66 逃走中
「グリム様! ここです、クワルはここにいます!」
叫ぶ。
間違いない、このに匂いは、グリム様の香りだ!
クワルは、小さな体の底から、ありったけの声を振り絞った。
「黙れライカン!」
拘束されて無防備な腹に、魔術師の蹴りが入る。
うっ、とクワルは息をつめた。
「グリム様ぁぁぁっ!」
「黙れと言っている!」
ゲシ、ゲシ、バシ――。
殴る蹴るの暴行が加えられる。
「はぁはぁ……」
「クワル様あぁぁ、ここですううう!!」
「お前、もう黙れ!」
「クワル様ぁぁ!」
「黙ってくれよぉ!」
殴っている魔術師の方が息切れを起こしていた。
クワル、魔術師の物理攻撃などはほとんど効いていなかった。
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ぎゃーーーっと、いかにも痛そうな悲鳴が上がる。
全力の『デボートキュア』はさぞかし痛いだろう。例えささくれや深爪、軽い靴ズレや擦り傷であっても、『デボートキュア』はそれを、10秒あれば急性虫垂炎以上の痛みにできる。
そして人間というのは、体のどこかに傷の一つくらいは作っているものである。
蹲り、のた打ち回る魔術師。
火や氷の矢を『ミストテレポート』で避けながら、クワルの声を頼りに進む。さっきからずっと、俺の名前を呼んでいる。
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「なんて男だ」
ベイフは、解き放たれたキメラと戦っていた。その後ろにエイルが控える。
グリムは、一人敵陣に突っ込んだ形である。グリムの特攻は、ベイフから見ても、命知らずな無謀であった。
「エイル、いつでも逃げられるようにしておけよ」
「わかってる」
ベイフが言うのに、エイルは応えた。
ベイフは彼女の言葉に、いつものエイルにはない「焦り」を聞き取っていた。エイルの集中力も、いつもより散漫になっている。ベイフは、彼女の視線が、自分を通り過ぎて、その奥を見つめているのを感じていた。
「エイル、後ろにもいるぞ!」
エイルは言葉に反応してくるりと振り向き、魔術師の『ファイヤーアロー』を『マジックバリア』で受け止めた。すぐにベイフが、その魔術師に『ホーリーアロー』を放ち、沈黙させる。
そして再び、プロトキメラと対峙する。
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「グリム様!」
「クワル!」
見つけた。
檻の中で枷を嵌められている。その隣には、袋をかぶせられたままの、毛むくじゃらの大男――ドラガン将軍だ。
檻の中には、魔術師が一人。
「動くな、動けばこいつが――いたたたっぁああ!! あぁあああ!」
俺の魔法は初動が表面に出ない。
『デボートキュア』によって、檻の中の魔術師は、膝を抱えて悲鳴を上げた。血が、黒い石の床に流れ落ちる。膝を擦りむいていたかしたのだろう。
檻は開いていた。
中に入って、クワルの枷をグラシエクレルで壊してゆく。
「グリム様、グリム様ぁ……」
クワルは、目に涙を一杯に浮かべて、手が自由になると、ひしと抱き着いてきた。
怖い思いをしたのだろう。
そりゃあそうだ、こんな気味の悪い場所に連れてこられただけでも不安だろうに、周りにいるのが、頭巾をかぶって生物を改造するような悪趣味な変態ときている。
クワルの枷を全て怖し、続いてドラガン将軍を自由にする。
頭にかぶせられた袋を取ると、そこにあったのは、疲れ切ってやつれたドラガンの顔だった。
「話は後だ。今は、逃げよう」
「はい!」
「待て! 武器をよこせ!」
ドラガンが喚いた。
当然躊躇する。
「逃げるためだ。こんな所で襲わん!」
ドラガンの言葉を信じることにして、グラシエクレルを渡す。
将軍は武器を持つと、檻の外からやってきた魔術師を、早速その矛先で貫いた。その力強さは、流石ライカンといったところだろう。
魔術師は自分の血だまりに崩れ落ちた。もう助からないだろう。というか、即死だったかもしれない。だが今は、そこに何か感情を挟んでいる余裕はない。
檻を出た時、通路の奥からブラックナイトがやってくるのが見えた。
一匹や二匹ではない。
十体はいる。
「曲者めっ!」
「将軍、逃げるぞ!」
「逃げる? 馬鹿を言え! この屈辱を晴らさずに、おめおめと逃げ帰れるか!」
ドラガン将軍は、やはり武人なのだろう。
鉾――グラシエクレルを構え、仁王立ちで、駆けてくるブラックナイトを睨み据えた。
「将軍!」
「黙れ!」
「ライカンは、命の恩を仇で返すのか!」
