよ。地下牢? それとももう、処刑しちゃった、とか?」
「引き渡した」
イノワンの口調に、苛立ちが現れる。
その微妙な感情の変化に、兵士たちは恐怖を覚えた。
「誰に」
「お前に教える必要はない」
「それは私が決めることよ」
「帰れ。今なら、命までは奪わぬ」
「は? 調子乗ってんじゃないわよ」
ロッカの物言いに、兵士たちがヒヤヒヤする。
しかしそんなことお構いなしのロッカは啖呵を切る。
「勇者だか何だか知らないけど、私から見たら、アンタなんかただの老いぼれよ。同じこと何回も言わせて、耳遠いんじゃないの? それともボケ?」
「無礼な魔術師だな」
そう言い返すイノワンの目元には、無邪気そうな笑みが浮かんでいた。
「――ロドロムだ。ジューガの森の。我が戦友、召喚術師ロドロム。彼に、お前の探している者たちは引き渡した」
朗々と、勇者が言った。
ロッカは、ロドロムについて、町で情報を集めて知っていた。かつての戦いでイノワンとともに戦った天才的な召喚術師。今は特領地となったジューガの森で研究をしている。その研究のために、毎月数回、奴隷船が川を登ってやってくる。その奴隷を、実験材料として買い上げているのだ。
「そのロドロムとかいう召喚術師、人間を実験材料にした研究をしているそうじゃない。アンタ、そんなのとつるんでるの?」
「彼は戦友だ。私の仲間だ」
「だから、実験材料を提供したの?」
「彼があの五人をどうするかは、私の知るところではない」
「アンタ、馬鹿なんじゃないの?」
イノワンは絶句した。
そんなはっきりと暴言をぶつけられたのは、いつぶりだろうか。「勇者」と呼ばれるようになってからは、そんなことがあっただろうか。
「知るところじゃない、じゃないわよ。知りなさいよ。わかるでしょ、普通に考えて。そんなイカれたサイコパス男と仲良しごっこしてるなんて、勇者が聞いて呆れるわ」
「仲良しごっこ、だと……?」
「そうでしょ。友情だからとか、それで何でも許しちゃう。友達だから盗みをしても許す、人を殺しても許す、友達だから、戦友だから、仲間だから……公私混同も甚だしいわね」
「わかったような口を……」
「三十年前の戦いで何があったかなんて私は知らないわ。でもアンタだって、私のこと知らないでしょ。アンタは何か、その戦いが至高のものだとか思ってるんでしょうけど、そんなの、他人からしたら、知ったこっちゃないわ。そんなことよりも私は、アンタがサイコサマナーに引き渡した五人の方が気になるの」
「……ジューガの森に立ち入ることは、許さんぞ」
「アンタの許しなんていらないわ」
「そうはいかない。あの森は、私の領地だ」
「だから?」
「入るというなら、私を――」
「望み通りぶっ倒してやるわよ!」
ロッカの杖が火を噴いた。
紅蓮の炎が一直線にイノワンを襲った。凄まじい熱風に、兵士たちが逃げ惑う。
「あっち、あっち!」
「火がぁ!」
「みず、みずぅ!」
ばさあっと、イノワンが炎を切り裂いた。
炎がはじけ飛ぶ。
兵士が更に逃げ惑う。
「腐っても鯛ね」
「腐るものか……」
「じゃあこれはどうよ」
ロッカの頭上に複数の火球が現れ、それが、雨のように降り注いだ。
宮殿の壁に亀裂が走り、柱が崩れ、ステンドグラスが粉々に割れた。
イノワンは、火球の軌道を見極めて躱し、それでも躱しきれないものは、剣で斬って防いでみせた。それは、並みの剣士にできる動きではなかった。ただ速いのではない、読みによる最小限の動きである。
「肩書きだけのスケルトンだと思ってたけど、見直したわ」
「誰が、スケルトンだ……」
イノワンの顎から、汗の雫が落下する。
一方ロッカは、涼しげなものである。しかしその目は、獲物を前にした猛禽のようだった。
イノワンは剣を構えながら、自分の衰えを感じていた。
