63 ジューガの森
岸辺に降ると、小船はすぐに引き返していった。
船は、夕闇に紛れてゆき、やがて降りてきた夜の帳に沈んでいった。
エイルとベイフがメイスを掲げた。
白い光が丸く俺たちを照らした。『サンランタン』という魔法であるらしい。その光は、自分たちに害をなすものには見えないという。ベイフが、俺の不安を察して教えてくれた。
――この森には、害をなす存在がいる。
船を降りた瞬間、俺はその気配を感じていた。きっと、ベイフも感じている。恐らく、エイルも。
何がいるのかわからないが……本当に一体、何がいるのだろうか。
ひっそりと進む。
不気味なのは、その静けさだ。
虫が鳴かない。梟や夜行性の鳥の声が全く聞こえない。風すら止まっている。木々は鬱蒼と生い茂っているが、この森は、本当に生きているのだろうか。
先頭を行くベイフ。
俺とエイルが横並びでそれに続く。
――何かが来た。正面からだ。
息遣いと足音が聞こえてくるような気がした。
「早速お出ましだ」
ベイフが言った。
メイスの光が、懐中電灯の様に正面を照らす。
――いた。
化け物だ。片腕だけが膨れ上がり、巨人の様になった人間――いや、魔物だ。下半身が蜘蛛、上半身が人間のような魔物もいる。
両方とも名前は『プロトキメラ』、レベルは1/1。
ベイフの『ホーリーアロー』が二匹を貫き、二匹は細い叫びをあげて絶命した。
「これが、ここで行われている研究だ。彼らはその……残骸だ」
エイルが息を吐いた。
流石のエイルも、そりゃあ息ぐらい吐くだろう。屍を操って悦に浸っているネクロマンサーも大概だと思ったが、ここでやっていることは、もっと残酷なことのような気がする。
さらに進む。
プロトタイプの、できそこないのキメラたちが10分置きくらいに襲ってきた。どのキメラも弱かった。ベイフの『ホーリーアロー』を、二発と耐えられない。
そんな「残骸」が、この森には溢れているのかもしれない。
「休憩にしよう」
ベイフが言った。
俺はじっとりと汗をかき、息を切らしている。俺の疲労を見て、ベイフは休憩を決断したのだろう。ベイフは全く疲れている様子はないし、エイルも、俺よりは随分マシだ。情けない話である。
ベイフとエイルは、聖水の入った小瓶を地面にいくつか置いて、結界を作った。
魔法で火を起こし、スープを作る。
全て、ベイフとエイルがやってくれた。
俺は、とことん無力だった。
軽い食事を摂った後、仮眠をとることになった。
二人が寝て、一人が番をする。
二時間ずつの交代制で一周すると、それぞれが四時間眠れる。最初の番は俺、二番目はベイフ、そして最後はエイルということになった。
結界の力なのだろう、薄っすらと魔物の気配はあるのだが、それが襲ってくるこがないまま、俺の番は終わった。ベイフと番を交代して、寝袋に包まる。
目を閉じるとすぐに、こんな環境でもすぐに、眠気はやってきた。
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目が覚めた。
暑くもないのに、嫌な汗が体にこびりついている。
寝袋の隙間からあたりを見ると、エイルが木の幹に座っているのが見えた。まだ森は真っ暗だが、結界の中は、目に優しい微かな白い光に包まれている。
蛍のように浮かぶ小さな光の粒。
エイルの横顔は、今は優しいような気がした。
――まぁ、眠いだけかもしれないが。
いつもの俺なら二度寝、三度寝待ったなしなのだが、今は、もうこれ以上眠れる気がしなかった。この寝覚めの良さは、『プレシーブセンス』によるものなのだろう。
今まさに危機が、というほどの差し迫った危険は感じないが、眠りこけていられるほど、安全でもない。
「代わるよ」
エイルに声をかける。
エイルは、俺を見上げた。睨みつけられたようで、俺は固まってしまった。
「――俺はもう充分寝たから」
「……」
なんなんだよ。
なんで睨みつけるんだよ。何か悪いことしたか? というか、明らかに年下なのに、なんで俺は怖気づいてるんだ。
さっと、エイルは立ち上がった。
ビクッとしてしまった。
エイルは寝袋に入って、紐を締めた。
「……パントマイマーかよ」
全て無言。
まぁ、ここでぎゃーぎゃー騒がれるよりは良いが――。
パキン、と枝の折れる音が聞こえた。
パキン、パキンと、不自然な間隔で響く折れ枝の音。動物……ではなさそうだ。この森には動物がいるかどうかも疑わしい。やはり、キメラだろう。
こんな、富士の樹海よりも恐ろし気な森で一夜を明かすなんて、どうかしている。大学時代、仲間とつるんで心霊スポットに特攻していた頃の俺がまともに思えてしまう。
パキン、パキン。
ギチギチギチ、ギチギチギチ。
カカカカカカッ――。
何の音だよ!