「な、なんだとっ! 奴らを倒すのが仇だというのか!」
「そうだよ! 今は俺のいう事を聞いてくれ!」
「くっ……」
「将軍!」
「ええい、腑に落ちぬ!」
言いながら、ドラガンは従ってくれた。
ドラガンもクワルも、拘束されていたというのに、驚くほど元気だった。クワルは武器を持っていないが、混戦になれば、魔術師など武器無しで倒してしまうし、ドラガンはドラガンで、すっかりグラシエクレルを使いこなしていた。
「戻ったか……」
ベイフは、俺たちを驚きつつ迎えた。
クワルとベイフは初対面であるが、ベイフとドラガンは――。
「貴様ぁ!」
ドラガンが、グラシエクレルの『ファイヤーライトニング』をベイフに放った。ベイフの『ホーリーオーラ』がそれを減衰させ、残った分は、メイスで受け止めた。
「あぁもう、頼むから今仲間割れをするのはやめてくれ!」
「仲間だと!? ふざけるな! この男が、俺をっ……!」
「将軍、状況が変わった。今は敵同士じゃない」
「ふざけるな!」
ドラガン将軍が、ベイフに飛び掛かる。
矛の一撃をメイスで逸らし、ベイフも反撃する。プロトキメラが襲い掛かってくる。
「この状況を理解できないか、ライカン」
「貴様は俺の宿敵だ! 生涯、仲間になることはない!」
「やめろって! やるならここを出てからにしてくれ!」
もう滅茶苦茶だ。
ドラガンは完全に頭に血が上っているし、ベイフはベイフで、「そっちがその気なら」という感じだし――本当に救えない。二人とも大人げなさすぎる。
「ベイフ!」
「わかってる!」
エイルに怒られて、ベイフはやっと、出口に向かって廊下を走った。
「待て貴様、逃げる気か!」
ドラガンが、ベイフの背中を追いかける。
その後ろに、俺とクワルとエイルが続く。
――来た道を戻る。
小部屋に駆け戻り、ベイフもドラガンも、躊躇いなく穴から飛び降りていった。
そして、クワルも。
俺とエイルは、穴の前で立ち止まり、顔を見合わせた。
「グリム様! 下の魔物は、私が何とかします!」
なんと心強い。
だが、暗い空間に飛び降りるということそのものが怖いのだ。魔物がいようがいまいが、心の準備が必要になる。
ちなみに、ベイフとドラガンはリアル鬼ごっこをしているため、クワルのように、下の部屋で待ってくれてはいない。ベイフが光の魔法で照らしてくれていれば良かったのにと思う。
どたばたと足音が近づいてくる。
今にも扉を蹴破って、ブラックナイトが襲ってきそうだ。
「飛べる?」
「無理」
無理か……。
だが、初めてエイルと言葉のやり取りをした。
ちょっと嬉しい。だが、本当に今は、それどころではない。
――穴を覗く。
真っ暗で何も見えない。
もう一度、俺とエイルは顔を見合わせた。
――ばたあんと、背後の扉が開いた。
三体の黒い鎧が視界に飛び込んでくる。
――次の瞬間、エイルが穴から飛び降りた。
「おっ、ちょっ……! エイル!」
俺は咄嗟に『ミストテレポート』をしていた。
暗闇の中でエイルの気配を探し、掴む。引き寄せる。
そして――。
スチャ……。
エイルをお姫様抱っこした状態で、上手く着地していた。なんという奇跡。これが体操競技なら「テン、テン、テン……」と、最高得点が並んだことだろう。
いや、自惚れている場合ではない。
暗闇の中、エイルと目があう。
わずかセンチメートルの至近距離。
「……」
「……」
エイルは、俺の首に回していた手を解いた。
俺は、エイルの足を地面に降ろす。
「グリム様! 急ぎましょう!」
クワルはエイルと俺の手を掴んで走った。
あとから、ガシャーンと、すごい音がしてきた。ブラックナイトが、飛び降りたのだろう。無茶をしやがる……。
出口に続く一本道をひたすら走る。
「待て、貴様ぁ!」
「いい加減にしろよライカン、今は戦っている場合じゃない!」
「黙れ黙れ! その首、ねじ切ってやる!」
「馬鹿め!」
「なんだと貴様ぁ!」
前の方から、そんなやり取りが聞こえてくる。
ドラガンとベイフの鬼ごっこは継続中らしい。
エイルはメイスを掲げ、聖火ランナーのように走った。思えば、エイルはずっと魔法を使いっぱなしである。
「はぁ、はぁ……」
エイルの息が上がっている。
少しでも彼女の負担を減らすことはできないだろうか。
――そうだ、『HPポワード』というのを使えた。自分のHP――体力とか生命力とか、実は詳しく知らないが、それを、人に分け与える魔法だ。
俺は、エイルの後ろから、その小さな背中に手をかざした。
赤い粒が、俺の掌からエイルに移動してゆく。
これで少しはマシになっただろうか。
