74 ロドロムの御前
監獄馬車の旅は、退屈そのものだった。
慣れてしまえば馬車の中の陰鬱とした雰囲気も暗さもどうということもなく、一日中横になって、うとうとしているだけの旅だった。
やがてジューガの森に入り、俺たちは黒い頭巾をかぶせられた。
頭巾も枷も、その気に慣れは即座に外すことができたが、俺は、そのタイミングがいつなのか、わからないでいた。
馬車を降り、枷に縄を通され、列車ごっこのごとく歩かされる。
俺たちの周りには、十体以上のブラックナイトがいて、俺たちの挙動に目を光らせている。もっとも彼らに目があるのかはわからないが……。
歩きながら、ドラガンの怒りを感じた。
ベイフやエイル、クワルの焦りも。ブラックナイトには感情はなかった。ケイノスは、興奮している。目を閉じると、不思議と他人の感情が見えてくる。これは果たして、俺がそう思い込んでいるだけなのだろうか。それとも、『プレシーブセンス』の力の一片なのだろうか。
俺たちは、邪悪な気配の方へと歩かされていた。それは、【ネクロマンサー】であった黒魔術師レイバンの気配とよく似ている。単純な殺意や敵意ではない、魔物のものとは全く異質な、しかし人間のものとは到底思えない、そんな気配である。
目の前にそれを感じた時、俺は足をとめた。
「着いたよ」
ケイノスに言われて、他の皆も足を止めたのがわかった。
「離してやれ」
何者かの低い声。
ブラックナイトが、俺たちの頭巾と枷を外した。
俺たちは顔を挙げた。
聖堂のような空間。ブラックナイトがずらっと両脇に整列し、近くにはケイノス、そして、20メートルほどを隔てた正面の奥に、その男が、玉座のような椅子に座っていた。
「ロドロム」
ベイフが忌々しげに、その男の名を呟いた。
赤黒いフード付きローブを身にまとった、骸骨のような男。ただしこっちの骸骨は、同じ骸骨でもイノワンとは違い、生気に満ち満ちた骸骨男である。黄色い蛇のような目が、フードの中から覗いている。
「ベイフ・ウルスラン――」
ロドロムの声が、部屋に響き渡る。
ベイフはロドロムを睨みつけた。
ロドロムはおもむろに立ち上がり、口元に笑みを浮かべた。
「お前には感謝しているのだ。おかげで今日まで、我が偉大なる研究を、誰にも邪魔をされずに、続けてこられた」
「この悪魔め」
「悪魔は嫌いか?」
「私が誰だか知っているだろう」
「そうだったな。聖術師は悪魔を嫌う。だがあの戦いの勝利は、悪魔によってもたらされた。あの時は聖術師も私を称賛してくれたものだ。お前だけはそれにケチをつけたがな」
ロドロムが言った。
「あの町では、私は未だに英雄だ」
「イノワン卿が黙っていると思うのか?」
「イノワン卿? 勇者イノワンか!」
ロドロムはそう言うと、げたげたと笑った。
邪悪そうな歯がちらりと見える。
「彼は仲間だ、私の計画に口出しなどせんよ。今までがそうであったように」
「彼は勇者だ」
「勇者でいることを望んだ臆病者よ。現にお前たちを、我らに引き渡したではないか。奴は怖いのだ、己の地位が、あの戦いの勝利が、悪魔の術によって作られたという事実を民に知られることが」
「なるほど、やはりお前が彼を、脅していたわけか」
「お前たちの信仰する勇者は、このロドロムに屈していたというわけだ」
「どこまでも卑劣な男だ」
「私には才能がある。類稀なる魔導の才能が。私には、その与えられた才能によって、法霊界に尽くす義務がある。その義務の前には、人間の命など、国など、机上の埃のようなものよ。だがそれを、多くの凡人は問題にしようとする。自分たちの価値をわからない俗人どもがな。私の研究の役に立てることが、どれほど幸運な事か、奴らにはわからないのだ」
「思い上がりだな」
「俗物には分るまい」
ロドロムは吐き捨てるように言い、ベイフや俺たちに背を向けると、再び椅子に座ってしまった。その黄色い目は、憎悪に満ちていた。
「私は、ライカンがほしいだけだ」
ロドロムはそう言うと、両手をすうっと持ち上げた。
その瞬間、ロドロムの両手の指先から青白い鞭のようなものが出現し、クワルとドラガンの四肢と首に巻き付いた。
俺はその鞭の魔法に『ダークバインド』をかけようとした。
だが、間に合わなかった。
クワルとドラガンは、一瞬にしてロドロムの足元まで引きずられていった。
俺は収納の杖を抜いた。
ベイフのメイスが出現し、ベイフはそれを握ると、ロドロムの正面に躍り出た。
同時に、ケイノスがベイフの前に立ちはだかった。
