55 連れ去られた将軍
ライカン、西部部族の村。
そこで迎える朝は、とても清々しい風が吹いていた。
高原らしい肌にひんやりとした空気が、邪気を払っているようだ。黒魔術師という肩書がなければ、この心地よさを心から楽しむことができただろう。
テントを出て、体を伸ばす。
今日もこれからパトラッシュに揺られる旅が始まる。気合を入れていかなくては。昨夜は不思議なことがあったが、今それを考えるのはよそう。俺の頭の記憶容量と演算能力は、そう高いものではない。
「おはようございます」
声をかけられて、振り返った。
そこには、三人のライカンがいた。
いずれも少女だが、クワルよりは年上だろう。十七か十八くらいの少女が二人と、十九か二十歳過ぎくらいの少女。俺からすれば、三人とも「女性」というより、「少女」である。
さて、そんなライカンの純朴そうな少女が、朝から俺に何の用だろうか。
「グリム様――」
一番年上の少女はそう言うと、俺の前に立膝を突いて頭を下げた。あとの二人もその左右に続く。まるで、忍者の棟梁になった気分だ。
年上の少女が顔を上げた。
目が合う。
強い目だ。クワルと同じ、力強い瞳。
「クワルのことを、どうかよろしくお願いします」
「「お願いします」」
俺は何か答えようと思って口を開けた。
だが、何を言ったらいいのか、言うべきか、全く分からない。
口を閉じる。
「クワルは、私たちにとって、妹のような子です。まだ小さいですが、あの子は、本当によくできたライカンです。どうか、あの子をよろしくお願いします」
「「お願いします」」
再び俺は口を開けた。
彼女たちの言う「お願い」というのが何を指すのか、これほど「お願い」されれば、何と無く分かる。つまり俺に、ドラガンとの決闘をしてほしい、そして、勝ってほしい――その上で、クワルを俺のモノにしてほしいと、そう言う「お願い」をしているのだろう。
と、年長の少女が、懐から布に覆われた小物を取り出し、それを両手に乗せて、額の上に掲げた。どうやら、俺への贈り物ということらしい。この場合、貢物だろうか。
「どうか、お受け取り下さい」
三人とも、頭を下げる。
悪いことなんか何一つしてないのに、とても悪いことをしている気分だ。少女を跪かせて――「お前そういう趣味やめろよ!」と、この場面だけ向こうにいる友人に見せたら、そう言われるに違いない。
「「「……」」」
「……」
この沈黙のせめぎあい。
受け取るか、受け取らないか。
受け取るだけ受け取って、「お願い」んて知~らない」、なんてことは、今の俺にはできない。「契約」や「約束」は、破ってはいけない。破ったら、後が怖い。呪われる。
――だから、というわけではないが、守るつもりのない約束はしたくない。
そしてこうなっては、決断するしかない。
受け取るか、受け取らないか――今、決断するのだ。
俺が。
差し出された包みを、俺は両手で受け取った。
包みを開くと、ネックレスだった。スメラルコンの鎖に、磨き上げられたビー玉台の翡翠のような宝石が三つ――一つはビー玉ほどで、もう二つはそれよりも一回り小さく、大きい宝石の左右に繋げられている――。
「どうかあの子を……お願いします」
深々と頭を下げる三人。
俺は、ただ黙って頷いた。三人は、俺の頷いたのを感じ取ったのだろうか、頭を下げたまま、テントの蔭に走って消えていった。
ネックレスは『翠命の首飾り』という名前だった。
早速首に付ける。
宝石はローブの中に隠れた。
それから、俺たちは早々、パトラッシュに乗って村を出た。
そこからデノンまでの道のりは――俺にはやっぱり、ちょっとした地獄だった。
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デノンに着いたのはその日の夕方。
パトラッシュは……流石に少し疲れたようだった。
だったらもう少し速度を落とせばいいのに、ランナーズハイになったせいなのか、むしろ速度は上がっていた。
夕日の頃、メロール伯爵の屋敷に着いた。
メロール伯爵は、信じられないという様子を示しながら、俺たちを迎え入れた。
部族長と話してきたことを伝えると肩の荷が下りたようで、安堵のため息をついていた。
