71 光の女神
宿に戻ってくるや、ベイフは酒を飲み始めた。
自棄酒だ。
気持ちはわかるが、付き合う気はない。
エイルはドラガンに治癒魔法をかけ続け、疲れてそのまま眠ってしまった。
俺とクワルは、ベイフを一人残して、部屋に戻った。
「あれが勇者、なのですね……」
クワルもクワルで、気を落としている。
想像と違ったと思ったのは俺も一緒だが、クワルにしろエイルにしろ、この国の人間にとっては、俺とは比べようもないほどのショックを受けているのだろう。
俺はと言えば、「まぁ、勇者も人間だよね」という程度にしか思っていなかった。
「生きて戻れて良かったよ」
「はい……でも……」
「クワルは、やっぱり倒したいと思ってるのか?」
「ジューガの森の魔術師ですか?」
「うん」
「はい。グリム様も、それを望んでいるんですよね!?」
俺は黙った。
答えるべきかどうか。でも俺は、本当のことを言うことにした。
「俺は別に、ロドロムとかいう魔術師なんて、どうでもいいと思ってるよ」
「……え?」
「ベイフやエイルが彼らと戦って、無残に死んでゆくのが嫌だと思っただけなんだ。だから、そういう意味じゃ、ベイフがこれで討伐を諦めてくれれば、俺はむしろ、それの方がいい」
「でも、それじゃあ――」
「今後も研究のために、どれくらいかは知らないけど、人間が犠牲になるだろうね」
「……」
「だからクワル、俺は褒められた人間じゃないんだ。勇者でもない。いつでも自分の正義を貫くほどの正義感があるわけでもない。がっかりさせて悪いけど、それが、俺だよ」
そう言うと、クワルは首を振った。
「いいえ、グリム様は……」
言葉に詰まるクワル。
きっとがっかりさせたのだろう。クワルはきっと、俺に憧れの幻を投影して見ているのだろう。子供が、先生とかコーチとかに抱くそれと似ている。先生やコーチは全てが完璧で隙がなく、神様のような存在――俺にも、そういう恩師がいたからよくわかる。
俺の恩師は、最後まで理想であり続けてくれた。そういう強さがあった。しかし俺は、そうはなれない。あっさりとクワルに、自分が人間であることをバラしてしまった。
自分が、辛くないように。
俺はクワルの頭を撫で、部屋を出た。
いたたまれなくなったのだ。
階段を降りると、ベイフが一人寂しく酒に飲まれていた。
宿を出て、ぶらりと歩く。
曇り空。
この町の建物は全てがずっしりと質量があり、通りを歩く人々もどこか自信に満ちている。皆、「我々がピルグの住人だ」という誇りを持っているかのようだった。広場には英雄イノワンの像があり、像の前では吟遊詩人が、その武勇伝をギターの旋律に乗せて語っている。
彼らは、イノワンの現在を知らないのかもしれない。それ以前に、イノワンが「人間」であることを知らないのかもしれない。
英雄というのも大変なものだ。「英雄」とか「勇者」、そんな肩書きが独り歩きして、皆の期待を背負い込むだけ背負い込んでしまう。自分とは別の「自分」がいつの間にかできあがっていて、気付けばそいつが自分とすり替わっている。そして、本当の自分は心の領域の奥へ奥へと追いやられてゆく。
――良く知らないが想像だ。だがあながち間違った想像じゃないと思う。眠れなくなって睡眠薬を飲むようになり、そこから麻薬に手を出し、体も精神も擦り切れてやがて――というスーパースターの話は珍しくない。
あの勇者、イノワンという男は、それこそジューガの森の施設で薬漬けにされた希望の無い被験者のようだった。人は見た目ではないというが、あれはもう、人か魔物かを論じるレベルである。俺は、むしろ魔物に近いと思った。
『……こっちです』
微かな声が聞こえてきた。
透き通るような声が心の中に、糸のように届いてくる。
自然と俺は、広場に面した立派な聖堂を見上げていた。そこから呼ばれていると直感して、聖堂に歩いていった。
『そうです、こっちです、そのまま、そのまま……あ、階段があるから気を付けてください。はい、そうです、上手です。そのまま真っすぐ――』
スイカ割りか、と思った。
声はだんだんとはっきり聞こえるようになってきた。
聖堂は、立派なものだった。まず、天井が高い。アーチ形で、奥に行くに従って、光が青みを帯びるように作られている。真っすぐ奥に向かう道の両脇は、それぞれ十人掛け以上の椅子がずらっと並んでいる。