「黒狩りの魔術師とはいつか戦ってみたいと思ってたんだ」
ケイノスが、恍惚とした声で言った。
ベイフはメイスを構え、『ホーリーオーラ』の光の膜が発光を始めた。
左右にはずらりと並ぶブラックナイトが背負いの剣を抜き、忠誠の構えを取った。鳩尾のあたりで剣を握り、剣の刃を左右に向けて真っすぐ持つ、そんな姿勢である。
ブラックナイトにその指示を出しているのは、ロドロムだろう。
一体でも手強いブラックナイトである。この数は、とても相手にできない。やろうと思えば、ロドロムは即座に、俺たちを始末することができる。
――だが、ロドロムはブラックナイトに「待機」を命じている。
遊んでいるのだろう。
お前たちなどいつでも殺せるのだぞ、という自信の現れか。
「貴方とは戦いたくない」
「どうして? 僕の事が嫌い?」
「貴方の事を愛している人がいるはずです」
「何それ」
「貴方は、まだやり直せる」
「わかってないなぁ。僕はね、愛なんかより、力がほしいんだよ」
ケイノスはそう言うと、指先から黒い稲妻を放った。『ダークライトニングLv2』――オーラだけでは防ぎきれず、ベイフはメイスでそれを受け止めた。
「アッハッハッハ、死ね、死ね、死ねぇ!」
「くっぅ……!」
稲妻を放つケイノスの顔は、醜く歪んでいた。
これが、ケイノスの本性なのだろうか。まるで、悪魔のようだ。
ベイフが押されている。それはあたかも、ベイフの正義が、ケイノスの邪悪に脅かされているようだった。
俺は、助太刀をしようと右手を掲げた。
ところがその腕に、青白い鞭が絡みついてきた。
ロドロムだ。
「無粋な真似はよせ、若いの。お前を連れてきたのは、エサになってもらうためだ。我が72のハイキメラは、魔術師の血肉が好物でなぁ」
「この野郎っ……」
ロドロムの鞭の魔法にダークバインドをかけて振りほどく。
右手をロドロムに掲げた。
ロドロムも、片手を掲げていた。
「危ない!」
エイルが、俺の背中に飛び込んできた。
「え?」
その時俺はやっと気づいた。
足元に、魔方陣が描かれていることに。
――肺の中の空気が、全部持っていかれた気がした。
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次の瞬間、俺は、薄暗いドーム状の空間に立っていた。
部屋の隅には青白い炎を灯す巨大な灯篭が、ぽつん、ぽつんと置かれている。
そして、俺の後ろには、エイルが立っていた。
「空間転移の魔法。転移封印術」
「転移封印術?」
オウム返しに訊ねる。
「条件を満たせばこの空間から出ることができる。できなければ、出られない」
「それで、封印というわけか」
収納の杖を振ってグラシエクレルとシルフロッド、そして龍老人の杖を出す。全身がぴりぴりと、熱い湯に入った時のような感じがする。すぐに戦いになるのは、火を見るよりも明らかだった。
俺は女神から貰ったネックレスを外して、エイルに渡した。
龍老人の杖とネックレスを受け取ったエイルは、首を傾げた。
「光の女神から貰ったネックレスだよ。俺はもう一個ネックレスを付けてるから――」
そう言って、俺は『翠命の首飾り』のエメラルド色の宝石を首元に出して見せた。
「……どうして貴方は、こういうものをたくさん持ってるの」
エイルは腑に落ちない様子を見せながらネックレスを付けた。それから、何やら呪文を呟きながら、床に手を当て始めた。
シルフロッドで自分とエイルに、『ウィンドフォース』の加護を付与する。シルフロッドをしまい、グラシエクレルを構える。
部屋の一画に、魔方陣が現れた。
ゴゴゴと、部屋が振動する。
魔方陣の描かれた床が泥沼のようになり、そこから、何かが出てきた。
――巨大な、蠅の魔物だ。
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名前 :バアル
クラス:ハイキメラ
Lv:1/1
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詳細が分かった。
それと同時に、俺の中の危険メーターが、右に振り切れるのを感じた。
バアルの蠅の身体が、黒い闇に包まれてゆく。
俺はその闇の正体がわかった。
『ミストテレポート』のミストと同じだ。呪いの霧である。しかしその濃度は、『ミストテレポート』とは比べ物にならない。あの霧の中に入ったら、即死は免れないだろう。
「何、あれ……」