気が狂いそうだよ!
この暗闇の中に何がいるんだよ、どんだけいるんだよ。エイルもベイフも寝てるし。エイルなんて、寝るのに全然躊躇いがなかったし。まぁそのクールビューティーさが彼女の売りなのだろう。
深呼吸、深呼吸。
大丈夫、お化けなんてないさ、お化けなんて嘘さ。いるのはキメラだ。だがそのキメラというやつは、ゾンビよりも不気味な魔物だ。得体が知れない。
『あーあー……』
何か声が、かすかに聞こえてきた。
『てす……てす……』
何だ?
『えー、ほんじつは、ははれのちくもり、ところによりあめ、ええー、ひょう、らくらいにもちゅういしてください、ゆうがたにはとっぷうのおそれもあり、たつまきにもけいかいを――』
子供っぽい声だ。
そして、なぜ天気予報?
ともかく、これはやはり、神様的な存在だろうか? しかし、それとは違うような気もする。
「どなた、ですか?」
『おぉ!』
『届いた、届いた!』
『聞こえたんだ!』
やたらと喜ばれた。
甲高い、おもちゃみたいな声である。
――と、手のひらに何かが乗っかった。見ると、小さな赤い実である。
『食べて、食べて』
「え……」
『食べて、食べて』
『お願い』
邪気の無い声。
ものすごく怖かったが、口に入れてみた。カリッと噛むと、シャーベットの様に消えていった。
「おーい、おーい!」
足元で声がした。
さっきまで心に入ってきていた声と同じ声だ。
下を見ると――小人がいた。
小人が、ざっと20人か30人ほどいて、俺の足の前で、ぴょんぴょん飛び跳ねている。
「え? 何!?」
思わず声を上げる。
何の脈絡もなく、突然足元に小人がいたら、誰だって驚くだろう。
「わぁ、こっち向いた!」
「いぇーい、いぇーい!」
「魔法使いだ、魔法使いだ!」
やたらとテンションの高い、小人たち。
この世界なら小人くらいいるだろうと思っていたが、こうして実際に遭遇してみると――夢のような心地である。
「ええと……あの、こんにちは」
「こんにちはー!」
「ちゃーちゃ!」
「こんばんはー!」
大合唱である。
こんなに喜んでもらえると、こっちまで嬉しくなってくる。
わけがわからない。
「僕テリー!」
「僕ドリー!」
「私ネーネ!」
「俺はドット!」
各々、一気に名乗り始める。
覚えられるか。
「ええと、ああ、はい、俺はグリムです」
「「「「グリム!」」」」
そんな嬉しそうに俺の名前を呼ぶな!
恥ずかしいだろう!
そして、君たちは俺で登山をするな! 脚をどうして登ってくる!