祈っている人、本を読んでいる人、眠っている人などもちらほら散見される。
俺は、真っすぐ奥に向かって進んだ。
聖堂の一番奥は、青と白の宝石が散りばめられた、大きな祭壇である。女神の彫刻、龍の彫刻、鳥――たぶん不死鳥とかそういう聖なる鳥なのだろう――それの彫り物が置かれ、白と青の光を浴びている。
『どうぞ、座ってください』
奥まで歩いてゆくと、再び声がした。
一番前の席に座り、女神の彫刻を見上げる。
『やって会えましたね』
この声の主は、何の神様なのだろう。
今までのどの神様的な存在よりも、神聖な感じがする。場所のせいだろうか。
そんなことを考えていると、神様の方が名乗ってくれた。
『私は、光の女神です』
「あ、貴方がっ……!」
話には聞いていた。
カカン王国を含めたこの地域――アルマンジャ地方で最も代表的な信仰である女神信仰、その信仰対象が、光の女神様である。
『どうして避けていたんですか……?』
「え?」
『私の事が、嫌いですか?』
滅相もないことだった。
むしろ、一番契約したい神様だった。
『どうして一度も、聖堂に来てくれなかったのですか』
「あ、あぁ……そういうことか!」
『そういうことです』
そうか、光の女神様は、聖堂に行かなければ会えないのだ。
こっちの世界にやってきてから、聖堂の存在は知っていたのに、俺は一度も聖堂に入ったことがなかった。今回は――きっとしびれを切らせて、女神様の方から語り掛けてくれたのだろう。
「光の女神様。俺を、スカウトしに来てくれたのでしょうか?」
『いいえ』
「ち、違うんですか!?」
『私だって、本当は貴方を……』
「じゃあ――」
今すぐにスカウトしてほしい。
光の女神様だったら信頼できるし、すぐにでも跪いて、その僕になりたいと思っている。
『ダメなのです』
「ダメ、というのは?」
『貴方と翁様の間には、まだ縁が残っています』
「いやいや、冗談でしょう。もう忘翁の加護なんか、消えてるんですよ!?」
『貴方が、翁様に加護を与えているのです』
「はぁああ!?」
なんのこっちゃ、という感じである。
というか、あの爺さんはまだ生きているのか? 神様に生き死にがあるのかは知らないが。
『縁切りの儀というものもありますが、きっとそれでも、縁は切れないと思います』
「え、何ですかそれ……呪いですか?」
『呪いと祝福は、心の持ちようによって変わるものです』
じゃあ呪いじゃないか。
縁切り、やってもらおうかな……。
「スカウトじゃないとすると……俺に、何の用ですか?」
『困ったことがあるのです』
「困りごとですか……でも女神様、神の悩みを、俺ごときゴミ虫に解決できるんでしょうか?」
『あまり自分を貶めるものではありません。貴方は、立派な人間です』
「あ、ありがとうございます……」
『――聞いていただけますか?』
「はい、聞きます。何でしょうか、その、困り事というのは?」
『イノワンのことです』
俺は、頭を抱えた。
傍目には、自分の罪の重さにうな垂れ、神に許しを乞う熱心な信仰者だ。
『イノワンには、会いましたね』
「はい。酷い有様でした。たしかに剣は、ものすごく強かったです。でも、薬物中毒者の末期みたいな、そんな状態でした。あれが勇者なんて驚きです。みんな、勇者イノワンのあんな状態を知らないんじゃないでしょうか。息を吸うだけでも辛そうでしたよ。あれならいっそ――」
『ひっく……ひっく……』
「え……」
『私が、また私が、いけないのでしょうか……?』
まさかの反応に言葉を失う。
光の女神、泣いているふりとかでなく、本気で泣いている。
『でも、イノワンは、その力がほしいと私に言ったのです。私の加護があれば、多くの人々を救えると。だから私は、彼に力を与えたのです。私は、良かれと思って……』
「あの、め、女神様!?」
『でも、結果的に彼を苦しめてしまいました。彼は毎日私に祈るのです、死んでしまいたい、と。私はどうすればいいのですか? 私は間違っていたのですか? 私は――』
「ま、まぁまぁ女神様、落ち着いてください」
『ごめんなさい、ぐすん、ぐすん……』
緑の女神もべそをかいていたが、光の女神様のこれは、マジ泣きだ。普段頼られるばかりで、自分の悩みは誰にも打ち明けられないまま、ずっと心の中に溜め込んでいたのだろう。――という解釈でいいんだよな? 神様でも、そういう風に思って、同情してあげても、いいんだよな!?
