58 深夜の交渉
ビーガンと取引をした翌日の夜、来客があった。
傭兵ギルド会館の三階二号室、ビーガンが手配してくれた寝室で、俺とクワルは眠っていた。俺はその来客のある一分ほど前に覚醒し、その目覚めが睡眠の尾を一筋も引いていない異様さに、これが『プレシーブセンス』によるものだと確信した。
クワルが起きた。
小さなノック音が、静かな部屋に響く。
――扉を開ける。
見知らぬ男がいた。
クワルが、ランプの灯を付けてくれる。男の顔が現れた。頬に、まだ乾いていない血の筋があり、目は、血走っている。唇はわなわな震え、ただ事ではないのがすぐにわかった。
「グリムさんですね」
「はい」
「アッシは、ビーガンの使いで、バゴと言いやす」
男、バゴはそう名乗った。
クラスは【レンジャー】、50レベル。
「ビーガンが、捕まりやした」
「え?」
「アッシとビーガンで、例の情報を集めていたんですが、探りを入れているのが〈カメス・メイス〉にバレて――」
「ビーガンは、今どこに?」
「〈カメス・メイス〉のクランホールの地下室です」
頭を抱えてしまった。
こんなことは、予想しておくべきだったが、考えていなかった。ビーガンは予定通り、一日二日のうちに情報を入手して、帰ってくるものとばかり思っていた。情報もその辺の雑貨と同じように、金さえ出せば手に入ると、そんな風に、安易に考えていた。
――甘かった。
そうだ、これは命懸けなのだ。俺たちにとっても、ビーガンにとっても、そして〈カメス・メイス〉にとっても。
「奴ら自白薬を持ってやす。奴らがここに来るのも時間の問題です。お逃げ下さい!」
「クワル」
「はい」
俺たちは宿の裏口から外に出た。
暗い路地には、すでにパトラッシュが待っていた。
「奴らはライカンの将軍を連れて、明日、明後日のうちにトリンドル城砦跡地に入りやす」
「ビーガンは?」
「……それは、アッシらの仕事です」
本当なら、ここで情報の代金20グロウルを彼に支払って、直ちにトリンドル城砦跡地に行けばいい。ビーガンの心配などはする必要がない。彼はプロで、こうなるリスクを引き換えに商売をしているのである。
死んだとしても、それは、仕方のないことだ。
頭ではそう考えている。
それなのに、「違うだろ!」という心の声が心臓を掴んでくる。どっちが天使でどっちが悪魔かもわからない二つの声が、俺の中で戦っている。
『ビーガンを見捨てていいのかよ!』
『いかんのか?』
『いかんでしょ!』
『良く考えてもみろ。俺はもうフリーじゃない。ユランの魔術士だ。〈カメス・メイス〉と事を起こせば、ユランに迷惑がかかることになるんだぞ』
『ビーガンを助けようが助けまいが、もう俺達は〈カメス・メイス〉とやりあうことが決まってる。今更怖気づいてんじゃねえぞバーカっ!』
『じゃあ何か、クランホールに襲撃でもかけるか? クワルと、たった二人で? それこそ馬鹿野郎だ。黒魔術師だからって調子に乗ってんじゃねえよ』
『別にそういうわけじゃ――』
『仮に襲撃が成功してビーガンを助け出せたとして、俺らが無罪無実で済むと思うのか? お尋ね者だよ』
『メロール伯爵が何とかして――』
『本当に何とかしてくれると思うか? どうしてあの伯爵をそこまで信用できる』
『……ビーガンはギルドの人間だ。ギルドが出てくれば――』
『ギルドの上層部が動かなかったからビーガンは単独で動いてるんだろうよ。ビーガンがどうなったって、俺たちが何をしたって、ギルドは庇っちゃくれないさ』
俺の中のドライなほうが、ビーガン擁護派を打ち負かしそうだ。
やはり、ビーガンを見捨てて城砦に向かうべきか。
いや、別に見捨てるわけじゃない。もともと、彼の失敗は彼の責任で、俺たちには彼を助ける義務や義理はない。一度言葉を交わしたに過ぎない。
そんな男のために、冒す必要のない危険を冒すなど馬鹿げている。
しかもその危険は、体の危険だけでなく、社会的にも非常に危険なものである。
どうすべきか、そんなことはもう明らかなはずだ。
