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グッド・ブラック! ~黒魔術師に幸運を~  作者: ノマズ
第二章 ピルグの勇者
68/114

68 クエストの終わり

 走馬燈が見えた。

 危ない所だった。

 気が付くと俺は、岸に仰向けで転がっていた。上半身を起こすと、クワルが巨大魚ベムベムに手を振っているところだった。

 ベムベムは、川の中に還っていった。


 ドラガンは目を回し、ベイフは川沿いでげぇげぇやっていた。エイルは――うつ伏せに倒れている。


「エイル!」


 俺はエイルに駆け寄り、腕を枕に仰向けにさせた。

 微かに開いたエイルの紫の唇から水が零れた。『HPポワード』で体力を注ぐ。細い体、幻のように軽い。


 エイルはケホッ、ケホっと咳込み、大きく息を吸い込んだ。息を吐きだし、再び息を吸い込むとともにゆっくりと瞼が開かれた。

 ぼんやりとしている瞳に、だんだんと活力が戻ってくる。

 そして、目が合った。

 細いまつ毛の一本一本が鮮明に見て取れる距離。彼女の吐息が首筋に当たる距離。

 エイルは唇を微かに動かした。

 互いに何も言わない沈黙――。

 水滴が、エイルの髪の先から滴り落ちる。


「良かった……」

「……生きてるの?」

「皆無事だよ」


 エイルは安心したのか、。

 軽く目を閉じ、それからもう一度目を開けた時には、エイルはいつものエイルだった。じろっと睨まれ、おもむろに、エイルの頭から背中にかけてを支えていた腕をはずす。。

 エイルは上半身を起こし、すくっと立ち上がった。きょろきょろと周りを見回し、川沿いに小さく見える木造の建物――駅宿を見つけると、それに向かって歩き始めた。


「グリム様ぁ!」


 クワルが、抱き着いてきた。

 高い高いをしてやり、胸で抱き止める。自然と目が、ジューガの森を見る。日が暮れかけて、川は鉛色になり、森にも川と同じ色の霞が広がりつつある。

 さっきまで――ほんの数分前まであっちにいたのだ。

 この川を隔ててこっちと向こうは、まるでこの世とあの世のようだった。



 すっかり日も暮れた頃、俺たちは宿で一杯やっていた。

 川沿いの駅宿から馬を借りて、日暮れまでにできるだけ馬を走らせた。小さな町に着いてその門をくぐった時、やっと生きていることを実感できた。


「「「乾杯!」」」


 ジョッキを豪快にぶつける。

 酒が跳ねる。

 今日の酒はなんて旨いのだろう。いや、これは酒を味わっているのではない。生きていることを味わっているのだ。今呑んでいるのは魂だ。今だったら、空も飛べる気がする。


 テーブルに、すごい量の酒が運ばれてきた。

 ベイフとドラガンが、競うように飲み始める。ほどなく、本当に二人は本当に飲み比べを始めた。

 クワルはクワルで、実は俺よりも呑んでいる。それでも酔いつぶれないのは、ライカンという種族の強さなのだろうか。頬がほんのり赤くなって、表情もほどよく緩んでいる。


 エイルはというと、一杯だけ飲んで、少し食べて、部屋に戻って行ってしまった。騒がしいのが苦手なのだろう。最初だけでも一緒にいたのは、彼女は彼女なりに、思う所があったのだろう。

 ――ベイフには50グロウル、エイルには20グロウルという報酬を出す約束だが、エイルに20じゃ安すぎる。50だって安いと思う。

 彼女には、もっとちゃんとした報酬をあげないといけない。


 ベイフとドラガンがぐでんぐでんになり始めた頃、俺は階段を上がってエイルの部屋を尋ねた。もう寝ていたら仕方ない。二度ノックをした。

 扉の向こうで、人の動く気配があった。

 ちなみにだが、この「気配」に気付いたのは俺の特殊な能力ではない。宿の扉なんかは大抵薄い木なので、向こうで人が歩く音や、衣擦れの音や、しゃべり声、呼吸などは結構聞こえてしまうのである。