エイルも、聖術師としてその危険を感じたのだろう。表情が強張り、手が震えている。バアルの体は、闇の中に隠れて消えてしまった。
バアルは、闇を引き連れて突進してきた。
逃げないと――『ミストテレポート』で……。
いや、だめだ。俺は逃げられても、エイルは逃げられない。
迎え撃つしかない。
右手を掲げ、供血魔法――『ダークバインド』を念じる。
手のひらの黒い炎が、メラメラと燃える。
霧の中から、『オオオオオ』というような低い声が聞こえてくる。
――重い。
バアルの体の重みではない。突進の慣性の重みではない。バアルの体に満ちた魔力の重みだ。霧は黒い波のようにうねり、押しつぶそうとしてくる。力を抜けば、呪いの濁流にのみ込まれてしまうだろう。
汗が、滴り落ちてくる。
心臓がドクドク胸を打つのが聞こえる。
ダメだ、このままでは力負けする――。
俺は、握っているグラシエクレルの柄を滑らせ、鉾の刃に手のひらをあてがった。息を止め、ぎゅっと握りしめる。
鋭い痛みが走る。
鉾を放り、左手を何度か握りしめる。
血が――ぽたぽたと落ち、流れ始めた。
「(流れ出る血を全て、魔力に……)」
流れ落ちた血に、黒い炎が灯った。
まるで血が、アルコールにでもなったかのように。
俺はその瞬間、不思議な感覚を覚えた。
体の奥から沸き起こる強い力と、目眩のような脱力感が同時に襲ってきた。
ばあん、と破裂音がして、バアルが後方へ弾き飛んだ。
俺は立膝を突き、息を吐いた。
左手を見れば、手のひらは血で真っ赤に染まり、流れ出る血は、黒い光できらきら輝いている。
バアルが空中に浮かび上がり、再び黒い霧に包まれ始めた。
左手を強く握り、血を流す。その左手を前に突き出した。
『ダークバインド』、そして『ダークアロー』。
血が燃える。
矢は強力な呪いとなり、バアルの複眼に突き刺さった。
ぷしゅうっと、バアルの纏っていた黒い呪いの霧が四散してゆく。
(レベルが55から57に上がりました)
――倒した。
頭の中に響いてくるその声が、光の女神の声だったのだと、なぜか今気が付いた。
エイルが俺に駆け寄ってきて、左手に『ヒール』かけてくれる。
だが、無駄なことだ。
俺は何と無く分かっていた。
供血魔法のために自ら作った傷、その傷には、呪いがかかっている。
「どうして……」
エイルは焦る。
それはそうだろう。エイルからすれば、『ヒール』で治るはずの、ただの傷なのだ。次にエイルが試したのは、『ディスペル』と、そして『キュア』。呪いか毒によって『ヒール』が通らないのだと判断したのだろう。
しかし、それでも俺の傷は『ヒール』を受け付けなかった。
「なんでっ……」
俺は笑顔を作って応えた。
「黒魔術師だから、血まで呪われてるんだよ」
痛みと疲れで、上手く笑えない。
自嘲めいた響きになってしまうのは、自分でもダサいと思う。
ちょっとエイルを安心させようと思っただけの軽口だったのだが。
魔方陣から、また何かが這い出てきた。
巨大な、二首のライオンだ。鬣は炎、目はそれぞれの首に一つしかない。名前は、〈ヴァラヌク〉、ハイキメラだ。
まだいるのか、という感じだが、予想はしていた。ロドロムの言葉を思い出す。確かロドロムは――。
「『我が72のハイキメラ』とか言ってたな……」
「全部倒せばこの空間を出られる。だけど……」
だけど――無理だろう。
エイルはそう思っているのだろう。
俺もそう思っている。
何しろハイキメラ、一体であの強さだ。そんなのがあと71体だと。ふざけるな。無理ゲーにもほどがある。血が足りない。ポーションじゃあ血は増えない。
「なんで、なんで治らないのっ!?」
エイルはかなりテンパっている。
というより、これが普通の反応なのだろう。死を前にした人間の。
「この結界、解けはしないのか?」
「わからないけど、もしかしたら……」
「どれくらい時間があればいける?」
「一日あれば、もしかしたら!」
ガクッとしてしまう。
エイルは大真面目で答えてくれているが、ここで一日……それこそ無理だ。
やっぱり、72匹を倒して抜け出すしかないだろう。
――と、魔方陣が増えた。
二つ目の魔方陣から、これまた巨大な蜘蛛のハイキメラ、〈ガドマ〉が出現した。
巨大な一つ目ライオンと、馬鹿でかい蜘蛛。
最悪の光景だった。
自分が、ちっぽけな人間だという事を思い知らされる。
だが、ビビっている場合ではない。
もう、やるだけやるしかないのだ。
俺は、左手を握りしめた。