「女神様は、悪くありませんよ。あの人がああなったのは、彼自身の責任だと思います、たぶん」
『しかし、彼に辛いものを背負わせてしまったのは、私です……』
「うーん……」
それは、そうかもしれない。
いや、イノワンの事は全然わからない。だが力を持てば、その力を持ったなりの人生を歩むものだろう。例えば俺も、黒魔術の才能なんて力があるからここにいる。もし、そもそも魔法の才能が発現しなかったら、きっと俺は、違う場所で違う人生を歩んでいたに違いない。
イノワンもきっと、そうなのだろう。
女神の加護を得て、得た者の人生を歩んできた。いくつもの選択があって、その末に、あの彼になった。それは確かに、神が力を与えなければ、決して歩まなかった人生だ。
しかし、どうなのだろう。神様はその結果すらも自分の責任の範疇なのだろうか。与える力が強大なら、確かにそうかもしれないが、そもそも力を望んだのがイノワンなら、あんな風になっているのは、やはり自己責任なのではないか。
「彼は、多くのものを手に入れたのではないでしょうか」
『彼は、彼自身を失ってしまいました……』
「あぁ……」
なるほど、女神様はそういう風に見るのか。
なんて優しい神様なのだろう。大勢に信仰されている女神様だから、個人の命なんかはあまり考えないのかと勝手に思っていたが、そんなことはなかった。
契約をするなら、やっぱりこの女神様だ。
「彼はたぶん、自分の望みを叶えたんじゃないかと、思います。それは、人間にとっては一番、幸せな事なんだと思いますけど……」
『そうなのですか?』
「皆がみんな、望みを叶えられるわけじゃないですから」
『そうですね……確かに、そうかもしれません。でも、今の彼は――』
そうだ、今のイノワンは、女神様の話によれば、死ぬことを望んでいる。
じゃあ自殺でもすればいいだろう、というのは乱暴な話で、やはりそこは、信仰とか、色々あるのだろう。
一番可能性があるのは――彼は、死にたくても、この国のために死ぬことができない、という状況である。彼の死によってこの国、この町にどんな影響があるのか、無知な俺にはわからないが、きっとイノワンは、それを考えているのだろう。彼はたぶん、「勇者」を続けなければならないのだ。
「女神様は俺に、イノワンを救ってほしいわけですね?」
『……はい。私はもう、どうして良いのかわかりません』
「俺も、わかりません。勇者を救うなんて……。もうああなったら、救う事なんて、できないんじゃないでしょうか」
『そんな……でもイノワンは、これまで本当によくやってくれました。この町を、多くの人を、命を、守ったのです。そんな彼に報いることができないなら、私は何のために存在するのでしょうか!?』
話が大きすぎる。
これが人間相手ならまだ良いが、神様に神様の存在意義なんかを訊かれても、俺ごときパンピーが、正しく答えられるわけがない。
しかし、その上で、俺は俺の考えを言うべきだろう。馬上様が、それを望んでいるのなら。
「女神様――」
『はい』
「切っ掛けは作れるかもしれません」
『切っ掛け、ですか?』
「俺たちがこの町に来たのは、イノワンのかつての戦友、ロドロムという男とその研究を潰すためです」
『……』
「ロドロムとのしがらみが無くなれば、イノワンも少しは、人間味を取り戻すのではないかと思います。ロドロムの邪悪な研究に加担しているような自分の立場に、イノワンは自分自身、それを許せないのではないでしょうか」
知ったような口をと言われれば返す言葉もないが、俺はイノワンのあの様子を、そういう風に想像している。イノワンをあの姿にしたのは、ロドロムに違いない。ロドロムの魔術がそうしたのではなく、三十年の月日が、イノワンをあの姿にしたのだ。
「ロドロムと戦う兵を下さい」
『それは、できません……兵は……』
「じゃあ……何かを……」
『お守りを与えましょう』
女神様がそう言うと、かしゃっと、首にネックレスが下げられた。
銀色の鎖に金の小さな円盤のついたもので、円盤の真ん中には、ダイヤのような宝石が埋め込まれている。「のような」というか本物のダイヤである可能性が非常に高い。
『貴方の旅に、光の加護がありますように』
女神は祝福の言葉を残して消えていった。




