64 ビチャビチャ
やっぱり寝不足だった。
何事も気合いだ、気合で何とかなる――わけがない。眠い物は眠いし、怠い身体は、気合を入れたって怠いものなのだ。――肩の小人のテンションがどんなに高かったとしても、辛いものなのだ。
朝から二時間以上歩いた。
散歩というには命がけすぎる。
歩き始めてから、もうすでに20匹以上のプロトキメラが襲い掛かってきていた。ベイフの魔法で一発だとしても、わかっていても、怖いものだ。剥き出しの敵意や殺意は、それを向けられただけで気が滅入る。
何度か斜面を登って、何度か斜面を降りた後、得体のしれない建造物が現れた。
アンモナイトのような形をした、石造か鉄造かよくわからない、高さ十メートルはあろうかというソレ。表面は苔と弦に薄く覆われている。
近づくと、この森に入ってから一番の悪寒に襲われた。
怠かった体が、急にしゃんとなる。
大量の、そして無秩序な体をしたプロトキメラが、アンモナイトの口にあたる部分から出てきた。飛ぶもの、這うもの、ぼとりと落ちるもの、有象無象の「残骸」たち。
手を掲げる。黒い灯が宿る。
『デボートキュア』――効かない。あんなに傷だらけなのに。傷というか、どこからどこまでがその正しい造形で、どこからどこまでが傷や怪我なのか、判断できない。
頭蓋を割られたような、明らかに脳みそが見えていたり、肌がなくて筋肉繊維が脈打っていたりする魔物がいるが、これはつまり――怪我ではなくそういう形だということなのか?
「やれやれー!」
小人たち、大はしゃぎである。
ベイフの白い魔法が戦場を貫く。相手がプロトキメラであっても、ベイフの戦闘は美しく、見応えがある。ずっと見て居たいものだが、ベイフだけに任せるわけにもいかない。
『ダークバインド』。
視界にいる全てのプロトキメラの動きを封じる。『ダークネス・カース』が『Ⅱ』になるまで拘束して、『Ⅱ』になったら解除する。
呪いを受けたプロトキメラは充分に動けず、ベイフに倒されるか、さもなければ呪いの進行度が『Ⅲ』、そして『Ⅳ』へと進んでゆき、死んでいった。
(レベルが52から53に上がりました)
悪寒は静まらない。
どころか、本能が危険信号を出し始めた。
アンモナイトの入り口から、赤い液体が流れ出し、どろっと地面に零れた。生臭い匂い。魚介類の腐臭とチーズの匂いを足して更に濃くしたような、最悪の悪臭だ。
「エイル、下がっていろ!」
鼻で息をするのをやめたベイフが、詰まった声でそう言った。エイルはそれに従い、顔を袖で隠しながら移動した。小人たちも、エイルの近くに集まった。
入り口から、腕が出てきた。
続いて体が。そして全体が――。
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名前 :ビチャビチャ
クラス:ηキメラ
Lv:1/1
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「ビチャビチャだ」
小人達がその魔物を指さして、口々に言った。
そいつは、ダイオウイカのマンモスと巨大なイソギンチャクをかけ合わせたような、滅茶苦茶な外見をしたキメラだった。ぬめっとした青白い皮膚は、腐臭のする赤い粘液でコーティングされている。
――戦いたくない。
生理的に、無理な相手だ。本当なら、俺はここで逃げ出していたことだろう。しかし、クワルの命が掛かっている。逃げるわけにはいかない。
とてつもなく逃げたいが、殺るしかない。
ベイフが仕掛けた。
アローとスフィア、そして『ホーリーライトニング』。
流石、迷いがない。
「ぶおおおおごぼごぼごぼ!」
ビチャビチャの肩から生えたイカの触手がベイフを襲った。
ベイフはそれを潜るように躱し、再度『ホーリーライトニング』を放つ。ビチャビチャは、背中や膝から出た触手を、ベイフに伸ばした。