「エイル、起きてるか?」


 扉が少し開かれて、エイルの顔が半分ほど出てきた。

 もうすっかり顔色は良くなっている。唇にも赤みが戻っている。


「何?」

「報酬の話をしようと思って」

「……負けろって話?」

「まさか」


 そう言ったところで、エイルは扉をちゃんと開いてくれた。

 信用があるんだか無いんだかよくわからない。


「入って」


 エイルに言われた通り部屋に入り、椅子に腰かける。エイルは、ベッドに腰かけて、「で?」と俺に話を促した。

 年下のくせに生意気な、と最初は思っていたが……彼女のそういう刺々しい態度には、どこか隙があって、何だか憎めなくなっていた。


「20グロウルの約束だったよな」

「そのつもりだけど」

「これじゃ、ダメかな」


 俺は、収納の杖から龍老人の杖を出して、テーブルの上に置いた。

 エイルは、訝しげに杖と俺を交互に見た。


「これ、何?」

「龍老人の杖。回復系の魔法の力を増幅させてくれる。俺はそういう魔法使えないからわからないんだけど、たぶん、結構良い物だと思う」


 エイルは、杖を手に取り、丁寧に鑑定した。


「売っても20グロウルの儲けにはなると思うよ」


 俺がそう言うと、エイルはその杖を俺に突き返してきた。


「何のつもり」

「だ、ダメか!?」

「こんなものを与えて、私に何をさせようっていうの?」

「え?」


 睨まれる。

 その瞳の奥に不安が見える。


「売って金にしても良いし、使ってもいいと思うし、好きにしてくれ」

「狙いは何」

「狙い?」

「これ、本物でしょ」

「うん」


 レプリカとかあるのか?


「この杖の価値、知らないの!?」

「さ、さぁ?」


 エイルは、怒っているようだった。

 この杖に20グロウルの価値がないか? いやいや、そんなはずはない。あの龍老人(妖精の裸を覗き見るのが趣味のエロジジイだが)から、直接貰った杖だ。価値は国宝クラスなんじゃないか? 1000グロウルとか、それ以上かもしれない。

 一体何が不満なのだろうか。


「呆れた……」

「え……?」

「こんなものを、どうして簡単に人に譲ろうと思うの?」

「報酬の代わりだって」

「私は20グロウルで依頼を受けた。でもこの杖は、買おうとしたら2000グロウルは下らないわ」

「へぇ、流石龍老人だな……やっぱりそれくらいの価値があるのか」

「だからこれは、受け取れない」

「なんで!?」

「話聞いてた!?」


 なぜかかみ合わない。

 いや、彼女の言いたいことはわかる。そんな大金受け取れませんよと、そういうことだろう。だが俺からすれば、なぜ受け取らないんだ、という話である。命を懸けた仕事だ。自分の命がたった20グロウルだと思っているのだろうか?


「俺は君の働きに2000グロウル分の価値を見た。だから、これを報酬にしたいと、そう言ってるんだ」

「馬鹿言わないで。それが、どれほどの大金だか知ってるの?」

「君の命の価値は2000グロウルより低いのか?」

「当り前じゃない!」


 まさかの答えだった。

 しかも、迷いのない即答。

 俺は首を振った。この世界は、俺の――日本という国で育った俺の倫理観では測れない。命は金じゃない。だがもし金に換算するとすれば、それはやっぱり、2000グロウルなんてはした金ではないはずだ。


「雇い主は俺だ。だから、報酬も俺の考えで出す。筋は通ってるだろ」

「そんなの、おかしいでしょ……」

「本当に感謝してるんだって。頼むから受け取ってくれ。20グロウル払えるのなんて、いつになるかわからないし」

「……」


 エイルは、突き出していた杖を自分の膝の上に置いてくれた。


「ベイフは50グロウルで良いの?」

「うん、まぁ、いいんじゃないかな。そういう契約だし」

「おかしな話」


 鼻で笑われた。

 いや、全然おかしいことはないんだ。

 ベイフは、あの森のキチガイ魔術師と何やら因縁があって、それのためにこのクエストに志願した節がある。彼の目的はたぶん、金ではない。危険の程を一番よく知っていて、知っていながら50グロウルで引き受けた。金だけなら、とても50じゃ引き受けられない仕事である。生きるか死ぬか50―50フィフティー・フィフティーよりも勝率の低い賭けだ。損得を考えたら、どんなに金を積まれたって引き受けるべきではない。

 それを引き受けたベイフにとっては、報酬はクエストそのものだったと言える。俺というスポンサーを手に入れて、悲願を達成しようとした――そんな所だろう。だから彼には、50でいいのだ。


「……」


 エイルは、俺の事をじっと見つめた。

 それから、両腕で自分の程よい大きさの胸部を抱くような仕草を見せて言った。


「私、そういうことはしないからね」

「ぶふっ……」


 そういう事ってなんだよ。

 部屋に二人きり、ベッドに座りながらそういう事を言うのは反則だろ。

 いや、わかるよ。つまり、そういう事だろう? そういう、コトなんだろう? 別に、別に俺はそんなのを期待したわけじゃない。ただ、純粋に、邪な気持ちなど一切なく、彼女の頑張りに応じた報酬を与えただけだ。

 そういう事?

