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グッド・ブラック! ~黒魔術師に幸運を~  作者: ノマズ
第二章 ピルグの勇者
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69 五つの決断

 宴の翌日、俺が下りてゆくと、既に四人はテーブルを囲み、けだるげに朝食を摂っていた。ドラガンは野菜の盛り付けを、黙って食べている。あれほど飲んでは、いかなライカンといえど、きついらしい。


 俺が席に着くと、店の人がレモン水を持ってきてくれた。

 受け取って、喉を潤す。

 テーブルにはソーセージ、ベーコン、目玉焼き、パン、サラダ、そして間もなく、俺のために野菜のスープが運ばれてきた。


 食事は静かだった。

 周りの席からたまに笑い声がしてくるくらいで、それだって、控えめなものである。店の外のほうがよっぽど騒がしい。馬の蹄の音、井戸端から聞こえてくる甲高い女中の声、小鳥の囀り――。

 大体皆が食べ終え、食器が片付けられたところで、ベイフが口を開いた。


「やはり、奴らと戦おうと思う」


 静かにそう言う。

 ベイフの落ち着いた口調に、その決意の固さを感じる。


「エイル、付いてきてくれるな?」


 エイルは頷く。

 あぁ、この二人の関係が気になる。

 訊いてもいいだろうか? いやしかし、それはお節介だ。俺には関係ないじゃないか。俺がどうして、そんなことを気にしないといけない。気にするだけの資格が俺にあるのか? 野次馬根性なら見苦しいから黙っていた方がいい。


「俺も行く!」


 ドラガンが言った。

 声が、うるさい。暑苦しい。

 でも即答、流石だ。彼にとっては、命よりも名誉の方が大事なのだろう。そういう価値観で迷いなく生きていけるのは、正直、羨ましいと思う。

 俺は、どうしても自分の命が可愛い。生きるために生きようと考えてしまう。それが正しいと教わってきたせいだろうか。


「私とは敵同士じゃなかったのか?」

「奴らが先だ。西部ライカン部族長ガウバの息子、ドラガン将軍を敵に回したこと、後悔させてやる!」


 ドラガンは拳を握る。

 獣の黄色い瞳がメラメラ燃えている。


「君は、どうする?」


 俺は、昨日一晩考えて、結局一晩では足りなかった

 結論を出していない。

 どうしてベイフもエイルも、そしてドラガンも、こんな簡単に決められるのだろう。俺が優柔不断なだけか? というより、意気地がないだけか?

 命は惜しい。死にたくない。

 だが、非道を働く邪悪な魔術師を、知っていて野放しにするのは、それもまた悪なのではないだろうか。


「クワル、お前も来るのだろう?」


 ドラガンが訊ねる。

 俺ははっとした。

 クワルは、どう考えているのだろうか。クワルは、勇猛果敢なライカンである。健気で、一歩後ろを歩くような子だが、その魂は、信念の前では死をものともしない生粋のライカンである。


「私は、グリム様に付いていきます!」

「そんな馬鹿なことがあるか! お前は戦わなければならぬ! 西部ライカンとして、俺に従い、戦わなければならぬ!」

「お断りです!」

「貴様ぁ!」


 ドラガンは怒鳴ったが、クワルはクワルで、全く引く様子を見せない。

 そういえば、クワルをかけた決闘をしていない。そうだ、そのためにドラガンを助けたのだ。決闘をして、クワルがどちらのモノであるか、はっきりさせなければ。


 しかし、それは今か?

 決闘は命懸けで、最悪死ぬかもしれない。死なないまでも、怪我くらいはするだろう。俺はいいとして、ドラガンがそうなってしまったら、ベイフに迷惑がかかる。ベイフの足を引っ張りたくはない。


「グリム」


 ベイフが俺の名を呼ぶ。

 皆の意識が俺に向く。発表することもないのに教壇に立たされた気分だ。


「俺は……」


 わからない。

 どうしたらいいんだ、俺は。

 ここで逃げたら臆病か? 臆病者と思われたくなくて戦いに参加するか? エイルの目は何を思っている。ベイフは? そしてクワルは、俺に期待をしている? 皆俺に、何かを求めているのか?


 数秒か、それとも十分以上か。

 時間がわからない。俺は、どれくらい口を噤んでいるのだろう。

 煮え切らない男と思われているに違いない。

 だが、生き死にの問題だ。そこに、クワルの命もついてくる。

 どうしたらいい、誰か助けてくれ。

 道が一つならいっそ決心もできるのに。


『黒魔術を信じんさい』


 そんな声が聞こえた気がした。

 俺は自分の掌を見、そして、皆を見渡した。

 ベイフ、エイル、そしてクワル。今や、ドラガンにさえ、情が移ってしまっている。――皆、死んでほしくない。怪我なんかも、してほしくない。クワルの可愛らしい顔が苦痛にゆがみ、エイルの肌が血に染まり、ドラガンの目から光が失われ、ベイフが絶望に天を仰ぐ光景は、見たくない。

 死よりも恐ろしいのは、それじゃないのか。


 行かなければ、そんな光景は見なくて済む。

 行かなければ、皆が死んだとしても俺はきっと、それを知らずに生きてゆける。主な交通手段が馬と徒歩というこの世界では――テレビもネットも電波すらないこの世界では、誰かの死など、伝わる前に埋没する。

 だが行かなければ……きっと事あるごとに、この瞬間のことを思い出すのだろう。一年後、五年後、十年経ったとしても、そして俺自身死んで、向こうの世界に戻ったとしても、記憶の片隅に残り続けるだろう。


