61 同舟
嘘のように体が軽くなった。
立ち上がると、俺を囲んで結界を作っていた六人が、腰を抜かすように倒れていた。
俺の周りには、きらきら輝く銀の発光体が無数に飛んでいた。
「ヘキサリーを、内から破るか……」
ベイフは、ドラゴンを見るような目で俺を見つめている。
(『忘翁のローブの約束』が果たされました)
テレパシーのような声がそう告げた。
ローブを確認すると、なくなっている。
銀の光は、俺の身体に静かに降り注いで、消えていった。
(ポテンシャルスキル『密霊水月』が開花しました)
両手を見る。
俺は一体、何の力を得たのだろうか。
ベイフが『ホーリーライトニング』を放ってきた。
その稲妻を、俺はぼんやりと眺めていた。
紙一重のタイミングでパトラッシュが駆けてきて、俺の代わりにそれを受けてくれた。
「小龍馬だと!?」
ベイフが仰天するのを、パトラッシュはあざ笑うかのように、尻尾を揺らした。
俺はパトラッシュに飛び乗った。
パトラッシュは、倒れている魔術師を飛び越えて丘を駆け下りた。
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一時間か二時間か走ったところで、パトラッシュが歩みを緩め始めた。だんだんと速度を落としてゆき、最後は走らなくなってしまった。俺はパトラッシュから降りて、その綺麗な水色の鬣を撫でつけた。
パトラッシュは強がっているが、その目には、いつもの力がなく、足取りにも息遣いにも、いつもの余裕を感じられない。
「俺の代わりに魔法を受けたからか……?」
パトラッシュは応えない。
だが、そうに決まっている。ただ走るだけなら、パトラッシュの体力はほとんど底なしだ。――俺のせいだ。
「ごめんな」
撫でつける。
パトラッシュは、俺の手を払いのけるように首を振った。
別に怪我なんてしてない――そう言っているようだった。
町にやってきた。
パトラッシュは、町に入る道を横切って、グリフォンの飛んでいった東の森に向かおうとした。
「ダメだ、パトラッシュ。今日は休もう」
手綱を引いて、パトラッシュを道に戻す。
パトラッシュは抵抗した。
最初はびくとも動かなかったが、パトラッシュにしては弱弱しい抵抗である。それが、余計に悲しかった。自分が惨めになってくる。
「パトラッシュ、頼む、今日は俺の言う事を聞いてくれ」
パトラッシュはうな垂れて、従ってくれた。
町に入った。
人口数千のごく小さな、この地方では一般的な規模の町である。最初に目についた宿で宿泊の手配をして、パトラッシュを馬屋で休ませた。
その後俺は、部屋に食事を運んでもらって、スープにパンをつけて食べた。ソーセージ、ベーコン、酒の代わりに水を貰った。
これから、どうしたらいいのだろうか。
途方に暮れる、というのはこういう心情を言うのだろう。
クワルはどこに連れていかれたのだろうか。何のために連れていかれたのだろうか。何も分からない。グリフォンの飛んでいった方角しか、分からない。
パトラッシュの状態も良くない。
今日と明日一日は動けないだろう。もしかすると、一週間は休まないといけないかもしれない。あのパトラッシュが、弱っているところを俺に見せたのである。それほど弱っているのだ。無理をさせれば、きっと命に関わるだろう。
リゼに戻って情報を集めるか。しかしリゼには、〈カメス・メイス〉がある。今頃は、俺がギルドの人間ではなかったとがバレているだろう。向こうに戻れば、情報集めどころではなくなることは目に見えている。
とりあえず、自分の状態を確認しよう。
『忘翁のローブの約束』が果たされて、『密霊水月』といスキルを獲得した。ポテンシャルスキルということだったが、どんなものなのだろうか。
事典で確認しよう。
……。
――事典が、出てこない。
「事典! 地図! ――なんで……」
念じても呼んでも出てこない。
「ステータス巻物!」
……
…………。
――……出てこない。
「そんな……」
どうして……。
――忘翁の加護が、完全に消えたということだろうか。『忘翁のローブの約束』が果たされたことによって、俺と翁の関係が、切れてしまったという事だろうか。
「嘘だろぉ……」
弱り目に祟り目だ。
こんな時に、加護まで失ってしまった。これは何のいじめだ。俺が何をしたって言うんだ。リストラもある意味理不尽だったが、あれはまだ、自分の営業成績が良くなかったことが原因だと納得もできた。
でも今は、この状況は――そもそも俺の力でどうにかなるようなものか?