エイルの表情は見えない。
代わりに、走る速度が上がった。
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ついに、アンモナイトの出口から脱出した。
腐葉土の上に着地する。
曇り空だったが、その曇りの光さえ眩しかった。土の上に出たモグラはこんな気分なのだろうか。
――それはともかくとして。
ベイフとドラガンがいない。
今度はかくれんぼか? 付き合ってられるか。とにかく今は、ここから離れよう。森を出て、川を渡ればこっちの勝ちだ。
森に入って最初の10分は、かなり速く走った。その後は流石に疲れて、歩き始める。二時間ほど歩いたところで、一度休むことにした。
「自己紹介がまだでした!」
クワルはそう言うと、エイルに自己紹介をし始めた。
「私はクワルと言います! 西部ライカンの伝令をしていました! 今は、グリム様の僕――じゃなくて、奴隷……じゃなくてええと――」
エイルの目が怖い。
頼むからクワル、そういう言い間違いはしないでほしい。
「――そう、付き人です! グリム様の付き人をやっています!」
そう、それでいい。
しかし残念ながら、エイルは俺についての誤解を、もう解く気はないらしい。
目が、冷たい。
「彼女は――」
「エイル」
驚いた。
エイルが自分から名乗るとは思わなかった。さすがに相手がクワルだと、鋼鉄の女の心も動くのか。
――そしてどうして、そこで俺を睨むのか。
「エイル様、ありがとうございます。助けてくれて」
「……私の言いだしたことじゃないから」
「でも、ありがとうございます」
にっこりと、無邪気な笑顔。
これにやられるんだよ。
一瞬、エイルの表情が綻んだ。クワルを見つめる眼差しが優しい。そんな、そんな顔もできるのか。ずっとそれでお願いします。
と、クワルは、俺に向き直った。
しゅんと耳を垂れて、縮こまる。
「私は……クワルはまた、グリム様に迷惑をかけてしまいました……」
「お互い様だ。俺は俺で弱かったし、どっちも命がけだった――」
「でも……」
クワルは、ぽろぽろと涙を流した。
「ごめんなさい……」
いたたまれなくなって、俺はそんなクワルを引き寄せて、頭を撫でた。ぽかぽかして、本当に良い撫で心地だ。最近撫でていなかったから、余計に可愛く感じる。
「どうでもいいよ。こうしてまた会えて、本当に良かった」
「グリム様ぁ……」
ぎゅっと抱き着かれる。
エイルは、いつの間にか、いつものポーカーフェイスに戻っていた。感情の無い目で俺たちを見つめている。一体何を考えているのか、分からない。
短い休憩を終え、俺たちは歩き出した。
相変わらずプロトキメラはうろついていたが、それは全部、クワルが倒した。素手でもクワルは、充分強かった。名誉挽回を期して、出るキメラ出るキメラ一瞬で倒していった。
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やがて、クワルが川の匂いを捕まえた。
クワルを先頭にしばらく歩いてゆくと、川岸に辿り着いた。
クワルは嬉しそうな表情を俺に見せ、エイルですら、ほっと溜息をついていた。だが俺は、到底そんな気持ちにはなれなかった。
安心どころか、差し迫った危険を予感していた。
それは、『プレシーブセンス』によるところではない。
まず、大きな問題がある。
船がない。
船がない以上、泳いで渡るしかない。この川がただの川なら良い。日本にあるような川なら、多少底が深くても、その辺の倒木を浮かべて、それに捕まって行けば、いつかは向こう岸に着く。
だが、ここは日本ではない。
水は綺麗だが、この川にワニ的生物がいないと誰が保証できようか。ここはファンタジーの世界――しかもわけのわからない研究所の近くだということを加味すると、「安全だ」などと思う方がどうかしている。
十中八九、変な生物がいると考えて良いだろう。
しかし辛いのは、だからといって、泳いで渡る以外の方法がないということだ。
だから、どんなに考えても、やっぱり泳いで渡るしかない。
要するに――まだ全然、助かっていないのだ。
むしろここからが、一番危険なのだ。
そして二つ目の問題は――ベイフとドラガン、二人がいないことだ。
しかしこれも、探し回っている時間はない。
もう岸に出てしまった。
渡るなら、日が暮れる前だ。それまでに、川を渡り切らないといけない。
すでに太陽は、一番高い所から降りてきている。
「あの二人は、マジでもう……」
その時、クワルが岸辺に何かを発見した。
「人が、倒れています!」




