72 歪んだ男
宿が、燃えていた。
魔術師たちが、水の魔法で消火活動をしている。
「ダメだ、呪いがかかってる! 聖術師を呼んでこい!」
「へい!」
俺は野次馬に押されて、地面に倒れた。
ばたばたと、魔術師たちが駆けまわる。
俺はただ、燃え盛る火炎を見上げるしかなかった。
やがて火が消し止められ、不完全燃焼で発生する真っ黒い煙も、魔法によって収まっていった。
「グリム様!」
ばふっと、柔らかい何かが背中に抱き着いてきた。
見なくても分かる。
「クワル!?」
振り返ると、クワルの顔が目の前にあった。
良かった、無事だった。
クワルの後ろから、ベイフ、ドラガン、そしてエイルが歩いてきた。ベイフは、ぽーん、ぽーんと、魔石を軽く放り投げて掴んでを繰り返している。
「君も無事だったか」
「一体、何が……」
クワルを抱きとめたまま、ベイフを見上げて訊いた。
ベイフは、持っていた二つの魔石を俺に放った。
「ジューガから、黒い鎧のお客さんが来た」
「でもここ……ピルグですよ」
イノワンの町だ。さすがにロドロムも、ピルグの中でちょっかいを出すことはないだろう。ベイフも、そして俺もそう考えていた。そこまではやらないだろうと。
ところが――。
「私の読みが甘かった」
ベイフが言った。
手下を町に潜入させ、しかも宿を焼き払うなどは、ピルグへの宣戦布告ととらえられてもおかしくない行為だが、ロドロムには確信があるのだろう。イノワンが自分たちに対して刃を向けることはない、と。
「動くな!」
「武器を捨てろ!」
兵士がやってきた。
俺は収納の杖を振り、皆の武器を中にしまった。収納の杖そのものは、それがあることを知らない者には見ることはできないから、兵士たちの目は誤魔化せる。
「な、なんだ貴様ら!」
ドラガンが怒鳴る。
エイルが間の抜けたファイティングポーズをとった。
クワルは身体を沈み込ませ、臨戦体勢をとる。
俺とベイフは、十数名からなる兵士が俺たちを取り囲むのを、突っ立ってただ見ていた。
「宿を燃やしたのは俺たちではないぞ!」
ドラガンが吠える。
エイルとクワルは、俺やベイフの様子に気付いたのか、息を吐いて抵抗の意思を緩めた。しかし状況は呑み込めないようで、きゅっと唇を結んで、兵士たちの様子を注視している。
「勇者様の命により、お前たちを拘束する!」
「ふざけるなっ!」
ドラガンの体から赤いオーラが湧き上がり始める。
戦闘能力を引き上げるパッシブスキルだ。イノワンと戦って、少しパワーアップしたのだろうか。拳を振り上げて牙をむき、兵士たちを威嚇する。ドラガンなら武器がなくても、クワルとはまた違った方法で、充分彼らと戦えるだろう。
しかし自分から手を出さないのは、ドラガンも迷っているのだろう。
やるべきか、やらないべきかを。
「グリム様……」
クワルが見あげてくる。
その瞳には、「どうしたら良いのでしょうか?」という疑問と、「どうなってしまうのでしょうか」という不安がありありと浮かんでいた。
戦うべきかどうかについて、俺はどっちでもいいと思っていた。
ドラガンが戦いたいなら戦えばいい。
だが俺は戦わない。
ここでやりあえば、確かにこの場は逃げられるかもしれない。だがその後はどうする。町中では指名手配されて、食事だってまともに摂れなくなるだろう。だから外に出る。だが外に出れば、今度こそロドロムの手下が、遠慮なく襲い掛かってくるだろう。
「……な、なぜ武器を構えないのだ」
ドラガンが、小声で俺に訊いてきた。
こういう反応は、初めてである。頭に血が上ると、目の前しか見えなくなるものとばかり思っていたが、しっかり仲間の事も見ていたらしい。しかもドラガン自身、少し狼狽えている。恐らく兵士たちにではない。俺やベイフのやる気のない態度が理解できないのだろう。
「将軍、戦っても戦わなくても、俺たちは捕まりますよ」
「……このドラガン将軍に、大人しく捕まれと言うのか」
ドラガンが言うのに、ベイフが応えた。
「今戦ったとて、利はない」
「また利益か。貴様に誇りはないのか」
「怒りに任せて殴ることがライカンの誇りなのか」
「ライカンとはそういうものだ。損得にばかり執心する貴様らとは違う」
「後先考えずに斬りかかっても何にもならない。まだわからないか」
「剣を抜くこともせず降伏する男が講釈を垂れるな」
「私がいつ降伏した」
「逃げてばかりではないか」
「機を見ているだけだ」
「墓場の中でもそう言うか」
「なんだと?」