理屈はそうだ。
だが――。
「クランホールには守りの結界があるんだよな?」
バゴに、そんな質問をしていた。
バゴは、余計なことは言わずに答えてくれた。
〈カメス・メイス〉のクランホールに施されている魔法的防御は一つ、『サンクチュアリ』という結界だ。クランホールに施されるものとしては最も強力な結界の一つである。
結界魔術『サンクチュアリ』は、結界内の味方の治癒力、魔力を上げ、敵の魔力を低下させるという特性を持っている。
「破る方法は?」
「ありますが、時間がかかりやす」
「どれくらい?」
「半日は」
破るのは難しそうだ。
ということは、やはりビーガンを助けようとしたら、結界の中に飛び込むしかない。結界の中で、自分の魔力がどれだけ低下させられるのか、そこが全く分からない。
――危険だ。
普通ならこんな危険は冒さない。
でもなぜか、その気になっている自分がいる。
「……ビーガンを助ける」
「え?」
「ビーガンを助ける」
口に出して言った。
もはや理屈ではない。そうしないではいられなかった。俺の血のどこに、そんなホルモンが眠っていたのか、自分でもよくわからない。
「危険です! 旦那にそこまでしてもらう筋は、あっしらにはありやせんで!」
「ビーガンが自白薬を飲まされて洗いざらい喋ってしまったら、どの道将軍の救出は上手くいかない」
俺の冷静な天使か悪魔が、ビーガン救出の正当な理由を導き出してくれた。
そうだ、〈カメス・メイス〉の連中は、今はまだ、ビーガンが何のためにクランの情報を集めていたのかを知らない。傭兵ギルドの諜報活動と見ていることだろう。だからまだ、俺の存在を知らない。
しかしいずれ知ることになる。ビーガンが全てを自白したら、俺たちの存在も、俺たちが将軍を救出するためにトリンドル城砦跡地に向かう予定も、全て知られてしまう。
確かにパトラッシュは早い。並みの馬では到底かなわない。
だが、情報を伝えるだけなら、パトラッシュよりも早い伝達手段がきっと存在するだろう。伝書鳩的なものかもしれないし、あるいは、スマホの代わりに水晶みたいなものを用いた魔法的な通信手段かもしれないが、とにかく、そういうものがあるだろう。
「殴り込みですね!」
クワルが、嬉々として言った。
彼女は、動きたくてうずうずしていたから、そういう反応も、もはや不思議ではなかった。
「いや、殴り込みはしない」
「え!?」
「クランホールの中に直接入るのは、少し危険すぎる」
「じゃあ、どうするんですか?」
「できれば話し合いの方向で決着をつけたい」
「話し合いで解決できるんですか!?」
「どうだろうかなぁ……」
考える時間は少ないが、ビーガンを助け出すためには、考えるしかない。クワルの言う通り、「殴り込み」という手段も頭の片隅に入れながら。
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クランホールまでパトラッシュを連れて、夜の路地を歩いた。
路地裏の暗がりに人の気配を感じるものの、その姿は見えない、息を潜めるような静かな夜だ。
「たのもー!」
クランホールの前、思い切り息を吸い込んで、大声で叫んでみた。
クランホールから、カメス十字のマントをつけた魔術師たちが出てきた。外に出てバゴを探していた魔術師も集まってきて、ものの数分で俺たちは囲まれた。
カメス・メイスの魔術師たちは皆、長めのメイスを掲げ、その先に光を灯している。
魔術師たちはすでに臨戦態勢。
俺たちのほうも、バゴとクワルはすでに短剣を抜いている。
「ギルドの人間か」
魔術師の一人が訊いてきた。
『アナライズサイト』で、その男が三次クラスの【ルーメン】であるとわかる。他の魔術師は皆【セージ】や【エレメンタリスト】であることから、この【ルーメン】の男が、この現場のリーダー的な存在なのだろう。
「仲間が世話になってると聞いて、引き取りに来た」
「引き取りに?」
男の表情は見えない。
だが、到底穏やかに済ますつもりのないのは、口調だけでわかった。