 してくれるなら受けて立つよ。そりゃあ俺だって男だし。

 でも、しないんだったら最初からそう言うことを言うなよ! かえって期待しちゃうじゃないか。あぁ、なんて悪女だ。思いもよらぬ悪女だ。

 今日は普通に眠れそうにない

 クワルには、エイルの部屋で寝て貰おう。


「何、そんな目で見ないでくれる?」

「……」


 そんな目ってどんな目だよ。

 俺、どんな目で見てたんだよ。自覚無いよ。

 怖いよこの子……。


「――じゃ、そういうことで」


 どういうことなのか全くわからないが、俺はそう言って逃げることにした。戦略的撤退だ。このままエイルと二人でいて、理性を保っていられる自信がない。部屋を後にする。

 ――扉を開けて出て行こうとしたとき、声を駆けられた。


「でも――」


 振り返る。

 エイルは、伏し目がちになって、心なしかそわそわしている。


「助けてくれたのは、感謝してる……」

「あ、あぁ……」


 ガチャリ、扉を閉める。

 部屋の外に出た俺は、思わずため息をついた。「ありがとう」と素直に言えばいいのに、「感謝してる」なんて硬いなぁ。きっとまだ、信用されていないということなのだろう。

 いやいや、俺は何を期待しているんだ。「まだ信用されていない」なんて。「まだ」って言ったって、考えてみれば、彼女とはもうここでお別れだ。

 クワルとドラガンを助け出して、俺が二人に依頼したクエストは達成された。すでにベイフには50グロウルは払っているし、エイルにも、今報酬を渡した。

 そうだ――これで契約終了、皆、またもとの場所に戻ってゆく。


 階段を降りて下に戻ると、ドラガンはテーブルの上に酔いつぶれて眠っていた。

 一方ベイフは、その隣のテーブルの椅子に背筋を伸ばして座り、俺が戻ってくるのを待っていた。

 クワルは、うとうとしていたので、エイルの部屋に行かせた。


「あれだけ飲んで、よく平気ですね」


 ベイフの向かい側に座る。


「酔い覚めの薬だよ。どんなに酔っぱらっていても、ものの数秒で正気に戻る」

「便利な薬があるんですね」

「黒狩り部隊の魔術師は皆持ってる。私のは、さっき飲んだのが最後の一粒だ」


 ベイフはそれから、空のジョッキを掲げて言った。


「まずは、君に感謝をしなくてはな。そして、私たちの幸運に乾杯だ」


 ベイフ化、空のジョッキを掲げる。

 俺もジョッキを掲げて、コツリとあてた。


「クエストはこれで達成だな」

「はい」

「だが、向こうは終わりにはしてくれないだろう」

「その、なんとかっている【サマナー】たちですか」

「ロドロム――」

「執念深い男なんですか」

「我々が、研究所の秘密を持ち出したと考えるに違いない。明るみに出れば、今度こそ黒狩り部隊が出動するような秘密を、連中は持っている」

「だから、追ってくると……?」

「そうだ。――君はどうする。逃げ続けるか?」


 俺は、首を振った。

 よくわからない。逃げ続けるのは御免だが、だからといって、じゃあどうするのか、答えがない。もう一度あのジューガの森に入って、ロドロムという邪悪な【サマー】を倒すか?

 それをするくらいだったら、俺は迷わず国外逃亡を選ぶ。


「ベイフさんは、どうするんですか?」


 訊ねると、ベイフは一瞬固まり、それから、深く呼吸をした。


「私自身、決めかねている」

「……」

「奴らと、戦うかもしれない」

「本気ですか?」

「……その場合君は、力を貸してくれるか?」

「……」

「私はこれまで、たくさんの魔術、そして魔術師を見てきた。だが、君のような魔術を使う魔術師は初めてだ」


 そりゃあそうだろう、と思う。

 もしかするとこの国には、まだ素性を隠している黒魔術師がいるかもしれない。だが、彼の前でその魔法を使う者はいないだろう。


「金は、払う」

「命が掛かる仕事です」

「それに見合うだけは、用意するつもりだ」


 それに見合うだけ――命をかけるに値する金銭。

 そんなものはない。

 1万グロウル貰ったって、死ぬようなことはしたくない。ジューガの森に侵入し、キメラたちと一戦交えたのはクワルのためだった。金のためだったら、とてもやらない。金なんて、生きていくのに不自由のない分だけで良いし、ちょっと贅沢をしたいと思っても、それは命のかからない範囲で、だ。


「一晩、考えてみてくれ。私も、やるかやらないか、明日の朝までに決める」

「……エイルは、どうするんですか?」

「連れていく」

「連れていくんですか……」

「あぁ」


 この男とエイルは、どんな関係なのだろうか。

 問いただしたい気持ちに駆られる。

 だが――俺が二人の関係を知って、それが何になるというのだろう。ベイフに、「危ないから彼女は置いていってやれ」とでも言おうというのか。


 俺は感情を呑み込み、部屋に戻った。

 一人部屋。

 ドラガンは、今日はあのままテーブルの上で寝るのだろう。一部屋分の金が無駄になるが、金はもう払ってあるから、あそこで寝ていても主人がうるさく言うこともあるまい。

 そしてベイフは、もう暫くあそこに座って、考えるのだろう。

 俺はベッドに横になる。


 夜が更けてゆく。

 この闇の中にはグリフォンにまたがったブラックナイトがいて、眼下の森を、街道を、町を――その感情の無い目で見ているのだろうか。

 ふと、そんなことを思った。

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