だんだんと声が大きくなり、ついには状況など忘れて睨みあう二人。
「降伏します!」
俺は声を張って、両手を上に挙げた。
クワルもすぐに、手を挙げた。
エイルは、緊張の面持ちで俺たちに倣った。
ベイフとドラガンは、お互い睨みあったまま、手と足を拘束された。
そうして俺たちは、詰所の牢屋に連れていかれた。
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手枷に足枷、そして結界の魔法のかかった鉄の牢屋。
日本にいた頃は、監獄生活など考えてもいなかったが、こっちに来てから、このシチュエーションは、もう何度も経験している。
皆、後ろ手に手錠をされ、枷のせいで魔法も使えない。
レベル3以上の魔法ならレベル1の魔法として使うことは可能だが、この檻には結界が張ってある。弱っちい魔法では、鉄格子はびくともしないだろう。グラシエクレルの『ファイヤーライトニング』でも、たぶん壊せない。
もっとも、脱獄するつもりもないのだ。
脱獄するくらいなら、最初から捕まらなかった。かといって、捕まったことに何か意味があるわけでもない。ただ、無駄に戦うよりはマシだったに過ぎない。
今俺たちにできる事は、何もない。
状況に身を委ね、本当にこのまま処刑されるようなら、その時は本気で脱獄を考えればいい。幸い収納の杖は回収されず、よって武器はいつでも出すことができる。その余裕があるためか、あるいは単純にブタ箱慣れしたせいなのか、俺は自分でも驚くくらい、冷静だった。
「どうして私たち、捕まっちゃったのでしょうか」
クワルが疑問を口にした。
俺はベイフが答えるのを期待したが、ベイフは瞑想に耽っていて、言葉を発する気はないらしかった。仕方ないから、俺が、俺なりの考えを披露するしかなさそうだ。
「たぶん、そういう要請が、ロドロムからこの町に来たんだと思う」
「それを、あの勇者様が聞き入れたということですか!?」
頷く。
恐らく、イノワンは聞き入れたのだ。ロドロムは、イノワンにとってあくまで戦友なのだろう。例え邪悪な研究に溺れ、幾百人もの人間を、魔物でも人間でもない化け物に変えたとしても。
あっぱれな友情である。
それを友情と呼ぶのであれば。
「納得できん!」
ドラガンである。
牢屋の番兵がその吠えるような声にびくっと肩をすぼめる。
しかしドラガンも、またすぐに大人しくなっていった。力んでも何にもならないと、ついに理解したのだろう。
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一晩を牢屋で過ごした。
朝食は、昨日の夕食と同じ、冷えたスープとパン。スープにつけなければとても喰えたものじゃない、石のようなパンだ。
俺は結局、食べなかった。
冷えたスープが嫌いだし、スープにパンを付けて喰うという食事の仕方も、そもそも嫌いなのだ。茶づけは良いが冷やし茶漬けは嫌いという、そういう感覚と似ている。
食事を終えた頃、詰所に来客があった。
黒装束を身にまとった、線の細い男。腰には杖を差し、顔は鼻から下を黒い布で隠している。目だけが笑っている様は、不気味としか言いようがない。その笑みは、明らかに俺たちに向けてのものだった。
――ブラックナイトを従えてトリンドル城砦に来ていたあの男だ。
「へぇ、この子たちかぁ」
子供のような無邪気な声。
「あれぇ? どうして君がここにいるの?」
黒装束は、ベイフを見つけて質問した。
ベイフはにやりと笑い、言った。
「私にもまだ、聖退魔術師の魂があったようです」
「へぇ、そうなんだ。君、聖退魔術師だったんだ」
「人間、捨てたと思っていても、案外捨てきれていないものです。貴方も、幼い頃の純真を、まだ心のどこかに残しているのではないですか?」
「幼い頃? 君と会った覚えはないけど」
「私は覚えています。――ケイノス様」
黒装束の目に動揺は見えない。
ベイフは、じっと黒装束の目を見つめた。その奥にある小さな変化も見逃さないように。
「貴方はまだ幼かった。覚えていないのも当然でしょう」
「ふーん、そんな昔にねぇ」
「幼き頃の貴方の瞳は、イノワン卿のそれと同じでした。そして今も、私は貴方の瞳に、邪悪を寄せ付けない強い清らかさを見出しています」
「お祖父様と同じ?」
「そうです」
ベイフが答えると、黒装束の男は笑った。
くくくくと、堪えるような笑い声が、だんだんと口外に漏れ、溢れ出し、最後には、狂ったように大きな声をあげて笑った。
あっはっはっはっはっはっは!