そこでメロール伯爵は、俺に決闘をするかどうかを訊いてきた。
俺の心はもう決まっていた。
が、明言はしなかった。
「決闘の場に行って、決めます」
そう言うと、メロール伯爵は、一瞬不安そうな表情を見せた。
部族長は「力を示せ」と言った。
それは、むしろ決闘を勧めていた。決闘に勝てば、関係はより深くなるだろう、ということを含んだ言葉だった。伯爵も、そうとらえたのだろう。
つまり伯爵からすれば、俺には是非決闘をして、勝ってほしいのだ。だから伯爵は俺に訊いてきた。
俺が本心を言わなかったのは、そんな伯爵の態度に、腹が立つ部分があったからだ。大会出場から始まって、俺はなんだかんだと、伯爵の為に動いてしまっている。そんなことをする必要など、本当は全然ないというのに、まるでそれしか道がないかのような残酷は選択肢によって。
しかも全て命懸け。
黒魔術が使えるなんてことは、気休めにもならない。
「まだ決めていないのですね」
「はい」
「難しい相手ですか?」
「さぁ」
そんなやり取りがあった。
伯爵も従者も、俺が勝つのが当たり前のような口ぶりで話をする。
クワルはというと、俺が決闘を受けないと思っているらしく、俺の為にいろいろとしてくれるのはいつもの通りだが、笑顔は少なく、テンションは明らかに低かった。
「偉いさんっていうのは、あぁいうものかね」
「え?」
不思議そうに俺を見あげるクワル。
屋敷の庭を渡り、門を出た。
泊まっていくように勧められたが、明日の準備があるからと、その申し出を断っていた。明日の準備なんて本当はないが――単に意地を張ったのである。
門を出て少し進んだとき、強い殺気を感じた。
俺はその場で止まり、周囲を見回した。
遅れて――。
ばさあっと、茂みの左右から、武装したライカンの男たちが現れたのだ。
「これは、何のつもりですか!」
クワルが言った。
ライカンたちは、ぐるるると、喉を凶暴に鳴らしている。
「この卑怯者め! その喉、噛み切ってやる!」
「卑怯なのはどっちですか! 約束は明日のはずです!」
「お前は黙ってろ雌犬が!」
ライカンが包囲を縮め、彼らの顔が、クワルの持つランプの灯りに照らされる。皆すごい形相だ。殺意とか憎しみとか、そういう悪くて派手な感情を塗りこめた様な顔をしている。
なぜこんなに怒っているのだろうか。
「これは、どういうつもりなんだ?」
「しらばっくれるな! お前が手を回したんだろう、わかってんだ!」
「手を回した?」
「将軍に敵わないと思って、あることないこと吹き込んで、捕まえさせたんだろうが!」
そういえば、将軍の姿が見えない。
捕まえさせた? あることないこと、吹き込んで?
ドラガンが捕まったのだろうか?
「将軍が捕まったのか?」
「よくもいけしゃあしゃあと言えたもんだ!」
「誰に捕まった?」
「将軍は俺たちが助ける。お前らの頭蓋をかみ砕いた後でな!」
「そうはさせません!」
クワルがランプを置き、短剣を抜いた。
村で新調したばかりの短剣だ。
しかし、ここはクワルに戦わせるわけにはいかない。彼女と彼らは、同族で、しかも同じ村出身なのだ。
俺はクワルの服を掴んで、軽く引いた。
「グリム様は下がっていてください。ここは私が――」
「クワル、お前が下がってろ」
「でも――」
「これは、命令だ」
そう言うと、クワルは頷いて、大人しく身を引いた。
クワルに命令したのは、これが初めてだ。
あぁ、これで完全に、力関係ができてしまった。本当は、上下関係ではない、友達のような関係をクワルとは作っていきたかったが、それは無理なようだ。
「抜け、野良犬!」
「武器を捨てろ」
供血魔法で『パペットカース』。『アビスブースト』によって、そのレベルは2から3にまで引き上げられる。彼らであれば、完全とはいかないまでも、八割がた言う事を聞かせられるだろう。
そう、直感していた。
ライカンたちは武器を捨てた。
そのまま、地面に膝をつく。
「なっ、馬鹿な……クソッ、卑怯な技をっ……」
「ドラガン将軍は、誰に連れていかれた。知っていることを話せ」
「――黒い、黒い服を着た連中だ」
「他には」
「メイスを持っていやがった。――白い魔法を使って、ドラガン将軍を縛り上げて……」
「メイスに、白い魔法……」