――させるか。
触手を『ダークバインド』で止める。
さすがにこのクラスになると、全て供血魔法での攻撃になる。そうしないと、大した効果が得られないのだ。
『ホーリーライトニング』、そして『コルムライトニング』。
凄まじい白光に目を背ける。
ベイフは、瞬きもせずに、ビチャビチャを睨みつけている。その背中に、熟練の魔術師を感じる。ただ力が強いだけじゃない、本物の魔術師だ。
ところが、ベイフが急に倒れた。
片膝をついて、辛うじてその場にとどまる。
ビチャビチャが触手を掲げ、ベイフに振り下ろす。
『ダークバインド』で動きを封じる。
同時に『ダークアロー』を放つ。
エイルが後方から飛び出してきて、ベイフのもとに駆け付けた。ベイフは、呪毒を受けていた。
あの液体だ。
ビチャビチャの身体からまき散らされるあの赤い粘液には、呪毒が含まれている。呪毒――毒のような作用を及ぼす呪いの事である。恐らく、触手を避けた時に飛び散った粘液が、肌に触れたのだろう。
エイルが治療を施している間は、俺とビチャビチャの一対一だ。
果たして、持ちこたえることができるだろうか。
別に、倒してしまっても構わんのだろう、なんて言えるようになりたいが、果たしてこいつ、倒せるだろうか。
無論俺も、足止めや時間稼ぎが目的でビチャビチャと戦うわけじゃない。
なにしろ俺は黒魔術師、【ダークメイジ】だ。その力を、俺がうまく引き出せば、必ず勝てる。大陸を挙げて狩られるくらいの危険な底力が、必ず眠っているはずだ。
『ダークバインド』でビチャビチャの動きを制限したまま、『ダークアロー』を放つ。黒い矢は、ぬめぬめした体液に防がれ、なかなかその体に突き刺さらない。
あの体液が問題だ。
あの体液さえどうにかなれば――。
ビチャビチャが、触手の一本を俺に伸ばしてきた。
『ダークバインド』でも、ビチャビチャの動きを完全に封じることはできない。その伸ばしてきた触手を俺は――掴んだ。
「ダメっ!」
エイルが俺に叫んだ。
ビチャビチャが、ごぼごぼ吠えた。勝利を確信したのだろうか。
焼けるような痛みが、触手に触れた手のひらから広がってゆく。
だが俺は、離さない。
(パッシブスキル「『呪い耐性』のレベルが1から2へと上がりました」
別にそれを狙ったわけじゃない。
俺が狙ったのは――。
「何してるの! 早く手を放して!」
エイルが再び俺に言った。
ヒーラーからしたら、俺の行動は迷惑でしかないだろう。どうやらビチャビチャの粘液の呪毒は、簡単に解呪できるようなものではなさそうだ。
解呪が間に合わず、下手をすればこのまま全滅ということもありえる。――そこまでは考えなかった。ある作戦が閃いて、思わずこれを実行してしまったのだ。
――だが、上手くいきそうだ。
「ごぼぼぼごごごごご! ごぼあああ!」
ビチャビチャが叫んだ。
触手を引っ込めようとする。
だが俺はそれを許さない。『ダークバインド』でさらに動きを封じる。触手を、ぎゅっと掴む。ビチャビチャがさらに叫ぶ。
「……え?」
エイルもそこで、俺とビチャビチャの立場が変わったのに気づいたようだ。
ビチャビチャは、俺から逃げようとしている。俺はそれを離さない。
ビチャビチャの身体の表面変色し、パイ生地のように、ぱりぱりと崩れ始めた。
触手を掴み、動きを封じたまま『ダークアロー』。
今度は、体に突き刺さった。
赤い粘液は黒に変色し、どんどん乾いてゆく。粘液の乾いた場所は、ぱりぱりと壊死してゆく。
ビチャビチャはきっと(脳みそがあったならば)、毒や呪いは自分の専売特許だと思っていたのだろう。だが俺も、いうなればそれの専門職だ。
ビチャビチャの防御の要であり、攻撃の要であり、そして(これは知らなかったことだが)生命維持装置でもあった赤い粘液に、俺は『呪泉術』をかけた。粘液は確かに強力な呪毒を持っているようだったが、その粘液自体は、他の呪いに対する耐性がなかった。