「ふざけんなよぉ……」
スプーンを放り投げる。
スープの中に滑り落ちて、黄金色の液体が皿から跳ね零れる。
「……どうすりゃいいんだよ」
こんな時、冷静でいられる人間でありたいが、俺には無理だ。だからといって、食事をテーブルごとひっくり返してぶちまけるほどの勇気もない。そんな些細な無謀ができるほどの思い切りさえない。
部屋を出、階段を下りる。
パトラッシュの様子を見に行くためだ。パトラッシュを撫でれば、少しは気持ちも落ち着くだろうと考えた。
宿の一階に降りた丁度その時だった。
白い衣装を着た魔術師の集団が、店に入ってきた。
――彼らは、忘れもしない。その面を、つい数時間前に見たばかりだ。――〈カメス・メイス〉の面々である。最悪の鉢合わせだ。
その中に、ベイフ・ウルスランもいる。
オールバックが決まった、クランマスターである。
向こうも向こうで、しっかり俺の面を覚えていた。魔術師たちはメイスを取り、その先を俺に向けた。
俺は、ぽかんと口を開けるだけだった。
チェックメイトだ。
チェスのルールなんて知らないが、その言葉の意味は知っている。
つまり、ゲームオーバーだ。
――死を覚悟する。
すでに、心臓は止まったようになった。
「メイスを降ろせ」
ベイフが言った。
「え! 戦わないのですか!?」
魔術師たちは、驚いたようにベイフを見た。
「メイスを、下ろせ」
二度目、ベイフははっきりと発音した。
魔術師たちは聞き間違いではないと悟り、不服そうにメイスを降ろした。それを確認してから、ベイフが俺に言った。
「我々は、君と争う気はない。君が、我々と争う気がなければだが」
俺は、首を振った。
その意味は、自分でもよくわからない。彼らと戦いたいのか、戦いたくないのか、よくわからないのだ。彼らが憎いという感情はあまりない。今となってはもう、どうでも良かった。
「あのグリフォンの三人は、何ですか」
俺は、ベイフにそんなことを聞いていた。
ベイフは答えた。
「依頼主の情報を漏らすのは、ご法度だ」
俺は収納の杖を振って、ベイフの前の机に、50グロウル分の金貨銀貨の入った袋を出した。
「教えてください」
情報量にしては高すぎる。
俺も大概、冷静ではない。脳が、上手く働かないのだ。
「あの、ライカンの少女か」
「はい」
「……いいだろう」
ベイフが言うと、魔術師たちは互いに顔を見合わせた。
「これは個人的な依頼として、俺が受けよう。依頼内容は、ライカンの救出、それでいいか?」
「手伝って、くれるんですか?」
「仕事を請け負っただけだ。俺だって、金は欲しい」
ベイフはにやりと目で笑う。
「だが、俺と君の二人だけでは無理だ。もう一人雇う必要がある」
「そんな金は――」
「後払いでいい。そうだな、30グロウル」
「わかりました」
「よし――エイルはいるか?」
「呼んできます!」
魔術師の一人が、そう言って階段を駆け上がっていった。
暫くすると、その魔術師が、一人の女性を伴って戻ってきた。
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名前 :エイル
クラス:セージ
Lv:30/40
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すらっと背の高い、細身の女性だ。その肌の色は雪の様に白く透き通っていて、こんな時にも関わらず、俺は彼女から目が離せなくなってしまった。作り物の様な無表情、濃紺の瞳は、一体何を見ているのだろうか。