久しく忘れていた感覚が蘇ってくる。自分と味方、そして敵。熱気、埃の焼ける匂い、戦いの音。戦場とは、ここまで切羽詰まったものだったか。ここまで緊迫したものだったか。
断片的な、かつての戦いのイメージが浮かんでくる。
全身が熱い。
魔術師の魔法のせいか、それとも、血流のせいか。
あぁ、また自分には血が通っていたのだ。それも、忘れていた。
懐かしい。
戦場にいた頃の私は、どのように剣を振っていたのだろうか。それはただの野蛮な暴力だっただろうか。傷つけるのを恐れて、剣を抜かなくなったのだったか。あの頃は、傷つくことを恐れていなかったのだろうか。
治癒魔法でも治らなかった傷の痕が、体中にあった。
腕にも、足にも、腹にも、背中にも。
生死の境をさまよったことも、一度や二度ではない。
戦いの中で、炎の中で、仲間を看取ったこともあった。その時の、死んでゆく戦士たちの顔も、声も、鮮明に覚えている。
ずっと忘れていた。
そんなことがあったことすら、忘れていた。
遠い過去の、他人の記憶のように思っていた。
――そうだ、私は、勇者だった。
多くの人の、希望だった。
それを背負って戦っていたのだった。
イノワンはロッカに訊ねた。
「私は老いぼれか」
「えぇ。ちょっと剣を使えるね」
「私は、勇者ではないか」
「アンタみたいな陰険な勇者、見たことないわ。見るからに病気だし、悪い魔術師と結託してるみたいだし、それに、髪だって白髪だらけじゃない。冗談じゃないわ」
そうか、と呟き、くくくくく、イノワンは笑った。
体の奥底から沸き起こる可笑しさを、イノワンはやがて堪えられなくなった。
「はっはっはっはっはっは!」
イノワンの笑い声が、半壊したホールに響き渡った。
兵士たちは、逃げるのをやめて、イノワンに注目した。
「そうか! 私は、勇者ではないか! ダタの老いぼれか! はっはっは! それは良い! 良いことを聞いた!」
イノワンは、ついには剣を取り落とし、両手で顔を覆って笑った。
戦意喪失と受け取って、ロッカはつまらなさそうに、準備していた次の魔法をとりやめた。
イノワンの手の隙間から、雫が一粒こぼれた。
「馬っ鹿みたい。壊れちゃったの?」
「確かに。私は、壊れていたようだ」
顔を拭い、イノワンはそう言った。
その両手は、ぶるふる震えている。顔を上げ、その双眸を見たとき、ロッカは思わず、杖を構え直した。さきほどまでの暗さ、淀みが一切消えていた。
イノワンは今、剣を持っていない。
丸腰だ。
しかし思わず、ロッカは『メテオ』を放ってしまった。
ずががががああん、と火球が再び降り注ぐ。
気付いたときには、イノワンの姿は煙と炎の中に見えなくなってしまった。
自分の無意識的な行動に唖然とし、ロッカは杖を掲げたまま固まってしまった。なぜ魔法を使ったのか、全くわからない。考える前に体がそうしていた。防衛本能が、魔力に直接命令したかのようだった。
勇者様、勇者様、と兵士たちの悲痛な声。
――ところが。
ぶわっと、風が巻き起こった。
メテオによって発生した煙と炎が、さあっと吹き飛んだ。
焼け焦げた床の上に、両手をバツの字にしたイノワンの姿があった。
腕を解き、イノワンはロッカに笑いかけた。
「なかなかに、良い魔法使いだ。力を貸して欲しい」
「……は、は?」
いろいろな驚きで、ロッカの思考は停止した。
「聞け、騎士たちよ!」
イノワンの声が、朗々と響く。
「我々はこれより、ジューガの森に進軍する。ロドロムを討つ!」
イノワンの宣言に、兵士たちは狼狽えた。
しかしイノワンの決断は、多くの兵士たちが、心の奥で望んでいたことだった。兵士たちは一瞬の間の後、「うおおぉぉ」と、雄叫びをあげた。その声はホールを突き抜けて町中を振動させたようだった。