俺もビチャビチャの呪毒を受けた。
だが俺も、ただ受けただけではない。『インフェクトカース』で、ビチャビチャ自身にもそれを返してやった。粘液を失ったビチャビチャは、自分の呪毒に対する抵抗を持たなかった。
そして、さらに『オーバーヒール』をかけた。
ずっと使っていなかったスキルである。なぜ使っていなかったかと言えば、このスキルの効果が、エグすぎるからだ。傷を悪化させるというところは『デボートキュア』と似ているが、『オーバーヒール』は、生物の治癒能力を破壊する。その結果傷が悪化するのだが、本質は『デボートキュア』とは全く違う。
だいぶ体力を使うが、相手によっては切り札になると、頭の片隅にそんなことを考えていた。
ビチャビチャは、『オーバーヒール』によって、粘液の分泌という自己回復の力をも制限され、もはや成す術がなかった。ビチャビチャはどうすることもできず、やがて前のめりに倒れ、そのまま絶命した。
(レベルが53から55に上がりました)
我ながら、やっぱりエグいと思う。
俺は、ビチャビチャの呪毒で左手にちょっとした痺れを覚えていたが、、命を落とすほどの重症ではなかった。ベイフの治療を終えたエイルは、今度は俺の方に来てくれた。
ものすごく、睨まれた。
睨まれながら、『ディスペル』、そして『キュア』で治療してくれた。
痺れが、すうっと消えてゆく。
「あ、ありがとう」
エイルの視線は、やっぱり冷たい。
黒魔術がお気に召さなかったのだろうか?
だが俺はもう、黒魔術を隠す気はない。隠しながらでも何とかなるような場所じゃないことは、この森に入る前から感じていた。断罪するならすれば良い。全てが終わった後、煮るなり焼くなりすれば良い。
もっとも、彼女が俺を、黒魔術師と見抜いたかどうかはわからない。不用心にビチャビチャの触手に触れたことを、単純に怒っているだけかもしれない。
「助かった」
ベイフに礼を言われた。
だが俺は分かっている。ベイフまだは、本気を出していない。いや、本気には変わりなかったが、死に物狂いの全力ではなかった。きっとまだ、切り札の一つや二つ、残している。
俺がいなければいないで、ビチャビチャを倒していたに違いない。ベイフの余裕は、呪毒を受けて死にそうだった人間のそれじゃない。
ビチャビチャは息絶え、その死体は、普通の魔物と同じように風化して消えていった。刃のかけた剣だとか、鎖のちぎれたロケットペンダントだとか、そんなガラクタばかりが、ビチャビチャの風化した地面に散らばっていた。
結晶魔石も落ち、それはなかなか立派なものだった。
小人たちは、ガラクタの中に駆けて行き、そして、ある物を取り囲むと、飲めや歌えやの大騒ぎを始めた。
小人たちの見つけたもの、それは――種だった。
淡いピンク色をした、勾玉のような形の種。『アナライズサイト』で、それが『精命樹の種』だと分かった。名前しかわからないが、それは小人にとって、とても大事なものだったらしい。ビチャビチャが取り込んでいたのだろう。
小人たちはそれを囲んで、わっしょいわっしょいやっている。
「あそこから、施設の中に入れるかもしれない」
ベイフが指さした。
大量のプロトキメラと、そして、ビチャビチャが出てきた大きな穴である。
虎穴に入らずんばというが、ビチャビチャの出てきた穴に入ってゆくというのは、考えただけで、精神力を削り取られる。
しかし――望むところだ、とすぐに思い直した。
自分ではそのつもりはないが、自棄になっているのかもしれない。
恐怖はない。
あるとすればそれは、クワルを失う恐怖である。
想像してしまうのだ――クワルが薬づけにされて、体にも心にも修復できないほどの傷を受け、歪な化け物となった姿を。
「行きましょう」
俺はベイフを待たず、穴に向かった。




