67 遠い対岸
大の字に寝っ転がった男ライカン。
岩の上に腰を下ろし、ぜぇぜぇしている元聖術師。
――ドラガンとベイフの鬼ごっこ兼殺し合いは、引き分けに終わったらしい。
「この、人間め、正々堂々、剣と拳で、戦え……」
「馬鹿め、ライカンと殴り合う、馬鹿がどこに、いる、馬鹿め……」
エイルの二人を見る目が氷のようだった。
だがこれで、問題の二つ目はクリアできた。この二人がまたフィーバーしなければの話だが。
「エイル、傷を治して――」
「なんで」
「怪我をしてしまったから、かな、はははは――」
「好きで怪我したんでしょ?」
「そうじゃない! この馬鹿ライカンが――」
ベイフの言葉を聞くと、ドラガンは上半身をばっと起こし、グラシエクレルを掴んだ。
「誰が馬鹿だと貴様! もう一度言ってみろ!」
「馬鹿だから馬鹿と言っているんだ! こんなときに復讐などっ!」
「黙れ黙れ! 誰もお前などに助けて貰おうなどと考えていないわっ!」
「勝手な奴め!」
「こいつ、それ以上無礼な口を利くなら、今度こそ――」
「死ななきゃわからないか、この毛むくじゃらめ!」
もう、どうすりゃいいんだよ、この仲良しは。
しかし本当に、今は争っている場合じゃないのだ。川をらないといけない。
「安全にこの川を渡る方法を先に考えついた方の勝ち、というのはどうですか?」
よし、これは我ながら良いアイデア――。
「泳いで渡れば良いだろう!」
「泳ぐしかなかろう!」
ダメだった。
いや、期待した俺が悪いのか。あれだけ頼もしいと思っていたベイフなのに、今はもう、なんだか子供を相手にしているようだ。
「この川、安全なんですか?」
「わからないが、危険な生物や魔物がいるという話も聞かないから、大丈夫だろう」
「襲われる前に泳ぎ切れば良いのだ!」
みんなして川を眺める。
丁度その時、川の中ほどに一尾の魚が、ぴしゃっと川面から飛び出した。
次の瞬間――。
ウボオオオォォアアアアッァァア!
バッシャアアアアン!
…………
すごいのが出てきた。
シロナガスクジラ並みに巨大なアンコウ。しかしその歯は、サメのように鋭かった。魔物かもしれない。いや、もう何でもいい。
俺たちは、言葉を失った。
――何だあれは。
ザバァァーン……。
ブクブクブクブク。
ちょっとした波が何度か岸辺を襲い、やがて川は、もとの静けさを取り戻した。
「……泳ぎ、ますか?」
「「悪かった」」
ドラガンとベイフに謝られた。
まぁ確かに、あんな生物を見たら、人間の勢いなんて削がれてしまうさ。エイルもクワルも、引いている。そりゃあそうだ。
さて、川は安全でないことがわかった。
というか小舟で渡ったとしても、あれはどうしょうもないのではないだろうか。
「グリム様、良いことを考えました!」
「おぉ、どんな?」
「一人が囮になって、その間に他の皆が泳ぎ切る、というのは――」
「いやいやいや……」
「囮は私がやります!」
「囮をやらせるならクワルとエイル以外だよ」
ベイフとライカンが互いを見つめる。
お前やれよ、いや、俺は嫌だよ、というような無言のアイコンタクトである。
「でもクワル、その作戦はダメだ」
「どうしてですか?」
「川の猛獣が一匹とは限らないし、囮につられるとも限らない。それに、囮が喰われるまでにこの川を渡り切るのは、ライカンでない限り無理だ」
「あぁ、そうですよね……」
「うん。囮の人死んじゃうし」
それが一番大きい。
死人を出すような作戦は良い作戦とは言えない。どうせ考えるなら、誰も死なずに脱出する方法を考えなくては。
――いや、待てよ……俺は、俺一人なら、もう向こうに渡る手段があるんじゃないのか? 『ミストテレポート』――死ぬ気になれば二十連続くらいはできると思う。
だが、俺一人助かってどうする。何のためにここまで来た。それじゃあ本末転倒だ。俺は、クワルを助けに来たのだ。
「空を飛ぶ……」
呟いてみる。
皆首を振る。さすがにベイフも、この100メートル以上ある川は飛び越えられないらしい。
「水上を走る」
一瞬ドラガンが、「やれるか?」みたいな顔をしたが、クワルが首を振ったのをみて、目を閉じた。
「穴を掘って地面から脱出する」
エイルに、「真面目に考えて」みたいな目で睨まれた。
しかし俺は、今、とても真面目に考えている。これまでやってきたあらゆる試験や面接の時よりも、圧倒的に今の方が真面目だ。
空もダメ、地面もダメ、じゃああと何がある。
『呪泉術』で川に呪いを撒いて、川の猛獣を全部殺してから行くか? いや、ダメだ。結局泳いで渡るのなら、その呪いに、自分たちも殺されてしまう。第一、この川全体に呪いをかけるなんて、とてもじゃないが、スタミナが持たない。
素直に泳いで渡るしかないのか?