「まず、言う事があるんじゃないのか」
「言う事?」
「我がクランと傭兵ギルドは良い関係を築いてきた。それは、互いにルールを守っていたからだ。それが今回、お前たちはルールを破った」
「詫びを入れろと言うのか?」
「それは当然だ。そして、なぜネズミを潜り込ませたのか、我々が納得する説明を求める」
相手は思った通り、俺たちを完全にギルドの人間だと思っている。
話し合いをするには都合が良い。
こっちは、傭兵ギルドというバックをちらつかせながら交渉ができる。立場で言えば、ギルドの方が上のはずだ。つまりこの話し合いは、俺たちの方が優位といえる。
「なぜ俺たちがそうしたのか……見当くらいついているはずだ」
「……良いだろう。取引だ」
男はそう言うと、クランホールから椅子を二つ、テーブルを一つ、クランメンバーに持ってこさせた。テーブルを挟んで俺とその男が座り、俺の十歩ほど後ろにはパトラッシュ、クワル、バゴが控え、男の後ろには側近と見える二人の魔術師が控えている。
その周りを、カメス・メイスの魔術師が取り囲んでいる。
「ギルドは、我々の活動には干渉しない、そういう約束があったはずだ」
男が口火を切った。
俺もやり返す。
「俺たちの利益が守られる限りは、だ」
「我々がいつ、お前たちに不利益になるような事をしたと言うんだ」
「今回のそれが、そうだ」
「我々は、依頼主のクエストを受けただけだ」
「そのクエストをすればどうなるか、どのようなことが起きるのか、わからないお前たちクランでもないだろう」
「……過干渉だ」
「それは一方的な言い分だ。事実、今回の〈カメス・メイス〉の行動は、ギルドへの宣戦布告だという意見も強い」
「馬鹿な……それはおかしい。お前たちは、誰の許しを得て、この町で活動をしている。これは、領主の意向だ。領主に逆らうというのか」
「お前たちは、ここの領主から依頼を受けたというわけだ」
「そうだ」
「だが、俺たちは、領主の兵隊になった覚えはない」
「問題のある発言だな」
「――俺たちは、領主と一戦交える準備がある」
そう言うと、流石に男も息を呑んだ。
全部ハッタリだが、相手が信じているならそれでよい。俺がギルドの人間でないとバレたら大変なことになるが、それはもう、考えないことにしよう。
「ライカンが敵とみなすのはこの町ではない。――デノンだ」
「デノン?」
「そうだ。デノンを訪れていたライカンの賓客を我々が拉致した。だがそのことを知っているのは、俺達と、依頼主と、そして今俺が話した、お前だけだ。ライカンはこの事件を、デノンの陰謀と考えるだろう」
「なるほど。つまり、〈カメス・メイス〉は、デノンに濡れ衣を着せて陥れようという謀略の片棒を担いだ、というわけか」
「問題か?」
「いや、そういうことならいい。だが、今回の件がこの町の領主の謀略だとライカンやデノンに知れれば、その時は――」
「知られないように手は打った。もうじき、全てけりがつく。お前が、ぺらぺらしゃべらなければな。だがそんなことはしないだろう? 共倒れだぞ」
「船が出てから行先を言うような真似、今後はしないでもらえるか。で――拉致したライカンはどうするつもりだ? 濡れ衣を着せるだけなら、殺して良いはずだが?」
「そこまでギルドに教える必要があるとは思えない」
「それは……そうだな」
ここで欲をかけば、全てを失うリスクがある。聞くべきことは聞いた。あとは、この丸く収まりそうな取引を、しっかり終わらせることに意識を注ごう。あくまでこの取引の目的は、ビーガンの奪還だ。
「ライカンをほしがっている、ある団体と取引をしてるんだ」
「ある団体?」
「我々もよく知らない団体だ。さて、無駄話はこれくらいでいいだろう。それで、我々にかかった嫌疑の方はどうなった」
「俺たちの忠実なネズミを返してくれれば、それで今まで通りだ」
男は頷いた。
部下に命令し、暫くすると、クランホールから傷だらけのビーガンが、二人の魔術師に付き添われて出てきた。