「我がクランきってのヒーラーだ。彼女無しでの冒険は考えられない」
そう言ったベイフの顔は、すでに俺を仲間と認めていた。
俺は、ほうっとため息をついた。
もうダメだと思っていたが、命拾いした。今更になって、心臓が動き出した。冷や汗がどっとあふれ出て背筋を流れ、身震いしてしまう。
「よろしくお願いします」
俺がそう言うと彼女は、
「よろしく」
無感情でそう言って、再び階段を上がって自室に戻っていってしまった。
「……何か、悪いことしましたか?」
「いや、彼女はいつもあんなものだ。――さて、出発はいつにする。早ければ早い方が良いが、君の自慢の小龍馬は?」
さっきまで命のやり取りをしていたとは思えない。
傭兵とは、金でこうまでも変わるものなのだろうか。
「しばらく休ませたいと思っています」
「そうか……だがそうなると――よし、君の愛馬は、この冒険が終わるまで、我々のクランで面倒を見よう」
「……良いのですか?」
「今の我々には、君とやりあう理由がない。それよりも、急がなければ」
「はい」
「馬を乗り継いでゆこう。出発は――一時間あれば準備できるか?」
「はい」
ベイフ・ウルスラン。
大きい男だ。元黒狩り部隊というのもよくわかる。セシューなんかよりも、よっぽど、上に立つには相応しいと思ってしまう。
俺はその後、商店でポーションやら食料やらを買って歩いた。
一時間後、準備を終えた俺たちは、馬に乗って町を出た。
馬の蹄が地面を蹴る音と振動を感じるごとに、滞っていた脳みそが、再び回転を始めるのが分かった。
町や駅宿で馬を代えながら、目的地――ジューガの森に入る。クワルを連れて行った連中のアジトはその中にあると、ベイフは知っていた。
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日が暮れ始めた頃、空から何かが現れた。
鳥にしては大きすぎる、無数の影。
「ログスだ! 群れで襲ってくる!」
先頭を行くベイフが声を張り上げて教えてくれた。
ログス――それはトンビやタカに似た魔物だった。ただし、魔物である。人を切り裂くため鉤爪と、腸を抉りだすための嘴がついている。
ベイフがメイスを掲げた。
『サンルーンスフィア』の光の球体が空中に放たれ、6匹のログスに直撃した。魔法の当たった6匹は、例外なく地面に落ちた。
だがログスは諦めない。まだ30匹以上はいるだろう。
一気に倒そう。
――ログスは魔法防御が低い。なぜか、俺には何となくそれが分かる。
左手を掲げる。手のひらに、黒い灯が宿る。
血を消費して『ダークバインド』。群れ全体にかける。全てのログスの動きを掌握したのを感じる。空中で、群れが制止した。
そのまま、縛り上げるイメージで動きを止め続ける。ほぼすべてのログスに『ダークネス・カース』の呪いがかかり、進行度が『Ⅱ』になったところで拘束を解いた。
自由を得たログスは、再び追いかけてきた。
だが、一分も飛ばないうちに、ぽとり、ぽとりと、墜落していった。呪いの進行度が『Ⅲ』になったのだ。『Ⅲ』になると、さすがに魔物でも、飛んでいるどころではなくなるのだろう。
いつの間にか、俺たちを追うログスはいなくなっていた。皆、呪いが進行して飛べなくなり、そして死んでいったのだろう。
「これまでたくさんの魔術師を見てきたが、君のような魔法を使う魔術師は初めてだ!」
ベイフは、少し興奮しているようだった。
そのあとは日暮れまで馬を走らせて、俺たちは一つ目の村に辿り着いた。