あの巨大魚が人間を食べない習性であるのを祈りながら?
いや、あの歯は魚用じゃない。
人間とか、それよりも硬くて強くて大きい獲物を捕らえて、引きちぎるための凶器だ。それがさっきは、ついでで魚を食べただけで――いや待てよ、ついでで魚を食べなければいけないほど、アレは飢えているのか?
「川の水を干上がらせる……気球を飛ばす……水を割って道を作る……」
皆、呆れた目で俺を見る。
クワルは一つ一つ真剣に考えてくれているようだが、自分でもわかっている。どれも無理だ。気球は材料がないし、水を干上がらせるとか、割って道を作るとか、ファンタジーじゃあるまいし。
いやでも、そういうこともできたりするのか? ここ、ファンタジーだし。でも流石に……。
「川に栓とか、あったりします?」
ベイフに訊いてみた。
ベイフは、目を瞑ってゆっくり首を横に振った。
「ええい、倒してしまえば良いだろう! なぜ逃げる事ばかり考える!」
ドラガンの意見である。
答えたのはベイフだった。
「我々にはもう力が残ってない。ブラックナイト一匹相手にしたら、それでおしまいだ」
「軟弱者め! そんなことだから――」
「吠えるなライカン。相手は強大な力を持った魔術師だ。私たちはまだその姿さえ見ていない。地の利もない。分が悪すぎる」
「命を懸けて戦うまで!」
「それならまだ、命懸けで逃げた方が生き残れる」
ベイフの言う通りだと思った。
どう考えても、今の状態でここの主と戦うのは、無謀を通り越して自殺行為――いや、自殺そのものである。自殺だって未遂とかあるのだから、自殺よりも確実な「死」が約束されている。だが相手が相手だ。「死」よりも恐ろしい状態にされてしまうかもしれない。
森の奥にざわめきを感じるようになって来た。
――追手がせまってきている。
もう、川に飛び込むか? いや、しかし……。
皆で覚悟を決めかねていると、何の前触れもなくソレがやってきた。
ぴょこんと、俺の足元に顔を出した――小人。
気づくと周りは、小人だらけになっていた。50匹か、100匹か、とにかくたくさんいて、俺たちに群がってきた。
そして、一つの集団が俺の足元に何かを運んできた。
「「「「あげるー!」」」
そう言って、差し出してくる。
そう言えば、ビチャビチャを倒したらお礼をくれるとか言っていた気がする。律儀な小人たちだ。
「オカリナ?」
それだった。
灰色の、古そうなオカリナである。
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名前 :グラドンのオカリナ
クラス:オカリナ
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名前しか分からない。
小人たちは一生懸命教えてくれた。教えるというよりも、皆好き勝手に、そのオカリナに関する単語を言っているだけだったが(幼稚園の先生はこういう感じなのかもしれない)、それをまとめると、こういうことだった。
〈小人のワルツ〉という曲をこのオカリナで吹くと、グラドンを呼べる、らしい。ちなみにグラドンとは……何だかわからない。小人の守り神的な何かなのだろうか。名前からすると、恐竜っぽい。
しかしこれで、俺たちは救われたのかもしれない。あぁ、神様は乗り越えられる試練しかお与えにならないという事か。
「オカリナ吹ける人!」
オカリナを掲げて皆に訊ねる。
期待を込めて。
ところが、誰も、手を挙げない。
「オカリナ、ふ、吹ける人!」
――いない、だと?
そんな馬鹿な。
じゃあ、このオカリナはイベント的に何だったというんだ!? 小人は、何のために出てきた!? RPGじゃ、小人のお礼が伏線になって、ここを脱出できる、そういうもののはずだろう!?
ちくしょう、考えてみれば〈小人のワルツ〉なんて曲、オカリナが吹けたとしても、知らないから結局駄目じゃないか。
――あぁ、どこまでいってもここは現実だ。
小人もオカリナも、別に俺たちのために存在しているわけじゃない。勇者を助けるために用意された人間、アイテム、イベント――そんなものは、ここにはないのだ。大体俺は、勇者じゃないし。
やっぱり、泳ぐしかないか。
「ベムベムだ!」
「ベムベム!」
「おーい!」
小人が、川に向かって何やら手を振り、声をかけ始めた。
なんだよ、ベムベムって……。
バッシャアアアアアン!