と、ライカンの一人が『パペットカース』を振り切った。
巨大な剣を振り上げ、跳躍し、俺を地面ごと叩き潰そうとする。
俺は咄嗟に『ダークバインド』で、そのライカンを空中で拘束し、放り投げた。ライカンは、ぐしゃりと地面に倒れ込んだ。
「あぁ、ちくしょう……クワル、伯爵の屋敷に戻って、解呪の使える魔術士を呼んできてくれ」
「はい!」
「はぁ……やっちまったなぁ。――眠れ」
俺は、『パペットカース』でライカンたちを眠らせた。『パペットカース』は、念じるだけよりも、口に出して命令した方が効果が大きいらしい。
『ダークバインド』によって『ダークネス・カース』を受けたライカンも眠った。咄嗟にやったことだが、黒魔術の場合、それが相手の命を奪うことになる。俺は、人を一人殺してしまうかもしれない。
レイバンのような悪党なら別に良いが、このライカンは――。
供血魔法の疲れもあって、俺はその場にしゃがみ込んだ。
クワルが魔術士を連れてくるまで間、俺はずっとそうしていた。
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クワルがすぐに魔術士を連れてきてくれたおかげで、俺が呪いをかけてしまったライカンも、一命をとりとめた。ステージ「Ⅱ」まで進行していて、危ない所だった。「Ⅲ」になると、生半の解呪魔法では解呪できなくなってしまうから、肝を冷やした。
ライカンたちはメロール邸の庭に移動させ、そこでもう一度眠ってもらった。
その後、俺とクワルは伯爵の書斎に通された。伯爵の従者たちは、慌ただしく屋敷を出たり入ったりして、将軍の行方に関する情報を集め始めた。
開けっ放しの書斎から、忍者のような伝令がやってきて、伯爵に何やら耳打ちをした。伯爵は頷き、何やら命令を下すと、伝令は俺たちに目もくれず、次の命令のために書斎を出て行った。
「困ったことになりました」
ため息交じりに、メロールが言った。
メロールにとっては、確かにそうだろう。このままドラガンの行方が分からず、あるいは、殺された、なんてことになったら、ライカン西部部族はどう思うか。
将軍の部下たちの反応が、その未来を示している。
彼らは、決闘を恐れたデノンの魔術師が、ドラガンをだまし討ちしたと、そう思うに違いない。そして、その魔術師は、デノン周辺を支配する領主の息のかかった者である。
全てメロール伯爵のやったことだ、とみなされるだろう。
全く理論的ではないが、ライカンは理屈で考えない、そういう種族だ。頭ではなく、肝っ玉で物事を判断する。彼らは「卑怯」や「臆病」を嫌い、そういう人間とは、取引をしない。
何年かけて来たのかわからないが、ドラガン将軍を取り戻さなければ、メロール伯爵の考えている、「ライカンとの交易」という計画は、水の泡と帰すだろう。
「目星はついているんですか?」
「……いくつか、名前が浮かんでいます」
「メイスを持って、白い魔法を使うというのは――」
「〈カメス・メイス〉でしょう」
「それは、何ですか?」
「クランです」
「クラン……?」
「傭兵団のことをそう呼びます。〈カメス・メイス〉は、解雇されたり、追放されたりした聖術師が作ったクランです」
「どういう関係なんですか?」
「彼らは、雇われたのでしょう。私たちと〈カメス・メイス〉には、何の関係もありません」
「彼らを雇ったのは誰でしょうか」
「心当たりはいくつかありますが、果たして、決め手がない」
「……そうですか」
残念なことである。
だが、俺にはこれ以上、どうしようもない。
なぜならこれはもう、俺とドラガンとの関係ではなく、メロール伯爵と何者かの戦いになったのだ。ドラガンを拉致したのは、それによって得をする人物だろう。あるいは、メロール伯爵に、強い恨みを持つ人物か。
どっちにしても、俺とは関わり合いの無いことである。メロール伯爵にとって、俺の命がどうなろうと関わり合いの無いのと同じように。
「では、自分はこれで失礼します」
頭を下げる。
えっ、という顔をしたのはクワルと伯爵である。
この事件、解決しないんですか? という顔で、俺の事を見てくる。その視線を俺は、ポーカーフェイスで受け流す。
「待ってください」
伯爵が俺を呼び止めた。
「私に、協力してもらえませんか」