「――面白いことを言うんだね」
「本当の事です」
「だとしたら見る目がないよ。ひどい侮辱だ」
「侮辱、ですか?」
「そうだよ。そりゃあ、そう思うでしょう?」
ベイフは困惑を顔に出した。
予想外の反応だったらしい。
俺にはもう、この黒装束の男は――ベイフがケイノスと呼んだこの男は、狂人にしか見えなかった。
「君は、お祖父様を見たことある?」
「昨日、お会いしたばかりです」
再び男が笑う。
「僕と似てた?」
「はい」
「ひどいな――」
急に笑いを引っ込め、男の目が細くなった。
「僕だって、怒るときはあるよ」
男はそう言うと、すうっと右手を持ち上げた。
と、ベイフが急に腹を押さえるようにして蹲った。
彼の手には、黒い灯が宿っていた。
「ううっ……」
黒装束が手を降ろす。
ベイフが、大粒の汗を垂らして、肩で息をする。
「あんな老いぼれと僕を一緒にするなんて、どうかしてるよ」
黒装束は、ふてくされた子供のような口調で言った。
「おい! 俺たちをどうするつもりだ!」
ドラガンが吠えた。
「君は実験材料だよ。ライカンは、今の研究に欠かせないからね」
「研究だと?」
「他の種族だとすぐ壊れちゃうからダメなんだ。だから、うん、君のようなライカンは特に良いよ」
「こいつらは、どうなる?」
「罰を与えられるんじゃないかな。実験材料になるかもしれない。でもそうならなかったら、あぁ、そうだ、僕の玩具にしてあげるよ」
俺は、背筋に悪寒が走るのを感じた。
ドラガンさえ、黒装束にはそれ以上言い返さなかった。
俺たちはそれから、監獄馬車に乗せられた。
引っ張るのは馬ではなく、サイを二回りほど大きくして茶色い毛を生やした、そういう動物だった。それ一頭の力で、監獄馬車は動き出した。
以前も、俺は監獄馬車に乗ったことがあった。
しかし今回の監獄馬車は、鉄格子だけのちゃちなものではなかった。台形を逆にしたような形の木造で、詰めれば三十から四十人くらいをいっぺんに運べそうなほどの大きさである。
馬車は後部が出入口で、鉄格子の扉が内側にあり、外側の扉は下部が蝶番によって固定されていて、扉はそこを基点にして開き、タラップになるように作られている。
馬車の窓は天井に二つ、空気穴を兼ねた三十センチ四方の鉄格子が嵌められたものがあるだけなので、外から馬車の中を見ると、非常に薄暗く感じる。
ドラガン、ベイフと続いて行き、エイルが、タラップの手前で立ち止まった。俺とクワルはその後ろにいて、顔を見合わせた。
なかなかエイルが乗り込まないので、黒装束がいらいらした口調で言った。
「ねぇ、早くしてよ」
しかしエイルは動かない。ぴくりと足が、かすかに動いたが、そこで止まってしまう。
俺は慌てた。
あの黒装束は、本当に何をしでかすかわからない。
「エイル」
後ろから呼んでみる。
しかしエイルは、止まったままだ。
「あぁもう、じゃあいいよ、乗りたくないんだったらここで――」
俺は息を吸い込み、『パペットカース』を使った。
エイルの身体は、行儀よく一歩一歩足を出し、馬車に入っていった。
俺とクワルはその後に続いた。