ウボオオオォォアアアアッァァア!
――死ぬ。
そう思った。
目の前に、巨大な水生生物が現れた。
……。
……――。
…………――――。
俺たちは息を止めたまま、その生物を見上げていた。
その生物のあげた水しぶきで全身をびしょびしょに濡らしながら、ぽかんと見上げていた。
巨大なアンコウである。
頭に角が生えている。灰色の皮膚は鱗ではなさそうだ。火山岩のようにざらざらしている。
「ベムベムー!」
「こんいちはー!」
「魚、魚ぁ!」
小人たちは、なぜだかはしゃいでいる。
なんだろう、ペット的な何かなのだろうか。
一方その巨大アンコウ――ベムベムと呼ばれている怪魚は無表情に無反応。いや、当たり前だ。魚が微笑んだりしたら世も末だ。
「……何なのだ、この、魚は」
ドラガンが口を開く。
「我々を喰う気は、ないらしいな」
ベイフがそう言った。
どうやらベイフの言う通りで、襲う気はないらしい。じゃあなぜ出てきたという話だが、ともかく、ベムベムに襲う気があったら、今頃俺たちは、とっくにこの魚の胃袋の仲だったろう。
とりあえずは、セーフ。
クワルが、ベムベムに近づいていった。
がぱあっと、ベムベムが口を開ける。ギザギザの鋭い歯が並んでいる。
「く、クワル、危ないって!」
「大丈夫です」
クワルはそう言って、ベムベムの唇に手を添えた。
ベムベムは、口をがぱあっと開けたまま、じっとしている。
「この子、大人しいですよ」
大人しいと言われても、その図体である。大人しい生物の姿かたちじゃない。人を外見で判断してはいけないというが、これは話が違う。そもそも人じゃない。
だが、確かにベムベムというこの化け物魚は、クワルを喰らうようなそぶりを見せない。
「本当に、大丈夫なのか……?」
恐る恐る、俺も近づいてみる。
ものすごく怖い。動物園の馬やラクダやリャマですら、近づくのを躊躇う俺だ。ダチョウ園では、最後までダチョウに触れられなかった。あの嘴が怖かった。
それが何――全長20メートルは優に超える、安全など全く約束されていない、得体のしれない巨大魚だ。
怖くないわけがなかった。
それでも近づくのは、俺も少し、覚悟を決めているからだ。今この瞬間、この魚が大人しいかどうかということは、まさに生き死にに関わる重要な問題なのだ。
――触ってみた。
唇は、ぺったりしていた。
撫でる。
相変わらずベムベムは、がぱあっと口を開けている。なんて間抜けな顔なのだろう。
「だ、大丈夫、なのか?」
ベイフが訊いてくる。
俺は、小刻みに頷いた。
「この魚に乗って行くっていうのはどうですかね?」
クワルが無邪気にそんなことを言った。
「そんなの無理に――」
言いかけて、俺は言葉をしまった。
無理に決まっている? どうしてそう思う。ここはもう、常識の世界じゃないのだ。イルカやシャチに乗ることができるのなら、それと同じように、この魚にも乗ることができるんじゃないのか?
「やっぱり、ダメですかね?」
「いや……それでいこう」
他に方法がない。
「正気か……」
「この俺に、魚に乗れと言うのか!」
「嘘でしょ……」
三者三様、いい反応をしてくれる。
だが、本当にもう、これしかないのだ。
そしてこれが、案外最善の方法なのかもしれない。
クワルは、エイルのリュックからロープを取り出し、それで皆を縛りつけ、最後にベムベムの角に、縄を結んだ。縄を結び終えたクワルが、ベムベムの頭の上から両手を振っている。
「大丈夫です、気持ちいいですよ!」
もう後には引けない。
皆同じ気持ちである。
生きる希望のためではない。死なないために命を投げ出しているのだ。
ベムベムの頭の上から見る景色は、確かに気持ち良かった。
森を一望できる。
あの中には、今まさに俺たちを追いかけているブラックナイトとかキメラがいるに違いない。
だがざまぁみろ、俺たちの方が一足早かった。
俺たちの勝ち――。
「ベムベム! お願いします!」
クワルが言った。
――瞬間、俺の意識はそこで途切れた。ごぼごぼと、泡の音がした。