 それなら、やるだけの事をやった方が後悔がないのではないか。命と引き換えにエイルやベイフを生かす事ができたなら、向こうに戻ることになったとしても、それは名誉の凱旋と思えるのではないだろうか。


 そうだ、俺はそもそも、この世界の人間じゃない。

 未練なんてないはずだ。

 もともといないはずの人間なのだから、そんな人間が、この世界の人の役に立てるなら――命のためになるなら、それだけで充分なのではないか。むしろ俺の役目は、俺の価値は、そこにあるのではないか。


 死ぬかもしれない。

 だが、それはさほど重要ではない。

 俺は口を開いた。


「行きます」


 声は小さく、震えていたかもしれない。

 だから、もう一度言い直した。


「戦います、あいつ等と」


 そう言って、生唾を呑み込む。

 落ちるかもしれないつり橋に足を踏み入れた気分である。


「恩に着る」


 ベイフはそう言った。

 もう後には引けない。これで俺は、そうせざるを得なくなった。「約束」をしたのだ。もう、途中でそれを破ることはできない。

 ベイフは息を吐き、それから口を開いた。


「ピルグに行こうと思う」


 カカン南方の都市ピルグ。城塞都市。

 その町は三十年前、ナバースの戦いの前線基地となった。そして今は、イノワン卿が統治している。南方の英雄、勇者イノワン――ロドロムにジューガの森と研究施設を与えた男。

 ベイフは町の説明をして、目を細めた。


「イノワン卿に会う」



 ジューガの森の遥か北。

 カカンの王都ラリアンは、曇り空の日が続いていた。

 朝は涼しい風が吹くが、昼間になると湿気を帯びた風が南から吹いてきて、灰色の雨雲もそれと一緒に流れてくる。

 そろそろラリアンにも雨期が近づいていた。


 ユラン侯爵の邸宅は、図書館や博物館が立ち並ぶ〈知識街〉の一画にあった。

 二階の張り出した屋根の上に作られた広いバルコニー。テーブルが三つあり、週末には10人程度を招いたちょっとした夜会が開かれ、その際にバルコニーは、大いに活躍する。

 景色も悪くない。

 広場に面していて、いつでも噴水を見ることができるし、広場の所々に敷かれた芝を見れば、少しは自然を感じることもできる。そして何より、このバルコニーからは良い月を見られる。

 月は、魔法にはなくてはならないものなのだ。


 ユランは、バルコニーのテーブルに手紙を広げていた。

 さきほど伝書鳩が運んできた手紙だ。すでに十回ほど読み返した。


「失礼します」


 一人の女魔術士がバルコニーにやってきた。

 深紅の衣装、ローブ。

 背中に負った三日月の杖。


「あぁ、来てくれてありがとう」


 ユランは、訪問者を椅子に座るよう促した。

 少女は杖を席の隣に降ろして、椅子に座った。杖は何の支えもなく、地面から数センチ離れて空中に止まっている。


「何か、あったんですか?」

「これが届きました」


 ユランは手紙を回転させ、少女に差し出した。

 手紙を読み終えた少女は、杖を握り、立ち上がった。


「……私が、この手で殺してきます」

「待ってください。そう慌てないで」

「違うんですか?」

「違います。まぁ、落ち着いて」


 そう言われて、少女は再び席に着く。

 使用人が、二人分の紅茶を持ってくる。


「イノワンって、勇者ですよね?」

「あぁ」

「その勇者に捕まるかもしれないって、どんな悪事を働いたんですか?」


 ユランは紅茶を一口啜り、その液体の中に視線を落とした。


「ナバースの戦い。若きイノワン卿は、奇跡のような勝利を積み重ね、ついに領土を守り切った。彼の近くには、多くの優秀な騎士や魔術士が仕えていたそうです。――戦いの後、イノワン卿は塞爵の爵位と勇者の号を得て、いくつかの領地をカカン王から授かった」


 少女も紅茶を飲んだ。

 ナバースの戦い。イノワン卿の名は本で読んで知っていた。


「その領地の一つを巡って、黒狩り部隊と敵対していた時期があったそうです。今から三十年も昔の話ですが」

「どうしてまた、黒狩り部隊とそんな勇者が、敵対なんて」

「何か、あったのでしょうね。結果的に、当時の黒狩り部隊の隊長は都を追放され、ことは水面下で決着がついた」

「それと、何か関係が?」

「あるのかもしれません」

「私はあの黒魔術師が全面的に悪いんだと思いますけど」

「それはどうでしょうか」


 ユランは笑った。


「貴方には、彼を、助けに行ってほしいんです」

「えぇ!?」


 頓狂な声をあげる少女

 ユランはその反応を予想していた。そして彼女が、最終的には断らないだろうということも。


「彼を失いたくはありません」

「でも、黒魔術師ですよ!?」

「そうですね」


 黒魔術師は問答無用で悪。

 多くの魔術師や聖術師は、そう考えている。

 だから少女がそういう風に考えるようになったのも、無理はない。しかし、異世界からやってきた人間――アニマンは、王国人の哲学とは別種の思想を持っている。少女の中にもそれがあるのを、ユランは知っていた。


「……行かなきゃ、ダメですか?」

「行ってほしいと思っています」

「どうして私なんですか?」

「貴女なら、勇者と戦えると思ったからです」

「は!? 勇者と、戦う? どういうことですか?」

「そうなるかもしれない、ということです」

「でも、そんなことになったら……あんな黒魔術師、放っておけばいいじゃないですか!」

「お願いします、ロッカさん」

「……あぁもう、わかりました! 行きます! でも、どうなっても文句言わないでくださいよ!」

「はい」


 少女――ロッカは今度こそ立ち上がり、杖を手に持って、ユラン邸を後にした。

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