「あの、ええぇ……? な、何の用、なのかな?」
「ビチャビチャを倒してほしいんだよ!」
「び、びちゃびちゃ?」
「魔物なんだよ!」
「だよぉ?」
だよぉ、と言われてもなぁ。
「退治してくれたらいいものあげる!」
「あげゆー!」
俺の身体にわらわら集り始めた小人たち。
まるで子供だ。中には老人の小人もいるのに、やっていることが、まるで子供だ。いや、やっていることの意味が分からない。なぜ登る。
その、ビチャビチャなる魔物を倒してあげたい気持ちはあるが、いかんせん、情報が曖昧すぎる。聞いても「大きい」とか、「赤いの吐いてる」とか、「怖い」とか、「変なの」とか……情報らしい情報をくれない。
「それ、どこにいるの?」
「あっちー」
と、暗闇の中を指さす数人の小人。
なんだよそれ。大雑把すぎるよ。「あっちー」ってさ……。しかも二人くらい、全然違う方向指さして、慌てて皆に合わせたぞ。大丈夫か? いや、ダメであろう。
「今はそれどころじゃないんだ」
「どうしたのー?」
「う、うん……と、友達がね、連れていかれちゃって」
「どこにー?」
「だれにー?」
「……ここの、キメラを造ってる黒装束の人たちに」
「うわぁ」
小人たち、大きく口を開けて「それは大変だ」というような、大袈裟な動きをした。一体何なんだ、このファンタジックな生き物は。
「どこにいるか知ってるー」
「知ってる!?」
「入り口知ってるー」
「知ってる、知ってるー!」
「どこ!?」
「あっちー!」
ずこぉっと、ずっこける、心が。
小人たちは、本当に知っているのだろう。でも、その伝え方が良くない。俺にはよくわからない。指さされてもなぁ……。
「ビチャビチャが守ってるー!」
「え? 入り口を?」
「そうだよ」
これは、今までで一番有益な情報だ。
施設に入るための入り口を、魔物が守っている。
「場所は!?」
「「「あっちー!」」」
「だよね、知ってたよ」
とはいえ、意外と、指さす方を何となく歩いていったら、そこに辿り着けるのかもしれない。ベイフとエイルが起きたら、早速相談してみよう。
小人が出てきてそう言いましたって――。
「信じてもらえるかな……」
何寝ぼけてるの? とか、エイルに言われたら、二度と立ち直れないような気がする。あるいは、逆に興奮して勃ち――ダメだ、冷静な思考が保てない。俺は、もうちょっとちゃんとした男だったはずだ。
少なくとも、TPOを弁えられるほどには。まぁ、その頭文字の指す英語が何なのかは知らないのだが……。
「小人?」
突然声がして振り向くと、エイルがいつの間にか起きていて、寝袋の中からこっちを見ていた。
「どうして、小人?」
「さ、さぁ……」
エイルと交わす、初めての会話らしい会話に、ちょっとした感動を覚える。
エイルは寝袋から出て、切り株に座った。そして、じっとこっちを見つめてくる。なんだろう、小人とじゃれあっているのが羨ましいのだろうか? こっちの切り株においでと言いたいが、断られるのが怖くて言えない。
「あの、小人さん、あっちのきれいなお姉さんのほうにいってきてもいいんだよ?」
小声でそんなことを言ってみる。
小人は、聞いているようできいていない。この小人たちは、TPOを弁えないようだ。くそう、この状況、俺の気まずさ、わからないだろうか。彼女は女王で、俺は下僕なのだ。このパーティーのヒエラルキーを察してくれ。
「小人さんね、俺を登るよりも、あっちの方が面白いよ。山も多いよ。まぁ、まだ休火山っぽいけどさ」
小人の一人が、トテテテテと、エイルの足元に駆けて行った。別に、俺の言葉を聞いてそうしたわけではなさそうだったが……。
その小人は、エイルの足元まで行くと、都心に遠足に来た小中学生が初めて高層ビルを見上げるように、ぽっかりと口を開けて、エイルを見上げた。
エイルは、その小人に人差し指を差し出した。
小人は、抱き着くようにエイルの細い人差し指に乗っかった。エイルは小人を掌に座らせ、しげしげと見つめた。小人の方も、珍しそうにエイルを見つめていた。
なんだ、エイルにも人並みの好奇心とか、そういうものがあるじゃないか。人型のゴーレムか何かじゃないかと、割と真剣に考え始めたんだぞ。
遅れて、ベイフが目を覚ました。
ベイフも、小人の登場に驚いていた。
小人の話してくれたことを二人にも教えた。ビチャビチャが、「大きくて赤いのを吐いてる怖い変なの」ということも。二人とも、きょとんとしていた。
俺のせいじゃないんだって。
「日が出たら、行ってみよう」
結局、小人の言う事を信じることになった。
というより、他に道しるべがなかったのだ。
暫くすると、闇が薄くなり始めた。俺たちは小人を肩に乗せて立ち上がった。
「すすめー!」
小人の号令で、俺たちは進み始めた。




